甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.1-03  

「対応しきれないんだよ、まだ、誰も」
「……?」
 そう呟いた皆本の言葉に、兵部は怪訝に彼の横顔を見る。その視線を感じて皆本は兵部を見下ろすと、自嘲気味にその口元を歪めた。
「君も最初はその能力に戸惑ったはずだ。それでも、それは君自身の力であるしそういう力を持った者は自分以外にもいて、そして認められる環境があったからこそ、受け入れられた」
 噛んで含めるような口調に過去の事を思い出す。
 生まれ付き持っていたこの能力は兵部にとって不思議なものではなかった。寧ろ当たり前のものとして受け入れ、そしてこの力は誰にでもあるものだと思っていた。しかし成長していくにつれて周囲の人達と関わるようになって、この能力は誰にでもあるものではないと気が付いた。
 そして気が付いたときには、既に自分と周囲の間には大きな溝のようなものが生まれていた。
 自分にあるこの能力がその時は疎ましくて仕方なかった。こんなものがあるから自分は他と違ってしまうのだと嫌でしょうがなかった。どんなに上手に能力を操ることが出来たのだとしても、それは何の役にも立たない、ただ兵部を周囲から孤立させるだけの能力でしかなかった。
 自分が周囲とは違うのだと自覚してからは能力は一切使わなくなった。それがどんな能力であれ、その時の兵部には無意味なものでしかなかった。寧ろ、負の効果しか与えることはなかった。
 周囲とも一定の距離を置いたまま過ごす日々が続き、それが変わったのはいつだっただろうか。自分の元に現れた軍人。そこで初めて聞かされた自分以外の、この不思議な能力を持った人の存在。そして与えられた新しい居場所。
 自分の存在を認め、迎えてくれたその人のお陰で、兵部はこの能力を受け入れることが出来たのだ。出なければこの能力を厭ったままであったに違いない。
 助け合い支え合える仲間が居たからこそ、兵部は今こうして此処にいる。
「君達は強い。力を持たない、弱い人間の心もわかってくれ。彼らは自分とは違うものが、怖いんだ」
「……はい」
 誰も彼も心の中に弱さを秘めている。力を持った者は、その使い方を誤ってはいけない。力の無い者は、心の在り方を間違ってはいけない。けれど、それを直ぐに順応させることは難しい。
 誰にでも受け入れられるものと受け入れられないもの、受け入れにくいものがある。直ぐにそれを理解しろと言われても、やはり戸惑いが先行する。そうした心の戸惑いを引き鉄に身勝手な理不尽さを掲げて迫害に転じる。
 だがいつかはきっと、理解してくれる日がくる。そう信じているから、兵部は人を嫌いにはなれない。どんなことをされたのだとしても、いつかは認めてくれるはずだ。そう信じていなければ、何も信じられなくなってしまうし、信じてもらえなくなる。
「皆本、さんは……」
「うん?」
「皆本さんは怖くないんですか」
 自身でそう訊ねておきながら、怖いと返されることに恐怖する。どうしてか、この青年にだけは怖がられたくはない。そう思ってしまう。しかしその半面で、彼ならば受け入れてくれるだろう、という思いもある。
 ほんの僅かな間しかまだ一緒に居ないにも拘らず、この青年ならば否定せずに受け入れてくれるだろうと、そう思ってしまう。
 それは一体どうしてなのだろうか。
「超能力者よりも怖いものは存在している」
「え?」
 返ってきた言葉の意味を一瞬理解しきれずに、兵部は聞き返す。思わず皆本を見上げるが彼は正面を向いたままその顔を動かそうとはしない。どこか遠くを見つめているようなその視線に兵部も顔を正面に戻して、ただ歩き続ける。
「見えるものよりも見えないものの方が怖い。それに、超能力者というものに対して、僕は可能性も抱いている」
「可能性……?」
「そう。人類の可能性。これから先何十何百年という未来で、超能力者は意味のある存在なんじゃないか、ってね。もちろん、この現代にも意味のある存在をしているのだとは思うけど、人類は進化を繰り返して遥か昔から生きてきたんだ。今はその始まりの時じゃないかと、思ってる」
 そう告げる皆本の言葉はこの時は半分も理解することは出来ていなかった。ただ皆本に否定されなかったということが何よりも嬉しくて、それ以外はどうでも良かったのかもしれない。
 見下ろしてくる皆本の浮かべた笑みに兵部も同じように笑みを返した。
 兵部が今暮らしている蕾見の屋敷に辿り着くと、その門の前には二人が来ることを知っていたかのように待ち伏せた人達がいた。
「隊長! 不二子さんっ」
 驚きに張り上げた声に二人は振り向き、男はほっとしたような安堵の表情を、少女は怒ったような険しい表情をそれぞれ見せる。兵部はその不二子の顔にひくりと頬をヒクつかせて、けれど心配を掛けてしまったという自覚があるからか素直に頭を下げる。
 その兵部の行動に怒りを削がれてしまったのか、不二子は小さく溜息を吐くとぐしゃぐしゃに兵部の頭を撫でる。
「まったくもう、心配したんだからね」
「ごめんなさい」
 心配してくれる誰かがいるということは、それが嬉しくもありむず痒くもある。もちろん申し訳ないという気持ちもあるのだが、そうやって自分を待っていてくれる人がいるということが、何よりも嬉しいのだ。
 乱れた髪をどうにか手で整えていると、不二子は漸くその人に気付いたかのように皆本の下へと歩み寄る。それに兵部が彼のことを説明しようとしたが、その言葉は不二子の行動により掻き消えてしまった。はにかむように浮かべていた表情も、不恰好に固まる。
「え……」
 親愛を示すように不二子は皆本へと抱き付き、皆本も背中に腕を回してその身体を抱き止める。見るからに親密そうな二人に、胸が小さく痛む。二人を見ないように視線を逸らしていても、聴覚までは遮断することが出来ない。
 そんな兵部にまったく気付くこともなく、不二子は嬉しそうに楽しそうに皆本を見上げる。
「お久し振りね、皆本さん」
「うん。久し振り。でも婦女子の君が無防備に独身の男に抱きつくのは感心しないなぁ」
「わたくしは皆本さんならかまわなくってよ?」
「ははっ。それは光栄ですね」
「っもう。言っておくけど不二子、本気よ?」
 明らかにからかわれているのだと分かった不二子は、頬を膨らませて睨むように皆本を見つめる。しかしそれでも皆本はただ笑みを浮かべて、抱きついたままの不二子の身体を離させる。
 不二子はそれに仕方ないとばかりの表情で離れると、呆然としているような兵部を振り返る。それに慌てて兵部は表情を繕うが、不二子には見られてしまったらしい。そして恐らくは皆本にも。
「皆本さん説明してなかったの?」
「どうやら君は相変わらずらしいな」
 こちらも親密そうな言葉に兵部は傍らに立つ男を見上げる。この場で状況が飲み込めていないのは兵部だけらしく、それが疎外感を与えてくる。
 たった今まで浮き足立っていたような気分も一気に降下する。成る程二人と知り合いだったのならば超能力者に対してある程度の知識と耐性があってもおかしくはない。何も兵部が特別であったわけではないのだ。
「京介。皆本さんは隊長のご友人よ」
「……なんで不二子さんは知ってたのさ」
 それは小さく呟いたはずであったのに、不二子の耳にはばっちりと聞こえていたらしい。楽しそうな顔をして皆本の傍を離れ顔を覗き込んでくる。
 仰け反るようにして顔を近づけてくる不二子から離れるが、その離れた分の距離もまた詰められる。明らかにからかおうとする表情に止めさせようとするが時既に遅し。
「やだ、京介ったら。嫉妬?」
「ちっ、違う!」
「照れなくてもいいのよ」
「照れてないよ!」
 だがどんなに反論をして見せたところで不二子にはまったく聞こえていないのか、楽しそうな表情を崩そうとはしない。確かに疎外感は抱いたしどうして不二子が知っているのかと思いもしたが、それは嫉妬などではないはずだ。
 皆本も、傍らにいる男でさえもからかう不二子を止めようとはせずにただ見守っているだけ。これでは本当に兵部が嫉妬していたことになってしまう。
 しかしそれは一体どちらに対して?
 そう考えた時に、兵部はぱたりと思考を停止させる。不二子に嫉妬していたのか皆本に嫉妬していたのか、それだけで意味合いは随分と変わってくるのではないだろうか。
 急に相手をしなくなった兵部に不二子はつまらなさそうに頬を膨らませて、改めて皆本と向かい合う。その顔は先程まで兵部をからかっていた顔ではなく、姉としてほんの少し大人へと背伸びしたような、そんな表情だった。
「ありがとう、皆本さん」
「どういたしまして」
 不二子の感謝する真っ直ぐな姿勢が兵部にも伝わってきて、仄かに頬を赤く染める。皆本を見ればただ穏やかにそこに佇んで、二人を見つめている。
 その三人を眺めて、男がゆっくりと口を開く。
「いつまでも立ち話してないで中に入ろう。皆本もどうだ」
「あら、名案ね。ねぇ皆本さん。今日も忙しいのかしら?」
「ううん。お言葉に甘えるよ。丁度お前に話しておきたいこともあったから」
「私にか?」
「お堅い仕事の話は後にしてよ? 話し込むと二人とも長話になるんだから」
「わかった。今日は君達を優先するよ」
 屋敷へと戻っていく不二子と男達の背中を見送っても、兵部は何故か足を動かせなかった。それが錯覚であれなんであれ、確かにそこに見えない線引きのようなものがあった。
 兵部の心の中にふと、暗い感情が落ちる。このまま自分が消えてしまったとしても誰も気付かないのではないのかという、暗い感情。それくらいに誰の意識にも兵部はいなかった。
 けれど急に、皆本が歩みを止めて振り返る。ばっちりと兵部と視線が合うと笑みを浮かべて手を差し出してくる。差し出されたその手に、兵部は戸惑うように肩を揺らす。
「行こう、京介くん」
 呼ばれた名前に何故か鼓動が跳ねる。恐る恐る差し出された手に自分の手を重ねるとしっかりと握り締められる。ただそれだけで沈んでいた気持ちが一気に浮上する。
 認めて、見つけてくれる人が此処にいる。少なくとも今、皆本の世界に兵部は存在している。
 皆本と手を繋いで並んで歩いていると、中々近付いてこない気配に痺れを切らしたのか不二子が振り返る。皆本は兵部の歩幅にごく自然と合わせてくれていた。そんな気遣いすら、受けたことは無かった。不二子はどちらかと言えば合わせるというよりも合わせさせる性格だし、男にはそんな事させられない。
 振り向いた不二子は兵部が皆本と手を繋いでいるのを見つけると、すぐさま戻ってきて逆の腕に自分の腕を絡める。
「抜け駆けはいけないわよ、京介」
「抜け駆けなんかしてないよっ」
「あら、そうかしら? 嘘吐きは泥棒の始まりって知ってる?」
「知ってるけどそれは今関係ないだろ」
「京介の癖に生意気ねっ。お姉様に文句でもあるの」
「不二子さんが言い出したんだろっ」
 皆本を間に挟んで、互いに言い合う。それでもどちらも繋いだ手も腕も離そうとはしない。
 間に挟まれた皆本もただ二人の言い合いを楽しそうに聞いているだけで、それを止めようとはしない。少し先でもそんな様子を男がただ何も言わずに眺めている。
 それはいつも通りの変わらない風景であるはずなのに、ただ一人の存在で心持ちが違う。繋ぎ合った手のひらから伝わって来る体温が、兵部の中の何かを温かく包み込んでいく。
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