少年が求めたものはただ唯一の居場所

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  理想郷 08  

 なんとなしに歩いていれば、前方にはなにやらドアの隙間から部屋の中を覗き込む一組の男女。異様とも思えるその光景に、真木は内心首を傾げつつ静かに男女に近付いた。
「何をしている、紅葉、葉」
「あ、真木ちゃん」
「静かに」
 声を掛けると紅葉からは困り顔、葉からは軽く睨みつけられ、真木は更に首を傾げる。どうしたのだと、潜めた声で再度訊ねれば紅葉と葉は顔を見合わせて、真木に場所を譲る。
 一体なんなのだと、僅かに開けられたドアの隙間から覗き込んで、二人の行動に納得する。
 頬杖ついて、心此処に在らずと、どこを見ているのか分からないような虚ろな雰囲気で、何もすることはなく。暗く沈んだ感情を隠す事無い、どんよりとした空気を纏う一人の少年。
 真木は二人へと顔を戻すと小さく吐息する。これでは確かに部屋の中に入っていけるような雰囲気ではないし、そっと見守る気持ちも分かる。
「皆本はどうしたんだ?」
「気付いた時はもうあんな感じ。どうせあのジジイが何かしたんだろうけど」
 それは葉の見解だろうが、あながち間違っていないだろう事は容易に想像つく。あの少年が、皆本があそこまで感情を揺さ振られるのは兵部以外に居ない。それは本人も分かっているだろうに、一体何をやっているだろうか。
 痛みを訴え出す頭を押さえながら、真木は低く唸る。
「……その少佐は」
「さあ?」
 知らないと首を捻る紅葉に更に痛みは増す。胃まで痛んで来たのは気のせいだと思いたい。また誰にも行き先は告げず消えたのか。本当に独断・単独行動の多いトップだ。
 どうすることが最善策であるか。考えてみても事情を知らなければどうする事もできやしない。真木は深々と溜息を吐くと葉の肩を叩き、視線は紅葉へと向けた。
「皆本の事は任せる。少佐を探しに行くぞ」
 前半は紅葉へ。後半は葉へと、真木は声を掛ける。えー、とあからさまにやる気のない、嫌そうな抗議は無視だ。お前がそんな声を出すな。嫌なのは一緒だ。
 しかしながら、誰にも向き不向きというものがある。この場は紅葉に任せたほうがいいだろう。
 嫌がる葉を引き摺って兵部の捜索に出る真木を見送って、紅葉は皆本の居るドアを見つめる。真木には簡単に任されてしまったが、一体どうしろというのか。事によっては放っておいた方がいいものもあるし、結局収まるものは収まるべきところに収まってしまうのだ。勝手に。周囲の懸念など関係なく。
 それに変に第三者が絡めば拗れてしまう場合もある。
「素直じゃないんだから」
 呆れて見せても結局は真木も心配なのだ。皆本と兵部の事が。だからどうにかしようと真木もあれこれ動いてしまう。そんなことは傍に居ればよく分かる。
 こういうのも親馬鹿ということになるのだろうか。紅葉達にとって兵部はリーダーであり、親代わりにも近い。ここまで自分達を育ててくれたのは兵部だ。兵部が居なければ自分達はどうなっていたか分からない。だから余計に兵部には恩義を感じるし、幸せで居て欲しいと願う。
 なのに子の心親知らずとでもいうのか。外見と中身が同じなのはどういうことだろう。周囲に与える影響を知らないわけでもないだろうに、毎度問題を起こしてくれる。でもそれはある意味で、今が幸せだという証拠でもあるのだろう。
 そうこれは、今が幸せであり余裕があるということ。それだけ互いの間に、壁も溝もなにもないということ。
 気持ちを切り替えるように紅葉はドアの前で軽く息を吐いて、ノックする。
「光一ー? ちょっといい?」
 何も知らない振りをして、声を掛ける。しばらくしていつも通りの声で返事が来るが、それが無理をしていないか、心配になる。今からすることは余計な事かもしれないが、出来るなら皆本にあんな顔はして欲しくない。弟にも近しいような、大切な仲間だから。
 部屋に入れば皆本は不思議な顔をして紅葉を見つめる。それでも、その目元が若干赤い。泣くほどの事とは、どんなことだろう。
「どうしたんですか? 紅葉さん」
「ちょっとね。どうしてここの男共はこうも世話が焼けるのか、呆れてたところよ」
 うんざりとしたような、それでいてどこか仕方ないと語るような表情に、皆本はじっと紅葉を見つめて、控えめに苦笑する。複数で言われているところから個人に特定した事ではないだろうが、そこに自分も含まれているのだと、自覚があるのだろう。
 兵部と喧嘩、あるいはそれに近いものを起こしてしまった時、周囲にも少なからず影響を与えている事を皆本だって知っている。だからどうにか迷惑を掛けないように常を装っている。好んで迷惑を掛けたいわけじゃないから。それでも、些細な切欠で簡単に見破られてしまうこともある。
 今回は、そうやって装う以前の問題だった。繕う余裕もなかった。
「言いたい事吐いて楽になっちゃいなさい」
 紅葉に出来る事はただそれだけであるから。最終的にはやはりこれは皆本と兵部との問題なのであって、第三者は口を挟むべきではない。だが誰かに吐き出すことによって、自分の中でずっと考え続けている事が纏まればいいと、そう思って紅葉は皆本の話を聞く。
 こんなものは紅葉達の自己満足だ。エゴにも似ている。そんな事は充分承知している。その上で、お節介を焼いているのだ。
 皆本はしばらく、紅葉を見つめて、俯いて、言おうか言うまいか悩んでいる様子だったが、恐る恐ると、顔を上げる。まるで迷子にでもなってしまったかのような、途方のない顔。その顔を見てしまえば、ここまで皆本を追い込むものに腹が立つ。
 なのに。皆本が口にしたことは予想にもしなかったこと。
「……京介さんに、キライだって、言ったんだ……」
 きっとここで呆れてはいけない。だって皆本は真剣にそのことを後悔している。言わなければよかったと、全身で悔やんでいる。ああなんと、可愛らしいのだろう。紅葉にとってそれはそんなことで、と片付けられる事。でも皆本にとっては重要な事。
 また俯いてしまった皆本に、紅葉は心中で唸る。冗談でも皆本は嫌いだという言葉を誰かに対して言う事はない。その言葉を、自分の言葉で誰かを傷つけることを恐れているようにさえも感じている。なのにそれを言ってしまったから、皆本はどうしようもなくて落ち込んでいるのだろう。
 しかもそれを告げてしまったのは兵部で、皆本が何よりも心を預けている人。皆本にそう言わせるような状況にまで追い込んでしまったのは兵部自身だろうが、本当に何をやっているのだ、あの人は。
「それで、少佐は……?」
 なるべく余計に追い詰めてしまわないように、紅葉は出来るだけゆっくりとした口調で問い掛ける。けれど、紅葉が少佐と口にしただけでも、皆本は身体を震わせてじわりと涙を浮かばせる。
 ああもうどうして自分がこんな役回りをしなければならないのか。いやだけどどうせあの二人でも狼狽するか兵部に怒りを募らせるか、どちらかかと想像つくから、結局自分が一番適切なのだろう。非常に嬉しくないけれど。紅葉だって皆本の涙は見たくない。
 滲み出した涙にハンカチを取り出して、差し出すと皆本は目元を拭う。何だかテーブルを挟んだ距離がもどかしくなって、紅葉は皆本の隣へと移動する。差し向かいに座ったのだって、いつもの癖だ。皆本の隣は、兵部だったから。
 今は必要ないだろう眼鏡を外してやって、頭を撫でる。すると枷が外れたように大粒の涙を零し始めて、紅葉はそっと頭を抱き締める。少なくとも今は気の済むまで泣かせた方がいいだろう。きっと、兵部と喧嘩してからこの部屋に閉じ篭っても、声を上げては泣いていないはずだから。ただ静かにその悲しみを募らせていたのだろう。
 こうしていると、皆本にとってどれ程兵部という存在が大きいのかが分かる。自分達とは違う。初めて会った時からそれは感じていた。けれど今はその比じゃない。
 まるで皆本の世界は、兵部のみによって構成されている。彼だけが、世界の全て。
「…………ご、めんなさい……、紅葉さん……」
「大丈夫よ。すっきりするまで泣きなさい」
 あやすように背を撫でて、しかし胸元で緩く首を振る皆本に、紅葉は抱き締める力を緩める。目元の赤みが増している。少し、腫れてもいる。後で冷やす必要があるだろう。見ていると痛々しい。
 離れていく身体に不謹慎ながらに残念だと思いつつも、紅葉はただ皆本から切り出してくるのを待つ。皆本は小さくしゃくり上げて、ゆっくりと震える唇を開いた。
「…………キライ、なんて言うつもりなかったんだ。でも、気付いたら言ってて、違うんだって、言おうとしたんだ。でも、京介さんは聞いてくれなくてっ……。京介さんも僕のこと、キライだって……っ」
 頭を抱えたい。本当に何をやっているのだ、あの人は。どうして自分が皆本に与える影響力の大きさを自覚しない。
 いや違う。兵部だってきっとそれは分かっている。分かっているだろうけれど、その時はそこまで頭が回らなかった。それだけ、皆本に嫌いだと言われたことがショックだった。たとえ勢いで口に出してしまった言葉であっても、問題は誰に言われたかということなのだ。
 しかしそれは紅葉の想像だ。これまでの二人を見てきて、そう感じる事。だから実際はどうかなんてわからない。もしかしたら違うのかもしれない。だから安易にそんなことはないと否定する事はできない。
 それにそれは何の気休めにも慰めにもなりやしない。ただの紅葉の願望だ。そうであって欲しいと、願っているだけ。
「……光一は少佐と、仲直りしたいのよね?」
「で、も……っ。京介さんに会うのが、こわい……」
 また嫌いだと言われてしまえば。自分なんかもう必要ないのだと言われてしまえば、自分はどうすればいいのだろう。ずっと、兵部の為だけに生きてきたのに。兵部だけが、必要としてくれたのに。
 あの恐怖はもう味わいたくない。兵部に見捨てられる恐怖。世界が暗転するような、絶望。だから兵部の前から逃げ出した。弱い自分に嫌気が差す。もしかしたら兵部も、そうだったのかもしれない。だから、自分のことを嫌いだと――
「逃げちゃだめよ、光一。あんたは一人なんかじゃないんだから」
「……え…………」
「少佐だけじゃなくて、私達も居るのよ。私は光一の事仲間だって、家族だって思ってるんだけど、光一は違うの?」
 簡単に誰かを信じることが出来ないことを知っている。大切な人を作りたくないという思いも知っている。けれど、紅葉は皆本と出会ってしまったから。皆本を家族だと認めているから、その存在は何物にも代え難いほどに大切だ。
 それは皆本と兵部が思い合うものとはまた違う形だろう。それでも、必要としているその思いに、違いはない。
「……違わ、ないよ。僕だって紅葉さん達のこと、大切な家族だって、思ってる」
 涙を拭い、言い切る皆本に紅葉も口元が綻ぶ。よかった。ちゃんと、この子供の中に自分達は存在している。
「光一はそうやって何でもかんでも自分で抱え込むから、見ている私達はもどかしい。困っているなら頼って欲しい。私達じゃ光一の力になれないこともあるかもしれないけど、助けてあげたいって思うの」
 迷惑かしら、と訊いてくる紅葉に、皆本は躊躇う事無く首を横に振る。過度の干渉は、それは相手の為ではなく、自分のエゴになってしまう。助けたいからとエゴを押し付けるのは間違っている。
 問題は解決したわけではない。それでも、幾分かは晴れたような表情を見せる皆本に自分の役割はここまでかと悟る。ここから先は紅葉が踏み込んではいけない皆本のプライベートで、それを解決してくれる人物は、今ここには居ない。
 果たして真木と葉はきちんと兵部をつれてきてくれるのだろうか。本当に、手の掛かる。だけどそうやって呆れながらも世話を焼いてしまう自分達にだって、呆れてしまう。
 どこか殺伐とした、必要以上の馴れ合いなどこれまでなかったのに、たった一人の存在によって変わってしまった。そのことはきっと、皆本は知りもしないのだ。
「大丈夫。少佐が光一の事どれだけ大事に思ってるか、傍に居る私達にだって充分伝わってくるんだから」
「う、ん……」
「思い切り泣いたから腫れたね。氷持ってくるわ」
「ごめんなさい、紅葉さん」
「違うわよ、光一」
「――ありがとう」
 はにかむように笑みを浮かべる皆本に紅葉は小さく頷いて、部屋を出る。廊下には、三人の人影。
「光一は私の大事な弟なんですから、いくら少佐でも許しませんよ」
「……うるさいな」
「何があったのかなんて知りませんけど、ちゃっちゃと仲直りしてくださいね」
「……わかってる」
 渋々と、不貞腐れたような表情でそっぽを向いて告げる兵部に、紅葉は真木と葉の二人と顔を見合わせて小さく嘆息する。けれど自分達の役目はここまでで、後は兵部の役割だ。皆本の居る部屋に入っていく背中を見送って、閉まるドアに零れるのはやはり溜息に他ならない。
 後は収まるところに収まってくれるだろう。しばらくは放っておくしかない。その後でけろりとした態度で自分達の前に現れるのだ。何事もなかったかのような顔をして。
「ったく。毎回毎回メンドーごと引き起こして」
「関わろうと放っておこうと最終的には元鞘になってるのに。なんでこう世話を焼きたくなるのかしら。ねぇ、真木ちゃん」
「……俺に振るな」
「ジジコンもいい加減卒業しよーよ、真木さん」
「誰がジジコンだ!」
「じゃあ、ショタコン」
「違うっ!!」
 本当に。出来得るなら賑やかな方がいい。
 現実を忘れてしまうような、賑やかな、かけがえのない日々を。
 明るく貴き日々を。
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