素直になれない男と素直すぎる少年

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  月は夢を見るか? 04  

 それに気付いたのは、体育の授業を終えグラウンドから教室へと戻る途中の事だった。
「ねぇ、なんか鳴き声聞こえない?」
「はぁ?」
 確信は持てないが、何か動物が鳴いているような小さな声だ。学校内に野良猫や野良犬が入り込んでいると言う事はある。だけど、聞こえてくる鳴き声はそのどちらでもないような気がする。
 まるでその声に誘われるように、薫は校舎へは向かわずに声のする方へと進んでいく。それに戸惑ったのは、一緒に校舎に戻ろうとしていた葵と紫穂だ。引き止めようと名前を呼んでも、薫は聞こえていないのかどんどん先へ進んでいってしまう。
「どうする?」
「どうするて……、もうしゃーないなぁ」
 放っておけば薫はその声の主を見つけるまで捜し続けるだろう。幸いか、体育があったのは4時間目でこれからは昼休みだから授業に支障が出るわけでもない。それでも、弁当を食べる時間が減ってしまうのは惜しい。
 残された葵と紫穂は顔を見合わせて揃って溜息を吐くと、薫の背中を追いかけた。薫が向かったのはグラウンドの隅の雑草の茂った場所だ。一体そこに何があるというのだろうか。
「薫ー。居った?」
「わかんない。けど、声はしてるんだよ」
 耳を済ませてみれば、確かに小さな鳴き声が聞こえてくる。二人も薫と一緒になって捜索を始めるが、広いグラウンドでは方向を特定できても正確な位置までは分かりにくい。それに木陰か何かに隠れているのなら、見つけるのも困難だろう。
 だが不意に周囲を見渡していた紫穂の目に、茶色いものが飛び込んできた。
「薫ちゃん、あそこ!」
 紫穂の声に、眼を皿のようにして周囲を見渡していた薫と葵が指差した方を振り向く。三人の前にひょっこりと顔を現したそれは、くりっとした大きな瞳で見上げてくる。学校のグラウンドに生息するには不似合いなそれは
「……なにあれ、リス?」
「んなもんがこんな所におるかい」
「モモンガじゃないの?」
「モモンガ〜? それが何でこんな所に」
 薫がしゃがみこんで、くいくいと指先を動かすとそのモモンガは興味を示したのか、周囲を警戒しながら少しずつ近付いてくる。人に慣れているのか、好奇心が強いのか。
 あと少し、という距離を残してモモンガは匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせる。そしてすりと、身体をすり寄せてきた。
「うわ、コイツ可愛い」
 薫の両脇に、モモンガを刺激しないように紫穂と葵もそっとしゃがみ込む。それに少しモモンガは怯えるように身体を揺らしたが、どうやら逃げないでくれるらしい。薫が手のひらを差し出すと、身軽に飛び移ってくる。
 やはり野生と判断するには人に慣れているようだ。
「コイツどっかから逃げてきたのかな」
「どうかしら。捨てられたってこともあるかもね」
 当時は飼いたくてペットとして購入していても、いずれは飼育費等の金銭の問題や飽きなど、飼い主の勝手な理由で捨てられてしまうペットも多い。そうしたペット達が街中を彷徨い保護されるなど、三人もニュースで耳にする。
 果たしてこのモモンガはどうなのだろうか。もし捨てられたのだとすれば、可哀想だ。けれど、だからと言ってやはり簡単に飼えるという問題でもない。
 紫穂はモモンガの小さな頭を指先で撫でると、ゆっくりと立ち上がる。
「行くわよ、薫ちゃん、葵ちゃん」
「紫穂?」
「ただ家から逃げ出しただけかもしれないし、あんまり馴れ合うと情が出来ちゃうわよ」
 しかし、紫穂の忠告も既に遅かったようで、薫は淋しそうにモモンガを見つめる。葵も同様にモモンガに対して既に情が湧きつつあるのだろう。中々立ち上がろうとはしない。
 仕方がないと紫穂はひっそりと溜息を吐いて、薫の腕を引き上げる。少々強引であろうと、昼休みの時間もこのままではなくなってしまう。
「なにすんだよ、紫穂!」
 急に立ち上がらせられた薫の掌から、驚いたようにモモンガが飛び降りる。唐突な行動に紫穂を睨むように見て、けれどそれ以上の言葉は出てこない。薫とて、分からないわけではない。ただ、もし捨てられたのだとしたら、このまま放ってもおきたくない。
「薫ちゃんの家でこの子飼えるの?」
「そ、れは……」
「中途半端な優しさはモモンガにとっても可哀想よ」
「わかってるけどさ!」
「…………なぁ、紫穂?」
「なに」
 遠慮がちに割り込んでくる声。葵を振り向けば、なにやら困ったような表情で足元を指差していた。そこへと、釣られるように紫穂と薫が視線を落として、目を瞠る。
 すっかり短時間で薫に懐いてしまったのか、足に纏わりつくそれ。鳴いて、薫の気を引こうとしているようにも見える。その様子に腰を屈めて手を差し出してやれば、嬉しそうに飛びついてくる。
 紫穂の心配も、これではもう遅い。
「……どうするの? 薫ちゃん」
「うっ。……け、けど、今更ほっとけるわけもいかないだろ?」
「ウチの家でも飼えへんで」
「同じく」
「あー、もうっ。どうしろっつーんだよ」
 三人の心情など露知らず。モモンガは甘えるように薫に擦り寄っては嬉しそうに声を上げている。
 悶々と考えても答えが出るわけもない。学校で飼う事は出来ないか。しかし平日はいいとしても休日は、と問題はあるし、飼い主を捜すにしてもその間このモモンガをどうするか。
「あ! そうだっ」
 まるで名案を思いついたとばかりに薫は声を上げる。その声にモモンガが警戒するように直立し、きょろきょろと辺りを窺う。
 紫穂と葵、二人から静かにするように睨まれて、薫は身を小さくする。
「で、どないしたんや? 薫」
「皆本に飼って貰おうよ」
「皆本先生?」
「でもOKしてくれると思う?」
「だーいじょうぶだって。皆本なら絶対頷いてくれるはず。よーし、こうなったら早速皆本の所に行こう!」
 一人先走るようになんの確証もなく盛り上がり、薫は校舎へと駆け出していく。だが、あくまでも紫穂と葵は冷静だった。冷静に走り去っていく薫を見つめて、しかしいつまでもこんな場所に居るわけにも行かず、結局は薫の後を追いかけるのだ。
「なぁ、皆本先生飼ってくれる思う?」
「さあ? それに、あのモモンガが皆本先生に懐くかも分からないし」
「せやなぁ……。けど、それは大丈夫思うで」
 それもまた確信があるわけではないが、確かにそういう気はする。優しいあの人だったら、動物も本能でそれを嗅ぎ取るかもしれない。ただ一目であの人のことが気に入った自分達のように。
 校舎へと一目散に戻ると、靴を履き替えるのももどかしく皆本の居る理科準備室へと駆けていく。昼休みのこの時間ならばいつもそこにいることは既に確認済みだ。
 途中で追いついてきた紫穂達とも合流して、準備室のドアを叩く。暫くして中から返答がくると、薫はドアを勢い良く開いた。そこには、三人の姿を見て困ったような顔を見せる皆本の姿。
「ちゃんとクラス氏名を名乗ってから入ってきなさい」
「いーじゃん、別に。それより皆本!」
「よくありません! それに皆本先生、だ」
 呆れた口振りで注意を受けても、本気で怒鳴られた事はない。だからついつい、そのまま甘えてしまう。
 薫は皆本の正面にまで歩み寄ると、手の中に抱いていたそれを眼前へと差し出す。
「皆本お願い! コイツ飼って!」
 頭を下げた薫に、皆本は眼を白黒として薫と、眼前に差し出されたモモンガとを見比べる。けれど、説明不足もいい所だ。全く状況が飲み込めない。
 とりあえずは薫に頭を上げさせて、皆本は説明を求めた。
「さっきグラウンドでコイツ見つけたんだ。迷子か捨てられたのかはわかんないんだけど、懐かれちゃって置いてけないんだ」
「でも私達の家じゃペットは飼えないし、この子の飼い主が見つかるまでの一時的でもいいの」
「せや! 餌とかはウチらも買ってくるし、皆本先生お願い」
 薫達三人に一斉に頭を下げられ、皆本はどうしたものか、頬を掻く。事情はまあ飲み込めないこともないが、何故自分が選ばれたのだろうか。じっとモモンガを見つめていると、なに、とでも問い掛けたそうにくり、と首を傾げる。
 手を差し出せば最初警戒するように掌を見つめていたが、害を与えるものではないと判断したのか身軽に飛び移ってくる。躾は確りと施されていたのだろう。人間に良く懐いているようだ。
「三人とも顔を上げて」
 薫はその掌の上での動きに気付いていたのだろうが、モモンガが皆本の手にいる事を見て驚いたように目を見開く。その様子に皆本は悪いと思いながらも小さく噴出す。
「まあ、飼い主が見つかるまでだったらね。幸いマンションもペット不可じゃないし」
「飼ってくれんの!?」
「一時的に、だよ。預かるだけだ。だから君達はこの子の飼い主を見つけること。もしかしたら探してるかもしれないからね」
「わかった。ありがと! 皆本」
「だから、先生を付けなさい。先生を。それよりほら、君達早く教室に戻らないと。弁当も食べてないんだろう?」
 既に昼休みも半分を過ぎている。制服に着替え、弁当を食べる時間もギリギリになってしまうかもしれない。
 皆本に促され、名残惜しむように薫はモモンガに別れを告げて来た時と同様に嵐のように去っていく。
「よかったわね、薫ちゃん。皆本先生あっさり頷いてくれて」
「だから大丈夫だって言っただろ?」
 得意げに言う薫に二人は顔を見合わせて、苦笑する。

 そして暫くビラを配ったり、クラスメイトや周辺住民などにも聞き込みをしてモモンガの飼い主を捜索していたが、飼い主が見つかる事はなかった。モモンガは捨てたものだったから飼い主が名乗り出なかったのか、捜索範囲が狭く引っ掛からなかったのか。
 薫がモモンガを見つけた一月後には、彼は正式に皆本に飼われることになったのだった。
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