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  幸せ家族計画 06  

「ったく派手に暴れたもんだなぁ? 葉」
 手の裏側に出来た、明らかに普通付きそうにはないその傷痕に賢木は楽しげに声を出す。これが葉の育ての親ならば真っ先に怪我の具合を心配して無茶なことはするな、と叱るのだろうが。これくらいのやんちゃは許容範囲だと、賢木は思う。
 もう葉は昔のような子供ではないのだ。自立を求める、不安定な思春期も終わりかけた青年だ。
 器用に怪我の手当てをして、賢木は葉の手にくるくると包帯を巻いて行く。
「……理由聞かないんすか、賢木サン」
「んあ? 別にキョーミねぇよ。どうせ喧嘩吹っ掛けてきた馬鹿から買ったんだろ」
 それともお前から売ったのか、と賢木はからからと笑う。もう既に30も後半に入りかける、言うなればいい歳の大人であるのに、賢木はこういう物分りはいい。
 昔は本能的に賢木のことを嫌っていた節のある葉も、今では賢木の事を認めている。歳の離れた兄か、悪友のような感覚だろう。どうしてそうベクトルが変化してしまったのか、その理由はよくわかっている。
 賢木と葉は、似ていた。
 だから、というわけでもないだろうが、賢木の傍では自分を偽る必要もなかった。賢木もそれを受け入れてくれたし、寧ろ気にしてもいなかった。
「なーんか家に居ても落ち着かないんすよね。少佐はあの人にべったりだし、真木さんも紅葉ねぇもなんだかんだでいちゃついてるし」
「そりゃ落ち着かなさそうだ」
 葉達の育ての親にあたる人物達は互いにパートナーであるし、葉の兄姉代わりのような者達もいつの間にかパートナーとなっていた。そんな5人が暮らす一戸建て。
 葉だけが一人ぼっち。
 いや、それには多少語弊があるだろう。一人、ではない。互いにパートナーを作ってその仲を親密にさせていても、5人の一見奇妙な関係は少しも変わってはいない。相変わらず賑やかな家族なのだ。
 相変わらず兵部も皆本も子供として扱ってくるし、真木も紅葉も手の掛かる弟のような目で見てくる。それがくすぐったくて子供ではないと認めて欲しくて少々の無茶も時折してしまうが、嫌なわけではない。
 だけど葉は独り、だ。かと言って適当にパートナーを見繕うとは思わないが。
「でも家を出ようとしない辺り、好きなんだろ」
 落ち着かなくても時折寂しさを覚えても、それでもあの家を出ようと思わないのは、あそこだけが葉の確かな居場所であるからだ。
 迎えてくれる腕と笑みがそこにはある。それだけは、葉は頑として守るだろう。
「……まぁ、ね」
「だったら無茶も程ほどにしておけよ。皆本が心配するからな」
「……わかってるっすよ」
 ぐしゃぐしゃに頭を撫でる賢木の手を葉はぞんざいに振り払う。
 過去に一度だけ。
 一人の寂しさに耐え切れなくなって家出した。
 結果的に一日で戻ってきたのだけれど、その日は台風も近付いてきていた大雨の日で。傘も持たずに身一つで飛び出したものだから全身ずぶ濡れになった。
 どこにも行く宛てもなく彷徨った結果に偶然賢木に見つかって、一晩宿を借りることになったのだけれど。
 一日寝て起きたらなんて馬鹿なことをしたんだろう、と冷静に考え直して馬鹿らしくなって家に戻ったら、皆本が熱を出して倒れていて。
 前日から身体の調子がおかしかったなんて気付かなかった。(だってあの人は俺達に心配を掛けないようにと言ってくれないから)
 大雨の中、ずっと探してくれていたなんて知らなかった。(知っていたならすぐに帰った)(俺のせいじゃないって、あんな身体で言われても信用できない)
 すぐに兵部が超能力を使って熱は下げてくれたけど、たっぷりと絞られた。真木と紅葉にも散々小言を貰って、けれど皆本だけが責めないで、ただ帰ってきたことを喜んでいた。
 ああこの人は本物の馬鹿なのだと、最高のお人好しなのだと自覚したのはその時。
 ごめんなさいごめんなさいと、馬鹿みたいにそれだけを繰り返した葉を、皆本はただ抱き締めてくれた。
 その時からただ皆本には心配を掛けないようにしようと心に決めて、でもたまにどうしても感情を抑え切れなくなった時、まるでそれまで溜めていた感情を爆発させるように喧嘩する。
 超能力は使わないで(だってリミッターを解除したらすぐにあの人の下に連絡が行ってしまうから)、素手で。だから素手の喧嘩にも慣れてしまった。骨を折るあの感覚は未だに忘れられない。(癖になってしまったのだと、絶対に言えない)
「で、今日はどうすんだ? それで家に帰るのか?」
「あー……。賢木サン、泊めて?」
 今日は任務があったわけじゃない。だからその時に怪我をしたのだと誤魔化せない。たとえ誤魔化せたのだとしても兵部には突き通せない。もしかしたら葉がこっそりと何をしているのか、知っているのかもしれない。
 だけど皆本にも言わないのだから、きっと兵部は目を瞑っていてくれるのだろう。いつか、葉の感情が落ち着くか、己の口から告げるまでは。(こういう時だけ気が利くのだ。普段からかってばかりなのに)
 葉の言葉に賢木は深々と溜息を吐く。あの雨の一件から、ちょくちょく葉は賢木の家に泊まるようになっていた。今では着替えもそこにあるから身一つで泊まりに行ける。
 皆本も賢木が相手だとただ迷惑を掛けるな、としか言わない。でも残念そうな、寂しそうな声が聞こえてくることが、葉にとっては気分がいい。ちょっとした優越だ。(それが誰に対してか、なんて考えない)
「ったく。俺の都合はお構いなしかよ」
「鍵さえ貸してくれれば勝手に寝て帰りますよ」
「ウチをホテルにすんじゃねぇ。そのうち宿泊代取るぞ」
「光一さんに言いつけるっすよ。賢木先生にカツアゲされたって」
「……クソガキ」
 恨みがましく見られても痛くも痒くもない。
 葉は今晩は皆本の料理が食べられないことを残念に思いつつも、携帯へと手を伸ばした。
 数コールですぐに電話に出てくれる、その人のことを考えながら。

「賢木センセイってお酒飲まないの」
「未成年者が堂々と飲酒しようとしてんじゃねぇ」
 冷蔵庫に頭を突っ込んだまま問い掛けると、そのまま容赦なくしゃがみ込んだ背中を蹴られる。そのまま前方に倒れるのはどうにか冷蔵庫のドアを掴んでいた手によって免れたが、あと少しで頭をぶつけるところだった。きっと賢木はそれを狙っていたのだろうが、冗談じゃない。
「暴力ドクター」
「教育的指導だ、きょーいくてきしどう」
 文句あるか、と腰に手を当てて仁王立つ賢木に葉はひっそりと溜息を吐いて、陣取っていた冷蔵庫から離れる。
 夕食は既に外で済ませて風呂にも入ったが、まだまだ寝るには時間が早い。これが実家にいるのなら、何と無くテレビを見ながらぽつりぽつりと皆本と会話をしてまったりして、そのうちに兵部がちょっかいを仕掛けてきて賑やかな夜を過ごすことになるというのに。
 そう言えばきっと賢木は文句があるなら出てけ、とでも言うだろう。全然違うのに、でも此処にいるのは心地がいい。
「……ほんと、健気っすよね」
「あ? なにがだ」
「べっつにぃ」
 聞かせるために呟いたわけでもないから適当に言葉を誤魔化すのに、言わんとすることがわかったのか賢木は微妙な顔をして葉の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。ふわふわのくせっ毛が余計複雑に乱れる。
「何すんすか」
「俺はお前と違って大人だからな。その辺割り切れるんだよ」
 だから健気とは少し違う、と賢木は嘯く。
 それに気付いてしまったのは葉も同じだからで、本人もそれに気付いている。気付いていても、もう皆本は他の人間の、兵部のものだった。
 葉がそれを自覚したのがいつなのかは分からない。もしかしたら最初にあった頃からそうだったのかもしれないし、成長するにつれてそうなっていたのかもしれない。それでも確かに、葉は皆本のことが好きだった。一人の人間として。愛する人として。
 今思えば、ことあるごとに兵部が葉達三人に対して「この人はお前達の親だ」と主張していたのは、もしかしたらそれに気付いていたからかもしれない。そして皆本が三人に対して子――それは自分の子供のような――としてしか感情を抱いていないのを知って、分からせようとしていたのかもしれない。決してそれ以上の関係になれることはないのだ、と。
 残酷だ。だから兵部のことは正直嫌いでもあった。でもあれは兵部の優しさでもあった。
 結局。
 三人とも皆本に惹かれずにはいられなかったのだけれど。あの人の優しさに触れて、嫌える人間などきっといない。
 そしてそれは何も葉達だけに限らず、賢木もそうだった。それが葉にも直感的に分かったから嫌っていたのだけれど、徐々に心を許すようになったのは、やはり賢木も同じだったからだ。
 最初から報われない恋愛をしていた人。それを分かっていてもやめられなかった愚かな人。
 それから気にするようになってしまったのは、皆本が完全に他人のものであると現実を見せ付けられた時。その時に思ったような衝撃を受けなかったのは、きっと賢木がいたからなのだろう。
(俺ってファザコンなんかよ……)
 認めたくはなくても葉がこれまでに気になった――抱きたいとか、セックスしたいとか、壊したいとかぐちゃぐちゃにしてやりたいとか、そんな口外出来ないような感情を抱いたのは、どちらも年上の男性で。
 勿論女の子を見れば可愛いなだとか柔らかそうだな、とか思うのだけれど、それとは少し違う。自分のモノにしたい、所有欲。
(きっと抱かせろ、なんて俺が言ったら賢木先生びっくりするんだろうなぁ……)(ああでも、泣かせてみたい)(あの人の泣き顔とこの人の泣き顔だとどっちがクるんだろ)
 だけどとりあえずは。
「賢木せんせー」
「なんだ?」
「酒買いに行こ」
「皆本に言いつけるぞ、クソガキ」
(素面でこの人と一緒に寝れるかな)(あ、でも酔ったら歯止め効かなくなるかも)
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