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  幸せ家族計画 05  

 深夜。
 溜まっていた仕事を片付けて住み慣れた一軒家に帰って来ると、不思議なことにまだ一階のリビングの明かりが外に漏れていた。
 普段であればこの時間はもう、子供達は眠っているはずだ。時折擦れ違うように「おやすみなさい」と子供達はそれぞれの部屋に戻っていく時もあるが、今日はどうしたのだろうか。

 結局、子供達も大きく育ってくると皆本は一軒家を購入した。正確には兵部が購入したのだが、名義は皆本になっている。
 それなりに愛着もあった家だったから引っ越すことに多少の抵抗のようなものもあったが、今後も子供達と暮らしていく上では必要なことでもあった。
 それに新しい家は子供達も交えて選んだものだったから、新生活がスタートする楽しみもあった。
 一階にはキッチンと家族団欒のリビング。それに皆本と兵部の寝室。最後まで皆本は「寝室は別にする!」と騒いでいたが、素気無く兵部に却下された。バス・トイレも一階にある。
 二階は主に子供達それぞれの部屋だ。ある程度成長するまでは司郎と葉は同じ部屋で過ごしていたが、葉も一人寝に慣れてくると自分の部屋を欲するようになり、今ではそれぞれ個人の部屋を与えている。
 年を重ねるごとに賑やかな家族になっていた。血の繋がりはなかった。それでも大切な、かけがえのない家族だった。
 また、新しい家に引っ越して暫く経った頃から、彼らは特務エスパーとしても働くようになった。現場運用主任は当然のように皆本だ。
 リミッターも、最初に皆本が彼らにプレゼントしたものを成長に合わせて微調整を繰り返しながら使っている。新しいものを、と提案したが、彼らはそのプレゼントをいたく気に入ってくれているらしかった。

 流れていく月日というものは早い。確かにその間に様々な問題がなかったわけではないが、それでも充実した毎日を送っていた。
「ただいま」
 静かに玄関を開けて、小さく声を落とす。幾らまだ明かりがついているといっても、上の階では寝ている子もいるかもしれない。周囲とて、しんと静まり返っていた。
 靴を脱いで、窮屈だったネクタイを漸く緩める。部屋には向かわずにリビングに向かうと、そこには意外、というべきか、紅葉の姿があった。
 彼女がこんな時間まで起きていることは珍しい。皆本が帰宅するまで起きているのは大抵が葉だ。暇だから、と遅くまでテレビの前を陣取ってゲームをしている姿を良く見かけていた。
「お帰りなさい、皆本さん」
「ただいま。紅葉。眠れないのかい?」
 心配してそう声を掛けると、紅葉は笑みを浮かべて少し困ったように首を傾げる。
 どうしたのだろうか、そう思って言葉を探していると、「少し話があるの」と紅葉が切り出してきた。そのどこか少し緊張を孕んだような声に、皆本は紅葉を見つめ返す。
 そして緩やかに、笑みを浮かべる。
「うん、わかった」
 ただそう言って、リビングのソファに移動する。スーツの上着だけを脱いで腰を下ろすと、紅葉が向かい合うようにソファに座る。揃えられた膝の上に乗せられた手のひらは緊張のためか、硬く握り締められていた。
「ゆっくりで、いいからね」
「……ありがとう」
 紅葉が切り出そうとする内容に内心どんなことを言われるかドキドキしていたが、それを表に出すような愚は冒さない。
 僅かに俯いた紅葉を見守るように見つめて、告げられる言葉を待った。その沈黙に、皆本にまで紅葉の緊張が伝わってくるようだった。
 そしてそれがどれ位の間だったのか。時計の秒針を刻む音すら聞こえそうな静寂の中で、紅葉がゆっくりと口を開いた。
「……皆本さん。私ね、司郎ちゃんと付き合うことにしたの」
 その瞬間に、皆本は自分の中で時が止まったような気がした。
「一緒に住んでいるし、皆本さんにもちゃんと話しておこうと思ったの」
 そう言って紅葉は真っ直ぐに皆本を見つめる。揺らぎ無い真剣な表情に、それだけの紅葉の覚悟を見たような気がした。
 皆本は詰まっていた息をゆっくりと吐き出して、ソファに背中を預ける。小さく軋んだソファの音に身体を震わせる紅葉に、穏やかに笑いかける。
「そっか。おめでとう」
「え――」
「うん? 反対されるとか思ったのかい?」
 確かに驚きはしたけれど、と言葉を繋げて、皆本は微笑う。大切な、愛おしい子供を見つめるような、そんな表情で。
「紅葉が選んだ、好きな人なら僕は反対しないよ。それに司郎だったら僕も安心だしね」
「皆本さん……」
「君達が幸せになれるなら、僕は嬉しい。喜んで祝福するよ。だけど、僕達はいつまでも家族だよ」
「……ありがとう」
 目尻に涙を溜めて笑い顔を見せる紅葉に、皆本は立ち上がるとゆったりと頭を撫でる。子供たちが成長すれば、皆本がこうして頭を撫でてやることも少なくなっていた。
 恥かしいからと、子供じゃないからと抵抗を見せていた紅葉も、今はただその身を預けている。けれどもう、皆本がこうして彼女の頭を撫でることは無くなるのだろう。これからこれは、司郎の役割だ。
 ふと、聞こえて来たドアの軋む音に皆本はそこへと顔を向ける。そこには、心配そうに立ち尽くす司郎の姿があった。
 きっと、紅葉のことが心配でこっそりと聞いていたのだろう。
「……司郎ちゃん」
 紅葉の小さく呟いたその声の中には、普段では気付かなかった音が籠められていた。
 そっと近付いてくる司郎に、皆本は笑い掛ける。
「紅葉を泣かせたら司郎でも容赦しないからな」
「はい。でも、絶対にそんな事はしません」
「ふふっ。司郎もすっかり大人になったんだな。頼もしくなった」
 皆本は今ではすっかりと身長も伸びた司郎を見上げて、ぽん、と肩を叩いた。

 リビングを出て行く二人を見送って、皆本はぐったりとソファに身を沈める。天井を仰いでぎゅっと瞼を閉じると、何かが胸の底から込み上げてくる。
 はぁ、と息を吐き出してから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。視界が滲んでいるように見えたのは、きっと気のせいだ。
 けれど唐突に何かに抱き締められて、その温もりにじわり、と込み上げてくるものを押さえ切る自信はない。
「よく我慢できたね、皆本君」
「……ひょうぶ」
 優しく背中を叩かれて、ぎゅっと胸にしがみ付く。
 ああ折角我慢していたのに、どうしてくれるんだ。
「皆の卒業式で泣いてきた君が泣かないわけがないもんね」
 これもある意味では卒業かな、と笑う兵部に皆本は弱々しく胸を叩く。
「うるさい」
「でも、彼女も随分悩んだんだよ、君に言うかどうか。だけど――」
「……わかってるから、それ以上は言わないでくれないか」
「おや。鈍感な君でもちゃんと気付けていたんだね」
 偉い偉い、とまるで子供にでもするように、からかうように頭を撫でられる。けれど、そう告げる兵部の声はひどく優しい。
 気付かなかった、わけではない。気付きたかった、わけでもない。一過性のものだと思っていたし、事実暫く経てばそれを感じることはなくなっていた。
 だが確かにその思いは根付いていたのだろう。
「泣いていいよ、皆本君。僕が慰めてあげるから」
「いらない」
「素直じゃないね。泣いてるくせに」
「泣いてない」
「娘に振られて寂しいんだろう?」
 くすくすと、笑う声が優しく皆本の肌を撫でる。
 じわじわと溢れ出しそうだったものが、ゆっくりと昇華されていく。大きく息を吐き出して、皆本はそっと身体を起こした。思ったよりも優しく兵部が見つめてきていて、びくりと身体を震わせる。
 しかしそれに気付かなかった振りをして、ふいと兵部から視線を外す。
「子供の成長は早い」
 しみじみと呟く皆本に兵部はくすりと笑みを零す。肩を引き寄せられるそのままにもう一度兵部の胸に身体を預けて、また溜息を吐き出す。
「そんなものさ。紅葉達の結婚式でも泣くなよ」
「う……。自信ないかも」
 今までずっと育ててきた少女が成長していく姿を思い出して、そしてそんな彼女が純白のドレスに身を包んでいる姿を想像して、折角収まっていた涙がじわりと姿を見せる。
 そんな皆本の様子に兵部は楽しそうに笑みを零しながら、眼鏡を外してそっと瞼に口付ける。
「可愛いね、光一。妬いちゃうくらいだ」
「……ばか」
 自然と唇へと降りてきたそれを、皆本は抵抗することもなく受け止めた。
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