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  未知との遭遇 05  

 最早四限終了前に轟音を響かせてあの黒マリモがクラスに現れるのは、既に周知となっていて。
「あー、じゃあ、ちょっと早いが今日はこれまで。お前ら怪我しない程度に頑張れよ」
 終業のチャイムの鳴る五分前。このクラスに友好的な、或いは同情的な教師は、通常よりも早めに授業を終わらせてくれる。と言っても黒マリモの肩を持つ教師は極少数であり、このクラスを受け持つ中には含まれないため、自然と四限は短縮授業が当たり前となりつつある。
 たかが五分。されど五分。
 しばらくの辛抱だとは、誰もが分かっていた。
「そろそろ風紀が本格的に動くかな?」
「けど役員達はアイツらの事後処理に追われて手一杯だってこの前愚痴ってたぞ?」
「何人か有志で理事長に訴えたけど停学食らわされそうになったって」
「ああ。でも風紀が一蹴したんだろ? そのお陰で風紀は理事長に目の敵にされてるらしいけど」
 口を開けば世間話という名の情報交換会。それぞれのツテを駆使してそれぞれが持ち得る情報を共有する。それでも、この学園内で様々な意味を含めて有名である黒マリモを筆頭とした生徒会の情報は簡単に手に入る。その殆どが批判的である点を含めても、彼らがどれだけ生徒達から非難されているかが分かる。知らぬは本人ばかりなり。
 錯綜する情報を共有し合えば、クラスメイトの視線は自然と一点へと向かう。黒マリモの最大の被害者である、皆本へと。
「風紀から連絡来たか?」
「沙汰はないよ。皆が協力してくれてるお陰で被害も少ないからね。……片付くまで、迷惑だろうけどもう少し協力してくれると有り難い」
「いやいや。皆本にはいつも世話になってるし。試験とか試験とか試験とか」
「試験ばっかかよ! ――て、黒マリモがこっちに向かってるらしい。急げ、皆本」
「ありがとう。今度何か作って持ってくるよ」
 慌ただしく教科書を片付け、やや大きめの弁当箱を掴む。早く、という言葉に急かされながら席を立ち、開けて待っていてくれたドアから脱出する。
 向かう場所は決まっている。
 極力足音を立てないように廊下を走り、階段を段飛ばしで降りる。どちらかといえばインドア派だったのに黒マリモからの逃走劇でそれなりに体力がついてきたような気がする。ちっとも嬉しくないけれど。
 チャイムを背に校舎を飛び出して、皆本は歩調を緩めた。これまでのパターンを想定し、教室に辿り着くまでの各通過点にいる協力者からの情報を合わせて逃走経路を確保していたのに。
「あー! ホントに出てきた!! やっぱすげーな、お前ら!!」
 嬉々としてはしゃぐ黒マリモと、勝ち誇ったような表情を浮かべる生徒会役員。ポケットで震え出した携帯は手遅れだ。
 このまま校舎に引き返しても無駄な時間を過ごすことになるだけだ。皆本は諦めて、対峙する。
「……何の用?」
 口調に面倒臭さが滲んでしまうのは仕方ない。その声音に生徒会役員達は不機嫌に顔を顰めさせたが、肝心の黒マリモはいつもと変わらない。
「そんなこと言うなよな! お前が出てくるのを待っててやってたんだぜ!?」
「誰も頼んでないし」
「今日こそ一緒にご飯食べようぜ! あっ。コイツらも一緒だけどいいよな!? 確かにコイツらは高超度エスパーで普通人のお前からしたらちょっと近寄り難いかもしれないけどさっ、すっげーイイ奴らなんだからさっ!」
 歩み寄り、腕を掴もうとしてきた黒マリモの手を、皆本は後退して避ける。
「なんで避けるんだよっ!!」
「先約がある。この先もずっと。それは僕が卒業するまで変わらない」
「なっ。なんだよそれ! お前そればっかじゃんか!! あっ、わかった! ソイツに脅されてんのか!? 無理矢理従わされてんだろ! お前頼りないもんなっ! だったら俺がちゃんとはっきり言ってやるからソイツの所に案内しろよ!! 心配はいらないぜ! なんたって俺は超度7のエスパーなんだからなっ」
 口を挟む暇もなく、声量を考えることもせず、ただ喚き自分の主張を繰り返すしか脳のない、子供。まだ、泣き声をあげる赤子の方がかわいげがある。この生き物は、それ以下。比べることすら出来ない。
 皆本が冷めた目で見下ろしていることにも気付かず、己の間違いにも気付かず、己の考えるものが全てと振りまかれるのは無垢ではなく無知。それは純粋ではなく、濁った狂気にも思えて、吐き気がする。
 たとえ彼が何かしらの被害者であったのだとしても、世界を知る機会はいくらでもあったはず。知ろうとしなかったのは、変わろうとしなかったのは、彼自身の罪だ。
「いい加減にしろ。僕のことはまだいい。だがどうしてお前に逢ったこともない人間のことがわかる? 彼はそんな人間じゃない。僕は僕自身の意志で彼と一緒にいる。それに、たとえ先約なんかなかったとしても、僕は編入生君と一緒にご飯を食べないし、過ごすこともない。今こうしているのも迷惑なんだと、どうして気付かない? ……僕は滅多に人を嫌ったりはしないけど、君は嫌いだ。顔も見たくない」
「こういち……」
「名前も呼ばないでくれ。自分の名前が嫌いになる」
 ただ冷淡に切り捨て、皆本は黒マリモを避けて歩き出す。生徒会役員は皆本に鋭い視線を向けていたが、傷心の黒マリモを癒すことが先だと判断したのだろう。
 一人の子供の周囲に盲目な少年達が群がる様は、いっそ滑稽だ。
「調子に乗るなよ、普通人風情が。今すぐにでも退学にも、殺すことも出来るんだぜ」
「――出来るものなら、ご自由に」
 挑発に乗らずに返した皆本の背に、鋭い舌打ちがぶつかる。それにも反応を返さず、ただ一刻も早くこの場を立ち去りたいという思いのままに歩みは止めない。
 温室で迎え入れてくれた兵部は、皆本の顔を見て僅かに目を見張ったが、すぐにいつも通りの飄然とした顔に戻っていた。
 普段と変わらず皆本手製の弁当を二人で食べて、のんびりと、過ごす。その日常に耐えきれなくなったのは、皆本だ。
「何も聞かないのか?」
「聞いて欲しい?」
「……質問に質問で返すな、鬱陶しい」
 呆れて、溜息を吐けば兵部がくすくすと楽しげに笑う。皆本を見つめる蒼は穏やかで、全てを知った上で受け入れてくれているようで、だからこそ、皆本はそれが安心できて、居た堪れなくなる。
 矛盾しているが、こればかりはどうしようもない。真面目な人間であるからか、いけないことをしてしまった後は、受け入れられるより怒鳴られてすっきりしたいという気持ちもある。……本当に、あれで良かったのだろうかと考えてしまう。もっと他に言い様があったのではないかと。
「何があったかは知ってるよ。見てたし」
 あっけらかんとして告げる兵部を呆然と見返すと、小さく笑われる。
「君が絡まれてるのを見て助けようかと思ったけど、嬉しいことを言ってくれたものだからタイミングを失くしてね」
 失敗した、と照れた様子を見せる兵部に、皆本の顔が一気に赤く染まる。優しく見つめてくる眼差しに、違うんだと叫び出したくなる。
 きつく、爪が食い込むほど手のひらを握り締めた皆本の手に、そっと兵部の手が重ねられる。
「聖人君子になる必要はない。誰にだって嫌いな人間の一人や二人はいる。誰も彼もを受け入れなくていい。ましてや好きな人を貶めるような言葉を吐いた子供はね」
「だっ、れが好きな人だ……っ!」
「うん? 一般的な感情論で言ってみただけだけど?」
 小首を傾げて笑む兵部は、明らかに皆本をからかって遊んでいる。ムキになるだけ相手のドツボにはまるだけだと分かっていても、感情を理性で御せるほど皆本は器用ではない。
 あの時だって、ただ怒りの振り幅が強過ぎていただけだ。
 皆本が俯き、じっと口噤んでいると、隣に移動してきた兵部に頭を抱えられる。柔らかさもない硬い胸だが、それでもどういうわけか、安心する。安心するのはきっと、彼が纏う花の匂いのせいだ。
「君のそういうところが好きなんだ。お人好し過ぎるから放っておけなくなる。自己嫌悪に陥るのも結構だけど、僕以外の誰かのことで心を痛めてるのは許せないなぁ。僕が狭量な男だって、知ってるだろう?」
 優しく諭すような声音にほんの少し怒気を混ぜられて、皆本は小さく肩を跳ねさせた。その跳ねた肩を見て、笑みで空気を揺らした兵部に皆本はゆっくりと肩の力を抜いていく。
 身体を押して腕を放させると、兵部はあっさりと腕を解いてくれた。だがその際に軽く頬を撫でられて、気恥ずかしくなる。
 どうしてこの男は、いちいちそういうことが様になるのか。
「光一。君は君のままでいい。君がどんな姿をして、どんな心を持っていようと、僕は光一が好きなんだ」
 砂漠に水が染み込んでいくように、兵部の言葉は心の内に侵食してくる。細部まで沁み渡っていくその甘さに、身体が痺れてままならなくなる。
 侵食の速度は、速まっていた。すっかりと兵部に馴染みきって、反発する余裕など生まれなくなる。慣らされて、癖にさせて、多分その甘さの中には、麻薬のような常習性がある。

 温室に来たときよりも晴れやかな顔をして授業に向かった皆本を見送って、兵部はふと考え込む仕草を見せた。
「そろそろ限界かな」
 小さく呟き、兵部は弧を描く唇を指でそっとなぞった。
 兵部が授業も始まった頃に温室を出れば、そこは人気もなく静寂に満ちているはずだったのに、こちらへと向かってくる、ざわめき。それに伴い聞こえてくるのは、誰かの声。
 自然と、唇が持ち上がるのがわかった。
「おっかしいなー、確かに光一はこっちから出てきたのに……あ! なんかあ――」
 兵部の姿を見つけた途端、来訪者の言葉が止まる。
 噂には聞いていた風貌だが、やはり瓶底眼鏡はまだいいとしてもボサボサの顔が隠れるほどの髪は生理的に受け付けられたものではない。
「なっ、なんだ、お前! 授業はサボっちゃいけないんだぞ!!」
 おまけに初対面の人間に対する礼儀の無さに加え、自分のことは棚に上げた言動。幼すぎる正義は、幼いからこそ許容されているのだ。
 兵部がにっこりと笑みを浮かべると、黒マリモは途端、顔を赤らめる。作りものか本物かも見分けることの出来ない――盲目。
「うるさい、下等生物が」
「……え」
「ああ。人間の言葉が理解できなかった? でも生憎、僕は人間の言葉しか話せないから我慢してよ」
「なっ、なんだよお前! 綺麗な顔してるくせに言ってることめちゃくちゃだぞ!」
「顔は関係ないだろ。だったら君こそ、醜い顔で無様なこと言ってるよ。……ああ。君の理屈だとそれは許されるのかな」
「だから! 何わけのわかんないこと言ってんだよ! あっ! わかった。お前友達いないんだろ! だから言って良いことと悪いことがわからないんだなっ。だったら俺が友達になってやるから一緒に練習しようぜ!! 付き合ってやるよ! 俺は優しいからなっ。俺の名前は」
「黙れ」
 兵部がそう呟き、腕を軽く振るうと、黒マリモの身体が飛んでいく。木の幹にぶつけられた身体は根本に倒れ込み、苦悶の声を上げる。
「いっ、いきなりなにするんだよっ!?」
 勢いよく顔を上げた黒マリモの頭から、黒マリモがずり落ちる。視界の明るさに黒マリモ自身も気付いたのか、慌てて、黒マリモを頭に被る。
 垣間見えた黒マリモの下地は、蕩けるように甘い蜂蜜色をしていた。こちらをちらちらと窺う焦った様子に、兵部の唇が緩やかに持ち上がる。
「ああ。君が変装してること? 最初から知っていたよ。興味もないから忘れていたけどね」
 大方、下手な輩に目をつけられないための自衛だとは理解出来るが。それでも限度があり、黒マリモの――或いは保護者の、過剰防衛だ。自意識過剰すぎる。
 隠すのならばもっと上手く、守るのならばもっと狡猾にしなければならない。
 兵部の冷え切った態度に、さすがに本能で何かを感じ取ったか、大人しくなった黒マリモが徐に鬘を外し、眼鏡を取った。外見だけならば、男ならば庇護欲をそそられるような中性的な容貌。日に焼けない白い肌も、ふっくらとした唇も、大きな瞳もその気があれば許容範囲内となるだろう。
「生憎と、僕は君や君の周囲にいるような顔で他人を判断する馬鹿じゃないんでね。そんなことに意味はない。どんな形をしていようとゴミはゴミだ」
「っ。違うっ! 叔父さんやアイツらの悪口を言うなっ!! 叔父さん達だって顔で判断したりしない!! どんな姿をしてたって可愛いって言ってくれるんだ!!!」
「悪いけど君と議論する気はないんだよ。ここは一般生徒は立入禁止だ。即刻立ち去れ」
「黙れ黙れ黙れっ!! 俺は超度7のエスパーなんだぞ!?」
 そう、黒マリモだったものが啖呵を切った瞬間。
 風が止み、静寂が辺りを包む。
「だから?」
「え――」
 確かに人間は、弱い生き物は、自分より強い生き物を畏怖し、恐れる。
 黒マリモの周囲はそうだったのだろう。だから伝家の宝刀を引き抜けば大人しくなったし、その顔のお陰で言うことも聞いてくれた。甘やかされるだけ甘やかされて、都合の良いことしか聞かされなかった憐れな子供。
 だがそこに、同情の余地はない。
「――君、本当に自分が超度7のエスパーだと思ってるの?」
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