甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.1-04  

 ただ一人の存在しか違わないのに、どうして世界はこうも変わって見えてしまうのだろう。
 皆本も交えた朝食は終始穏やかに終わり、談話室に移動してのお茶会も、やはり穏やかだった。普段であれば一方的に喋る不二子の話を半分ほど、本を読みながら聞き流していたのだが今日は違う。いつもはよく回る口だとしか思っていなかった不二子のお喋りも、兵部が聞き出せない皆本のことを自然と聞き出していて、他所に意識を傾ける暇などなかった。
 聞いていない、興味のないような振りをしながらも、兵部の意識は何故か皆本へと向いていた。
「じゃあ全然街を歩いてないの? 本当、仕事の虫ね」
「日用品はとりあえず揃ってるからわざわざ出かける必要もないし」
「だめよ。仕事に真面目なのもいいけど、流行もちゃんと知っておかないと」
「考えておくよ」
 真剣な表情で説教を始める不二子に、皆本は首を捻りながら苦笑いを浮かべる。
 談話室に響く声は主に不二子とそれに返事をする皆本の二人のものだったが、それだけでも充分に賑やかだった。年上の相手であっても遠慮なく自分の言いたいことを告げる不二子は相変わらずと言えば相変わらずだったが、それも相手が皆本であるからなのだろう。
 皆本は嫌な顔一つ見せずに不二子の相手をしているし、それも不二子の個性として受け止めているようだった。そういった「親しい」関係を見るのは、意外でもあったのだけれど。
 自分達超能力者はその特殊な存在ゆえに他者との確執を生み易く、溝を作りやすい。それなりの付き合いをする者も居るが、本当の意味で受け入れられることは少ない。自然と仲間内で結束を強めることも多い。けれどそれだけでは駄目だともわかっているから、やはり外の世界にも足を踏み出さなければならない。
 だがそうした時に、何の打算もなく認めてくれる者は一体どれだけ存在しているのか。
 そんな打算に塗れたことを考えなければならない世界で、兵部はまだまだ子供だった。だからそんな事はどうでもいいと、仲間がいて信頼できる隊長がいて、その世界でも充分幸せだと世界を広げることに積極的にはなれなかった。それを咎める者も居なかった。
 そうやってまるで内輪に籠るような、決して外交的ではない性格であったから、皆本のような人間は新鮮で、そして興味深かった。ひどく単純であるのかもしれないが、どこか隊長と似た雰囲気を醸し出す皆本は、超能力者にとって害成す人間ではないだろうと直感的に感じていたから。そして現に不二子も信頼の置ける者として懐いている。仲間以外に対して不二子が本当の笑みを浮かべる相手であるから、兵部も信じることが出来た。
「そう言えば、京介。あなたもあんまり外には行かないわね」
 だからそんなに白い肌をしているのよ。不健全だわ。
 そう嘆く不二子に兵部は咄嗟には反応できなかった。
 急に矛先を向けられたことも理由のひとつだが、兵部の意識の中に不二子の存在はなかった。どうにか最後の嘆きは聞こえたから「ほっといてよ」と言葉を返すことは出来たが、上の空に近かったことは不二子には隠せ切れなかったらしい。
 それまで皆本ばかりを向いていた瞳が、兵部を捕らえて楽しげに煌く。彼女がそんな瞳を見せる時は必ずと言っていいほど良い事がないのだとこれまでの経験上で知っている。一瞬条件反射のように身構えてしまった兵部を見て、不二子の目がちら、と皆本を捕らえる。そして、吐き出される溜息。
「ほんっと、生意気な子ね」
「うるさいな。不二子さんが元気すぎるんだよ。女の子なんだからもう少しお淑やかに」
「あら? 何か言ったかしら? 京介」
「な、なんでもないよっ!」
 どうやら皆本の手前大人しくするらしい不二子に、つい口を滑らせれば言葉も途中で半目で睨まれる。彼女を怒らせない為には早々に折れる事が正しい。下手に言い返せば倍になって返ってくるし、手が出てくることも大半。
 そういう手癖の悪さを直せばいいのに、と思っても大人しい不二子というのも中々に想像し難い。……不幸なことに、ではあるが。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ、京介」
「だからなんでもないってっ」
 思っていただけなのにどうしてこう悟られてしまうのだろうか。これも所謂女の勘というものか。甚だ迷惑だ。
 こっそりと溜息を吐いて、ふとこの遣り取りを皆本はどう見ているのだろうかと兵部は気になった。だからあからさまにならないように自然さを装いながら皆本へと目を向けると、予想外にも確りと目線が絡んでしまった。慌てて直ぐに顔を逸らしてしまうのも不自然であるし、皆本に対して失礼だ。
 どうしようかと表面には出さず、けれどその下で焦りながら考えていると皆本から視線は外された。
(あ――……)
 それは助かったはずなのに、なんだか物寂しい。悲しい、というのが正しいか。昨日会ったばかりで碌に話もしていないのに何故なのか。彼が、超能力者を、自分を個人として認めてくれるからか。怯えることもなく一人の人間として接してくれるから、もっと彼を見て居たいからか。
 兵部にとっては初めて得られた「外部」の理解者に近い。確かに皆本は超能部隊を束ねる隊長の友人であるらしいし、不二子とも知人のようであるから超能力者に対しての耐性というか、接し方については慣れているのだろう。あるいは、皆本にとっては何でもない普通のことなのかもしれないが、兵部はその普通を知らない。
 だから、皆本と接することは新鮮で逆に兵部こそがどう接するべきか、戸惑ってしまう。
 不二子に、仲間にそうするように接すればいいだけなのだろうが、果たしてそれでいいのかと、躊躇ってしまう。あんな失態を見られてしまった昨日の今日で、今更であるのに。それとも、だから、なのか。折角得られた理解者を、手放してしまうようなことだけはしたくない。
「あら、皆本さん。なにか面白いものでも見つけたの?」
 皆本は、兵部から逸らした目を窓の向こうへと向けていた。その先には何もなく、ただ青空が広がっているだけだ。けれど皆本はなにやら楽しげな、微笑ましそうな穏やかな表情を浮かべていた。
 不二子の指摘に兵部も俯き始めていた顔を上げて皆本を見つめる。穏やかに見つめてくるレンズ越しの眼差しは、隊長のそれとどこか似ているようでもあった。
 超能力者であるということだけで忌み嫌われていた自分に向かって「ここに居ていいのだ」と微笑みかけてくれた人。
 その人の表情と皆本の表情とが、重なって見えた。
「羨ましいな、って思ったんだ」
「え?」
 怪訝に返した声は、不二子と兵部のそれとが重なっていた。思わずというように二人して顔を見合わせて、そして皆本へと視線を向ける。
 羨ましい、などと言われたことはない。あってもそれはどこか自分達を蔑むような、皮肉めいた意味でしか使われることはなかった。文字通りに、言葉の意味通りに羨まれたことなどただの一度もありはしなかったのに。
「僕は一人っ子だから。君達が羨ましい」
 それも、やはり皆本は超能力云々関係なく、ただ蕾見不二子と兵部京介という人間を見て、話してくれる。
 もう一度不二子と兵部は互いに顔を見合わせる。兵部は自分の顔が赤くなっているという自覚は勿論あった。どんな理由であっても羨まれるということは嬉しかったし、言外に不二子と兵部の仲の良さを称えられているようで誇らしくもあった。
 それは不二子も同じであったのか、嬉しげに緩んだ唇から茶化すような言葉は出てこない。緩められた唇は引き締められることはなく、けれどどこか恥ずかしげにはにかむような表情は兵部にとって新鮮なものだった。自分に向けるものでも隊長に向けるものでもない、皆本だけに向けるもの。
「それじゃあ、わたくし達のお兄様になって下さらない? ねぇ、皆本さん。京介も、名案でしょう?」
「え、あ……、あ、……うん」
 両手を打ち鳴らしてはしゃぐ不二子に押されるように、けれど兵部は本心から頷く。もし皆本のような兄がいるとすれば。それは考えただけでも胸が高鳴るような気分だった。
 ほんの僅かな時間だった。それでも、兵部は既に皆本に心を預け始めていた。
 だが、皆本にとっては迷惑ではないだろうか。兄になる、とは言ってもどうせ擬似的なおままごとのようなものだろう。実際に本当の兄弟になれるわけではない。それでも、迷惑ではないだろうかと、受け入れてくれるかと不安になる気持ちもある。
 なのに兵部のそんな心配も杞憂に終わるように、皆本は目許を和らげて微笑む。どうして彼は、こんなにも無償の優しさをくれるのだろうか。
「僕なんかでよければね」
「なんか、なんて言わないでよ。言っとくけど、不二子本気なんだから」
「うん。僕も君達みたいな妹弟が出来ると嬉しいよ」
「本当っ」
 華が咲き誇るように不二子の笑顔は明るい。兵部も、口元がむずむずとしたようにくすぐったい感覚に襲われる。それは、決して不快などではなく。
「随分と賑やかだな」
「あ、隊長!」
 来訪者に、不二子が嬉しそうに駆け寄っていく。そして隊長と楽しげに話し始めた不二子の後姿を眺めながら、兵部は椅子から立ち上がると恐る恐ると皆本へと近付く。
 見つめてくる眼差しは優しく暖かくて、ああ本当にこの人は大丈夫なのだと、漠然と思う。
「京介くん?」
「あの、ありがとうございます。不二子さんにも、隊長にも内緒にしてくれて……」
 入り口で話し込む二人へと一瞥を送れば、どうやら話に夢中になっているようでこちらへと意識を向けている様子はない。そのことにほんの少しの安堵と罪悪感のようなものを覚えながら再び皆本へと視線を向ければ、兵部が何を言いたいのか悟ったような表情があった。
 皆本は決して言い触らしたりはしないだろう。それは何と無く分かっていたのだが、けれど、どこかで不安なようなものがあった。信じていない、というわけではなく、それは兵部自身の心の弱さか。
 だがそれらも受け止めた上で、皆本はただ頷きを返す。
「どういたしまして。副作用が気になっていたんだけど、大丈夫そうだね」
「あ、はい」
 首肯してから、兵部ははたと気付いた。もしかして、皆本はその為にこの屋敷まで見送り、誘いも断ることをしなかったのだろうか。昨晩のことを知っているのは皆本だけだ。もし万一何かがあった時、冷静に対処することが出来るのも皆本だけだろう。
 それは兵部の都合の良い憶測にしか過ぎず、皆本の表情からそれを読み取ることは出来ないが、間違ってはいないような気もする。隊長に何か用事があったのも確かだろうが、そう思いたい。
「……質問しても、いいですか?」
「うん。僕に答えられることなら」
「…………僕に打たれた薬は、ただの弛緩剤だったんですか?」
 そう問うた瞬間に、皆本の表情が僅かに険しくなる。レンズの奥の柔らかだった瞳に鋭さが混ざり、兵部は無意識に身体を揺らす。それが自分に向けられたものではないにしても、怜悧なその表情に怯えのようなものが走った。彼は、こんな顔もするのか。けれど、あの時も彼はひどく冷淡な顔立ちをしていた。
 皆本が顔から笑みを消していたのはほんの僅かな間だった。それでもその顔は兵部の脳裏に焼き付けられた。それくらいに、鮮烈だった。
「京介くん」
「はい」
 呼びかけてくる声も、先程までと変わらない。すっかりと緩みかけていた気を引き締めて皆本を見れば、兵部を見つめた後にその視線が横へと移される。その視線の先を追えば、話に一段落着いたのか此方を見つめている不二子と隊長の姿があった。会話の内容は聞かれていない、とは思うが、果たしてどうだろうか。
 小さく椅子の軋む音に兵部が皆本へと目を戻そうとした瞬間、頭の上にぽん、と手の平が乗せられる。そのまま軽く撫でるように手が動き、離れていく。
 呆然と皆本を見上げると、腰を屈めて顔を近付けて来る。近付くその距離に、何故か鼓動が高まる。
「その話は、今度ゆっくり聞かせて欲しい。薬のことは心配ないけど、京介くんは何か心配事があるんだろう?」
 低く抑えられた声に、兵部はただ首を縦に振って返事をする。今ここで皆本を引き止めてまで話をすれば、不二子や隊長に不審がられるだろう。確信も得られないままに不安にさせるのも居た堪れない。ならば皆本の指示に従った方が良い。
 落ち合う場所を皆本はまた小声で指定して、兵部の傍を離れていく。兵部はその背中を見送ることも出来ず、ただその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
 部屋の入り口でされる会話も、兵部の耳には遠かった。
「皆本さん京介と何話してたの?」
「内緒、だよ。男同士の秘密、ってやつ」
「ずるいわ。京介だけなんて卑怯よ」
 どこか茶目っ気を含ませて片目を瞑る皆本に、不二子は不公平だと頬を膨らませる。拗ねる不二子に皆本は小さく笑みを零して、困ったように傍らに立つ男を見る。直ぐにその視線は不二子へと戻されたが、どう宥めるか頬を掻いていると、皆本を困らせることが成功して満足したのか、不二子は彼がそうしたように「冗談よ」と茶目っ気を含ませた笑みを浮かべて片目を瞑ってみせる。
「隊長との話が終わってもすぐに帰らないでよ」
「うん。もう一度顔を出すよ」
 約束を交わして、皆本は呼びに来た男と共に部屋を後にする。室内に残された不二子は閉まるドアを詰まらなさそうに見つめて、ぼんやりと立ち尽くす兵部へと目を向ける。
 そしてただ一言、「つまらない」と愚痴を零した。
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