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  幸せ家族計画 09  

「あー、やっぱ自分の家が一番落ち着くよな」
「そんなに大変だったのか?」
 ほら、と水の入ったグラスを差し出してやると、ソファに沈み込んだ皆本はそれを力なく受け取る。浮かべる笑みも力なく崩れて、どこか疲れた様子だ。
 先週から丸1週間、仕事の為に出張に出ていたのだが、今回の出張はそんなに疲れるものだったのだろうか。診てやろうか、と申し出ると皆本は首を振って辞退する。
「そこまで疲れてるわけでもないから。京介さん達は任務?」
「ああ。なんか大規模な土砂災害が発生するらしくてな。最後まであの人は渋ってたけど子供達に引き摺られて行ってたな」
「はは……」
 たった数時間前の出来事だが、随分と遠い記憶のように思える。あの一騒動はさっさと忘れてしまいたい。高々伴侶の帰宅の為に仕事放棄する人間が何処に居る。――いや実際、身近に存在していたが。
 大体、皆本が出張に出ると決まった時でさえ、周囲を巻き込んでの騒動があったのだ。自らの立場を利用してやめさせようとする兵部を、どうにか皆本の説得と不二子の最終手段によって抑えたが。今日までの1週間は本当に家の中の空気が悪かった。生きた心地がしなかったと言ってもいい。
 なのにその伴侶の帰宅と任務が重なってしまい――今日は絶対にバベルから出ないと宣言していた。ちなみにこれも自宅待機と宣言したのをどうにか妥協させた結果だ。今頃きっと現場は災害どころじゃないかもしれない。だが今は、とりあえずあの三人に委ねるしかない。
(これが人災じゃなくてよかったな。もしそうだったらどうなっているか……)
 細く息を吐き出して、賢木は隣を窺い見る。皆本も似たようなことを考えているのかその顔は少し険しい。だが何かの結論に至ったのかふと晴れやかに変わると、今度は時計を見つめて思案顔。
 百面相だ。
 これまでの付き合いのお陰で、その心を透視まなくても何を考えているのか大体分かる。わざと皆本に聞かせるように溜息を吐き出すと、狙い通りに皆本の視線は時計からずれて賢木を捉えた。
 ぽん、と頭の上に手の平を乗せてぐしゃぐしゃに撫で回す。
「わっ。何するんだよ、賢木」
「あのな。何の為に俺が今此処に居ると思ってるんだよ」
「? 今日は非番だったからじゃないのか?」
 分からない、という顔をして首を傾げる皆本に、分かってはいたことだが、と今度は本気で溜息を吐く。じっと見つめてくる眼差しは本気でそう言っているらしく、このいつまで経っても周囲に流されないマイペースを褒めるべきなのか多少は慣れろと詰ってもいいのか。
 しかし此処で皆本に当たるのも単なる八つ当たりに過ぎないか。
「賢木?」
「…………ねーよ」
「え?」
 渋々呟いた言葉は小さく、皆本が聞き返すと疲れ切った表情でもう一度、
「だから。大体俺は今日休みなんかじゃねぇよ」
「ええ?」
「災害の予知があってあの人の出動が決まって、俺は強制的に帰らされたの。家に誰も居なかったらどうするんだ、なんて、ガキか、っつの」
 いきなり人の診察室に乗り込んできて、全く何様なのか。言いたかった文句は、どうせ倍以上になって返ってくるだろうから渋々頷きはしたが。ヘタレといいたいなら言いやがれ。
 今日がそう忙しくなくてよかった。明日以降の皺寄せもそう無いはずだ。
「……いや、うん。なんかすまん。あの人には僕がちゃんとよく言い聞かせておく」
 暫く固まった後に深く項垂れそう呟く皆本に、いや、と言葉を返す。どうせ皆本が言い聞かせたとしてもしばらくすればまた同じ事を繰り返す。――子供だ。学習能力がない。まぁ、わざとであろうことは想像に易いが。
 漂う空気はどことなく重苦しく、その空気を払拭するように項垂れる皆本の背中を叩く。とりあえず過ぎたことでいつまでもうだうだしてても仕方ない。
「ま、どうせ暇だったしどうでもよかったんだがな」
「賢木……」
「つーわけで、お前はゆっくり休んでろよ。どうせ帰って来たらいやでも休めなくなるんだ」
 そう言って立ち上がる賢木を皆本は見上げ、いや、と首を振る。
 人の厚意を……、と思ってみたところで、どうやらそういうつもりでもないらしい。
「僕は大丈夫だよ。そう疲れてるわけでもないし。それに……、どうも家の事をしないと落ち着かないんだ」
 苦笑混じりに告げられた言葉に、思わず笑いが吹き出た。
 照れたような顔のまま睨まれても残念ながら怖くもなんともない。……もっと怖いものがあるからな、うん。皆本のこの顔にも相手によってはそれなりに効果もあるだろうが。
「お前、もう専業主夫になった方がいいんじゃね」
「う、うるさいなっ」
「ははっ。まあいいや。それならお前に頼みあんだけど」
「うん?」
「料理教えてくんねぇ?」
「え……? お前、料理出来るだろ?」
「いや、出来ると言えば出来るんだが」
 どこをどういえばいいのか。頭をガシガシと掻き回して、見上げてくる皆本をじっと見つめる。だがそうしたところでこの鈍感男が察してくれるようなものでもなく、はぁ、と深々と溜息を吐きながらソファに座り込む。
「……ガキとジジイが、な」
「…………葉と京介さん?」
 皆本が聞き返すと頷きを返して、言い難そうに呻き声を上げる。そしてほとほと困り果てたように皆本へと視線を向ける。
「真木と紅葉ちゃんはいいんだよ。美味いってメシ食ってくれるし。ただその二人がな。味が濃いだの薄いだの、文句ばっか言いやがんだよ。姑かっつの」
「…………あの二人は」
「別にジジイのいびりには慣れてっから構わねぇんだけどなぁ。あいつ……」
 全く我が侭にも程がある。アレが食べたいコレが食べたいと散々文句を言った挙句に、折角作った料理を貶しやがって。
「賢木……」
 どこか労わるような、でもそれだけじゃないような声に呼ばれて咄嗟に我に返る。そして自分が何を呟いたのかを、思い出す。
 皆本を振り向けばいきなりがっちりと両手を掴まれて……。
「えっ、あ、み、皆本ぉ? お、お前なに考えて……!」
「賢木。……いや、修二さん」
「うわっ、はいっ!」
 珍しく名前で呼ばれて、らしくもなくうろたえる。
 ぴしっと背筋を伸ばしてソファの上で向かい合い、見つめる皆本の表情は至極真面目だ。だからつい、その雰囲気に呑まれるように真剣に見返してしまう。
 しかしその背中は誰にもこの現場を見られませんようにと冷や汗ものだ。バレたら良くて半殺しかもしれない。
「京介さんはともかく。葉は単なる照れ隠しだ。気にする必要なんてどこにもないからな」
「へぁっ?」
 ……変な声が出た。
 今皆本は何を言った?
「葉のやつ妙に捻くれてるから。素直になれないだけだ。きっとおいしいって思ってるはずだよ」
「…………そうかぁ?」
「そうだよ。賢木の家に泊まってた頃は、次の日よくお前の手料理の話してたから。その時に僕がお前の料理はおいしいって褒めたら、あいつ、嬉しそうな顔した後に拗ねたんだ。あれは僕に嫉妬してたんだろうな」
「…………葉が、ねぇ」
 想像出来ないわけでもないが、自分の料理にケチを出された後にそんな事を聞かされても半信半疑というのが正直なところか。けれど、思い出してみればケチを付けながらも結局は全部平らげていたのだから、多少は信じられる、か。
 自分の知らないところでそんな事があっていたとは、全く知らなかったが。
「だから賢木は今のままでいいよ。僕も好きだからさ」
「お、おう」
 後押しするように皆本はにっこりと笑い、釣られるように笑みを浮かべる。不恰好になっていたかもしれないが、皆本は頷きを返すと直ぐに手を離し、立ち上がる。
 キッチンに向かう姿を見て、そう言えば言わなければならないことがあったと、また溜息が漏れた。

(あれ。なぁ、賢木。僕のエプロン知らないか?)
(…………)
(おかしいな。確かここに置いてたはずなんだけど……)
(すまん、皆本。俺はやはりあのジジイには逆らえん)
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