甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.1-02  

 目が覚めた時、兵部の身体は見覚えのない寝台の上に横たえられていた。雑然としたような部屋の様子に此処が誰かの部屋だということはわかるのだが、一体何故此処に居るのだろうか。
 気を失う前の記憶を辿ろうとして、ズキ、と走った痛みに頭を押さえる。疼痛は直ぐに治まったが、兵部はただ一点を見つめて動かない。
「目が覚めたようだね」
 聞こえて来た声に反射的に視線を向けると、部屋の入り口の前に青年が立っていた。見覚えのあるその青年に何処で出逢ったのかを思い出そうとして、記憶が蘇ってくる。
 気を失ったあの後のことは分からないが、恐らくはあのまま青年が此処に連れてきたのだろう。それでは此処は青年が使っている部屋なのかと、兵部は悟った。
 ふらつくような身体を起こせば兵部は破れた軍服ではなく簡素な服を纏っていた。この服も青年が用意したものだろうか。確かにあの破れた軍服はもう機能しないだろう。しかし、僅かではあるが兵部には少し大きな服は、決して青年所有のものではないはずだ。彼の幼い頃の時分のお下がりかと考えてみても、服は新品のように綺麗だ。まさか買ってきたのか。
 打たれた薬の効き目は疾うに切れているのか自分で身体が動かせる。動く指先をぼんやりと眺めながら、兵部はそんな事を考える。ならば余計な気を使わせてしまった。助けて貰っただけでも充分なのに、そこまで迷惑を掛けてしまうとは。
 そこまで考えて、兵部ははたと気を失う前のことを思い出していた。
 近付いて来る一つの足音。
 けれど兵部はその足音が誰のものなのか確かめることも出来ずに、ただ意識を朦朧と落としていた。薄暗く閉ざされていく視界が彼の上着に覆い隠されたことは気付けなかった。
「軍内で揉め事は起こすな、と言っていたはずだろう」
 闖入者のその声に、兵部はどこか聞き覚えがあるような気がしていた。しかしそれがどこで聞いたのか思い出せない。ごく身近だったような気もするのだが、薄れ行く意識では考えることも難しいものだった。
 青年が兵部の身体を抱えなおす、その揺れと籠められる力の強さを感じながら、兵部はそれに身を任せていた。この青年が一体何者であるのかなどまったく分かりはしないのに、何故だか腕の中はひどく落ち着くことが出来た。
 それが錯覚であれ一時的なものであれ、不思議な感覚だ。
 誰も彼もが兵部が超能力者であると知ると奇異な表情を向けてくる。幾らその存在が徐々に軍内にも知れ渡るようになったとしても、その存在は奇怪なものでしかないのだ。その上で兵部が幼くして尉官であると知るとますます奇異なものを見るように見てくる。
 そして類稀な超常現象を操るのだと分かると、無理難題を吹っ掛けてくる。まるで何かのショーを愉しむように、実験動物を甚振るかのように、奇異なものに対する畏怖を晴らそうとする。
 洗礼、だった。超能力者達が軍に留まる為に行われる、洗礼。けれど一体どんな権限があってそんな事を行うのか。
 決まっている。ただ、怖いからだ。弱いからだ。だから己が上位に立つ人間なのだと知らしめようと、力を誇示する。強きものを征服して自分が強いのだと知らしめようとしている。それを、認めていたいのだ。
「軍規違反者だ。どうってことはない。こんな人間は居なくなった方がお国の為でもあるだろう」
「その権限がお前にあるのか?」
「それは貴方の仕事だろう?」
 撃たれた者達は皆まだ息はあるのか呻きながら地に蹲っている。それらを眺める青年の表情はこの満月の下であっても読み取りにくい。しかし青年の意識は腕の中の少年にしか向いていないのか、一瞥した後は見向きもしない。
 男と近くを歩いていたら突然消えてしまった青年。その姿を探して茂みへと入ってみれば、男はこの現場に遭遇してしまったのだ。勝手気ままなこの行動は男にもどうも咎めることは出来ない。
 小さく溜息を吐きながら、男はその青年の腕に抱えるものに目をやった。
「……その腕の中のは?」
「可哀想な綺麗な仔ネコ」
「ネコ……ね」
「それより、こいつらのこと任せてもいいか? そのお礼と今日の埋め合わせはまたするからさ」
 どこか子供のように無邪気に、けれど有無は言わせない表情に男は小さく嘆息する。初めて知り合ったときからこの青年に振り回されてばかりだ。その関係を覆せたことはない。
 それに今此処で青年のその言葉を無下にする必要も無いだろう。青年がどれだけの誠意を持って礼と埋め合わせをしてくれるのか、それも楽しみだ。
「わかった。お前はネコを連れて早く帰れ」
「助かるよ」
 ザッ、と砂を蹴って遠ざかっていく足音に、そこで兵部の意識は途絶えた。二人の会話はただ耳を通り抜けていくだけで理解は出来なかった。出来ていたならば少なくとも、ネコではない、と言葉を挟むことは出来ていただろう。
 だがそう言葉を返して誰とも分からない人物に自分の正体をバラしたくはない。やはりあの場では、言葉を挟まなくて正解だったのか。あれも青年なりの気遣い、だったのか。
「まだ身体が辛いのなら休んでいるといい」
 急に掛けられた青年の声に、兵部ははっと回想から意識を引き上げる。
 どうやら自分の手を見下ろして黙り込んでいるのを、体調が悪いのだと思ったらしい。
 兵部は直ぐに顔を青年へと向けると大丈夫だと首を振った。あれからどれ位の時間が経っているのかは分からないが、このまま此処にいるわけにも行かない。中々帰って来ない自分を心配して、あの人達が探しているかもしれない。
 こんなことならばあの時素直に頷いてあの人と一緒に帰っていればよかった。迷惑を掛けたくないからと手を払って、それで迷惑を掛けていたら意味が無い。
 今更ながらに自分の軽率な行動に後悔する。軍はまだ兵部にとって居心地いい場所ではない。それは充分に分かっていたはずなのに。
「あ、あのっ。僕、帰らなきゃ……っ」
「屋敷には僕が連絡を入れてあるよ」
「え――?」
 慌てて寝台を降りようとした身体が、中途半端に止まる。今彼はなんと言っただろうか。
 凝視するように青年を見つめていると、ゆっくりと寝台に近付いて来る。そうして手を伸ばして頭を撫でられ、兵部は無意識に肩を竦ませる。
 その瞬間、頭の中で考えていたことが綺麗に掻き消されていく。
(――)
 青年の手は、酷く優しい手つきだった。労わるように慰めるように優しい。そんな手つきで触れられたことなど、兵部はただ一人以外になかった。だから咄嗟に、兵部はその手を振り払っていた。
 渇いた音が響き、遅れて振り払った手がじん、と痛む。でもそれは青年も同じだっただろう。振り払ってから兵部は我に返り、しかし何か言葉を取り繕うとしても言葉は出てこなかった。
 けれど青年は怒るでもなく、ただ払われた手を引いて淡く微笑む。
 どうして、そんな表情が出来るのだろうか。
 どうして、謝らせてくれないのだろうか。
「貴方はご自身が軍内でも有名であるという自覚はおありですか。兵部少尉殿」
「ッ」
 からかうのではない、淡々としたその声音にビクリと身体が竦む。ツキ、と痛んだ胸に兵部は無理矢理蓋をして気付かない振りをする。
 相手が兵部のことを知っているのなら、それを知っていても当然のことだった。隠しているようなことではないし、隠そうとしてもどこからか情報は漏れてしまう。しかしそれも仕方の無いことだとは分かっていても、何故かそれを青年には指摘されたくはなかった。
 兵部の動揺にも気付いた様子はなく青年は淡々と言葉を続ける。
「もう夜も明けていますし、屋敷までお送りしますよ」
「あ……、待ってっ」
 踵を返し部屋を出て行こうとする青年を、兵部は慌てて呼び止める。青年は直ぐに歩みを止めて兵部を振り返る。それが、その行動が上官の下した命令であるからかと考えて、また胸が痛む。
 兵部とて好きでこんな地位を授かっているわけではない。そんな事は滅多に言うものではないと既に忠告も受けているが、それでもそう思うのだ。自分がただの子供であるということは痛いほどに分かっている。そしてそんな子供に命令されるのが嫌だと思う人間が大勢居ることも。
「名前、教えてください。それと、……普通に話してくれませんか」
 拒絶されるか、受け入れてくれるか。
 青年の顔が見れずに僅かに視線を逸らすと、その視界の端で青年の姿が消える。やはり拒絶されてしまったかと顔を下げていると、下げた視界の中に青年の手のひらが映った。
 呆然とそれを見つめ青年へと視線を移すと先程と同じように、笑みを見せられる。
「皆本光一です。よろしく」
「あ……。兵部、京介……です」
 恐る恐る手を差し出すと、皆本のしっかりとした手のひらに握り締められる。同じ強さで兵部が握り返しても、皆本は微塵も嫌な顔をしない。
 兵部のことを超能力者だと知って、それでも普通の人間と変わらず接してくれる人はそういない。誰もが怖がって、浮かべる表情も上辺だけのものなのに、皆本は違う。
 そう言えば彼は、男達に襲われていた兵部を助けて、介抱してくれたのだ。あのまま放っておくことも出来たはずなのに、皆本は助けてくれた。
「あの、皆本さん」
「うん?」
 寝台から降りながら、兵部は皆本を見上げる。ただ一人の人間として相手をしてくれているように、皆本は視線を下げて兵部と眼を合わせてくれる。極端な者の場合、目も合わせようとしてくれないのに、彼は自分という存在を認めてくれている。
 それが嬉しい。
 しかし兵部には、気になることがあった。それを確かめなければならない。
「……あの人達は、どうなったんですか?」
「ああ、あいつら……。死んではないよ。ただ暫くは独房入りかな」
「そう……ですか。あ、あの、皆本さんは、大丈夫なんですか?」
 少なくとも皆本はあの場で一人に負傷させている。その後もどれだけの怪我を負わせたか知らないが、あの場に居た五人全員ともが負傷しているはずだ。男達が皆本のことを口にすれば、皆本とてただではすまない。
 それにあの後現れた人物は――。
 そう皆本の心配をしていると、皆本は口元に笑みを浮かべる。少しも気掛かりにしていない、そんな表情を兵部に見せる。だが、発した言葉はそんな表情とは裏腹だ。
「軍は綺麗事だけでは成り立っていない。それは君にも分かるだろう?」
「……はい」
 それ以上は兵部は踏み込んではならない。たとえ兵部が被害者であっても、だ。あの件は皆本が介入して来た時点で既に終わり、そしてそれ以降は兵部とは無関係のことだ。あの時兵部は、皆本に全てを任せてしまったのだから。
 皆本は今後も兵部にこのことに関して何も言うことはないだろうし、兵部自身もこの件で何か咎められることもないだろう。しかし、皆本はこの事について一つだけ情報を教えてくれたことがある。
 それは、今回のことが非正規に、内々に処理されたということだ。多少の理不尽も上層の命令であれば逆らうことも出来ない。少なくとも、佐官以上の地位の者が動いているということは確かだった。
「さぁ、送ろう」
「……ありがとうございます」
 しかし、それだけの権限を駆使することの出来る皆本は一体何者なのだろうか。それにそもそも、何故皆本はあの場に居たのだろう。その後に現れた男も、だ。
 あそこは兵舎からも軍本部からも離れた場所だ。近付こうと思わなければ行かない場所で、兵部も本部から帰る途中であの男達に捕まり連れて行かれたのだ。
 それを、今思い出しただけでもぞっとする。男達の顔に見覚えはなかったが、恐らく軍内演習に参加していた時に兵部のことを見知ったのだろう。兵部の能力のことも知っていたから、間違いはないはずだ。
 超能力は万能であって万能ではない。だがそんな事は、超能力を持たない彼等が知るはずはなく、また関係もないのだろう。彼らにとって超能力者は不可思議な超常現象を自在に操ることの出来る化け物、だ。その括りから出ることはない。
 そのことを痛感するのは何も今回が初めてというわけでもない。しかしだからこそ、この理不尽さが遣り切れない。
 どんなに兵部達が一生懸命やっていようと、超能力者なのだから当たり前だ、と見られてしまう。そんなことはないのに、やはり彼らはそれを知ろうとも分かろうともしない。
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