少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 08  

「――と、言う事だ。何か異論は?」
 聞かされたその内容に、誰も異論を唱える者は居ない。
 真木は一様に神妙な顔つきをした仲間を見渡して、解散を告げる。具体的指示は全て伝えてある。後は実行に移すのみだ。
 最低限度に選抜した今回の任務に携わるメンバー達。誰もが納得しそこにいたはずであるのに、ぞろぞろと人の気配がなくなったその部屋の中に突如響き渡る音。
 机を叩き怒りも露に立ち上がったその人物に、真木は息を吐く。
「どうした、葉」
「どうもこうもねぇよ! 真木さん達はあの普通人の言うこと信じてんすか!?」
 信じられないとばかりに張り上げられる声に、真木は軽く肩を竦めて見せる。その態度が、更に葉の機嫌を降下させるのに真木は気付いているのか。
 まるで、自分が聞き分けの無いように見られているような錯覚を抱かせる。
 怒りに任せるように、葉はもう一度ダンッ、と机を叩き鳴らす。
「なんで俺らが普通人と一緒にやらなきゃいけないんだよ!?」
「一々声を荒げるな。ちゃんと聞いてやるから少しは落ち着け」
「落ち着いてられるかよ!」
 葉の癇癪を起こした声が部屋中に響く。
 葉が一体何を言わんとしているのか、それが真木とてわからないわけではない。わからないわけではないから、葉の怒りにもつい頷きかけてしまう。いや本心では、頷きたいのかもしれない。
 けれどこれは下された命令で、既に決定付けられたもので、真木にもどうすることも出来ないのだ。
 予想通りとも言える展開に、真木はキリキリと痛み出したような胃を抑えたい衝動に駆られた。どうして毎回自分がこんな役回りをしなくてはならないのか。
 窘める真木を葉は睨み付けて、苛立たしげに兵部を一瞥して部屋を飛び出していく。その背中を見送って、真木は背中に刺さる視線に振り返る。兵部が、ただ無表情に真木を見つめてきている。
 そこから感情を読み取るのは難しいが、言いたい事は何と無く察せられる。
 しかしながら諍いの種を蒔くだけ蒔いて自分は高みの見物とは、一体このリーダーは自分達をどの方向に導こうとしているのだろうか。変わってしまった、と思う。
 少なからず、ほんの少し前までは、彼はどんな気紛れであっても今回のようなことはしなかったはずだ。
 普通人とは所詮憎悪の対象であって保護、若しくは共同戦線を張る相手ではないはず。それとも一部人間だけが特別だとでもいうつもりか。とんだ贔屓の有様で、公私混同しているように思える。
「僕はメンバーは慎重に選べと言ったはずだが?」
「……葉を戦力から外す事は出来ません。それに少佐もこうなる事は予想されてたはずです」
 普通人を毛嫌いする超能力者達が協力し合うなんて、馬鹿げている。それもただの普通人ではなくバベルに所属する、謂わば敵なのだ。彼は。その存在が許せないのは当然と言える。葉の怒りも尤もなものがあった。だからその存在は伏せてただ内通者としか伝えていない者が多い。
 しかし聞かれれば、彼らには知る権利がある。信頼出来ないようなその者に、土壇場で裏切られるかも知れないのだ。そして今回、それが無いと正直言い難い。
 兵部がそのバベルの青年にどれだけの執着を抱き、期待しているのかなんて知りたくもないし考えたくも無い。それは謂わば、極端に言ってしまえば裏切りにも近い。自分達を導くべきはずのものが揺らいでしまったら、下はただ混乱するだけだ。
「少佐が何をされても自由ですが、我々は貴方を信じてついてきているのです。それだけは、裏切らないでいただきたい」
「…………」
「葉は私から説得しておきます。しかし、葉の言いたい事も我々の意見のひとつとして憶えておいて下さい」
 それだけを言い置いて、真木は部屋を出る。残す兵部のことも心配だったが、とりあえず今は癇癪を起こしてしまった葉よりも大人であると願いたい。兵部とて、わからないはずはないのだから。
 一抹の不安は抱えるものの、目下の心配事はどこに行ったかは分からない葉を探すことだと頭を切り替える。全く無駄な労力を使わせてくれる。誰も彼も。相容れることなど有り得ないと分かっているはずなのに、受け入れられる事は無いと分かっているはずなのに、どうしてそこまでして求めるのだろうか。
 そうしたいと思うほどに真木は誰かを思ったことは無い。あるとすればそれはただ、兵部への忠誠だけだ。窮地から救ってもらった恩義がある。だから兵部が望むのであれば可能な限りは好きにさせたいと思う。けれど、それとこれとは違うし、こればかりは、真木の中にも苦い思いがある。
「……誰も救われない」
 それとも救いなどもう求めてはいないのか。別の未来を考え始めたのか。ならばそれについてきている自分達は滑稽だ。
 ただひとつの意思の元に集まったのに、その根源が崩れるのであれば自分達の存在意義はどうなる。
 別にそれに縋って生きているわけではない。真木とてもう兵部に拾われた頃のように子供ではないのだからそれなりに生活していくことは出来る。兵部が欠けたのだとしても、パンドラは新たな先導者を生み出し変わらず機能することもできるだろう。だが、それとこれとは、やはりまた別なのだ。
 彼が居なくなるということを、考え切れない。パンドラは彼の存在そのものでもあるのだから。兵部の欠けたパンドラは、名称は同じであっても全くの別物となる。
 普通人優位なこの社会において、社会に捨てられた超能力者にとって兵部率いるパンドラが救いの地なのだ。彼ほど普通人に対し憎悪を抱き殲滅を考える超能力者はいないだろう。そしてそれと同時に、同胞を思いやる者も。
 今のこの社会で超能力者が幸せに暮らして行けるなど、それはごく僅かに限られたことだ。超度が高くその能力が特殊であれば迫害を受けるか利用されるかがオチだ。だから、自分達をこうも追い詰める者達に報復しなければ気が治まらない。
 力を持つ事の何がいけない。
 どうしてただそれだけの事実で迫害されなければならない。
 弱き者は己の身を護る為に、異物を小さなうちに排除しようとする。狡猾な生き物だ。狡賢く、卑怯。弱き者が小さき者を淘汰し、そして一体どんな安寧を手に入れようとするのか。
 超能力者達皆が全て望んでこの能力を手に入れたと思っているのか。能力を持つ者が異端だと言うのか。では二つの比率が逆転した時、力を持たぬ普通人を迫害したとしてもそれは許されるものとなるのか。
 まるで目先のことしか考えていない。そんな人間が多いから、世界も狂ってしまうのだろう。
 確かに皆本は、その中でも異端なのだろう。超能力者と普通人との間に壁を感じていない。それどころかその壁をどうにか取り払おうとしている。
 何が正しい。何が間違っている。考えても無駄だと分かっている。だが考えなければならない。全てが終わった後に残ったものが正しいのだとしても。正しくなってしまうのだとしても。
 普通人達の行いは目に余る。
「此処に居たのか、葉」
 建物の脇に作られたプール。夏場日中はここでは子供達の笑い声が絶えない。親に見捨てられた子供、行き場を失くした者達。その者達が此処に新たな居場所を見つけ自分のアイデンティティーを知る。
 しかし夜の水面は不気味に闇夜に揺れている。風が吹いているのか、荒んだ葉の気がそうさせているのか。
「何の用すか、真木さん。計画の事ならちゃんとしますよ、俺」
 葉はプールを見つめたまま、振り向こうとはしない。闇夜にたゆたうその水面を見つめて、一体葉の瞳には何が映し出されているというのか。
 真木の知る時から子供であった葉は、変わらず子供のままだった。しかしその子供らしさが、真木には時として羨ましく感じることもある。真木はこの子供のように、後先考えず己の本能に従うことは出来ない。やんちゃをするには、色々と考えすぎてしまう。
 何者も拒絶しているような葉の背中に真木はそっと近付いて、無防備に振り向いた身体をプールへと突き落とした。不意を衝かれた形となった子供の身体は、簡単に飛沫を上げて暗い水の中に消えていく。
 しかしプールの水深はそうあるわけでもない。
 直ぐに葉も上がってくるだろうと冷静に波立つ水面を見つめていると、案の定直ぐに葉は顔を出した。苦しげに息を吐き出して、落ちた瞬間に水が気管にでも入ったのか、激しく咳き込む。
 真木が足元にある葉の顔を見下ろせば、怒気を孕んだ形相で睨み上げられる。
「なにすんだよ、あんた!」
「少し頭を冷やせ」
「…………んだよ、チクショウ。俺が悪いのかよ」
 呟くように落とされたその声は、真木の耳にも届いた。悔しさと悲しさの滲んだような声。今回のことを話したときに葉の顔に走っていたのは、裏切りを感じた悲愴。信じ続けてきた人が実は敵対する者と親しかったのだと知れば、それも当然の事か。真木も納得はしていない。ただそれが葉のように表立って表れないだけだ。
「も、わけわかんねぇよ」
「……あぁ、俺もだ」
 泣き声に近いその声に、真木も頷く。
「大体、あの人が一番普通人のこと憎んでんだろ。なのになんでよろしくやってんだよ。絆されてんじゃねぇよ」
「…………」
「今回の事だって別に普通人の手なんか借りる必要ないだろ。さっさと普通人なんか伸して助ければいいじゃねぇか。今までだってずっとそうやってきただろ」
 無駄な殺生はしない。だが目的を達成する為の多少の犠牲は厭わない。
 そうやってこれまでもやってきていたはずなのに、どうして首謀者をみすみす逃さなければならないのか。そうすればまた同じ事を繰り返すに決まっている。今度はより巧妙に、更に残酷に。
 超能力者を人間だと思わないような者達は、彼らが負う痛みも苦しみも気にしやしない。ただ自分達の目的が達成されればそれでいいのだ。そのことしか考えていない。自分達は道具じゃない。超能力者だって人間だ。心がある。感情を持っている。それを踏み躙る権利など普通人に有りはしない。
「だが今回はお前も聞いただろう」
 リミッターの存在。それが恐らくは一番ネックになっている。しかし、それも遠隔できる機械を壊して現地で外してしまえば解決する問題ではないのか。皆本でなくとも、パンドラにも機械に精通している者は居る。
 なにも普通人の手など借りずに済む問題のはずなのに。
「納得出来ねぇよ」
 自分達は自分達のやり方で超能力者を助け出す。皆本は皆本で、勝手にしていればいいのだ。なのに何故それが許されない。どうしてそこまでその存在を気に掛ける。そんなにも、大事というのか。――超能力者よりも。
「少佐にも、何か考えがあるのだろう」
「またそれ? 俺、あの人が何考えてるのか全然わかんねぇよ。あのチルドレンとか言うガキのこともそうだ。あの人何がしたいんだよ。俺達をどうしたいんだよ」
 示された自分達の未来。それは少しも変わることはなく自分達はその未来に向かって足を進めている。本当に、彼女達チルドレンは超能力者を救う救世主と成り得るのか。そんな者がなければ、自分達は救われる事が無いのか。
 分かりもしない、本当にそうなるかも分からない未来に固執して一体どうするのか。そんなものに固執しているから、今が見えていないのではないか。
「……物騒な事は考えるなよ、葉」
 思わず呟いてしまった真木のその言葉に、葉は鼻で笑う。
 水の滴る髪をかき上げて、プールサイドに立つ真木を見上げる。
「物騒な事って何すか? 真木さん」
「……いや、なんでもない」
 ぞくりと、寒気がしたのは単に夜風が冷たかっただけか、それとも――
 良くも悪くも、葉は何物にも縛られてはいない。自由に今を見据えて己がどう行動するかを考えている。そしてその考えは、恐らく真木には想像つかないことなのだろう。だが少なくとも今の葉の心境は、真木には伝わってきているような気がする。
 考えなかったわけではない、ひとつの方法。それで変わるものはあるのか。兵部が執拗に見据えている未来予知。その一端を担う者。同じのようで違う。確かにそれは同じ方向を向いているのだろうが、矛先は別の場所にある。
 それが決定的な差。兵部の気持ちが分からないわけでもない。だが自分達が求めているもの。それは兵部とは少し違うかもしれない。
 それは、自分達がまだまだあの未来の後も生き続ける者であるからだろうか。ただひとつの、未来のほんの一部の出来事など関係ないと割り切れてしまうからだろうか。
 救いは求めている。この先にある未来に平穏を願っている。その為の多少の犠牲は、仕方ないでは無いか――。
「真木さん、手」
「あ?」
 思考を中断し足元を見下ろせば葉が手を差し出してきている。
「あ? じゃねぇし。服重くて上がれねぇの。あんたが落としたんだから手伝ってよ」
「……ああ、悪かった」
 腰を屈めて、葉の身体を引き上げる為に同じように手を差し出す。冷やりとした、体温を奪われた葉の手が真木の腕を掴んだ瞬間。
 上がる水飛沫。咄嗟に息を詰めて水を飲み込んでしまうのを防いで、底を蹴って水面に上がる。
 辺りを見渡せば、自力でプールサイドに上がったらしい葉の姿が頭上にあった。
「仕返し。これで風邪引いたら真木さんの所為だかんな」
 楽しげに笑いながら去っていく葉の後姿を見送って、真木は深く溜息を吐く。
「あのガキ……」
 全身を包み込む液体。少し冷たいと感じるその水も、けれど頭を冷やすのには確かに丁度いいかもしれない。
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