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  未知との遭遇 06  

 あの日スパイと化していた生徒は生徒会に脅されて仕方なく偽の情報を流していたと、翌日友人と共に自白に現れた。何れは対峙することにもなるだろうし、皆本自身は大して気にしてはいなかったのだが、生徒会と黒マリモの常識の通じなさから色々と罪悪感を抱えていたらしい。笑ってあっさりと許すと何故か拝まれた。……相変わらずこの学園には面白い人種がいっぱいいるようだ。
 そしてあれから一週間が過ぎている。不思議なことに、その間に黒マリモは一度たりと突撃してきたことはない。それどころか、皆本の前にも現れていなかった。
 生徒会室に入り浸り、生徒会役員達を侍らせ校内を我が物顔で闊歩していた黒マリモに一体どんな心境の変化が訪れたか。生徒会役員達に対しても、どこか粗野に扱っている節があるらしい、との情報はどこまで正しいのか。
 関係ないこととは言え、嵐の前の静けさか、何かの前触れか。
 本当に安心していいのか、と不安は残る。
 ――それに。
 兵部に温室に来なくていいと言われて、四日目になろうとしている。唐突に、それこそ何の前触れもなく、告げられた。寮室ではいつも通りなのに、その理由は教えられていない。
 嫌な予感がしてたまらないのは、杞憂であればいいのに。
 ほぼ毎日、昼休みには教室から消えている皆本が居残っていることに最初はクラスメイトも怪訝な顔をしていたが、どこか空元気なようにも見える皆本に、深く問いかけようとはしなかった。
 上辺だけは、日常が戻ってきたようだ。黒マリモが編入してくる頃と変わらない、平穏が。


「……お前、何を企んでいるんだ?」
 夕食の席で、いつもと変わらない兵部に痺れを切らして問いかける。
 お茶碗を持って箸を口に咥えたまま、小首を傾げる姿に行儀が悪い、と軽く叱責する。上目に、睨むように見つめれば兵部はごめんと口にして箸を置き、また首を傾げた。
 その顔は全く心当たりがない、と告げているようなものだ。
 わざとなのか、なんなのか。
 込み上げてくる何かを耐えて、ゆっくりと息を吐き出す。
「何をしようとしている?」
 兵部が、何も考えずに行動をしているとは考えにくい。彼が動くその裏では、何かが行われようとしているのだ。あるいは、何かを誘き出そうとしているのか。
 真剣にただ見つめていると兵部はふっと笑みを零し、穏やかに微笑んだ。
「なんだろうね?」
「誤魔化すな。どうせ僕はもうとっくに巻き込まれているんだ。今更取り繕うなよ、白々しい」
 苛立ちに任せて吐き出し、睨め付ける。
 今まで可能な限り側に置こうとしていた人間にいきなり突き放されるなど、考えられる理由は少ない。そのくせ寮内ではいつも通りなのだから、問題は絞られてくる。
 最有力候補が黒マリモ関連だとは、想像に難くない。
「まったく。君には何でもお見通しかな」
 苦笑するように笑って肩を竦める兵部から視線を逸らさずに、皆本は悪態を吐く。
「嫌々ながらもお前の傍にいるからな」
「そこは嘘でも僕のことが好きだから、くらい言って欲しいところだね」
「嘘でいいのか?」
 じ、と見つめて言葉を返せば、兵部が珍しく、目を見開いて固まる。
 すぐに硬直から解けた兵部が見せたのは、これまた珍しい情けない笑み。
「それは嫌だな」
 感慨深く呟かれた言葉に皆本はそうだろう、と頷き箸を動かして、咀嚼しながら頬を赤らめる。――自分が何を言ってしまったのか。遅まきながら気付いたのだ。
 軽口の延長のような、他愛もない言葉のはずだったのに、まるで本心からの言葉を欲するように否定されれば、気恥ずかしさが込み上げてくる。
 折角作った料理の味もわからない。
 そんな皆本に微笑ましく兵部は頬を緩めて、箸を取った。
「まあ、ご飯の後にしようか」
「……ああ」
 以降はただ穏やかに、普段と変わることなく食事を進めていく。それだけは兵部と出逢ってから変わることのない、何が起きていても変わらない日常だった。
 ゆったりと食事を済ませて場所をリビングへと移し、コーヒーをそれぞれの前に用意して、準備は整った。
 兵部は目の前のカップに口を付けると、他愛のない世間話を切り出すように、それを告げた。
「どうやら黒マリモに目を付けられたらしい」
「――は、えっ!」
 目を見開いて、皆本は絶句する。
 兵部は普段、温室から出てこない。当然、学園の生徒なのだから授業には出ているが、基本的に一般生徒の前に姿を現すことをしない。
 だから、兵部と黒マリモとの接触はないか、あるいは当分は先のことだと皆本は考えていた。
 それが、なぜ。
 疑問が顔に現れていたのか、兵部はコーヒーで軽く唇を湿らせてから口を開いた。その間、まるで焦燥に駆られたように兵部から視線を外すことは出来なかった。
「温室の外で会ったんだよ、黒マリモと」
 クッ、と喉を鳴らすその横顔は、決して楽しげであるとは言い難い。愉快さを装ってはいるがその瞳の奥には不快が滲み、兵部がその出来事を歓迎していないことが分かる。
 皆本から散々黒マリモに端を発した嫌がらせの数々を聞いていたのだから、それも当然とは言えるだろうが。それにこの学園のまともな人間は、誰も黒マリモと積極的に関わろうとは思わない。
「……それで、どうしたんだ」
 兵部が黒マリモに堕ちたとは思えない。それは断言してもいいだろう。
 皆本が気にしているのは、兵部と黒マリモが出会ったことと、自分の周囲が静かになったことの関係性――。杞憂であればいいのだが、兵部が皆本へと温室へと近付くことを禁止した事実が、拍車をかける。
 じっと、兵部を見つめ続けていれば、ぽん、と頭を軽く叩かれた。そしてそのまま撫で回される。兵部の浮かべる表情は、いつも通りだ。
「君が気にするほどのことじゃない。害虫駆除が終わればまた歓迎するよ」
 温室で育てている花に厄介な虫がついたから、それを駆除しているだけだと、そう語る兵部からそれ以上を読みとることは出来ない。
 けれど、頬へと滑らされた手に、覗き込んでくる紫紺の瞳に、言い様のない何かを感じる。恐怖、ではない。だがそれよりももっと深くて激しい、狂気――?
 皆本がそれに触れようとした途端、引き寄せられ、顔が兵部の胸元に押しつけられた。息苦しさに手をばたつかせても、後頭部を押さえる力は緩まない。耳朶にあたたかい呼気を感じて、抵抗をぴたりと止めてしまう。
「それ以上触れるからには、覚悟は出来たんだろうね?」
 ぞくり、と、何かを感じさせようとするそれに、咄嗟に兵部の身体を押し返していた。暴れていたときはビクともしなかった身体が、今はあっさりと離れていく。
 頬が赤らんでいるのが分かる。頬だけでなく、きっと顔中が真っ赤に染まっているのだろう。触れた耳が熱い。顔が熱を上げて火照っている。
 ソファの端へと逃げても、兵部は追ってこない。まるで皆本がそれ以上逃げる気はないのだと知っているように、悠然と座りコーヒーを飲んでいる。――その横顔がむかつく。
 冷静さを取り戻して、皆本もカップへと手を伸ばす。
「……いつまでかかりそうなんだ、その害虫駆除は」
 兵部が事実、害虫駆除をしているとは、皆本も思っていない。確かに完璧に手入れされている温室内でも害虫が沸くことはあるが、皆本を追い出してまで大がかりであったことはない。
 ただ、兵部なりに皮肉っているのだ。黒マリモの存在を。
 温室の花が何であるのかも、気付いていないわけではない。――でも自分は、守られ愛でられるだけの花ではない。
「さあ。次から次に沸いてくるのが害虫だからね。元を絶たないと面倒かな」
 どう駆除してやろうかと、企む兵部はおかしそうに笑う。
 すっかりと皆本の存在など忘れてしまっているかのように、害虫を駆除してやることに思考を巡らせて――
「え?」
 頓狂な声を零した兵部に、ハッと我に返る。
 どうして僕は兵部なんかの腕を掴んで――!
 我に返っても、無意識のその行動の意味など分からない。考えたところで答えも出ない。
「あ、と……、その、……きょ、今日くらいは、一緒の部屋で寝てやっても……いい」
 呟きに、ますます目を丸くさせる兵部に、膨らむ羞恥。
「でも一緒のベッドには寝ないからな! 同じ部屋で寝るだけだっ!」
 早口で言い切って、何を言っているのかとあまりの恥ずかしさに消え入りたくなる。慌ててお風呂の準備と立ち上がった腕を、強く、捕まえられる。
「一緒の部屋なら一緒のベッドで構わないじゃないか」
「僕が構うっ」
「別に何もしないぜ?」
「するしないの問題でもないっ」
「いいじゃん。どっちにしろ朝には一緒に寝てるかもしれないんだし」
「――っ! やっぱりさっきの」
「男に二言はないだろ? 皆本クン」
 逃げ道を塞がれ――自分からハマりにいったようなものだが、抵抗する言葉も浮かばず、うなだれる。どうしてこうなったと、頭を抱えたい気分だ。
「大丈夫。一緒に寝るだけだよ。君に嫌われたくないしね」
「――別に」
 手を出されたくらいでは、多分嫌いになれない。
 浮かび上がった本心を必死に押し込めて、迷いを吹っ切るようにソファに座り直す。
 問題は解決の兆しは見せず、むしろ状況は悪化しただけのようにも思えるが、そんなことよりも今は長くなりそうな夜をどう乗り切ろうかと、それだけが頭を占めていた。
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