甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.2-01  

「それでは、期待しているよ」
 そう言って言葉を結んだ将校に三人は声を揃えて礼を取る。
 扉の傍に控えていた下士官がドアを開き、隊長がそのドアへと向かう。それに続くように兵部も踵を返して、けれど、続く足音は一つだけ。怪訝に思い肩越しに軽く振り返ると、皆本は直立の姿勢のままその場から動く気配がなかった。
 どういうことなのか、自然と兵部の足が鈍る。
「如何した? 兵部少尉」
「あ――、いえ」
 歩調の遅れた兵部に気付き、男も自らの歩調を緩めて傍につく。見下ろしてくる眼差しに緩く首を振り、だが周囲にはそれと悟られることのないように隊長には目線で皆本のことを訴える。何を告げたいのか、それを読み取ってくれたのかレンズの奥の瞳が軽く細められる。
 けれどその場では何も告げることはなく、先を促す視線に兵部は諦めて退室する。兵部が廊下に出てもやはり続く足音はなく、無情に閉まり行くドアの隙間に、ただ皆本の姿を確認する。
 案内役の下士官の後に続きながら、それでも出てきたばかりの部屋を気にする兵部に頭上から小さな溜息が零される。その声に微かに身体を揺らして、兵部は「申し訳ありません」と口にする。
「彼は超能部隊付きの医官とはいえ衛生機関の人間だ。実線に赴くこともなく、果たす役目は君達の補助。それは此処でも変わらない」
「……そう、ですね」
 静かな叱責に兵部は項垂れるように頭を下げた。当然のように彼も一緒に来るものだと思っていた自分を恥じる。この場には遊びに来ているわけではない。それは充分分かっていた筈なのに、どうしてだろうか。
 こうして兵部が隊長と共に各地に点在する陸軍の駐屯地を訪れるのは今に始まったことではない。超常能力を見たことがない者達にとって、その存在は不確かであり信用に足るものではない。そのような得体の知れぬものに背を預け共線を張ることも出来ない。それは、どちらにとっても。
 不可思議なる力を有し操ることの出来る超能力兵の存在は、危うい。だからそれが如何なる物であるのか、彼らが如何なる気持ちで戦場に立つのか、説き伏せなければならない。そして、見せ付けなければならない。彼らはお国の為に働く有能な兵士だということを。
 では何故それに同行するのが兵部なのであるか。単にそれは何も知らぬ者達に超常能力を見せる時、目に見えて分かりやすい能力が念動能力だからだ。それと、兵部が幼いながらも尉官の軍人であると知らしめる為。階級が全てを左右する軍内で、見た目のみで判断されずにその存在を確立させる必要がある。それは、兵部の身を守る為とも同意する。
 それでも先日のように我が身も顧みずに暴挙に出る輩も存在するが、以前よりも減っていることも事実。兵部が身の安全を確保する為に各地を回るのは、同時にその存在を多く知れ渡らせる事にもなる。抱く感情は友好的なものに越したことはないが、それがなかなか叶うものではないと知っている。負の感情を抱いたとしても、それがただ畏怖の感情で終わればいい。だがそれが、それだけで終わらなければ。
 軍内には血の気の多い者が多い。野心に溢れる者が多い。己の欲を持て余し、非人道的な行いに出る者もいる。抱え切れぬ不安を、他者にぶつける者もいる。
 安寧を求めて縋った場所でも、安全であるとは言い難かった。それでも兵部の傍には仲間が居たし、良き理解者がいた。そして、唯一と思っていた普通人の理解者が増えた。暖かな眼差しを惜しみなく注いでくれる人だ。きっとこんな血生臭い場所には似つかわしくない。彼はもっと日の当たる場所にいるべき人間。
 その存在に、無意識のうちに甘えていたのだろうか。
「もしかすれば部屋から演習場が見えるかもしれない」
「……、た、隊長っ」
 暗に男が何を告げたいのかを悟り、兵部は慌てて名を呼ぶ。咄嗟のその声は大きく、先を行く下士官が怪訝な表情で振り返ってくる。それに男がなんでもないと返せば、兵部の姿を一瞥して正面へと向き直る。
 それを確認してから、改めて口を開く。
「僕は別にそんなつもりでは……」
「皆本は、少尉が怪我をすることはないか心配していた」
 兵部の小さな否定する声を遮って、男は紡ぐ。その紡がれた言葉に、兵部は息を呑む。――嬉しかった、のだ。そうして誰か心配してくれる人がいるということが。兵部を優しく見下げる男の表情にも、心配の色が見える。
 はい、と返した言葉は不恰好に掠れていた。
「少尉は、少尉のすべきことをしなさい」
「……はい。隊長」
 ただの、上官が部下に送る労いだけではない言葉の深さに兵部はきゅっと唇を引き結ぶ。
 今兵部がすべきなのは全力を尽くして発足したばかりの超能部隊の立場を守ること。兵部の見せる実力が、そのまま超能部隊の実力なのだと評価される。甘く見られてはならない。軽んじられてはならない。
 重責は決して軽いものではないが、それすら兵部が超えなければならない壁。

□ ■ □

 兵部が再び皆本と会えたのは、既に陽も沈んだ夜だった。どういうわけか日帰りで超能部隊のある駐屯地へと戻る予定だったものが、引き伸ばされたのだ。
 突然のことに兵部が戸惑っている間にも一晩を過ごす宿舎へと案内され、まるで質問を挟める余地のない態度に困惑は広がる一方だった。昼間の「お披露目」で何か失敗でもしてしまったのか。嫌な予感ばかりが頭を過ぎる。
 それを見てか、兵部を部屋まで見送りにと来ていた男が柔らかな笑みを浮かべる。
「少尉は良くやってくれたよ。素晴らしいと褒めて下さっただろう」
「それは……、ですが」
「いいから今日は休みなさい。私も、疲労したままの身体で連れ帰るのを心配していたのだよ」
 優しい言葉で念を押され、兵部は反論しかけた言葉を飲み込む。
 確かに、全力を出し切った身体は疲労を訴えている。駐屯地に帰り着くまで起きていられるかの自信も正直なかった。
 見下ろしてくる暖かな眼差しにわかりましたと頷いて、兵部は就寝の挨拶を告げて立ち去る上官の後姿を見送る。解せない何かが胸に渦巻くものの、きっとそれは兵部が口出し出来るものではないのだろう。
 暗がりの闇の中に消えていく背中を最後まで見送り、兵部がドアへと手を掛けたとき、反対側から歩いてくる人影が見えた。この宿舎を利用する此処の軍の者か、見回りの下士官か。
 どちらかと思い闇に目を凝らしていた目を、その姿を捉えた瞬間に大きく見開く。
「――皆本さん」
 それは、昼間に別れた皆本だった。軍服を着込み軍靴を鳴らし歩いてくる姿に、何故か安堵の息が漏れる。
 兵部の紡いだ囁くようなその声を聞き取って、皆本は足元に下げていた視線を上げて無表情であった顔を緩める。ほんの一瞬垣間見えた冷ややかな眼差しは、出逢いの頃を思い出させる。
 知らずこくり、と喉を鳴らしていた。
 僅かな距離を置いて立ち止まった皆本は、兵部に対して挙手の礼をした後、仄かな笑みを見せる。
「少尉の昼のご活躍は拝聞致しました。この目でしかと拝見出来なかった事が残念ではありますが、お怪我もありません様子で安心致しております」
「……いえ。准尉もご苦労様です」
 幾ら人目はなくても此処は超能部隊のある駐屯地ではない。皆本が兵部に対し階級で呼び態度を崩さないのは、兵部を下位に見せない為、なのだろう。そう言えば、先程までいた隊長も、やはりその態度を崩しはしなかった。
 分かってはいるが、少しそれが寂しく思えてしまうのは、割り切ることのできない子供であるからか。そう思った途端にそれまで自分が見せてきた態度がすべて虚勢のように思えて、果たして周囲にはどう映っていたのか、気にならないはずはない。
 少尉という階級は、肩の星は誇らしいものではあるが時折それが重く感じる。それは、軍服に身を包んでいれば尚更に。自覚が足りぬと言われてしまえば返す言葉もないが、いつかはこの不安も拭えるのだろうか。
「眠れないのなら私の部屋に如何ですか。とは言っても、事実私の部屋ではありませんから何も出来ませんが」
 恥じ入るように伏せていた瞼を持ち上げて皆本を見ると、彼は普段のような柔らかな表情を浮かべていた。考えるまでもなく頷いて、それから窺うように皆本を見上げる。
「疲れてはいませんか」
 皆本から感じられた疲労の色。だが皆本はそんなこと、とでも言いたげな顔で笑う。
 微かに響いた、頑なな闇を解すような柔らかな声。
「少尉の傍は疲れが癒されます」
 思考力が停止してしまったかのように、暫くの間呆然と皆本を見つめる。事も無げにさらりと告げられた言葉は兵部にとってかなり衝撃的なもので、言葉を返そうにも何も見つからない。
 唸るような低い声を出して、湧き上がってくる羞恥や照れにあちこちと落ち着きなく視線を彷徨わせる。握り締めた掌はしっとりと汗ばみ始める。流れ続ける沈黙についに居た堪れなくなって、兵部は睨むように皆本を見上げた。
 けれどその視線は、皆本から見れば照れを隠す子供が必死の虚勢を張り拗ねている様にしか見えない。発せられた声も、また然り。
「……僕には治癒能力なんてないですよ」
「では、超能力というものはまだまだ解明の余地がありそうですね」
 笑みを噛み締めた、震えるような声音に兵部ははっとなって今度ははっきりと皆本を睨む。からかわれたのだと、気付かないわけがなかった。
 くすくすと笑い続ける姿を睨み続けていると、皆本は笑いを収めて手招く。それに兵部も頭を冷やして、一瞬それまで何を考えていたのかを忘れる。
 ……彼は、気を紛らわそうとしてくれたのだろうか?
 ふとそんな疑問が過ぎり、兵部は素直に皆本へと足を進める。踵を返した皆本から漂ってきた、葉巻の匂い。どこかで嗅いだ事のある匂いだと、それがどこであったのか思い出すのにそう時間は必要なかった。
 此処に訪れ最初に案内された将校の部屋。そこに漂っていた匂いがこれではなかったか。
「やっぱり気になる?」
「いえ。……でも」
 僅かに顔を顰めてしまったのに気付いたのか、皆本はくん、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。その眉間に皺が寄せられた所を見れば、皆本も快くは思っていないのだろう。
 一度言葉を区切った兵部へと落とされる視線を感じて、顔を上げる。
「貴方には似合わない匂いです」
 纏うのならば柔らかな、日常の一部から切り出してきたような、そんな暖かな匂いがいい。
 言って自分でも照れてしまったが、虚を突かれたような無防備な表情を見せる皆本にしてやったりというささやかな悪戯心が芽生える。からかわれた仕返し、だ。
「……ありがとう、京介くん」
 浮かべられた感情は笑み以外の何物でもなくて、いつの間にか変わっている呼称に気を取られて、深くは考えなかった。
 その言葉に、いったいどれだけの感情がこめられていたのか、など。
 部屋の中へと促すようにドアを開けて兵部を待つ皆本に、やや急ぎ足で部屋の中へと入る。中は、簡素なものだ。寝台と、机と椅子が一組置いてあるだけ。雲も浮かばぬ晴れた月夜であるから、人工の灯りを必要とせずとも月明かりで充分だった。
 静かにドアを閉めた皆本は兵部の脇を通って、真っ直ぐに窓へと向かう。僅かに開けられた隙間から風が通り抜けていく。篭っていたような空気が入れ替えられる。だがそれは、皆本が纏う葉巻の匂いを少しでも外へと吐き出す為の行為だったのだろう。
 夜風を浴び、皆本は幾分かほっとしたような安堵の表情を見せる。
「寒くはないかい?」
「大丈夫です」
 問い掛けてくる微笑みに同じように返して、兵部は所在無く立ち尽くす。それに気付いた皆本が兵部へと寝台に腰掛けるように勧め、自らは椅子を引く。腰を落ち着けた皆本に反論を告げることは出来ず、躊躇を残しつつ寝台を軋ませる。
 そうして一度落ち着いてしまえば、なんだか改めて会話をするのも今更のように気恥ずかしく思えてしまう。何を語ればいいか、言葉を探そうとした兵部を、皆本の声が遮る。
「すまないね、京介くん」
「え……?」
 突然の謝罪に、兵部は目を丸くして皆本を見る。皆本は、一体何に対して謝っているのだろうか。
 皆本に何か謝られるような事をされたかと記憶を振り返ってみても何も思い当たるものはない。
「僕達がもっとしっかりと出来れば君達にこんな苦労は掛けさせずに済むのだけど」
 軍内でも、超能部隊の立場はまだ低い。彼らの存在を認める存在も、少ない。
「……いえ。皆本さんが、謝られることじゃないです」
 だがだからといって、肩身狭く身を縮めて歩いているわけではない。自分達の力は誇れるものだ。認められていないのならば、認めさせればいいだけ。
 それに、これは誰が悪いというものではない。皆本自身が、言っていたことではないのか。まだ誰も、対応しきれないのだと。
「時間が掛かるのかもしれないですけど、僕達は平気です。隊長や、皆本さんがついていますから」
「確かに、アイツは頼れるよ。とても篤い男だ」
「皆本さんも、頼りになります」
 はにかむように笑い掛けると、皆本は目元を和らげて囁くようにありがとう、と言葉を漏らした。
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