少年が求めたものはただ唯一の居場所

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  理想郷 07  

 パンドラの拠点地に戻ってきた葉は、その足で真っ先に兵部の元に訪れていた。皆本の傍を離れることは躊躇われたが、いまあの子供が誰を必要としているのか、分からないわけじゃない。悔しいけれども、皆本を一番安心させる事ができるのは兵部だ。彼しかいない。
「ジジイ」
「? どうした、葉。皆本クンと一緒に買出しに行ってたんじゃないのか」
 暢気に見えてしまう兵部の態度に、それが八つ当たりだと分かっていてもイラついてしまう。頭の隅に先程の皆本の泣き顔がチラついて離れないというのに。しかし兵部はそれを知らないのだ。仕方ないとは分かっている。
 兵部の見せる訝しげな表情に、葉は気持ちを入れ替えると、真っ直ぐに見つめた。
「光一の実家を見てきました」
「!」
 驚きに見開かれる表情に、何と無くそこであった事を想像してみる。だが分かるのは、そこで皆本にとって何か良くないことが起きたのだろう、ということだけ。しかし、超能力者にとって何か良くないことと、その場所が実家であるという事を考えれば、事は限られてくる。
 あからさまに動揺を見せる兵部を珍しく見つめながら、ただそれだけ彼にとって皆本は大切なのだろうと分かる。一体二人の間に何があったのだろうか。二人の関係は此処に皆本が来てからのことしか分からない。
「それで?」
 低く問い返してくる声。睨むように見られているのはきっと気のせいじゃない。けれど葉を責めるのはお門違いだと分かっているからか、苦渋の色も見える。
 葉だとて、皆本の行き先が分かっていたのなら、そこで何があったのか知っていたら止めたかもしれない。だが葉は、何も知らなかったのだ。行き先も、過去も。
「賢木って奴と会って、俺は帰らされました」
「一人残してきたのか?」
「大丈夫って言われたら帰るしかないでしょう。それに多分、アンタが行った方がいいと思ったんで」
 不快そうに兵部の表情が歪む。彼の頭の中では今起こっていることがどんな事なのか、想像ついているのだろう。それが良くないことであるから、そんなにも不快を露にする。
 兵部はどこか忌々しそうにわかったと吐き出すと、椅子の背に掛けていた学生服の上着を羽織る。
「迎えに行ってくる」
 ただそう言い残して消える兵部に、葉は深々と溜息を吐いた。
 遣る瀬無さだけが、奇妙なしこりとなって葉の胸の内に溜まっていた。

□ ■ □

 こうなる事態を予想していなかったわけではない。いつかは起こり得ることだったのだ。ただそれが、皆本自身の手によって引き起こされた事に兵部は顔を顰めてしまう。
 これは、皆本がそこに赴かなければ起こらなかったことなのだ。それでもただ可能性が低いというだけで、必ずというわけではない。だからこれは起こるべくして起こったこと。ただそれに、兵部の感情が追いつかなかっただけだ。今はまだ、その時期ではないはず。
 誤算はどこで生じてしまったのか。それはただ、皆本の心の成長が兵部の思ったものよりも早かったということだけ。甘くみていたのか、皆本という人間を見縊っていたのか。
 何事もなければいいと思うが、葉に聞いたときから胸騒ぎは収まらない。それは、対峙する二人を見た瞬間により大きくなる。
「僕は元気にしてますから、だから、気にしないで下さい」
「! そんな事出来るわけないだろ!? お前おかしいぞ!?」
 それは他人を悲しませる事を厭う皆本の不器用な優しさであるのに、それにも気付かないなんていったいこれまで皆本の何を見てきたのか。沸き起こる嫌悪と苛立ち。やはりまだ彼らを引き合わせるのは早かった。
 いや、賢木にしてみれば死という形で皆本が急に消えてしまったのだから、唐突に死んだはずの人間が現れて素気無い態度を取られれば焦燥を感じるのも無理はないだろう。しかし、だからといって同情はしない。
 ただ手を拱くしか出来なかった人間に分かるものなどない。
「皆本――」
「そこまで。僕の光一をそれ以上苛めないでもらおうか」
 反射的に向けられる四つの瞳。兵部は皆本に対して緩く微笑むと、その背後に降り立つ。ごく自然と手を置いたその小さな肩は、頼りなく震えていた。
 大丈夫だと、安心させるように強く握り締めると少しずつ震えは収まり、安堵するように強張った力が抜けていく。
「ごめんなさい。京介さん」
「話は帰ってから聞くよ。先に帰るかい?」
 一瞬躊躇って、横に振られる首。分かったと伝えるように頭を撫でると、皆本を庇うように前に出る。
 睨み付ける賢木の眼が更に険しくなるが、そんなもの関係ない。ただそれを、皆本に向けないようにするだけだ。
「なんでお前が出てくるんだ、兵部京介」
「やぁ、久し振りだね。なんでだって? 君はこの状況でもわからないのかい?」
「……皆本を誑かしたのか? まだ子供だぞ!?」
 賢木の怒気を孕んだ声に、兵部の後ろで皆本の身体が震える。やはりこの場に留めておくべきではないのか。だがそれを皆本自身が拒むだろう。これはもう、皆本が自分で選んだ道だ。兵部はもう皆本に選択肢を与えない。
 こうなる事が分からなかった皆本ではない。それは過大評価でも何でもなく、ただの事実。
 しかし謂れの無いことで皆本を怖がらせるのも得策ではないし、変に疑われるのも気に食わない。皆本にとって痛い過去でも、いつまでもそれを隠し通す事はできない。
 兵部は改めて賢木に目を向け、だから、と言葉を返す。
「だからどうした? 光一はまだ子供だよ。あの時はもっと子供だった。だから僕が保護したのさ」
 兵部を睨みつけていた賢木も、その言葉に何か引っかかりを覚えたのだろう。怪訝そうな顔を見せ、さっと強張らせる。
「あの、時……? じゃあお前が、皆本の愚痴の相手? あの頃から目をつけてたのか?」
「愚痴というよりもただの話し相手だけどね。それにしても随分な物言いじゃないか」
 出会った切欠は皆本から齎されたのだ。いずれ兵部も気付く事にはなっただろうが、実際は違う。変な言い掛かりは止してくれと、不快に顔を顰めても賢木の意識に入ってはいない。
 当時を思い出しているのか複雑そうな表情で、賢木は兵部の後ろに隠れている皆本を見つめる。皆本は皆本でそれまで隠していた居た堪れなさか賢木とは顔を合わせないように俯き、なんだかそれが気に入らない。見当違いの嫉妬であっても、気に食わないものは気に食わない。
「大体、君たちは何も動きはしなかったじゃないか。怒りをぶつける相手が違うね」
「違う! 俺達は何もしなかったわけじゃない」
 そう声を張り上げると、賢木は兵部を睨み付けてから皆本を見据える。その顔が苦渋に歪んでいるのに皆本は顔を背けそうになったが、賢木の決意がそれをさせなかった。
 逡巡するように賢木は言い淀み、そして
「お前の親父さんは普通の人々と繋がってる可能性があったんだ。だから確たる証拠を掴む為に暫く泳がせていた。今更言い訳にしか聞こえないかもしれないだろうが、俺達――俺だってお前を守りたかったんだ」
 それは皆本には伝えるべき事だったのかもしれない。しかし、一体誰が父親を捕まえる為に少しの間不自由を我慢していてくれと伝えられるだろうか。それを知った皆本の驚愕だって計り知れない。余計に親子間の関係も悪化していたかもしれない。
 だから賢木は言いたくても何も言えなかった。ただ少しでも心労を和らげる事しか、することができなかった。
「本当に無能の集まりだな。先が思いやられるよ」
「京介さん!」
 抗議の声は、意外なところから上がった。だが兵部は僅かに眉を動かしただけで、すぐに賢木へと眼を移す。
 皆本の心情は、ひしひしと伝わってくる。それでも皆本が自分の意思で兵部の傍に居ることを決めたのだから、覚悟はしてもらわなければならない。
「所詮それは光一に対する言い訳で、自分達を正当化させる為の後付だろ。それを自覚してるなら尚更言うべきじゃないね。見苦しい」
 辛辣な兵部の言葉は深く賢木の胸を抉る。そうじゃないと、否定するのは簡単だが事が終わった今それをするのは、ただ自己の主張を認めて欲しいだけになる。皆本の為ではなくなる。保身の為の軽はずみな言動は、徒に皆本を苦しめるだけだ。
「今後光一に関わろうとしない事だ。君といると嫌でも思い出して疼くんだよ、傷が」
「き、ず……? 皆本お前――」
 皆本へと移された瞳が驚愕を映す。
 一体あの時、此処で何が起こったのか。慌てて帰宅していたという男の目撃証言、作為的に起こされたという全焼の火事。焼け跡から見つけられた三人分の遺体のようなもの。
 透視しようとしてもただ火事という事実しか映さない過去に、超能力者が絡んでいるという事は確かなのに。
「――! まさかあの火事はお前の仕業なのか? 兵部!」
「今頃気付いたのかい。本当にバベルの超能力者は呑気だね」
「それに傷って……。お前怪我を!?」
 賢木の焦りに、兵部はやれやれと溜息を吐く。何も知らないからこそなのだろうが、それが兵部には滑稽に映る。
 皆本がどうして怪我をしたのかなど少し考えれば想像つくはずなのに。そこまで頭が回らないほど、混乱しているのか。だが所詮、賢木は渦中にいたわけではなく、外側から傍観しかしなかった人間。近くに居たはずなのに何もしなかった。立場上のこともあるだろう。けれどそれは単なる言い訳。出来なかったわけではないはずだ。
「君がそれを知る必要はないね」
「お前は黙ってろ!」
「ふぅん? わざわざ過去を聞きだして、それで光一の傷を無理矢理抉るつもりかい? どんな権利があって君がそれをするのか、甚だ疑問だね」
「っ」
 兵部の言い方は、一々癇に障る。間違ったことを言われているわけでもないから、余計に腹が立つ。冷静ではない事は自覚しているが、配慮でさえも欠けてしまっていたらしい。
 兵部がまず先に皆本に帰省を促していた意味を理解する。それにはただ皆本に対しての親近と優越を見せ付けるだけではなく、皆本に対する配慮も含まれていたのだ。これは当事者のいないところでする話でもないが、当事者に聞かせていい話でもない。
 少なくとも賢木の態度は、皆本を追い詰めるものでもあるのかもしれない。だがそれを反省しても認めきれないのは、それを兵部に指摘されたからだ。子供染みた八つ当たりだと分かっていても、どうすることもできない。ただ、悔しい。
「光一は僕と同じさ。まあ僕が光一の事を気に入ったということもあるけど、光一は君達と関わり合いにならないほうがいい。――帰るよ、光一」
「京介さん……」
 果たして賢木は兵部の落としたヒントに気付く事は出来るだろうか。だがどちらであっても構わない。皆本が傷付く事がなければ、それでいい。
「ごめんなさい、賢木先生。今までありがとうございました」
 転移する前、皆本はただそう残して、兵部と共に去っていく。残された賢木は、ただその消えていった虚空を睨みつけるだけ。
 兵部の残したヒントには気付いた。だがその想像は、外れていて欲しいと願わずにはいられないほどに最悪なものだ。しかしこれで皆本の消息は掴めた。やはり皆本は死んではいなかった。それはただ素直に嬉しい。
 それでも、同時に兵部から、パンドラから皆本を取り返したいという思いもある。取り返す、とは奇妙な言葉だ。これまで一度も皆本は賢木のものであった事などありはしない。だが皆本は、パンドラという組織が、兵部京介という人物が一体どういうものなのかちゃんと知っているのだろうか。
 皆本が全てを知った上でそこにいるのなら、連れ出すことは難しいだろう。それは、目の前で見せ付けられたあの親密さからも窺える。皆本は明らかに兵部を頼りにしていたし、甘えているようにも見えた。兵部もまた、言葉以上に皆本のことを気に入っているのだろう。
 皆本とて賢木の事を忘れてはいなかったが、あの言葉は、どういう意味なのだろうか。
 もう見つけてしまったのか。皆本が信頼できる人間も安らげる場所も。あの時に両親に求めていた、無心の愛情も。
 それならば賢木にはそこから連れ出すことなど、出来るはずもなかった。
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