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  幸せ家族計画 02  

 一台の携帯を前に三人が顔をつき合わせている光景というのは、傍から見れば少々奇妙なのかもしれない。
「おれがさいしょ!」
「だめよ、私!」
 そうやって葉と紅葉が言い合いをしていたらさり気無く仲裁に入る人物は、今は居ない。そもそもその人物が原因で、今こうなっているわけなのだが。
 司郎はふと溜息を吐いて、ただ雑音だけを響かせるテレビに目を向ける。
 こうやって他愛ない口喧嘩が出来るようになるだなんて司郎は考えたこともなかった。ただ毎日生きていることが精一杯で、葉と紅葉の笑顔を初めて見たのも皆本と出逢ってからだった。
 大人なんて信じられない。だから最初バベルに保護された時も司郎は皆本に対しても心を開かなかった。だけど司郎と紅葉以外には絶対に懐かない葉が皆本に懐いてしまったのだから、この人は信じられる人なのだと思い込まなければならなかった。
 その葉の、どこか本能染みた感覚は、結果的に司郎達にこうして幸せな日々を齎してくれたのだが。未だに大人に対する警戒が消えているわけではない。
 だが、皆本は信じられる大人だ。自分達とは違う普通人だけれど、彼は信じられた。
「……」
 真面目で几帳面な皆本のことだ。壁に掛けられた時計を見上げてそろそろかと思っていると、長針が12をさした瞬間にテーブルの上に置いていた携帯が振動を始める。
 皆本の家にはきちんと固定電話もあるのだが、これは三人の為にとバベルの局長がくれた支給品だ。
 相変わらず言い合いを続けている二人はどうやら携帯が振動を続けていることに気付いていないらしい。ふぅ、と溜息を吐いて、携帯へと手を伸ばす。
「もしもし」
「「ああーーーっ!!」」
 耳元で大声で叫ばれ、司郎は携帯を当てている耳とは逆の耳を指で塞ぐ。
『ぷっ、くくく……っ』
 携帯を当てた右耳からは皆本の笑い声が聞こえてきて、司郎の頬がほんのりと赤く染まる。代わって、代わって、と合唱を始める葉と紅葉を他所に右耳へと意識を向ける。
「皆本さん?」
『あぁ、ごめんね。三人とも、ちゃんとご飯は食べたかい?』
「うん。皆本さんが用意してくれてたやつ温めて」
 今日は皆本に残業が入っており、食事は作り置きのものを、と朝出掛ける前に言われていたのだ。葉は皆本の帰りを待つ、と駄々を捏ねていたのだが紅葉と司郎に宥めすかされ、結局は空腹に勝てず先程食べ終わったばかりだ。
 それから皆本が7時には一度電話するから、の言葉を楽しみにずっと物言わぬ携帯と睨めっこしていたのだ。誰が最初に出るか、と喧嘩して着信に気付かない、とは気ばかりが急いていた証拠だろう。
『葉も紅葉も元気みたいだね』
 相変わらず代われの合唱は終わらない。葉は容赦なく服を引っ張ってくるから、皆本との会話も少々困難だ。
『司郎、葉と代わってくれるかい?』
「うん。……葉」
 耳から携帯を話して葉に渡すと、奪うように携帯を取られる。その横で、紅葉が剥れたように睨んでくる。
「なんで葉なの」
「知るか。皆本さんが言ったんだ。ちゃんとお前とも話してくれるさ」
 適当に宥めて司郎は楽しそうに話す葉の言葉に耳を傾ける。
 葉の言葉を聞く限りでは夕食のことについて話しているのだろう。そうやって楽しそうな様子を見ると、此処に来てよかった、と思う。
 しっかりと携帯を握り締め嬉々として話していた葉が急にむすりと唇を尖らせる。睨むように紅葉をみているから、恐らくは紅葉に代わるように言われたのだろう。
「葉、あんまり皆本さんを困らせるんじゃない」
 窘めると今度は司郎がきっと睨みつけられる。しかし何か皆本に言われて、葉は渋々と紅葉に携帯を突き出す。
 不貞腐れる葉の頭を宥めるように撫でてやると大人しくソファに座り込む。
「ええ。葉ったら拗ねちゃったわ」
「すねてないもん!」
 葉を見ながらくすくすと笑う紅葉に葉は直ぐに食って掛かる。
 しばらくぼんやりとテレビを見つめながら意識は紅葉の声に傾けていると、唐突に紅葉に名前を呼ばれる。顔を向けると携帯を差し出されて、どうやら会話は終了したらしい。紅葉は満足そうな顔をしてそれでも葉を気にしているのかちらちらと視線を送っている。
 どんな言い合いをしていても、三人の絆が壊れることはない。皆本は、ただその三人の絆の中にごく自然と溶け込むように入ってきただけだ。
「もしもし」
『葉の様子はどうだい?』
「今は、紅葉が相手をしてくれてる」
『そう……。ごめんね、君達に寂しい思いをさせて』
「ううん。皆本さんは、仕事だし」
 司郎達はただ皆本に預かられている身だ。皆本の仕事に干渉するわけにもいかない。
 だがそういうと皆本は急に黙り込んで、静かに司郎の名前を呼ぶ。
『……もう、寂しい時は寂しいって言っていいんだよ』
「――」
『僕達は家族みたいなものだろう? 僕は、寂しいよ。早く君達の顔を見たい』
「皆本、さん……」
 緩やかに沁みこんで来る皆本の言葉が、司郎の中の何かを変えていく。その変化が、司郎にとっては恐い。
 信じて、頼っていい人なのだと理解していても、どこかで歯止めを掛けてしまう。皆本の手を離してしまったらまたあの生活に逆戻りになるのかと考えただけで、甘えることを止めてしまう。
 どこまで、寄り掛かっていいのだろうか。それがわからない。「親」というものを、司郎はしらない。
 ぎゅっと、携帯を握り締める。言葉は喉に詰まって出てこない。
『なるべく早く仕事を終わらせるから。君達が眠る前には、帰ってくるよ』
「っ、あ、あのっ、皆本さん」
『うん?』
 そのまま電話を切られてしまうような、そんな雰囲気に慌てて声を掛けても、その後の言葉が続かない。けれど皆本は急かすこともなくただずっと切り出すのを待っていてくれる。
 しかし電話の向こうで皆本を呼ぶ声が聞こえた時、司郎は何も考えずに口走っていた。
「仕事っ、無理しないで。でも、は……、はや、く、帰ってきて……っ」
 言った。
 言ってしまった。
 途端に顔が真っ赤に染まるのが分かる。紅葉も葉もあ然としたように司郎を見つめて、だが直ぐに葉が口火を切る。
「早く帰ってきてっ、皆本っ」
「起きて待ってるからね、皆本さん」
 呆然と力が抜けた司郎の手から葉へと携帯が移り、ただ二人が携帯に向かって何かを言っているのを司郎は見ているだけだった。
 そうして気付いたのは、紅葉も葉も皆本との会話の最中、「帰ってきて」とは言わなかったということ。話し足らない顔はしていたが、それだけは言っていなかった。
「司郎ちゃん」
 いつの間にか皆本との会話は終了していたのか、二人は携帯をテーブルに置いて司郎と向き合う。
「……なんだ?」
「皆本さんは、大丈夫」
「司郎にぃはがんばりすぎっ。もういーよ」
 紅葉と葉にそう言われ、司郎はむずむずと口元を緩ませる。
 これまでは司郎が二人を護ってきた。護らなければならなかった。けれどもう、その役目を交代して、自分も護られる側に移ってもいいのだろうか。
「お前たち……」
 じん、と目頭が熱くなる。満面に浮かべられた紅葉と葉の笑みに、漸く安心できる。
 ――が。
「う、わっ!?」
 急にふわりと身体が持ち上がり、その浮遊感に司郎は葉を見る。三人の中でそんな芸当が出来るのは葉しかいない。
「でも、抜け駆けした罰よ。今日は司郎ちゃんがお風呂掃除!」
「紅葉ねぇやっちゃえ」
「ちょっ、お前ら……!」
「「問答無用」」
 楽しげに紅葉と葉が笑う。ヒュパッ、と瞬間移動で飛ばされたのはまだ水も張っていない浴槽の中。大きな音を立てて尻餅をつくとその音がリビングにまで聞こえてきたのか報復成功を祝しているのか二人の笑い声が聞こえてくる。
「あいつら……っ」
 思い切り打ち付けた身体が痛い。しかし、二人が笑っているのならそれでいい……のかもしれない。
「覚えてろよ」
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