少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

戻る | 目次 | 進む

  愚か者の見た夢 09  

 皆本が研究施設に滞在する、最終日。今日一日が終われば、明日早朝にこの島を出る事になっている。
 普段通りにスーツに着替えその上に白衣を羽織る。首からIDカードをぶら下げて出る準備をしていると、不意にドアをノックする音が聞こえて来た。
 早朝に部屋を訪ねてくるとは珍しい。そもそも、これまで皆本の部屋を訪れてきた者はいない。どうせ一日研究室で顔を合わせるのだ。わざわざ部屋を訪ねるまでもなく、研究室にいれば必然的に顔を合わせることになる。
「はい……?」
 怪訝に思いながらも皆本はドアを開ける。そこには、自分と同じように白衣を着た男が立っていた。
「碓氷? どうしたんだ?」
「話があるんだ。今からいいか」
 伺いを立てるようであっても、そこからは断れる雰囲気は伝わってこない。頷く事を前提とし、有無を言わさないような雰囲気に皆本も自然と表情を引き締めて、頷く。
 辺りに人気はない。それもまたいつものことだ。静かな廊下を、皆本はただ黙って碓氷の後を着いて歩く。研究室とプライベートルームは階数こそ違えど同じ建物内にある。その足を、碓氷は研究室のある階下に向かうのではなく階上へと向ける。そこから先は、皆本は行った事がない。いや皆本だけではなく、此処の研究員達は皆上がったことは無いはずだ。
 だがそこを、碓氷はなんの躊躇いも無く歩き慣れているように歩く。二人分の足音だけが廊下に響き、碓氷は突き当たりの部屋の前でその足を止める。扉を押し開いて皆本に入るように促せば、背中で重厚なドアが音を立てて閉まる。
 碓氷はゆったりとした足取りでこの部屋に唯一存在する椅子に向かい、腰掛ける。
「なぁ、皆本。俺が何言いたいのかわかるよな?」
 皆本と対峙する碓氷はその身体を椅子に沈め、試すような視線を送ってくる。その姿は、研究室で見る姿とは全く違っている。冴え冴えとしたその表情から思考を読み取ることは難しいだろう。
 だが皆本は顔色一つ変えずに、寧ろ碓氷のそういう本性を知っていたかのようにただ平然とそこに立っている。この部屋周辺の人払いをしてあるのか二人以外の人の気配はない。調度品も置かれていないその部屋は殺風景にただ一組の机と椅子があるだけで、その椅子も碓氷が使っているから皆本は部屋の中央に立ち尽くしたまま。
「何のことだ? 先日の停電騒ぎの件なら終わったことだろう?」
 原因も何も分かってはいないものではあるが、あれはあれでもう終わってしまった話だ。それ以降皆本には事実上の監視付きの生活を送らされただけで、そこで不審な行動を取ることなど出来るはずもない。
 そう告げれば、碓氷はどこか怒ったように顔を赤らめて、荒く息を吐き出す。苛立ちを隠しきれない様子で机を指先で叩く。
「今なら俺がどうにか上に掛け持ってやるから、正直に話せと言っているんだ」
「だから僕には何も話すことは無い。研修も今日で終わりだし、明日には帰る身だ」
「そうやって逃げる気か?」
 挑発するようなその言葉に、皆本はぴくりと表情を動かす。それを見逃さずに、碓氷はぐっと身を乗り出す。
 射るような眼差しは一分の隙も見逃そうとはせずに、僅かな隙さえ与えようとしないように、鋭い。下手な人間がそれを目の当たりにしてしまえば、ただそれだけで身を竦ませ戦慄するだろう。けれど皆本の表情にはそんなものは微塵も浮かんではいない。
 挑発に乗ることもなくただ淡々とそこに存在している。
「先日お前の部屋に入らせてもらった。そこで、ある物を見つけたんだ」
「ある物……?」
 そこで初めて感情を見せるように眉を動かした皆本に頷きを返して、碓氷は机の抽斗からそのある物を取り出した。
 取り出したのは小さな、手のひらに乗るような透明な袋。それは皆本の場所からはただ碓氷が袋を掲げているようにしか見えない。
 しかし碓氷が言っているのはその袋ではなく、その中身のことなのだろう。
「お前の部屋の中に、お前のもの以外の体毛が落ちていた。別にそれ自体はおかしくない。お前が誰かを部屋に招いたのかもしれないし、服に付いていたものが落ちたのかもしれない」
「それで、何が言いたいんだ?」
 回りくどいような言い方に端的に先を促す。その部屋に落ちていた体毛と、今こうして呼び出されていることと何が関係あるというのか。
「落ちていたのは、銀色の髪の毛だ。この施設にそんな髪を持った人間は居ない。お前がこの施設に入って来る時も、服は全て取り替えたから外部の可能性もない。じゃあ、この髪の毛は何で落ちてたんだろうな?」
 言い聞かせるような碓氷の口調に、皆本はふと表情を緩める。この場で決して浮かべられるはずもない、穏やかな表情に碓氷こそが眼を瞠る。
 追い詰めている感があるのに、窮地に立とうとしているはずなのに皆本はあくまで普段通り、堂々としている。
 それに内心歯噛みするような感情を抑えて、碓氷は更に言葉を続ける。
「念の為にDNA鑑定もさせてもらった。だが、お前の髪の毛とこの髪の毛は一致することがなかった。当然此処に居る研究員ともな。そして手元にある、とあるデータベースと照合させてみると面白い結果が分かった」
「……」
「――どうしてこの髪の毛は、パンドラのリーダー・兵部京介のものと一致したんだろうな。その理由を俺に納得行くように話してくれないか。超能力支援研究局特務課所属の皆本光一二尉?」
 チェックメイトをかけたとばかりの表情で、碓氷はそれを机の上に置く。ゆったりと手を組んで、観察するような眼差しを皆本に向けたまま組んだ手に顎を乗せる。
 しんと静まり返る室内。外の木々のざわめきさえも聞こえてきそうなその静寂の中でも、皆本はただ僅かに表情を動かすだけ。直立の姿勢から片足に重心を移して、他に告げることはないのかとばかりの視線を向ける。
 確信を持った碓氷の表情からはそれがはったりでも何でもなく、ただ動かぬ事実として述べていることが分かる。皆本の所属も割り出しているということは、それがいつからかは分からないがやはり知っていたのだろう。知っていてこのギリギリまで、泳がせていたということか。
 そうして沈黙を守る皆本に、碓氷はやや呆れるように溜息を吐き出す。
「どこまで此処のことを知ってやってきたのかは分からないが、バベルも随分と杜撰だな。一人でこんな所にやってきて何が目的だった? ……いや、聞くまでもないか。バベルは超能力者擁護の組織だからな」
 嘲笑うかのような口振り。碓氷の浮かべる表情には嫌悪が浮かんでいる。皆本の正体を知った今であっても、それを隠すつもりは毛頭ないのだろう。
 超能力者を嫌悪する者は碓氷に限らず存在している。そうして批判するだけでは、何も咎められる事は無い。
「直ぐにどうにか処分してやろうかと思ったが、さすが若き天才科学者だ。殺すには惜しい。どんなに人材を集めたとしても、多いに越したことは無い。そしてお前みたいな奴を見す見す逃すのも馬鹿らしい。……まさか、バベルのお前がパンドラと内通してるとは思わなかったがな」
「じゃあ最初から僕がどういう人間なのか、知っていたということか」
「当然だろう? たかだか研修の為に内部をバラす人間が何処にいる? 身元の怪しい人間をそうそう入れるわけが無い」
 碓氷の言うことも尤もだ。此処で知り得た情報は、相手次第では大枚を叩いて買ってくれるところもあるだろう。それだけでなく確たる証拠を掴んでいればそれだけで有利な取引材料にもなる。
 だからそれだけ、この内部に入れる人間には慎重になるのだ。そして、一度入れた人間を容易く外に出すような愚も犯さない。どんなに口の堅い人間であっても、それは信用に値しない。外に漏れないという確実性が無ければ意味が無い。その為にはどうすれば一番か。簡単なことだ。外に出さなければいい。
 外部との接触を一切断ち、一生を此処で飼い馴らせばいい。そうすれば外に漏れる心配も何も無い。此処には欲と金に目の眩んだ、そういう人間ばかりだ。切り捨てた所で困る人間もいないだろう。
「というわけで、お前を外に出すわけにもいかなくなった。だが、お前の頭は欲しい」
「僕が頷くとでも思っているのか?」
「頷くさ。外には、お前の大切なものがあるだろう? 家族、友人、同僚……。それらを犠牲にしてまで自由を得たいというのなら考えてもいいが」
 足元を見られているのだろう。皆本は他者を犠牲にしてまで自由を得ようとは思わない。寧ろ、その逆を考えるはずだ。その為に、単身此処に乗り込んできたようなものなのだから。
 汚い遣り口だと思っても事を成すには綺麗事ばかりで済むはずが無い。汚い事にも手を染め、どんな犠牲をも厭わない。それだけの覚悟がなければならない。そして碓氷も、目的達成の為に様々なものを犠牲にし対価として支払ってきたのだろう。
 かといってそこに同情するつもりも更々無いが。だからと言ってこの所業を見過ごすことも出来ないのだ。
「それにお前には利用価値もある。お前も傍にいるなら分かるだろう? どんなに超能力者という存在が危険なものなのか。奴らを――あの化け物達をのさばらせていいはずがない」
「違う! 彼らは危険なんかじゃない。化け物なんかじゃないっ!」
 漸く感情らしい感情を見せた皆本に、碓氷は唇を歪める。
 皆本を嘲笑うように、皮肉るように。
「何処がだ? 奴らが生まれてきた所為でこの世界はおかしくなった。超能力者はいずれ世界を滅ぼす。その前に奴らに正しい在り方を教えてやるんじゃないか」
「正しい在り方……?」
「そうさ。超能力者は人間じゃない。簡単に人間を、世界を壊せる化け物だ。それを有効に使ってやろうと言うんだ。超能力者は俺達普通人に飼われるべき存在だ。それ以外の利用価値なんてない。存在する意味すらない!」
 まるで自分の言葉に酔っているかのように、碓氷はその顔をうっとりと歪める。
 ――狂っている。
 ただそう思うしかない。
 今皆本の目の前に居る人物の方が、余程危険と見える。
 声を荒げたくなるのを、皆本は耐える。今此処で反論をして見せたところで、碓氷はそれに聞く耳を持つはずがない。それはただ、碓氷を煽るだけだ。
「…………お前は、何をしたいんだ?」
「飄々と暮らす超能力者共に正しき道を教えてやるのさ。何が正しいのか、どう生きることが最善なのか。野放しにしておくことは危険だ。そうだろう? 年々、超能力者による犯罪被害は増え続けている。いくら未然に防ごうとしてもなくならないのが現状だ。どんなに説こうとそれは無意味だ。奴らは力こそが全てだと暴挙に出る。だったら、その根本から潰してやればいい。この施設はそういう為に作られたものだ」
 だから、この施設にはまだ幼いと言える子供しかいないのか。大人になるその前に、考えを改めさせようと。刷り込みのように、覚えさせようと。そしてそのためならば、どんな手段にでも出る。
「本当に、それだけが目的なのか?」
 しかし、そうだとしてもこの施設の在り方はどこか違う。ただ脳の改竄を行うだけであれば、長期間子供達を閉じ込めておく必要などどこにも無いはずだ。わざわざ爆弾付きのリミッターを嵌めさせて、堂々と実験を行っていることもおかしい。それにまだ、此処にいる超能力者たちは洗脳などされてはいない。
 確かにこの施設はこれまでどこの干渉も受けはしなかったが、それがいつまで続くかも分からない。現に皆本がこの場に足を踏み入れた。過去に誰かが潜入してきていてもおかしくは無い。そしてもしこの施設がそのまま明るみに出た場合、何が起こってしまうのか――。
「お前、まさか……!」
 驚愕に目を見開く皆本に、碓氷は正解を告げるように笑みを見せる。
「超能力者の洗脳はあくまでこの施設の方針だ。俺は違う。……お前も気付いただろう? もし万が一この施設のことが明るみに出てしまえばどうなるか。この組織も秘密裏に動いてはいるが内務省の管轄だ。バベルが超能力者を擁護し支援するその裏で、超能力者を使って人体実験を行っているのだとすれば。世間の評価がどうなるかなんて考えるまでも無い」
「だがそれが、お前に一体どんなメリットを齎す」
「ただそうなれば、バベルの信用も失脚する。超能力者の犯罪も今以上に増えるだろう。そうなれば日本は終わりだ。超能力者の暴動も止められず、武力行使すればそれは火に油を注ぐようなもの。一気に内乱が巻き起こる。それに感化されて世界でも暴動が生まれるかもしれない。――そうなれば、超能力者と普通人の戦争の始まりだ」
 奇しくもそれは、遠くは無い未来を予知したものと同じ内容。碓氷はその予知の存在を知らないはずであるのに、これはやはり人類が望む未来であるのか。
 皆本はきつく拳を握り締める。その手に碓氷の一瞥を受けたが、握り締めた拳は簡単に解けそうも無かった。
「俺とて馬鹿じゃない。そんなメリットも何も無い、寧ろ俺自身も危うくなるような現実がそうそう起こってもらっても困る」
「……なら何が目的だ」
「目的、な。このネタだけでも充分にこの国くらいは動かせる。超能力者を憎む普通人も、普通人を憎む超能力者もどこにでもいるんだからな」
「強請る気か?」
「それもいい。まさかお前みたいな奴が来るとは計算外だったが、どうだ? 俺と手を組まないか? お前だっていつまでもガキのお守りなんてしたくは無いだろう? お前が望むならこの施設にいる超能力者どもを好きに実験に使っても構わないし、設備も自由に使わせてやる。なぁ、皆本。どう答えるべきか、お前は分かってるだろう?」
 名案だとばかりに碓氷は笑みを浮かべ、笑い出す。
 己の妄想に取り付かれた男の笑い声が部屋に木霊する。一頻り笑って、碓氷は濁った眼を皆本に向けてくる。
 断られることを微塵も考えていないような、陶酔しきった表情を浮かべて。
「なぁ、皆本?」
 誘おうとする声はまるで身体中にねっとりと絡み付いてくるようだった。
戻る | 目次 | 進む

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system