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  未知との遭遇 04  

 呼び止められて、振り返る。
 すぐに後頭部を引き寄せられて、コツン、と額がぶつかる。
 少し長い睫とその下の宵闇を流し込んだような瞳が間近に迫っていて、慌てて距離を取ろうにも後頭部に回された手の力は強い。口を開けば吐息の掛かりそうな距離に無言で目の前の身体を押し退けていると、しばらくもして身体はスッと離れていく。
 それにようやく、息を吐き出す。
「なにするんだよっ!?」
「少し熱がある。駄目だと思ったらすぐに帰れ」
 いつになく真剣な眼差しに、たじろぐ。心配してくれているのが十分に伝わってくる。だから大丈夫だと誤魔化す言葉を呑み込む。
 その代わりにはにかむように笑みを浮かべれば、兵部は小さく肩を竦めて見せる。
「――と言っても無理するのが君だからな。……倒れたら、お仕置きだ」
 前半は苦笑交じりに、後半は欲を孕ませて。
 囁かれた言葉に皆本は頬を赤らめ、兵部を睨み付ける。
「倒れないから安心しろっ」
 叫ぶようにそう言い捨てて、皆本は部屋を後にする。勢いよくドアを閉めると無人の廊下に大きく反響する。そのドアに凭れて火照った顔を自覚して、皆本は悪態を吐く。
 何も熱を測るのに一々額をくっつけなくてもいいじゃないか。
 火照りが熱のせいなのか何なのかもわからなくなる。
 絶対に意地でも倒れてやるもんか、と決意して、皆本はエレベーターホールへと向かった。

 午前中は少しのだるさを感じていた身体も、昼に近付けば不調をはっきりと感じるようになっていた。ただ座って授業に参加しているだけならどうにか持つものの、騒音を撒き散らす黒マリモの存在によって頭痛までし始める。
 本当に何なんだ。この子供は。
「――光一っ。ちゃんと人の話聞いてるのかっ!?」
「……聞いてるよ。だから怒鳴らないでくれないか」
 顔を顰めて、頭痛が痛い……じゃなかった、頭痛の酷い頭を抑える。黒マリモが話す度に、ズキズキと頭が痛む。
 体調が良くないことなど見ていれば分かるようなものなのに、黒マリモは注意されたことが気に喰わなかったのか、椅子を蹴って立ち上がる。その騒音に、クラスの視線が集中する。その大半が黒マリモへの嫌悪と、皆本への気遣いだ。
「折角人が注意してやってるのにその言い方はなんだよっ」
 そっくりそのまま言葉を返してやるぞ、黒マリモ。
 げんなりとしているのにも気付かず一方的に、機関銃と言うより砲弾を打ち出すように黒マリモはしゃべり続ける。
「でさ! よくよく考えてみると俺ってまだ風紀委員ってのに会ったことないんだよな!」
 知るかよ。
 実際に口に出せば余計ややこしくなるだろう相槌を胸中で返して、そりゃ無理だろう、と思う。
 風紀と生徒会は犬猿の仲だ。寧ろ蛇蝎の如く嫌い合っている。生徒会は風紀のことを普通人と馴れ合う惰弱者として。風紀は生徒会のことを下手に権力と力を持ってしまった馬鹿として。常に生徒会を侍らせている黒マリモが、風紀に会わせてもらえるとも思えない。……風紀も、諸々の事情含めて会いたくもないだろうが。
 学園の秩序を乱す者を取り締まる側として風紀には超能力者だけでなく、能力を認められれば普通人も入ることが出来る。生徒会が生徒の人気投票で決まるのに対して、風紀は実力重視。代々風紀幹部のスカウトによって役員は決まる。勿論そこに自ら売り込み役員になれた者もいるが、極めて稀だ。
 そして生徒会が風紀を嫌うもうひとつの理由として密かに挙げられるのが、現生徒会会長も一年次に風紀に自ら名乗りを挙げ、一蹴された過去があるらしい、ということ。これが事実なら風紀も既に代替わりしているし、八つ当たりもいい所だ。
 生徒会と風紀は全校生徒の上に立つ。力の上下は生徒会が上であり華々しさもあるが、全ての生徒を管轄する立場にある風紀は時として生徒会の上に立つ。故に風紀は影の支配者と呼ばれることもある。誰が言い出したかは定かではないが、言い得て妙である。特に今期の風紀においては。
「光一は見たことあるか!? 風紀委員長!!」
 身を乗り出し迫ってくる黒マリモに反射的に仰け反ってしまったのは咎められることではないはずだ。目の前に黒い塊が迫ってくれば誰だって避けるだろう。
 だのに目の前の黒マリモはそれが不服だったのか、野暮ったい黒髪から僅かに覗く頬を膨らませる。どう見てもホラーです。本当にありがとうございます。
 黒マリモの言葉を無視することも考えたが、酷くなる頭痛のせいで判断力は低下していたのだろう。それにそれくらいの知識ならば既に誰かに聞いていると思った。だから、こんな話題を振ってきたのだろう、とも。実際は皆本の考えすぎでしかなかったのだが。
「さぁ。集会も委員長は顔を出さないからね。幹部は役の特殊性から顔出しNGだし、公表すらされてないし。見たことある人はとっくに退学してるし」
「なんだよそれっ!!」
 ガタッ、と机を揺らして更に黒マリモが詰め寄ってくる。椅子に座った皆本にそれ以上の逃げ場はなかった。それでもどうにか身体を反らして距離を取り、椅子を引いて座り直す。気を利かせて机を下げてくれた後ろのクラスメイトには感謝だ。
 不自然に開いた距離にも気にせずに、黒マリモは一人何かに憤慨している。
 どこにそんなに食いつくものがあったのかと自分の言葉を反芻して、皆本は、あ。と抜けた声を上げた。
「ちょっともしかして変な勘違い――」
 慌てて、皆本が言い繕うとしても、既に遅かったらしい。
「顔見たくらいで退学にさせるってどんだけおーぼーなんだよ、その幹部って奴!!」
 あちゃー。
 なんだかそんな声がクラスで響いたような気がする。
 猪突猛進で人の話を聞かない宇宙人だとは分かっていたが、よもやここまで酷いとは。こうなればどんなに訂正しようとしても都合よく変換されるかスルーされるかだろう。
 別の痛みがしてきた頭を抑えて、皆本は低く唸る。
 勿論、風紀がそんな横暴な真似をするはずがない。ただ、違反が激しい生徒に退学通告を果たすのが風紀幹部の役目だと言うだけの話だ。その後も学園の生徒に知られないようにするためか緘口令を言い渡されるために、在校生で幹部の素性を知る者は風紀を除けばいない。
 一般生徒が風紀幹部の素性を知ることイコール、退学である。
 ……それが、学園設立当初からの決まりであるのだが。例外が存在しないわけでもない。
「なぁっ、風紀っていっつも風紀室にいるのかっ!?」
「まさか。校内見回りの仕事もあるんだから部屋に篭ってちゃ意味無いだろ」
 知らず馬鹿にするような声が出ていた。
 けれどその馬鹿を通り越して宇宙人である黒マリモは(こういう言い方をすると宇宙人に失礼か)嫌味を嫌味と取らなかったようだ。
「じゃあどこにいけば会えるんだ!?」
 何もしなくてもそのうち会えるだろ。とは言わなかった。言えなかったんじゃない。言わなかったんだ。
 言っても理解することは無いだろうし、でもこの黒マリモの所業を知る全員が思っていることだ。その内この黒マリモは退学する。編入してきたばかりなど、そんな都合は関係ない。半ば願望に近い、事実だ。
「僕みたいな一般生徒が知るわけないだろ、――」
 言い切って、気が緩んだのか何なのか、一気に熱が上がる。
 やばい、と拳を握り締めて、急いで立ち上がる。本当に倒れてしまえば後でナニされるか――!
「あ、どこ行くんだよっ、光一!」
「どこだって関係ないだろっ」
 早口に告げて、捕まえようとする手から逃げて教室を脱出する。ドアを開けててくれたクラスメイト、グッジョブ。
 背後で黒マリモの喚く声を聞きながらとりあえず階段を目指して走り、……前方不注意だった。勢い良く誰かとぶつかり、けれど倒れようとする身体を支える腕に、無意識にほっと安堵する。
 腕を掴まれたまま降りようと思っていた階段を上らされ、近くの空き教室へと連れ込まれる。ドアを閉めて、熱にだるい身体を気遣ってか座り込んでくれる身体に凭れたまま、へたり込む。
「悪い。助かった……」
 走ったせいで乱れた呼吸を大きく息を吐いて整え、顔を上げる。そこにあった苦笑する顔には、同じく苦笑しか返せない。
 前髪をかき上げる指が冷たく心地よくて、目を伏せればまた今朝のようにコツン、と額がぶつかる。
「熱が上がったね。休ませれば良かったかな」
「……動いたからだろ。それと」
 黒マリモのせい。
 そう告げようとして口噤む。言わなくてもあそこにいたと言うことは知っているのだろうし、話題にも上げたくない。それがどうしてかは分からない。だが険しい顔を見せる兵部に、胸騒ぎを感じる。
 いつかは、こうなるだろうと思っていた。平気だろうと思っていたのに、胸が苦しくなる。
 黒マリモが、風紀の存在に興味を示した――。
 胸を押さえて身体を縮めると、強い力で顎を掴まれ仰向かされた。
 鋭い眼光を宿した蒼に見つめられて、身体が勝手に萎縮する。
「余計なことを考えるな。君は誰のものだ?」
「ぼ、くは……」
 カラカラに乾いた喉で、言葉を紡ぐ。
 返す言葉を探して、ゆっくりと、それを音に乗せる。
「僕は、僕のものだ。誰のものでもない」
 はっきりそれを告げれば、眼光が和らげられ顎を掴んでいた手も離れる。
 それでも視線は離さなかった。
「――ま。そういう君だからいいんだけどね。この状況も十分おいしいし。君に襲われてるみたいで」
 その言葉に現状を把握して、慌てて身体を離す。
 ドアに凭れる兵部の上に乗った姿は確かにそう見えてしまうのかもしれないけれど――
「ばっ。またお前はっ。真面目にやるのかふざけるのかどっちかにしろっ」
「えー、僕はいつでも本気なんだけど」
「黙れこの――」
 ふっと緩んだ空気に日常を取り戻して、悪態の一つや二つ吐き出そうとして、急に目の前が眩む。
 咄嗟に目の前の身体に縋れば、呆れるような溜息が落とされた。
「今日はこのまま大人しく部屋に帰ること。いいね」
「……あぁ」
 どうせこの分では授業もろくに出れまい。
 あやすように背中を撫でる手に子供扱いするなと思いながらも、なんだか面映い。くすぐったいような気分に身を捩ると、撫でる手が止まりきつく抱きしめられる。
 耳に、熱い息が掛かる。
「帰ったら約束通りお仕置きするから」
「はっ? 倒れてないだろっ!?」
 音の出る勢いで身体を離して、けれど背中に回された手に上体を反らすことしか出来ない。
 見下ろした男は、にやにやと楽しげな笑みを浮かべている。
「でも僕がいなかったら危なかっただろ」
 そうかもしれないし、違うかもしれない。
 皆本が押し黙っていると、熱に火照った頬を撫でられ優しく見つめられて、羞恥を抱えたままその手に頬をすり寄せてみる。
「熱のせいかな? いつもより素直だね」
「……熱のせいで頭がろくに回らないんだ」
「そう……」
 甘やかすような声で囁かれ、耳元に落とされた声に、皆本は微かに頭を揺り動かすとぎゅっとシャツを握り締めた。
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