少年が求めたものはただ唯一の居場所

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  理想郷 04  

 時々この手を差し出しても良かったのかと、後悔するときがある。

「京、介さんっ、京介さん…っ」
 一心に求めてくるその声はとても甘美だ。甘すぎて夢中になって、もっと聞きたくなってしまう。もっともっと、その心を埋め尽くしてしまいたくなる。
 汚い、醜い感情だなんてとうに分かりきっている。それでいて、その心までも占有したいのだ。そうしてふとした瞬間に、それは後悔なのか罪悪感なのか、これでいいのかと自問する。けれど浮かぶ答えはない。
 正解でも不正解でも、既にこれは動き出している事。過去に戻る事は出来ない。悔やんでも罪悪感を抱いていても、これから先の未来を変えようなんて思うこともない。だから答えが何であっても、この感情がどういった類のものであっても、何も変わらない。
「いやらしい顔だ」
「っんぁっ、あっ、し、らない…っ」
「ああ。僕だけが知ってる顔だ」
 目の前で快楽に歪んだ顔が揺れる。純粋無垢で、純潔だったこの身体を己が穢した。何も知らなかった身体に、全てを教え込んだ。だってこの子供は、それを拒まないから。
 歪な感情。それも今更。否定はしない。できない。許されない。
 求める事の何が悪い。欲したから手に入れた。最初は単なる庇護の心しかなくても、いつしかそれは独占の心に変わる。だってこの子供は、その心でさえも受け止めてくれるから。
 きっとそれはこの子供の罪悪感。己が生きている事への、犯した罪への懺悔。全てを許され受け入れられた喜びに、求められる悦びに、その代わりにと健気に己の身体を差し出しているだけ。
 いや違うそうじゃない。真実は違う。それはただ自己を正当化しようと作り出した妄想。自分が想像する以上にこの子供は脆くも強い。命を絶つ覚悟もある――でもそれは諦めに近い。
 生にすらも執着しない者は何者よりも強い。だからこの生命を繋ぎ止めるように兵部は皆本を求める。同胞に対する執心だけでよかったのに、そこに愛情までも加わった。
 純然たる愛情ではない、欲望渦巻く愛情が。
「京介、さん……?」
「なんでもないよ、光一」
 頬を包み込み戸惑う眼差しで見つめてくる皆本に、兵部はそう言って首を振る。再び律動を開始すると、兵部の上で白い身体が淫らに踊る。汗ばむ肌に痕を刻むほど吸い付けば、心地良い嬌声が迸る。
 そうだなんでもない。この感情は、もしかしたら気付いているかもしれないけれど、わざわざ教えてやるほどのことでもない。己の内に秘めていればいい。
 愛しい子。
 大切にしてやりたくて、壊してやりたくて。けれど結局大切にしたいという気持ちが勝る。悪夢を見なくなるように、全てを染め替えてあげたい。
 重ねて透けて見える、遠い過去。
「好きだよ、光一」
 抱き寄せていた身体をそっとシーツの上に横たわらせる。その時に、埋め込んでいたモノの角度も変わったのだろう。短い悲鳴と、きつい締め付け。悦楽に震える身体を撫でてやると、落ち着くように吐息する。
 表情や仕草、そのひとつひとつに煽られる。ぼんやりとした瞳に見つめられ、眦に口付けると、まるで蕩けるようにふにゃりと顔が崩れる。
「ぼく、も……」
「うん?」
「……京介さんが好き。すきだよ」
 言って、上気した顔がふいとそっぽを向く。けれどまるでその心情を表すかのように締め付けてくる粘膜のお陰で、受ける衝撃は計り知れない。――勿論、嬉しさの、だ。
 焦らすようにゆっくりと腰を動かすと、尾を引くようなか細い声が漏れる。咎めるように睨む顔がこっちを向いて、潤んだ瞳でその効果も半減していることに気付かない。その必死さが、いい。
「はやく、京介さん」
「君はいつの間にそんなおねだりが上手になったのかなぁ……」
 率直に求めてくる言葉には、抗えない。
 苦笑混じりに呟けば、ほんの少し呆れたような表情。
「……京介さんがいっつも意地悪するからだろ」
「だから覚えたの?」
「だ、って! ……言わないと、動いてくれないくせに」
 そういえばそうだったかと過去の自分を振り返る。だってしょうがないじゃないか。君が照れて羞恥に顔を真っ赤にする姿は何度見てもかわいいから。ついつい意地悪をしたくなる、どうしようもない男心。
 今だって剥れた表情に悪戯心が刺激される。
 けれどあまりいじめすぎると泣いてしまうから、兵部は程ほどに自制する。でも一度刺激された悪戯心は簡単には消えないから。
「光一、これ言って?」
 不思議そうに見つめてくる皆本の耳に、そっと囁きを落とす。
 小さなその声に皆本はくすぐったそうに身を捩って、
「……もう無理だ、よ?」
 それは兵部が促した言葉ではなくて、それに返された言葉ではあるけれど。
 ああ無垢って恐ろしい。それだけで凶器にもなる。
 時々狙っているのではないかと考えても、皆本は何の計算もなく言ってくれる。翻弄しているようで、翻弄されている。
 思わず脱力する兵部に皆本は戸惑いながらも、動けない。動けば、感じてしまうから。だけど急にそれまで燻っていた熱を取り上げられて、不完全燃焼がもどかしくて仕方ない。
 だからそれ以上は考える事無く、兵部に乞われた通りの言葉を囁く。
「――……僕の中を京介でいっぱいにして」
「もちろん」
 兵部が促した言葉で皆本自身の言葉ではなくとも、兵部の望んだ意味を理解していなくても。願いを拒む理由はどこにもない。それに中途半端に熱が燻っているのは兵部も同じ。
 身体を起こして動き出した兵部に、皆本は縋りつく。他人を受け入れるにはまだ未熟な身体。その柔らかで愛しい身体を兵部は堪能する。
「あ、ああっ、きょ、すけさ…、京介さん…ッ」
「いいよ、光一が好きなときにイって」
「やっ、いや…、いっしょがいい…っ」
 皆本の願いに、兵部は笑みを零す。愛しくて意地悪をしたくなって、けれどこれ以上身体に負担を掛けないようにと追い詰めていく。いやいやと首を振る姿に一緒だからと宥めれば、与えられる悦楽に集中する。
 一際きつくなった締め付けに、腹部を濡らす白濁に皆本が達した事を悟ると同時に、注ぎ込む体液。
 深く息を吐いてぐったりと力尽きる身体を労わりながら、その身を穢す白濁に目を向ける。
 死滅する。彼の子種が。未来に繋がれるはずの幾多の螺旋が此処で終わる。そうしていったい幾つの彼の子種を自分は殺してきたのだろう。
 時折考える。此処で彼の種を殺していいのかと。この種達を終わらせていいのかと。
 それでもこの子種が女に注がれるのを想像するだけで嫌悪する。ならばここで終わればいい。終わってしまえばいい。誰にも渡さない。自分だけのもの。
「ぁっ…、や、だ…、京介さん、だめ…」
「なんで?」
 身体を押し返す腕の力は弱々しい。
 ぺろりと、肌の飛沫を舐め取る。そうして彼の子種を体内に取り込んでいく。その行動に意味はない。この身で子種が繋がれるわけでもない。だけどもったいないと、そう感じたから。
「ねぇ、光一」
「な、に……?」
「君の中は僕でいっぱいになったかい?」
 その言葉に、兵部の促した言葉の意味を理解したのだろう。みるみる皆本の顔が赤く染まっていく。
 兵部を詰りたいのか怒ったような表情で口を開閉させて、でも出てくる言葉はない。
「光一?」
「……足りない、から、もっといっぱいにして」
 促して、観念して出てきた言葉に萎えていたものが力を取り戻す。くつくつと込み上げてくる笑いを噛み締めて、兵部は口付ける。
「やっぱり君はおねだりが上手だね」
「……京介さんが変態だから僕にも移ったんだ」
「そう。そういうことでもいいや」
 それが免罪符になるのなら、どんな事でもしてしまいそうだ。

 時々この手を差し出しても良かったのかと、後悔するときがある。
 それでもこの子供と居るときが愛しくて大切だから、そんな事もすぐに忘れてしまう。

 後悔するのは、この子より先に死んでしまうその未来。
 その時君が悲しむのなら、一緒に連れて行ってしまいたい願望。
 続く未来を奪ってしまいたいといったら、なんと言うのだろう。

 きっとそれさえ、この子供は受け入れるだろう。
 それが、哀しい。
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