甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.2-02  

「眠くなったなら休んで構わないよ」
 他愛のない会話が途切れた時、ぼんやりと部屋を眺めていた兵部を気遣ったか、そう言葉を掛けられた。兵部は僅かに首を傾けるようにして皆本を見つめ、いいえ、と首を振る。
 時間も時間であるし、日中のことを考えれば皆本のその気遣いも当然のものと言えただろうが、不思議と今の兵部に睡魔が訪れてくることはなかった。
「ありがとうございます。でも、不思議と目が冴えていて眠気はないんです」
 苦笑いを浮かべてそう告げれば、皆本は目を細めて微かに笑う。そこに、それは単にこの部屋の中が薄がりであるからなのか皆本の顔に翳が落ちたように見えて口を開くが、出ようとした言葉をすぐに飲み込む。
 その僅かな逡巡に、向かい合う皆本が気付かないことはなかっただろうが、あえて気付かない振りをしてくれたのか、兵部の告げた言葉に対する答えを返してくる。
「脳がまだ興奮状態にあるのかもしれないね。演習の後はいつもこんな感じかい?」
「そう、ですね。遅くまでぼうっとしてて、翌朝不二子さんに起こされて……」
 過去を振り返り記憶を遡り、ついでのように思い出したくはない苦い記憶まで呼び起こしてしまい、その心情のままに顔を歪めさせる。姉として弟の面倒を見てくれるのは嬉しいけれど、不二子の行為はどこか過剰というか彼女独特というべきか。
 だが、困惑し好意に躊躇することも間々あるが、決して嫌というわけではない。ただ、戸惑うし改善して欲しいと思わなくもないだけだ。
「君達は本当に仲が良いんだね」
「え……?」
 柔和な眼差しに見つめられて、兵部はきょとんとした表情を僅かに赤く染める。月明かり程度では皆本には知られることもないだろうが、気恥ずかしいさが込み上げてきてまともに彼の顔を見れない。
 視線をほんの少し下に落としてから、そうですか、と言葉を返す。仲が良いか悪いかなど判断は出来ないが、良く一緒に行動していることは事実だ。不二子は何かと兵部の面倒を見ようとしてくれるし、たまに悪戯をされもするがそれが彼女の本質なのだと分かれば、此方がそれに対策を練ればいいだけ。
 そうやって一緒に居ることは嫌ではないし、不二子も本当に兵部が嫌がることはしない。比べる対象が兵部にはないから分からないが、傍からもそう見えるのか。確か、蕾見の屋敷でも皆本は似たような事を言っていた。
「……不二子さんと僕は、姉弟ですから。血の繋がりはなくても、それでも不二子さんは僕の家族だから……。だから、そう言ってもらえると嬉しいです」
 家族で、姉弟で、仲間で、かけがえのない存在と呼べる人。誰も彼女に成り代わることは出来なくて、彼女にとっての自分もそうであればいいと思う。
 そうしてふと考えてみれば、これまで幾度も彼女の気兼ねない性格に助けられて居たような気がする。それは不二子本来の性格でもあっただろうが、彼女の無鉄砲ともお転婆とも言える性格のお蔭で、兵部は直ぐに仲間達とも打ち解けることが出来たのだ。
 彼女の明るさは、決して内に篭ることを良しとはしなかった。容赦なく、明るい場所へと連れ出される。その強引さは、兵部は嫌いではない。
「今、幸せかい?」
 そう問い掛けてくる皆本に、兵部はどこか高揚した気分のまま首肯しようとして、彼の纏う雰囲気の違いに気付いた。幸せだと、そう返すことは決まっているのに、皆本の瞳はそれを望んでいるようには見えない。
 けれど、幸せではないと告げることは嘘を吐くことになるし、兵部が今不幸せと感じていることはない。嘘を吐く必要性は感じられないし、皆本も虚偽の発言は求めていないだろう。深く突っ込まれても兵部は何も返せない。
 では、皆本は何を問い掛けて来ているのか。
 返答に詰まっていると、皆本は表情を少し和らげてから言葉を変える。
「お国の為、国益の為にと今からその身を犠牲にして、不自由を感じたことはないかい」
「……み、なもと、さん?」
 それまで凪いでいた湖畔を揺るがすような波紋。
 皆本から感じ取れる拒絶に近い不穏な雰囲気に、兵部は戸惑ったように瞳を揺らす。渇く喉を潤す為に唾を飲み込めば、その音は予想外に大きく兵部の耳に届いた。
「ぼ、くが、お国の為にと働くのは当然のことです。僕の働きによってこの国を守ることが出来るのなら、それは僕の幸せです。犠牲と思ったことはありませんし、不自由でもありません。寧ろ、行き場のなかった僕に居場所を与えて下さった隊長には、感謝してもしきれません」
 どこにも自分の居るべき場所はないのだと分かった時、絶望の淵に居た自分をそこから救い出してくれたのは他でもないあの人だった。ここに居て良いのだと、居場所を示された時、それにどれだけの幸福を抱いたか。
 あの人の為ならばどんなことでも出来ると思った。したいと思った。その思いは今でも変わらない。その為の苦労ならば、自分はそれを苦労とは思わずに、然るべき事なのだと遣り遂げるだろう。
 それは決して苦となることはない。
「そう……」
 短く言葉を返した皆本の表情は、読めない。何を考えているのか、それを兵部に読み解くことは出来ない。
 だがなんとなく、自分の返した答えが皆本の望むものではなかったのだろう、とは思う。それでは、何と答えればよかったのか。兵部は嘘偽りない想いを告げた。この想いに嘘を吐きたくはない。
 皆本は、違うのだろうか。軍人が国の為に働くことは当然の事だ。それも、士官学校に通っていた人間ならば、尚更そう思うだろう。だのに何故、今更そんなことを尋ねるのか。
 それとも、皆本は兵部に同情しているのか。まだ両手で足りるほどの歳しかない兵部がその肩に星を背負っていることを。時として倍以上も生きている大人を相手に、渡り合わなければならないことを。他人の命を、犠牲にすることを。しかしそれは、当たり前のことであるのに。
 漠然と抱く虚無感は、皆本に対する失望か。
「……すまない。言い方が悪かったね。僕が言いたかったのは、たまには君も同年代の子達と遊びたくはならないのかい、と」
「……」
 それは、本心を隠し繕われた言い訳なのか、隠すことのない本心なのか。
 広がったのはただ小さな波紋でしかないのに、そこから疑心暗鬼に囚われる。彼は、信用に足る人間なのか。猜疑心が湧き起こる。
「この世界で君の存在は危ういものでもある。妬みや僻みも多いだろうし、理不尽な責め苦もあるだろう。当然、僕やあいつはそれらから君を守ってみせる。それが巻き込んだ側の責任だし、自分自身がそう思うからだ。君は、そうして守られていることに引け目を感じてしまうかもしれないけど、そうすることは僕達にとって当然のことなんだ。……だから、君達の望みは可能な限り叶えてあげたい。もし、現状に窮屈さを感じているのなら、改善もしなければならない。君達は軍人だけれどただの軍人じゃない。不安定な精神で超能力を使えば負担が大きくなるし暴走することは、京介くんも知っているだろう?」
 皆本のその言葉に、真摯な表情に偽りは見えない。では、自分の読みが浅慮であったのか。僅かにも彼を疑ったことを恥じる。気付かれてはいないだろうが、もしかしたら漠然と空気を感じ取ったのかもしれない。
 それでも皆本の態度はやはり変わることはないし、心配してくれているのは大人という観点からか、彼が医官であるからか。それとも告げられた言葉にあった、彼が巻き込んだ側だからか。しかし、その巻き込んだ側というのはどういうことか。
 兵部が皆本と出逢ったのはこの世界に身を置いてからだ。知り合ったのはごく最近。皆本が告げたいのは、時間単位の問題でもないのか。
 果たしてどこまで、質問を返していいのか。全て問い掛けていいのか、皆本は意図して言葉を端折ったのか。聞けば、簡単だろう。彼は質問に応じた答えを返してくれる。だが、そうすることに二の足を踏ませるのは、先に感じた失望の所為。
 これ以上彼に対して失望と疑惑を抱きたくはない。あえて言葉を飲み込んでいるのは、そこに伝えたくはない何かがあるからだと、兵部は考える。
 そうすることが正しいのか間違っているのかこの時の兵部には分かるはずもなく、もしこの時に聞いていれば何か変わっていたかもしれないと、そう後悔するのはまだ先のこと。それは、目先の事に囚われ深く考えることを放棄した幼さ故の未熟さが生み出した過ち。
 しかしその過ちを、誰が責めることが出来るのか。
「そうやって、気に掛けて下さるのは凄く嬉しいです。でも、僕には不二子さんや隊長達が居て下されば、それだけで十分ですから」
 きっと今の自分なら、自分が超能力者であることを隠して同年代の子達と混ざることが出来るだろう。それでも、自分が軍人であるということは隠しきれないと思う。いや、それすらも隠し通せたとしても、それは自分ではないような気がしてしまう。
 今此処に在る兵部京介という存在は、超能力を持つ軍人で、やはり普通の子供達とは違ってしまっているのだ。子供は、その違いを敏感に嗅ぎ取ることのできる生き物だということを、兵部は身を以って知っている。
 だから、皆本の申し出は嬉しくても、自分の居場所は此処だけなのだと言い切る。他の居場所は、要らない。
「それに、僕達には自分達の好きな時に好きな場所にいける、自由に飛べる翼があるんです。だから僕達は不自由ではないんです」
 徐に、兵部は寝台から飛び降りるとそのまま身体を宙に浮かせて見せる。皆本の目の前で超能力を使って見せるのはこれが初めてだったのか、目を丸くするその様子に、楽しくなる。
 くすくすと笑いながらそのまま皆本の眼前にまで移動して、身を曲げて顔を近づける。見つめた双眸が柔らかに細められ、持ち上げられた手に頭を撫でられて、兵部はすとん、と身軽に床に降り立つ。
「……とは言っても、不二子さんの受け売りですけど」
「なるほど。そうやって、君達は邸や軍から抜け出してるんだね。報告は聞いてるよ」
「たまに、ですよっ。それに僕は不二子さんに無理矢理……っ!」
 ムキになって言い返して、直ぐに我に返って口噤む。全てを見通しているような眼差しで微笑まれてしまえば、なんだかばかばかしくなってくる。
「どうだい?」
「?」
「少しは、眠くなってきたかな。まだ眠れないようならミルクでも貰って来ようか」
 そう言われて少し考えて、兵部は緩く首を振る。短時間で様々なことを考え頭を使ったからか、少しずつ眠気がやってきているような気がする。
「いいえ。このまま、部屋に戻って休みます」
「そう。……さっきは、変なことを言ってすまなかったね。僕は、言葉が足りないのだとよく言われるんだ」
 憮然と、拗ねるような表情で告げる皆本に、遠慮がちに小さく笑みを浮かべる。
 皆本との距離を遠くに感じたり近くに感じたりと忙しくはあったけれど、結果的にその距離は縮んでいるような気がする。出会ってまだ間もないのだから皆本のことを良く知らないのも当然のことで、それでも彼は彼なりに自分達超能部隊の事を考えてくれているのだと、分かる。
 雰囲気があの人と似ているから、ということでは理由にはなれないのかもしれないが、自分達に敵意のある人間とそうじゃない人間くらいの区別は付けられる。
「でもそれは、それだけ皆本さんの本心が表れているということでしょう?」
 下手に虚飾されずに真っ直ぐな言葉。それは何よりも本心に近い、あるいは同等の思いが籠められたもの。それをそのままぶつけられるということは、それだけ認められているのだということになりはしないか。
 兵部がそう勝手に思うことでも、そう思わせて欲しいと思う。そして、そんな彼を守りたいと、兵部の中にその想いが芽生える。
 きょとん、としたような表情を見せていた皆本は小さく唸るような声を出して、兵部へと視線を合わせる。
「……そう言われたのは初めてだよ。ありがとう」
 向けられたのは満面の穏やかな笑み。何故か照れ臭くなって、その顔を直視は出来ずに兵部は視線を落とす。
 だがいつまでもそうしているわけにもいかずにどうにか部屋に戻ると告げれば、皆本は立ち上がりドアまで見送ってくれる。
「ゆっくりとおやすみ」
「はい。皆本さんも。……おやすみなさい」
 軽く頭を下げて、兵部は自分に宛がわれた部屋へと向かう。そのまま直ぐに部屋へと向かったから、自分の立ち去った後に皆本が呟いていた言葉など、兵部は知らない。

「憐れな子供……。いくら自由な翼があったとしても、この檻から出られることはないのに」
 けれど。
「それを知らないことこそ、彼らの幸せなのか……。世界を知ることは、不幸だったのか。でも僕だって、知りたくて知ったわけじゃない……っ」
 穢れを知った子供は、純真には戻れない。
 一度身についた穢れは、一生その身についたまま、落ちることはない。
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