少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 14  

 1週間振りの再会を果たした皆本とチルドレンを上空で見つめていた兵部は、背後にやってきた気配に首だけで振り返る。
 その表情には、たった今まで浮かべていた寂寥の色などどこにもない。普段通りの、表情。
「ご苦労様、みんな」
 現れたのは真木、紅葉、葉の3人。それぞれが複雑そうな表情を浮かべているのは、その心に拭いきれない不安があるからだろう。
 けれど兵部が彼らを労わるようにふっと目を細めて微笑むと、一様に安堵するような雰囲気を伝えてくる。
「超能力者達の収容は終わりました。後は我々だけです」
「そ。じゃ、帰ろうか」
「……よろしいのですか?」
 あっさりといつものように告げる兵部に、真木は気遣わしげに訊ねる。地上に居る4人の姿。兵部は今までそれを見つめていたのではないか。未練を残すように、今にもあの青年の元に行きたそうな顔をして。
 兵部は問い掛けてきた真木をただじっと見つめて、そして苦笑するように笑う。その胸に複雑な思いを抱えながらも、彼らなりに理解しようとしているのか。こんな、自分自身でさえ分析しきれない複雑な感情を。
 ならばいっそ、あの時のように糾弾してくれればいいのに、彼らはそんな事はしない。優しさというものも時と場合によっては痛いものだと、兵部は心中で嘲う。
「いいんだよ」
 ただ、兵部はそれだけを告げる。少なくともこの状況で兵部が出て行く必要はない。地上に目を落とせば、仕方がないとでもいうような格好を取りながらも嬉しそうにチルドレンの相手をしている姿が見える。折角の再会を邪魔してやるような無粋な真似はしない。
 3人の頭をそれぞれくしゃ、と撫でて、兵部は停泊する船に向かう。だが不意に身体を止めると、3人に先に行くように促す。兵部の視線の先には一つの人影があった。
「我々も残りますが」
「大丈夫だよ。僕に用があるみたいだし。すぐ戻るから」
 有無を言わさない雰囲気に真木は小さく息を吐く。何と言葉を重ねても兵部は首を縦には振らないだろう。わかりましたと渋々了承し、真木は兵部を置いて先を急ぐ。視線だけで紅葉と葉を促して、その場には兵部だけが残る。
 そしてその場に、誰かが近付いてくる。その人物を、兵部は笑みで迎える。
「久し振りだね、不二子さん。計画通りに事が進んだ感想はどうだい?」
「あら、何のことかしら。不二子わかんない」
 白々しく首を傾げてみせる不二子を兵部は表情を崩さないまま、眺める。笑みを浮かべてはいるが、不二子を歓迎しているわけではない。そして、今回のことについて何も感じていないわけでもない。
 首を傾げていた不二子も、その白々しさを偽るのにも飽いたのか、溜息一つ吐いて姿勢を改める。兵部と正面から対峙して、真っ直ぐに見据える。
「とんだ番狂わせだよ。どうしてくれるんだ?」
「元々はあなた自身が蒔いた種よ」
 図星を突くその指摘に兵部はムッと顔を顰める。不二子の言葉を否定するだけの言葉は持たないが、それでも兵部が描いていた未来にこんな事態はなかった。……いや、あえて考えようとしなかった、のかもしれないが。
 兵部とて何も考えていなかったわけではない。皆本との関係がどれだけ不毛なものか。無益なものなのか。いや寧ろ、これは互いの立場を危うくしてきっとマイナスな面しか齎さない。
 何も実ることはない。報われることも決してない。
「いつまで意地を張ってるつもりなの」
「……意地?」
 不二子の言葉に、兵部はぴくりと眉を動かした。その感情の色の無い低い声に不二子は一瞬たじろぐものの「そうよ」と頷きを返す。
 いつだって同じ議論の繰り返しとなる。それもそうだ。兵部と不二子では過去の出来事の捉え方が違う。あれはそう簡単に割り切れるものではない。不二子は兵部ではないから、あの時のことを何も分かってはいないから、そんな事を言えるのだ。そして、これからのことも。
 結局普通人と超能力者は相容れない存在でしかない。歩み寄ることなど到底不可能。どんなに優しく甘い言葉を紡いでいたとしても、結局最終的には裏切る。悲劇は繰り返される。
「悲劇は起こらない。皆本君とあの人は違うのよ」
「同じさ。結局ね。彼は女王を撃つ。この未来は変わらない」
「変わるわ。そんな未来は起こさせない。あなただって、皆本君のことを認めているんでしょう!?」
 感情的になる不二子に、兵部はあくまでも冷静なままだった。
 もう幾度も幾度も未来を視てきた。だけど誤差の範囲内でしか未来は変わってはいなかった。根本的な、兵部が最も注目しているあの悲劇は、変わらない。変わることが、ない。まるでこれは定められた運命だとでも言うように。
 兵部だとてもしかしたら、と考えた。兵部と皆本の関係が、何か未来に齎すものがあるのではないかと。しかし結果はどうだろうか。何も変わらない。どんな影響も与えていなかった。あの未来で薫が死んでしまうのを止めさせたいのに、何も変わらない。
 争いの引き鉄は、どこにあるのか。兵部と皆本の距離が近付いても未来が変わらないというのは、それはつまり二人の影響外のところで勃発してしまうのだ。そしてそれは回避できない。必然的に、巻き起こってしまうこと。それが勢いを増し、最終的に普通人と超能力者の世界的な争いにまで拡大してしまう。
 まるで戦争だ。歴史は繰り返される。違うのは、敵対し合うものが何であるのか。多大な被害を出し、これが無意味なものであるのだと眼前に叩き付けられるまで、続く。
 戦争の終着はどうだったか。結局は力有る者が力無き者を御す。それは当然の摂理だ。力無き者は地に伏すしかない。
「認めてなんか……。一緒に居ると退屈しないからね。遊んでるだけさ」
「嘘よ!」
 即答で返される言葉に兵部は不機嫌に顔を顰める。
「不二子さんに何が分かる?」
「わかるわよ、あんたと皆本君を見てれば! その台詞皆本君に向かって言ってご覧なさいよ」
 そう、言ってしまえば。
 きっと傷付いた心を騙して、隠して、我慢して、誤魔化すだろう。そして、否定することなく頷く。「そうだね」と詰ることもせずに、彼は兵部の言葉を受け入れる。
 愚かなほどに優しい心の持ち主。けれどそれは、優しさなんかじゃない。ただ自分が傷付きたくないだけの、自己防衛。ずるい、選択。
 暗く、表情を落とす兵部に不二子は内心で溜息を吐く。そんな顔をするくせに、どうして意地を張り続けるのだろう。
「未来は変わるわ。あんたが変われば、変わるのよ」
「無駄だね。普通人を憎む超能力者は僕だけじゃない」
 そう言葉を返す兵部はもう普段通りだった。飄々として、けれどその双眸には普通人への憎しみを滾らせている。
 兵部の言葉は、真実だ。だからこそ兵部の下に集う同志がいる。普通人を襲う超能力者犯罪者がいる。そしてその逆にまた、超能力者を憎む普通人もいる。だから「普通の人々」なる者達や超能力者排斥集団が後を絶たない。
「不二子さんが思ってること、やろうとしていること、それは限りなく夢物語だ。理想は実現しない」
「そんなことないわ! 未来は変えられる。やってみなくちゃわからないでしょう!?」
 いつまでも話は平行線を辿るしかない。決して交わることの無い、思想。
 荒げられた声に兵部は感情を高ぶらせることもなく、静かにその言葉を甘受する。そして、その口元を緩く釣り上げる。
「ねぇ、不二子さん」
「なによっ」
「不二子さんは、何を変えようとしているんだい――?」
「え――……」
 不意を衝かれたように目を見開く不二子に兵部は笑みを返して身を翻す。これ以上は保護者気取りの子供が痺れを切らしてやってくるかもしれない。まったく随分と生意気に育ったものだとくすりと笑みを零して、不二子を振り返る。
 憮然とした表情を浮かべる不二子はどうやら今は見逃してくれるらしい。いやあるいは、兵部の放った言葉の真意を探り、それどころではないのか。
「さよなら、姉さん」
 ひらり、と片手を振って兵部は島を離れ始めた船に向かう。最後にもう一度だけ地上の様子を窺って、決意を固める。
 もうこれ以上は、無理かもしれない。

 兵部が船に戻ると、甲板できょろきょろと辺りを見渡す少女の姿が目に入った。何かを必死に探しているようなその雰囲気に、兵部は怯えさせないようにそっと近付く。
「どうしたんだい?」
 声を掛けると少女はビクリと身体を震わせて、兵部を見上げる。
 見知らぬ相手に声を掛けられたことで怯えたような表情を見せるが、兵部が安心させるように微笑んでやるとほっと安心するように警戒を解く。そしてしゃがみ込んで視線を合わせてきた兵部に、少女は必死に言い募る。
「お兄ちゃんがいないの」
「お兄ちゃん? 君のかい?」
 辺りに視線を配って、兵部は問い掛ける。甲板には少女と同年代くらいの少年は多い。その中から探し出すことが出来なかったのかと、そう考えたが少女は違うと首を振る。
 もしかして船に乗り遅れた子供がいたのか――。いや、彼らがそんなミスを犯すとも思えない。では誰のことなのだろうか。
「メガネのお兄ちゃん。あのお兄ちゃんと一緒に居たの」
 少女の指差す方向には葉の姿がある。退屈そうに甲板から海を眺めていた葉は、向けられる視線に気付いたのか緩慢に振り返り、首を傾げる。
 複雑そうな顔をして手招く兵部に、葉はふわり、と身体を持ち上げると二人の前に降り立った。途端にぎゅ、っと服を握り締められて、葉は少女を見下ろす。
「お兄ちゃん、どこ?」
 泣き出しそうな少女の様子に、葉は戸惑うように兵部を見る。少女のことは葉も見知っているが、その「兄」のことなんて分からない。
 困惑したような葉に、兵部は一瞬躊躇ってから、その名前を口にする。葉と共に行動していた、皆本の名を。途端に、葉の顔が不快に歪む。
 少女が求めているのは、皆本で間違いは無い。念の為とこっそりと見させてもらった少女の表層には、皆本の姿があった。恐らくは兵部が碓氷と対峙していた時の一幕だろう。全く彼は簡単に少女の心を射止めてしまう。チルドレンといい、澪といい、彼女といい。
 心内で一人ごちる兵部を他所に、変わらず葉の顔は固いまま。
「……アイツに、会いたいのか?」
 葉にとっては憎むべき普通人。未だにあの時の殺意が収まっているわけではない。邪魔が入らなければきっと「壊して」いたに違いない。その後に兵部に何と言われようとも、皆本がどんな存在であっても、葉にとってはただの普通人の一人にしか過ぎない。
 少女にとってもそれは変わらないはずだ。自分達を閉じ込め非道な行いを繰り返してきた憎む相手ではないのか。
 しかし少女は何の躊躇いも無く、頷く。そこに皆本に対する敵意も何も見えない。
「お兄ちゃん、わたしのことぎゅってしてくれたもん。大丈夫だって、ごめんって言ってくれたもん! お兄ちゃんは嘘吐きじゃない。わたしわかるもん!」
 必死にそう言い募る少女に、葉は言葉を詰まらせる。人は簡単に人を騙せる。嘘を吐くなど容易いことだ。けれどそう、少女に言葉を返すことは躊躇われる。
 葉が口噤んでいると、黙って様子を眺めていた兵部が見兼ねて仲裁に入るように興奮する少女の頭を撫でる。少女の視線が兵部へと移ると、葉はひっそりと胸を撫で下ろした。しかし、胸の内に溜まる澱が消えたわけではない。
「彼に会いたいかい?」
「会いたいっ……!」
「じゃあ、今度会わせてあげるよ。でも、今日は無理なんだ。我慢できるかい?」
「少佐――!?」
 何を言い出すのか、葉は咄嗟に声を上げる。けれど兵部に一瞥されてまた口噤む。
 わからない、わけではないのだ。葉が、周囲が何と言おうとこの少女は皆本に気を許し求めている。それを葉が阻む権利は無い。パンドラは確かに超能力者解放の為の組織ではあるが、普通人排斥の理念を押し付けているわけではない。
 それでも葉が受け入れきれないのは、それが皆本に対して向けられているからだ。子供染みているとは充分に分かっている。ただ純粋に、あの男が気に入らない――。
 兵部は立ち去る葉を横目に見送りながら、嬉しそうに頬を綻ばせる少女にふっと目を細めた。
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