少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 10  

 ねっとりと絡み付いてくるような視線を送ってくる碓氷に皆本はふっとその口元に笑みを浮かべる。途端に弾けるように、皆本は笑い出す。
「――あぁ、傑作だ。可笑しすぎて片腹痛くなる」
 目の前にいるのは、皆本本人に違いは無かった。けれど、どこか違和感を訴え掛けてくるような、声。聴覚に刺激を与えてくるその声は、まるで別人のような気配を碓氷に訴え掛けてくる。
 視覚と聴覚とで得る皆本の情報が、噛み合わない。
 くつくつと顔を俯かせて笑う皆本に碓氷は困惑に双眸を揺らす。これは本当に皆本なのだろうか。頭の奥で響く警告音。だがその正体を掴み取れない。
 それまでこの部屋の中を支配していたのは碓氷だった。しかしそれが、皆本へと移行する。
「皆本……?」
「お前はさっき、何故皆本光一の部屋に兵部京介の髪の毛が落ちていたのか。納得の行く理由を説明しろと言ったな」
「……それがどうした」
 皆本の言葉に返す碓氷の声は、硬く強張っている。身体が無意識の内に何かに怯えるように震え出し、それを隠すように碓氷はきつく拳を握り締める。爪が皮膚に食い込み血を滲ませ始めたことにも気付かないほどに、強く。
 俯かせていた顔を皆本は上げる。その口元は楽しげに弧を描き出していた。
「説明してやるよ、納得いく理由を」
 皆本がそう告げた瞬間に、碓氷の目の前で皆本の身体が揺れ動く。瞬きの内に、変わり果てた姿。その姿に碓氷は愕然と眼を見開く。
「お、まえ――!」
「単純なことだ。僕が皆本光一の部屋に居たんだから」
 そう言って悠然と目の前で微笑んで見せるのは、パンドラのリーダー・兵部京介その人だった。
 まるで悪戯を成功させた子供さながらの表情で、兵部は腰を上げた碓氷に笑いかける。浮かべられた笑い顔。しかしその瞳は暗く濁り感情が見えない。
 現実を受け止め切れていないように呆然とする碓氷に対して、兵部は浮かべていた笑みを深める。
「全く気持ち悪いものだね。人の髪の毛まで採取するなんて」
 癖の無いその髪を指に絡めて、兵部はくすくすと笑い声を立てる。からかうように楽しげな声は、まさに兵部の心情を表しているようだった。楽しくて仕方が無い。そんな感情がありありと表れていた。
 だが碓氷は、突然目の前に現れた兵部に対して何も言葉を発せずにいた。それもそうだ。それまで目の前にいた人物が突然誰か別人に――しかもそれが忌み嫌う超能力者に変わったのだから。
 碓氷は音を立てて唾液を飲み込むと上げた腰を椅子の上に戻す。突然の出来事であっても、未だに目の前で起きた現象が信じられなくとも、それ以上取り乱さないだけの判断力は未だ残っていた。その残った判断力で、碓氷は画策する。どこかに状況を逆転させるだけの材料は、あるはずだった。
「どうしてお前が此処に居る――。兵部京介」
「やだなぁ、僕最初から此処に居たのに」
「…………催眠能力、か」
 自嘲するように呟いて、クッと口元を歪める。催眠暗示を掛けられていたのならば、これまでの会話は全て皆本とではなく兵部と行っていたと言うことなのか。皆本を相手にこれまで話していたつもりだったのが、実は自分がこれから利用しようとする超能力者の首領と話していたとは。なんと滑稽なことか。
 しかし、一体いつ入れ替わったのか。この部屋に連れてくるまでにそんな暇は無かったはずだ。
「どこから、だ? いつ入れ替わった」
 最初から此処に皆本光一など来て居なかったのか。けれど、採取した指紋も髪の毛も皆本本人のものであった。データベースを予め弄られていたのであればそれも何の証拠にもならないが、確かに皆本の部屋からは二人の人物の存在が確認されているのだ。それは揺るぎない証拠。
 では途中からであったとしても、これが初めてとなるのか過去にも入れ替わりはあったのか。だがそもそもの問題もある。
「どうやって此処に入ってきた。此処は常時ECMが作動しているはずだ。外部から超能力者が入れるはずが無い」
「そんなの、教えてやる義理はないね」
「そう、か……。なら――、死ねッ。兵部京介!」
 素早く抽斗から銃を取り出すと、碓氷は躊躇いも無く引き鉄を引く。部屋に銃声が響き、硝煙が漂い火薬の匂いが広がる。一発では飽き足らず装填されていた弾全てを打ち込んで、碓氷は肩で息をする。
「こんなものなのか、他愛ない」
 崩れ落ちる身体。それを見届け椅子の背に深く身体を預けて、背後に漂う気配に音が出るほどの勢いで振り向く。
「ほーんと、他愛ないねぇ」
 落とされる楽しげな声に、息が詰まった。碓氷の背中には、銃で撃たれたはずの兵部が立っているのだ。確かに碓氷の眼には兵部が6発の銃弾を喰らい倒れていく様が見えていた。
 しかし今確認してみれば、そこにはただ無残に穴の開いた学生服が落ちているだけだ。そして通り過ぎた壁の向こう側に、弾痕が見える。
「…………また催眠能力、か」
 疲れきったように、碓氷は呟く。超能力者相手に普通の銃が効かないことなど分かっていたはずだ。それでもやはり、どこかで冷静になりきれていなかったのだろう。赤子のように簡単に踊らされるその現実に、碓氷は愕然とする。
 一気に年老いてしまったかのように憔悴する碓氷を兵部はただ何の感慨も無く見つめ、また部屋の中央に戻る。詰まらなさそうな表情で学生服を拾い上げて、穴開きとなったそれを右肩にかける。使い物にはならないだろうが、このまま残しておくことも何と無く出来なかった。
「馬鹿だなお前も。単身こんな所に乗り込んできてどうする気だ」
「残念ながら僕は何処かの誰かさんと違って慎重派でね。既にこの施設はパンドラに乗っ取らせて貰ったよ」
 兵部の揶揄する人物が誰であるのか直ぐに分かったのか、碓氷は口元を覆うようにして低い笑い声を立てる。超能力者犯罪者である兵部がこれまで碓氷の話を大人しく、皆本の振りをし続けて聞いていたのにも理由があったのか。
「成る程。……俺はまんまと嵌められたというわけか」
「聞分けがよくて助かったよ。今頃は僕の仲間が何処かに閉じ込めてくれてるだろうね。君達の研究成果も消させてもらったよ」
「……これまで十何年積み重ねてきたものが一気にパァ、か。停電の騒ぎもお前らが仕込んだことか。通りで皆本を調べても何も出てこないはずだ」
 停電時、確かに皆本にはアリバイがあった。それをどう崩そうとしても、自分達の仕掛けたセキュリティが裏目に出て何も掴む事が出来なかった。そしてその時は未だパンドラと繋がりが在ることも分からず、皆本単独のものだと思っていたのだが。
 採取した髪の毛が兵部のものであるとわかったのも、つい先ほど。だから碓氷は皆本が研究室に向かう前に捕まえようと思ったのだ。その事実を知る者は、碓氷しかいない。
「あの騒ぎは何の為に起こした?」
 一見無意味としか思えない騒ぎだ。
 だが、ただ悪戯で済ませられる問題でもない。
「さあ? 単なる暇潰し、かな。案外簡単にいってつまらなかったけどね。でもまあ、それに踊らされる君達を眺めているのは少しは退屈も紛れたけど」
 けれど、あっさりと告げられる内容は裏を見せない。それが事実であるのかでまかせであるのかは、碓氷には判断できない。しかしそれ以上聞き出すこともまた出来ないのだろうと、碓氷は息を吐く。
「……殺すのか、俺も」
「さぁ? そんなことより、集めた超能力者はあそこにいるだけ?」
「ああ」
 頷いてから、碓氷はクッと喉を鳴らす。
「だが無駄だ。この島からは出られん」
「リミッターなら此処で解除していく。僕達が脱出するまで、職員は誰一人逃がさない」
「違う、そうじゃない」
 緩く首を振る碓氷に兵部は怪訝に顔を顰める。未だ何か懸念すべき事項があるのか。射るように見つめてくる兵部に、碓氷は鼻を鳴らして応える。
 そうして取り出したのは、何かの小型のスイッチ。
「俺だっていつかはこうなるかもしれないと考えていなかったわけじゃない。このスイッチを押せば、島は沈む。脱出できたとしても波に呑まれれば終わりだ」
「要はそれを押させなければいいんだろう?」
「更にもう一つ。もし研究所内で何か想定外の出来事があった場合、自動的に島中に仕掛けた爆弾が爆破する。銃声が響いてまだそう時間は経っていないか。だが確実に爆弾は爆発する仕掛けに――っ、ッぅ」
 それを聞いた瞬間に、兵部は碓氷の身体を壁へと叩きつける。しかしそうしている間にも、兵部の耳に遠くから爆発音が聞こえて来た。距離的には島から遠い位置のものが爆発したのだろう。だがだからと悠長にもしていられない。
 兵部は碓氷の手から離れた起爆スイッチを踏みつける。念動力で壁に押し付けた碓氷へと近付き、更に腹部へと衝撃を与える。
「ぐ、ぅっ!」
「言え。爆弾は幾つだ。どれくらいの間隔で次が爆発する」
「ふっ、その間に助け出す気か?」
「聞かれたことだけに答えろッ」
 掠れた声で、それでも強気な態度を見せる碓氷に、兵部はその身体を今度は床へと叩きつける。どこかの骨をやられたか鈍い音がし呻き声を上げたが、そんなことに眼中は無い。
 足元で苦しむ碓氷を冷たく見下ろして、言葉を吐き出させる。
「言え」
 凄みを増した兵部の表情に、碓氷の身体に悪寒が走る。
 己の死を予感するような、肌が粟立つ程の戦慄。
「全部でに、じゅぅ……、っ、い、っぷん毎に、……爆破する」
「解除の方法は」
「……な、い……っ」
「じゃあリミッターは! 外す方法は無いのかッ」
「ない……。外すことは、視野に入れてない、からな……」
 碓氷の思考に触れてみても、それが偽りではないことをただ証明するだけだ。苛立たしげに舌を鳴らして、兵部は叫ぶ。
「聞こえたか! 真木、紅葉、葉! 施設に被害が及ぶまでは約10分。爆弾は放っておけ、救出が最優先だ! 皆本にもそれを伝えろ」
 こういう事態にならない為に動いていたはずだった。なのに一体どこで読み間違えてしまったのだろうか。
 これだから、普通人は嫌いなのだ。卑怯で小賢しくて、自身の犯したものであっても無関係なものを巻き込もうとする。力ないくせにこういうことは妙に狡猾で、巧妙。無謀とも思える荒業に出るのは、失敗はイコール死と考えるからだ。失敗の時のことを頭に入れないから、どこまでも残酷に無慈悲になれる。
 しかしそれは、何も目の前にいる男に限ったことじゃない。本気で目的を果たそうとする時、誰もがその命すら賭す事が出来る。
「無駄、だ……。施設に何人、エスパーが、いると……。リミッターひとつでも、時間、が……」
「黙れッ!」
「たとえ、今からプログラムを変えたとしても、……あれは俺のオリジナルだ。解除は、不可能だ」
「そんなものやってみなきゃわからないだろう」
 忌々しげに吐き出して、兵部は踵を返す。本当ならば此処で碓氷に止めを刺してやりたい。自らの手で止めを刺さなければ気が治まらない。
 なのに何故、背を向けるのか。どうしてこんな悔しい思いを抱きながらも皆本との約束を律儀に守ろうとしているのか。
「チッ」
 無意識に兵部は舌を打つ。
 だから、生温い遣り方では気が済まないのだ。徹底しなければ意味が無い。たとえ囚われた超能力者達を救い出したとしても、納得行く結末じゃない。有耶無耶のままでは終われない。
 だが兵部はその苛立ちを抑えて部屋を出る。手を下さないのはこんな人間に何の価値もありはしないからだ。これは決して皆本との約束を守っているわけじゃない。
 しかし、兵部が部屋を出た瞬間に、閉ざされた部屋の中で響く一発の銃声。何かが崩れ落ちるような物音。
「――くそっ!」
 八つ当たりのように辺りに念動力をぶつける。
 遠くでまた、爆発音が響いていた。
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