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  幸せ家族計画 12  

「……どうしたんだ? これ」
 朝起きてふと何気なくベランダへと目をやると、いつから存在していたのか大きな枝ぶりの葉竹があった。それなりの存在感のあるそれは、もしかしなくてもご近所でも目立っているかもしれない。
「どうって、明日は7月7日だろう?」
「7月7日……。ああ、七夕か」
 寝起きの頭を働かせて考えると直ぐにぴんときた。成る程。もうそんな時期になっていたのか。しかし、兵部は一体これをどこから持って来たのだろう。
 彼には超能力があるから持ち運びにはそう困らなかっただろうが、どこから調達してきたか。年間のイベント事にはそう興味もなさそうなのに、これも子供達の為なのかと考えればどこか微笑ましかった。皆本も早い時期に留学して日本には居なかったから、七夕というイベントも久し振りのような気がする。
「きちんと短冊も用意してあるよ」
 そう言って指差すダイニングテーブルの上には、緑、紅、黄、白、黒の五色の短冊が無造作に置かれている。その他にも折り紙も用意されていて、これは紙飾りでも作る気なのだろうか。
 テーブルの上をどこか懐かしく眺めていると、名前を呼ばれて指先一つで呼びつけられる。まったく失礼な奴だと思いつつも皆本は素直に兵部の元に近付く。そう言えば兵部はいつの間にこの家に来たのだろうか。昨晩は泊まらなかったから、皆本の起床時間に合わせてわざわざやってきたのか。
 そんな事を思いながらどうした、と僅かに下にある顔を見下ろせば、ちゅ、と柔らかいものが触れて離れていく。
「おはよう」
「……お、はよう」
 まるで悪戯が成功した子供のような表情で、兵部は笑う。皆本はその表情をただ呆然と見下ろして、固まり続ける。
 一体これはなんなのだろう。別にそう言った接触が初めてではないのに、もっと恥ずかしい事だってしているというのに妙に気恥ずかしい。何が起こったのか戸惑うように固まり続けていると、兵部は事を成し終えて満足したのかいつもと変わらぬ様子で皆本の傍を離れ、疲れたとソファに座り込む。
 その動きをただ見送って、今更ながらに皆本は触れられた唇を手で覆う。……あれは反則だ。湧き起こってくるのは無性に抱き締めたい、という感情。なんだか今の兵部はいつもの割り増しで可愛い。
「皆本君」
「っあ、な、なんだ?」
 言葉がどもってしまうのも致し方ない。兵部は不思議そうにきょとんとしたような表情で小さく首を傾げて、くつくつと笑い出す。茹蛸のように真っ赤になっている自信のある皆本には、それに言い返すことは出来なかった。
「僕お腹空いた」
「……すぐ作るからちょっと待ってろ。全員で食べるか?」
「当たり前だろ」
 何の為に朝一で僕が来たと思ってるのさ、とぶつぶつと呟かれる文句を聞きながら、皆本はエプロンを身につける。テーブルの上の短冊と折り紙は今しばらく別の場所に置いておこう。
「なら、子供達を起こしてきてくれないかな。頼むよ、兵部」
「…………仕方ないな」
 しぶしぶ、という格好をつけたまま子供部屋へと向かう兵部を見送って、皆本はさて、と調理に取り掛かった。

 朝は賑やかだ。子供が三人も居る、ということも原因の一つだろうが、その賑やかさが皆本は好きだった。朝から元気になれる。相手をしてやると疲れもするが、それは充足した疲れだった。
「ねぇ、皆本さん。ずっと気になってたんだけど、あれなぁに?」
 紅葉の指差す方にはベランダがあり、紅葉だけでなく司郎と葉の目も、そこにある葉竹に向けられている。子供達にとって、それを見るのは初めてなのだろうか。
 不思議そうに首を傾げる三人に、皆本は兵部と目を合わせて短冊と折り紙を取り出した。
「今日は七夕って言ってね。この短冊にお願い事を書いて、あの竹に吊るすんだよ」
「お願い事? なんでもいいの?」
「どうして?」
 質問を重ねる紅葉と葉に、皆本は微笑む。三人の顔を見渡して、有名な織姫と彦星の説話を語りだす。皆本自身、幼少の頃に聞いたうろ覚えの説話ではあったが、大筋は覚えている。
 真剣な表情で、特に紅葉は目を輝かせるようにして話に聞き入る。やはり、そこは女の子だからだろうか。微笑ましい。
「短冊がこの五色なのにも意味はあるけど、それはちょっと難しいからね。また今度教えてあげるよ」
 五行説、と言っても子供達は理解出来ないだろうし、一口に説明してもわかるとは思えない。それにこれは雑学のようなものだから、興味があって覚えていたら子供達から聞いてくるだろう。
 傍で兵部が意外そうに目を瞠っているのに小さく苦笑して、皆本は立ち上がる。七夕の説明をしてあげていたと言っても、少しのんびりしすぎたかもしれない。そろそろ時間だ。
「三人とも着替えておいで。お願い事はバベルでゆっくり考えよう」
「はーい」
 良い子の返事が三人揃って返ってくる。その声がいつもより弾んでいるように感じられて、皆本は頭の中で今日の夕食は七夕にちなんだものにしようかとレパートリーを引っ張り出す。
「司郎。葉の着替え手伝ってあげて」
「わかった」
「ひとりでもだいじょうぶだよ!」
「この前服を逆に着てたのは誰だ」
 司郎に軽く小突かれて、紅葉にも耐えるようにしながらも笑われて、葉はむすっと頬を膨らませる。そのまま子供部屋へと子供達が消えて行って、皆本は兵部へと視線を移す。
 その丁度のタイミングで視線が絡んで、ふっと笑みを浮かべる。
「ありがとな、兵部」
「別に。それにお礼ならもう貰ったし」
「え……?」
 なんのことだろう、と首を傾げていると楽しげに目を細めた兵部が自分の唇を差して、皆本は一気に顔を赤らめる。
「……!」
「それとも今度は皆本君からしてくれる? すっごく深いやつ」
 くすくすと笑いながら、兵部はあからさまにからかっているとわかる表情を見せる。何も言えずに口を開閉させていると「冗談だよ」との声が聞こえてくる。
 冗談にしても朝っぱらから性質が悪い。
 奇妙に沈黙した空気は慌しくやってきた子供達によって破られたが、それでも敏い子達だ。何かあったのかと言いたげな視線を向けてくる司郎になんでもないと笑い掛けて、皆本は兵部の差し出す背広を受け取ると車のキーを手にした。
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