素直になれない男と素直すぎる少年

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  月は夢を見るか? 02  

 メニュー画面へと戻ったテレビに皆本は電源を落とし、落としていた明かりを点ける。窓際の生徒達に閉めていたカーテンを開けさせると、実験室の中は昼間の明るい陽光に照らされた。
 画面を見続けていた身体の凝りを解すものや、自然と起きるざわめきに隣の席のものと小声で会話する者。その中で、机に頭を突っ伏した生徒が数名ほど。
「コラ! 寝るなって言っただろう」
 響く叱責に、室内からはくすくすと潜めた笑い声が生まれる。それで慌てて顔を上げる生徒も居れば、気付かずにそのままの生徒も。
 それがこのクラスのムードメーカー的存在であり、皆本にとっては問題児でも在る彼女についつい吐いてしまう溜息も大きくなるというもの。
 周囲も起こしてあげればいいのに全く動こうとはしない。ただ、教壇から降りる皆本がこれからどうするのか、楽しそうに見守るのだ。
「こら、明石!」
「! い、ったぁ〜」
「授業中に寝るなと何度言ったら分かるんだ! 野上も三宮も、隣の席なら起こしてやれ」
「えー、ウチらちゃんと起こしてますよ」
「そうよ。それでも薫ちゃん、皆本先生じゃないと起きないんだもん」
「お前らなぁ……」
 二人とも口ではそう言ってくれるのだが、正直なところこれまで二人が彼女を起こしている場面は見たことがない。偶々皆本が見ていないところで努力してくれているのかもしれないが、言葉と表情が全くかみ合っていない。
 最近の高校生というものは……、と中々思い通りに言ってはくれない三人にまた溜息を吐いていると、下方からじっと見つめてくる視線に気付いた。その視線に薫へと目を向ければ、半目で睨んでくる。
「皆本の暴力教師!」
「教師を呼び捨てにするな! 大体、明石が居眠りするのがいけないんだ。真面目に受けなさい」
 兵部といい薫といい、何故こうも二人は教師として接してくれないのだろうか。
 確かに、皆本はまだ教職歴も浅く、コンプレックスである童顔が災いして実年齢よりも年下に見られることも多い。生徒達からは気軽に話し掛けられる先生、として見られているのも事実だ。
 別にだからと言って距離を置け、というわけでもないのだが、これから先数年後、社会に出た時にこういう場所で年上、目上の人との接し方を学んでなければ後々困る事もある、と考えているのだ。時と場合に応じた接し方を学ぶ場でもあると、そう思っているのにその考え方は頭が固いのか。
 誰とでもすぐに打ち解けられるというのは長所にも成り得るが、やはり礼儀は弁えなければならないだろう。
「だってあんなビデオ見せられるから眠くなるんだもん。皆本のケチ」
「皆本先生、だ。真面目に見ていたら眠くもならん。……っとに、今度居眠りしてたらペナルティだからな」
「えー」
「うるさい。ほら皆、授業に戻るぞ。教科書開いて」
 両手を打ち鳴らして緩んだ気を引き締めさせると、教壇に戻り教科書を開く。憮然とした薫の視線がひしひしと伝わってくるのだが、生徒一人の為に大勢の時間を割く事は出来ない。
 既に皆本と薫の遣り取りはこのクラスでは日常の一部と化しているのだが、そんな日常を授業中に作るわけにもいかないのだ。それに薫も、暫くもすればきちんと授業に参加してくれる。
 ただ、本人達はばれないように、としてやっているのだろうが、授業中の内緒話も、内職も教壇からはばっちり見えるのだが。多少の事であれば目を瞑るのだが、やはり本音を言えば真面目に受けて欲しいというところだろう。
 ビデオ鑑賞を主に使用していたから内容的にはあまり進まなかったが、許容範囲内だろう。教科書も今日教える部分は流す程度で問題はない。その為のビデオ鑑賞だ。
 鳴り響くチャイムと共に授業を終え、教卓を片付けていれば近寄ってくる三人組。これもまた授業終了後は決まった事だ。
「皆本先生」
「なんだ?」
「お昼一緒に食べてくれません?」
「たまにはいいでしょ?」
 午前に授業があれば昼食の誘い、午後に授業があれば下校の誘い。これはパターン化したもので、皆本もただ苦笑を浮かべながら首を横に振る。
 三人が誘いにくるのが毎回の事であれば、皆本が断るのも毎回の事だ。
「言ってるだろ? 僕は昼休みも忙しいんだ」
「とか言って他の奴と一緒に食べてるんじゃないだろうな」
「明石。言葉遣いには気をつけなさい」
 少しきつめの皆本の口調に、薫は一度押し黙って、改めて言い直す。こういう遣り取りを交わしていればなんだか高校生を相手にしているように思えなくなってしまう。
 憮然とした態度で引き下がろうとしない三人を相手にしていれば、短い放課はあっという間に過ぎてしまう。
 それに三人も皆本が簡単には頷かないとわかっているからあまりしつこくは食い下がらない。
 皆本は時計を見上げて、三人を教室へと戻す。
「ほら、次の授業に遅れるだろう?」
 普段過ごす教室のある普通棟と実験室や音楽室などの入った特別教室棟は渡り廊下で繋がった別の棟にある。移動だけでもそれなりに時間は使ってしまうのだ。階が違えば、尚更。
 促す皆本に三人は渋々教科書類を抱えて実験室を後にする。それを見送って、皆本も次の授業の準備をする為に準備室へと戻った。
「お疲れ様、皆本クン」
「ひょ、兵部!?」
 そこに何故かあった、兵部の姿。準備室は普段生徒が勝手に入ってこないように、授業の続く午前中は廊下に通じるドアは鍵を掛けているはずなのに、どこから入ってきたのか。いやそもそも、何故兵部か此処にいるのか。
 しかし自分の机に置いてある教科書を見て、皆本は次の授業が兵部のクラスだったことを思い出した。
「一体どうやって入ってきた? いや、それよりも、ちゃんと先生と呼びなさい」
「はいはい。皆本センセイ」
 自分で注意しておきながら兵部が素直にそれを受け入れると、からかわれているのではと思ってしまうのは事実そうだからか、被害妄想か。
 溜息を零しながら、棚に一年用の教科書を戻して二年用の教科書を取り出す。必要なものを考えながら準備している間も出て行く気配の見えない兵部に視線を移すと、ばっちりと視線が絡む。
 じっと見つめてくる真っ直ぐな視線に、皆本はただ戸惑うだけだ。
「……何してるんだ」
「皆本先生の観察?」
「僕の観察はいいから早く実験室に移動しなさい」
「えー。もう少しダメ?」
「ダメだ」
 あの兵部の告白からも、表向きは二人の関係は何も変わらない。変わりようもなく、ただの教師と生徒というだけだ。確かに兵部は少し以前よりも素に近い状態で皆本に接してくるが、皆本はそれでも以前通りに接する。
 告白もなかったかのような兵部の言動に、最初のうちは皆本に困惑を与えたが今ではそうはない。気の迷いだろうと、今でもそう思っている。意識もしていないから、兵部と二人きりでも過ごす事が出来る。
 それは兵部にも伝わっているだろう。それでも兵部は、やはり行動しない。
「ねぇ。皆本先生は僕ともご飯一緒に食べてくれないの?」
「……お前なぁ……」
 一体どこからそんな話を仕入れてくるのか。もしかしたら先程の遣り取りを聞いていたのかもしれないが、それが誰であっても皆本は意思を変えたりはしない。
 呆れたように首を振られ兵部は残念そうにしながらも、三人のように食い下がっては来ない。それが少し、不思議でもあった。
「あ、お前今日の放課後追試するからな」
「うん。わかってるよ。なんなら今からでもいいけど」
「何言ってるんだ。これからは授業だ。ほら、そろそろチャイム鳴るから」
 手を振って追い払うと、兵部はすんなりと教科書を持って準備室を出て行く。開けられたドアから廊下のざわめきが聞こえてくる。その中で、兵部の名を呼ぶ声も。
 生徒達に混ざれば、彼もまたただの高校生にしか過ぎない。どんなに大人びていても、やはり皆本にとって兵部はまだまだ未熟な子供だ。
 自分なんかが、どうしていいのだろうか。兵部も、薫達も。

「そりゃ、接しやすいからじゃねぇ?」
「賢木……。僕ってそんなに教師に見えないか?」
 昼休み。
 訪れた保健室で抱える悩みをオブラートに包んで同僚に話して返ってきた答えに、皆本はがっくりと肩を落とした。
 落ち込む皆本に賢木は豪快に笑いながら違うと訂正を入れてやる。
「ほら。ウチのガッコって若い教師少ないだろ。居たって真木は近寄り難いし、大鎌は……ありゃ論外か」
「……」
「そいつらに比べれば皆本は親しみやすそうなんだろ。若いし顔良いし優しいし。単なる考え過ぎだって。寧ろ羨ましいぜ」
 叩かれすぎて痛む肩を押さえながら、皆本はそれでもそうかな、と首を傾げる。納得は出来ないが、別に生徒に好かれることが嫌なわけでもないのだ。ただそれが少し、気にかかるだけで。
「どうせ皆三年もすりゃ卒業してくんだし、好かれて損な事はないだろ。それに意外と最近の女子高生って発育良いし」
 後半部分の賢木の発言に、皆本はぴくりと反応する。何を思い浮かべているのか、賢木の顔がにやけきっている。
 実の所、賢木自身も生徒――特に女子生徒からの人気はあるのだ。誰にでも調子を合わせて接しやすく、好意を寄せている生徒も居ると噂を耳にしたこともある。
「賢木? お前、児童福祉法って知ってるか?」
「な、なんだよ皆本。わぁーってるって。まだ手ぇは出してねぇよ」
「まだ?」
 一々揚げ足を取ってくる皆本に、賢木は慌てて弁解する。その態度こそ余計に誤解を助長させそうだが、一応聞きはしてくれるらしい。それに納得してくれたのか訝る視線を消してくれたが、酷い勘違いだ。
 皆本はふと溜息を吐いて――賢木こそが溜息を吐きたいと思っていることなど露ほど知らず――気持ちを入れ替えて立ち上がる。そもそも此処には準備室のストックが切れた絆創膏を貰いにきただけなのだ。話を持ちかけたのは皆本自身だが、昼休みにもしなければならない事はある。
 幾分かはすっきりしたような皆本を見上げて、賢木は彼が保健室を出て行く前に思い出したように声を掛けた。
「なぁ、皆本。今日飲みに行かねぇ?」
「あー……、今日は都合悪いんだ。また今度な」
「しゃーねぇな。空いてる日教えろよ。野分先生達にお前誘ってくれって頼まれてるんだ」
「……野分先生って、うちの?」
 皆本が思いつくのは、同じこの学校で働く国語科の教諭だ。それを言えば、賢木は笑い顔で頷き返してくる。
「そーそー。お前が来ると女性陣の集まりがいいんだわ」
「……人をダシにするなよ」
「いいじゃねぇか。ただの親睦会だよ、親睦会」
 それに余計なオプションがつかなければ、の話だと思うのだが。
 しかしそれを言っても上手く言い包められそうな気がして、皆本はただ考えておくとだけ言い置いて保健室を後にする。
 どうして自分の周囲にはまともといえる人間が居ないのか。
 職を間違えたかと思っても、今更である。
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