少年が求めたものはただ唯一の居場所

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  理想郷 06  

「ほら光一。こっち」
 不意に肩を掴まれ身体を反対側へと移動させられると、先程まで皆本が居たその場所を一台の車が通り過ぎていく。
 それを少しの間見送って、皆本は葉を見上げた。
「ありがとう、葉さん」
「どーいたしまして」
 ガサ、と音を立てる袋を握り直して、皆本は過去の記憶を辿る。歩みに合わせてゆったりと流れていく景色は大分見慣れたものになってきた。歩くスピードが少しずつ普段よりも遅くなっている事に気付いていないはずもないのに、葉は皆本のペースに合わせて付いて来てくれる。
 元々は、ただちょっとした買出しに出掛けただけだった。パンドラで使用していた備品がなくなりかけていて、それを調達に出掛けようと考えたものの、ものはついでと他のメンバーに必要なものを尋ねてみるとそれは皆本一人では少々大変な量で。
 最初は真木がついて来てくれると言ってくれたのだが丁度兵部に呼ばれてしまい、だったらと何人かが候補に名乗り出てくれたのだがそこで何故か一悶着が発生して。皆親切だな、などと皆本が黙って見守っていると、ドサクサ紛れに葉に連れ出されて現在に至る。
 別についてきてくれる誰かに拘りがあったわけでもなく、一人でも行けない事はなかったのだが、ついてきてくれるのならば有り難い。リストに纏めたものを買い忘れがないかチェックしながら買い込んで、店を出たその景色がどこか懐かしくて。
 気付けば皆本は、葉と共に慣れた道を歩いていた。行きは色々と話しかけてきていた葉もこの時は皆本から何かを感じ取ったのか、必要以上に声を掛けてこなくなった。時折、意識をどこかに飛ばして注意散漫になる皆本に先程のように危険を報せてくれるくらいだ。
 だから皆本は、余計に意識を過去へとやる事ができる。それは痛みを伴う行動ではあるが、いつまでも後ろ向きでいるわけにはいかない。消える事のない過去は、皆本が一生背負い続ける罪だ。
 それに全てを悲観するわけではない。そのお陰でこうして葉達と出会うことが出来たのだと、前向きに捉えることも出来るようになった。あの過去があるから、皆本は兵部の傍に居る事ができる。
 初めて出逢った公園。
 そこから全てが始まった。
 公園を通り過ぎれば変わることのない景色が続く。建ち並ぶ住宅街。その間を迷う事無く進み、止まりそうになる足を隣にいる葉から力をもらいながら動かして、二人が辿り着いたその場所は。
「……空き地?」
 住宅街の中にぽっかりと、家一件分はあるくらいの空き地。誰の手入れも受けていないのかそこは杭とロープで区切られ、雑草が生えきっている。売地、と看板の立てられたそこはまだ誰の買い手もなく放置されていたのか。
 一体こんな空き地に何の用があるのかと葉は怪訝に皆本を見下ろし、ぎょっと目を見開いた。皆本の双眸から溢れ出す大粒の涙。それは頬を伝い顎に辿り着き、アスファルトに弾かれる。
 まるで自分が泣いている事など気付いていないかのように泣き続ける皆本に、葉は訳が分からないままに――いやだからこそ余計に――慌てて、何か拭うものを探す。しかし普段からハンカチ等を持ち歩いているわけじゃなく、そう都合よく持ってはいなかった。
 嗚咽のない泣き顔は、見ているだけで辛くなる。それならば声を上げられたほうがまだマシだ。
「ここ……」
 小さく、ぽつりと言葉を漏らした皆本に、葉は我に返って見下ろす。どうしてだろうか。すぐ近くに居るはずに、今皆本はひどく遠い場所に居るような気がする。捕まえていなければ、今にも消えてしまいそうで。
 この子供はこんなにも儚いものだったか。
 だが今は皆本が伝えてようとしている何かを聞かなければと、一字一句を聞き漏らさないように意識を向ける。皆本は何かを躊躇うように息を詰まらせて、一息に吐き出す。
「此処に僕の家があった。母さんと父さんと三人で此処に暮らしてたんだ」
 どこにでもあるような普通の家庭だった。二人とも仕事熱心であまり家庭に時間を割くような人達ではなかったが、皆本にとっては自慢の両親だった。だがまったく家庭を省みないわけではなく、たまの休日には遊びにも連れて行ってくれた。いつまでもこんな日々が続くのだと、皆本はそう思っていた。
 皆本に、超能力があると分かるまでは。そこから歯車が狂い始めた。一度軌道を外れたその歯車は、二度と戻る事はなく最悪の終点に辿り着いた。
「……ごめん。葉さん。付き合わせて」
 皆本があれから此処に訪れた事は一度もなかった。それは心に負った深手の傷を抉るのと一緒。癒えないままの傷をさらに深く抉る行為は、皆本には出来なかった。それでも何故だろうか。逃げてばかりでは駄目なのだと考えるようになった。
 それは、兵部と同じ位置に立ちたいから。庇護されるだけの子供のままにはいられない。仲間と同等である為に、少しでも過去から進みたかった。
 今でも足が竦む。思い出しただけでも胸が苦しくなる。だけど今は一人じゃないと分かるから。心配してくれる仲間がいる。支えてくれる頼れる人がいる。
 いつの間にか皆本の涙は止まっている。それでも頬に残る涙の跡が痛々しいから。葉は手を伸ばしてその跡を拭う。少し赤くなった目許は、これくらいであればすぐに引くだろう。
「いいや。時間はあるし光一と二人っきりだしな」
 明るいトーンは気遣ってくれている事が分かる。だから皆本はありがとうと、感謝を籠めて葉を見つめる。わざとずれた言葉は感謝の言葉を必要とはしていない。
 行こう、と皆本は踵を返して、だがそれ以上動く事は出来なかった。
「光一?」
 どうしたのかとその顔を覗き込むと、皆本は驚愕に目を瞠っていた。そしてそれだけではなく、何かを悔いているかのような。
 その正体を確かめる為に皆本の視線の先を辿り、そこには皆本と同じように目を瞠る男が立っていた。どこか見覚えのあるような男ではあるが、皆本の知り合いだろうか。それにしては少し様子がおかしい。自然と葉が男に対して警戒するように一歩踏み出すと、背中に抵抗を感じる。
 皆本の手が、押し留めるように葉の服を掴んでいた。
「……光一?」
「大丈夫だよ、葉さん。……お久し振りです、賢木先生」
 前半は葉に対して、後半は目の前の男に対して。居心地の悪さと罪悪感にも似たような感情を抱えながら、皆本は声を掛ける。すると、弾かれたように男が駆け寄ってくる。
「皆本っ!? お前、どうして……」
 あの後の事は暫くしてから兵部から聞いていた。皆本が兵部と共に姿を消した後、彼は家を焼き払っていた。そしてその中には、人に似せた人形も。精巧に作られたそれは、解剖不可となる程度まで焼いてしまえば断定する材料が消える。だから焼け跡からは家族三人と思しきものが発見された。
 しかし状況判断によってそれは家族三人のものと断定され、皆本の存在もこの世から消えたものとなった。
 だからそうなった今、賢木にとっては死人が目の前にいるような感覚なのだろう。だが、皆本は死んではいない。――いや、兵部が言ったように、両親に依存していた皆本光一という人間は死んだ。
「葉さん、先に帰ってもらっていい?」
「けど……」
「僕は大丈夫だから。ね」
「――……ああ、わかった。すぐに帰って来いよ」
 状況は飲み込めずとも推測する事はできる。このまま皆本一人を残す事は憚れるが、今何をすべきなのかは分かる。
 頷く葉に安堵するように皆本は笑みを浮かべ、改めて賢木と向かい合う。その後姿を葉はただじっと見つめ、その場を後にする。

 皆本の隣で親しげに話す葉を訝しげに賢木は見ていたが、少なくとも今、賢木が確認すべき事は。
「――生きて、いたのか……」
 賢木とて状況だけで導かれたその判断を鵜呑みにしていたわけじゃない。いや、したくなかった、というのが正しいか。だが皆本が死んだという確証がなければ生きているという確証もなく、賢木にはどうする事もできなかった。
 あの日、嫌な胸騒ぎがしていたのだ。夕方頃に偶然、皆本の父が電話を受けたかと思うと飛び出すように出て行ったと聞き、さらにその胸騒ぎは高まった。そして夜の内に知ることになった訃報。信じられないという思いが強かった。信じたくはなかった。
 リビングからの出火と見られ、そこには三人の遺体らしきもの。炎の燃え方からみて作為的なものと判断され、放火殺人として事件扱いとなった末に、近所の住人の目撃証言から数ヵ月後に犯人は捕まった。しかし、賢木にとってその事件解決は疑問の残るものでもあったのだ。けれど一度解決した事件をやり直す事も出来ず、結局はしこりを残したまま月日は流れていった。
 そして今目の前に、皆本が確かに居る。

「すみません。賢木先生には、お話しておこうと思っていたんですけど……」
 だが今になってはそれは単なる言い訳に過ぎない。結局は皆本は賢木に何も告げることもないまま、今まで過ごしていたのだから。だが、賢木に告げることは容易なものではなかった。皆本は一度死んだ人間として扱われているし、何よりもまだ過去を誰かに告げることは出来ない。
「…………此処に来ればなにか分かるんじゃないかって、たまに来てたんだ」
 賢木は一体、此処でどんな光景を見たのだろうか。どういう気持ちで此処に訪れていたのだろうか。無残な焼け跡、取り壊される家屋、曝された土地、芽吹く雑草。そこに確かにいたはずの人間。
 もっと早くに賢木に逢うべきだったのだろうか。だが、怖かった。過去を思い出すことが。
「……今、何処に居るんだ?」
「すみません」
 それは、言えない。ゆっくりと首を横に振る皆本に、賢木は僅かに顔を顰める。
 もし兵部の元に居なかったのなら、言えたかもしれない。しかしそれはありえない。兵部が居たからこそ、今の皆本が居る。兵部でなかったら、皆本は此処には居ない。
 そしてパンドラの活動を知らないのであれば、賢木がバベルに勤めていなければ、あるいは言えたかもしれない。だが、皆本はその一員で活動にも加担している。兵部の思想に頷かないわけでもない。
 それでも言えないのはそういったことが後ろめたいからではなく、賢木に対する裏切りのようなもの。後ろめたさとは少し違う。
「……じゃあ、さっきの奴が前に言ってた愚痴を聞いてもらってる相手か?」
「いえ。別の人です。今はその人たちと一緒に居ます」
「……戻ってくるつもりはないのか?」
 戻る。それは何処にだろうか。皆本が帰る家はない。迎えてくれる人達も居ない。
 それを賢木も言っていて気付いたのだろう。己の失言に表情を落とす。だが訂正する言葉は余計に言葉を重ねてしまうだけだと分かってるからか、撤回もしない。
 けれど賢木の言わんとしていることが分からないわけでもない。此処は、この街は元々皆本が暮らしていた場所だった。此処が、皆本の帰る場所だった。しかしもう、この場所に帰ってくる者は居ない。
 皆本の居場所は別の場所にある。そこだけが皆本の帰る場所。皆本を迎えてくれる場所。
「僕は元気にしてますから、だから、気にしないで下さい」
「! そんな事出来るわけないだろ!? お前おかしいぞ!?」
 自分でも無理な事を言っている自覚はある。賢木は皆本に対して親身に話し相手になってくれたし、一人で抱え込もうとしていた心を癒してもくれた。そうやって恩は感じているが、あまり踏み込まれても、困る。
 散々心配と迷惑を掛けておいて自分勝手でも、やはりまだ賢木に会うには早すぎたか。きちんと説明するだけの言葉を、皆本は持っていない。
(京介さん――……)
 困ったらすぐに彼に頼ってしまいたくなる。たとえ後で悔やんでも、葉と共に姿を消すべきだったか。中途半端でもどかしいのは皆本も、賢木も同じ。だが賢木に何と告げよう。
 賢木に真実を告げたくても、自分が傷付かない方法を探している。
「皆本――」
「そこまで。僕の光一をそれ以上苛めないでもらおうか」
 唐突に割って入ってきた声。
 その声を聞いた瞬間に、安心するように身体から力が抜けていくのがわかった。
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