甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.1-05  

 目の前で検査結果に目を通していく横顔を、兵部はまるでこれから医師に重病を宣告される患者のような面持ちで見つめていた。
 しかしそれは、あながち間違っているわけでもないだろう。これから皆本が口にする言葉如何によっては、考えなければならないこともある。杞憂に越したことはないのだが、生憎皆本の横顔からはどんな推測もすることが出来ない。
 部屋の中に落ちる沈黙は、兵部にとっては重苦しいものでしかなかった。時間にすれば僅かなものであっただろうが、長時間にさえも感じられる。部屋の中に満ちていた沈黙は、皆本が手にしていた検査結果を机に戻すことで破られた。
 それまで横顔しか見せなかった皆本が兵部に向き合い、安心させるように笑みを浮かべる。その笑みに、兵部は安堵するように胸を撫で下ろした。
「特にどこにも異常はないよ」
「そう、ですか……」
 異常が見られず安心は出来るが、では、あれは一体なんだったのだろうか。これまでに一時的とは言え超能力が使えなくなるなど聞いたことがない。薬の作用ではないのだとすれば、何が原因となっていたのか。
 自分の手の平を見下ろす。今は、使おうと思えば直ぐに発動させることが出来る。あれから、使えなくなったことはない。調べてもらえば何か分かるかもしれないと思ったのに、何も分からないままではただ不安が募る。
 もし、また能力が使えなくなってしまえば。
 自分以外にもそのような症例が他の人に現れたりすれば。
 今ここで何か分かれば、その対策も出来ると思ったのに。
「京介くん」
 静かに名前を呼ばれて、兵部は弾かれたように俯けていた顔を上げる。どこか気遣うように向けられる眼差しにどうにか笑みを浮かべると、くしゃ、と髪を撫でられる。
「僕の推測だけど、聞いてみるかい?」
「はい」
 ギ、と椅子の背凭れを軋ませて背中を預ける皆本に、兵部も無意識に込めていた力を抜く。
 兵部は、医師というものが正直に言えば嫌いだった。超能部隊が設立された当初からその能力を各分野に生かす為の研究として、様々な医師や研究者と引き合わされてきた。中には確かに友好的といえる態度を取る者も居たが、多くは超能力者をただの実験材料としてしか見てはいなかった。その心を覗くまでもなく、畏怖や嫌悪と言った感情が内に渦巻いていることは容易に知れた。そしてそれと同じように、ただの研究対象としてしか見ていないことも、わかった。
 自分達は彼ら研究者の好奇心を満たす為の道具ではない。けれど、類稀な能力を持つ自分達が今こうして平穏を得られているのもそのお陰だと、目を背ける事は出来なかった。
 しかし、皆本からはどうしてもそんな感情を読み取ることは出来ない。彼は、兵部の知り得るこれまで出逢ってきた医師達とは違う。
「あの時君は、頭を強く打ち付けていただろう?」
「はい」
「恐らくはその時に脳震盪を起こして、一時的に脳機能が低下したと思われる。君達の能力はまだ解明されていないことが多いから、やっぱりこれは僕の推測の域を出ないんだけど。脳機能と超能力は密接な関係にあると考えられる。だから脳機能が低下している時に超能力を使おうとしても、使えなかったんだと思う。軽い脳震盪なら安静にしてれば直ぐに治るから、結果、一時的に能力を使えないという状態が生まれた」
 だから心配することはないよ、とそう締め括って、皆本は笑みを浮かべる。
「でも今回のことは忘れずに、今後は注意しておいた方が良い」
 言外に含まれる気遣わしげな雰囲気に兵部は表情を硬くして頷く。一時的とは言え能力が使えなくなる瞬間があるとすればそれは自分達超能力者にとって致命的なものになる。先日のような遣り方でなくとも、自分達を悪意を持って貶めようとする者達が居るだろう。そんな者達にこのことが知れてしまえば、身を守る術も限られてくる。
 自分達の持つ能力に頼り切っているわけでもないが、能力を介入しない身体能力のみで相手をする時。一対一ならば対等に遣り合えるだろうが複数の場合勝算も少ない。それは兵部も先日身を持って体験した。あの時は直ぐに能力も使えるようになったし皆本がやってきたから難を逃れることも出来たが、毎回そう都合よく行くわけもない。
 それにもし、脳震盪を起こしたのが戦地だとすれば……。
 考えすぎるのも良くはないだろうが、楽観的にもなれないだろう。露見された超能力者の欠点。
「この事は僕からあいつに伝えておこうと思うんだけど」
「隊長に、ですか……?」
 頷く皆本に、兵部は少し考えて首を縦に動かす。確かに今回のことは、超能部隊の隊長である彼には知る権利があるし、それは義務でもあるだろう。
 そして、もし兵部の口から告げるとした場合。果たして彼に対して幾つの嘘を重ねなければならないだろうか。皆本が、まさかそこまで考えて言ってくれたのかどうかはわからない。しかし兵部から告げるとすれば、何故そのような現象を体験しなければならなくなったのか、その理由を伝えなければならない。まさか、軍内部の人間に襲われ掛けたとは告げられない。彼も兵部が――兵部だけではなく超能部隊に所属する者達が――周囲からどのような目で見られ、どのような扱いを受けているか知らないわけではない。それでもあえて、自分達を護ろうとしてくれている人に告げる真似は出来なかった。
 ならばここは、皆本のその申し出に甘えたい。これ以上の迷惑も心配も、出来るならば掛けたくはない。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
 遠慮がちに伺いを立てれば、皆本は小首を傾げて兵部を見返す。自然と緊張する気持ちを、膝の上に置いていた拳を握り締めることで和らげる。
 笑みを向けられると共に首肯する動きに、兵部は更に身体に籠った余分な力を抜いていく。それを聞くのは不躾であるし不快と思われるかもしれなかったが、どうしても聞いておきたかった。
 兵部の告げた問い掛けに、皆本は浮かべていた笑みをうっそりと深めた。

□ ■ □

「……私と君との関係を、か?」
「そう。正確には知り合ったきっかけ、だけど」
 鸚鵡返しに言葉を返してきた男に、皆本は楽しそうにくつりと喉を鳴らす。昼間の事を思い出そうとしているのか、細められた目はどこか遠くを見つめている。隣に居る男のことなど、意識から抜けているのだろう。
 まるで自分の世界に閉じ篭るかのような雰囲気を見せ始める皆本に、存在を主張するように、しかしわざとらしくはならない声量で咳払いする。すると、その声を聞いて楽しげな目が男を向く。
「貴方は余程あの子に慕われてるようだ」
 どこか揶揄の含まれているような皆本の口振りに、能面のようだった男の表情が歪む。対して皆本は男の眉間に刻み込まれた皺を見て、ころころと笑う。一見無邪気に見えるその笑い顔でも、レンズの奥の瞳は濁りを見せていることを男は知っている。ただ、光を反射するレンズがその濁りを隠しているだけだ。
 放って置けば何時までも楽しげに笑い続けそうな皆本の腕を引いて、ふと息を吐き出す。
「それだけではないと思うがね」
 話を続けるように呟いた声音は、男の予想以上に苦々しいものだった。
 皆本が男に告げたように、兵部は彼に対して自分達二人の関係を聞いたのだろう。男の友人、更には不二子の知人だと知って皆本に対する興味を抱いたのか、単純な好奇心故の問い掛けであったか。あるいは。
 しかし男がいくら考えようとも兵部の思考になどは、はっきり言ってしまえば興味があるわけでもなく、寧ろどうでも良い――。
 ただ一つ、男が言えることがあるとするならば、それは。
「あの子が自分から誰かに興味を示すのは珍しい」
「……ああ。そんな感じはするね」
 抑揚の無い皆本の声。隣を一瞥すれば表情のない顔が虚空を見据えている。だがその中にほんの僅か、慈しむような雰囲気が混ざり込んでいたのを、男は見逃さない。
 途端に胸に澱のように生まれてきた、何か。正体不明のそれを自覚しておきながら、男はまるで気付かぬ振りをして更に胸の奥底へと沈め込ませる。考えるよりも先にそれに触れてはならないのだと脳は判断していた。
「それで、君はなんと答えた?」
 だから皆本のその表情の意味を問い掛けることもなく、男は普段と変わることのない平坦な声で話す。
 それが会話の始まりのものに対するものだと気付いたか、男を捕らえる鳶色の瞳が幼さを滲ませた茶目っ気を含む。その生気を帯びた眼差しに男は皆本の口から答えを聞く前に正解を悟る。
 そして皆本自身の口から告げられたそれは、男の直感と違わない。
「士官学校で偶然――、と」
「そうか」
 思わず返す言葉に滲んでしまったのは苦笑か、失笑か。もしかしたら多少の安堵もあったかもしれない。
「そうだ」
 皆本は短く相槌を打って、男と似たように苦笑とも失笑とも区別のつかない笑みを零す。
 そう。自分達の出会いは、それ以外に語り得ない。偶然、士官学校で出会い、縁があって現在もその関係が続いている。士官学校を卒業し軍に配属されてからは、年に数回逢うか逢わないかという所であったが、これからはその頻度も増えるだろうという、それだけのものだ。そして立場上の関係であれば、同期生だった者達が上官と士官として同じ部隊に配属となっていると、そういうことだ。
 一頻り笑った後に、皆本は全ての用件は終えたとばかりに何の後腐れもなく、寝台から抜け出す。けれどその白い肢体が床へと降り立つその前に男の手に腕を掴まれる。中途半端に寝台に腰掛けた体勢で、皆本は男を振り向く。
 困ったように眉の下げられた表情。皆本はやんわりと男の手を離させると、眉を下げたまま笑みを作る。
「もう終わりだろう?」
「今何時だと思ってる? 夜道の一人歩きは危険だ」
「危険――ね」
 男の言葉に皆本は憮然とした表情を僅かに見せたが、直ぐに折れるように肩を竦めて見せる。それでも、渋々といった色の消えない皆本に、男は心内で溜息を吐く。実際に表面に出してしまえば皆本は男の制止など聞かずに出て行ってしまうだろう。だから、後一声。皆本を繋ぎとめるものが必要だった。
「それにまだ、埋め合わせをしてもらってはいないのだがね」
 果たして告げた言葉に、どれだけの効力があったのか。
 恨めしく見つめてくる眼に男はその効力を知る。元は、皆本から言い出したことだ。だから、それをなかったことにも先延ばしにすることも出来ないのだろう。
 皆本は己の軽率な発言を悔い、男は久し振りに皆本から一本を取れたことに微笑む。
「相変わらず覚えはいいようだな」
「君程ではないと思うがね。私は書庫に置いてある総ての資料を覚えるという芸当は出来んよ」
「……謙遜なさいますな、隊長殿」
 苦く呟く皆本に男は浮かべていた笑みを消し、軍人である仮面を被る。その感情の機微に気付いたのだろう、皆本の表情も真剣みを帯びる。
「来週行われる合同演習の配属書を受け取った。そこには陸軍特務超能部隊に左遷となった君の名前も挙げられていたよ」
「……えらく急だな。いや、随分と耳が早い。諜報でも動かしたのか?」
「恐らくは研究室から流れたんだろう。あそこはどうも口が軽い」
 一人ごちるように呟いた皆本の言葉を拾って、男は蔑むように告げる。
 吐き捨てるようなその言葉に皆本も眉根を寄せ、あそこはな、と呆れを含ませて繋げる。あの場所は、思い出すだけでも嫌悪が込み上げてくる。移動となった今はもう関わり合いたくもない場所だ。
「研究にしか目がない奴らの集まりだ。甘い蜜をぶら下げれば多少の事はすぐに口を割る。……で、演習ってことは部隊からも同伴がいる、ということか?」
 逸れてしまった会話を元に戻せば、男は小さく頷き
「出向くのは君と私、それに兵部少尉の三名だ」
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