少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

戻る | 目次 | 進む

  愚か者の見た夢 07  

 皆本は部屋に戻ってくるなりすぐさまベッドの上に倒れるように横たわった。肉体的にはそれほど疲れていないが、精神的に疲れてしまったらしい。身体が重く感じる。これは初日此処に来た時と同じ感覚だ。
 あれから尋問を受け、しかし昨晩のアリバイを証明すれば直ぐに解放された。どこの部屋に入る時も必ずIDカードが必要となる。そしてその通行記録は逐一残される。
 昨晩皆本が部屋に戻ってきてからその後、皆本が何処かの部屋に出入りしたという記録は無い。勿論、与えられたこの部屋にも。その上どこの監視カメラにも皆本の姿は写されていないのだから、皆本のアリバイは成立されるのだ。おまけに停電の最中はどこのドアも一切開かない。この部屋は二階。近くに大木があるわけでもなく、降りる事も登る事も不可能だ。
 だがそうして証明した後に解放されたのはいいものの、戻ってきた時には研究室の雰囲気はどことなく重かった。一番怪しまれやすい人物が皆本であるのだから、それも仕方の無い話だとは思うが。だがそれも、碓氷が話しかけてきたことにより和らいだ。やはり彼が、あの研究室の中では一番実権を握る人物ということだろう。
お帰り皆本君。随分大変な事になったみたいじゃないか
「兵部……?」
 脳内に直接送り込まれてくる声。テレパスを使っているのか。普段ならば遠慮なくその姿を見せるというのに、部屋の中にその姿は見当たらない。
 電気をつけようと重い身体を起こして立ち上がろうとすると、制止の声が響く。
動かず黙っていなよ、坊や。なんでもない振りをして聞きな
…………わかった
 軽々しい声で、しかしただ事ではないようなその言葉に皆本は指示通り何でもないようにごく自然と身体をベッドに預ける。
この部屋には盗聴器とカメラが仕掛けられている。ああ、探そうとはするなよ
 僅かに反応しかけた身体を、先に封じられる。
 しかし聞いていて穏やかではない。
 誰かがこの部屋に無断で足を踏み入れたとなると、例え此処が一時的に借りている部屋だとしてもいい気分はしない。
 その上に監視され盗聴まで行われているとなると、ますます不快感は強まる。今も何処かでこの部屋の様子を見ているということだ。――やはり昨晩の件であろうか。
死角はないしヒュプノを使うのも面倒なんでね
ああ、それはいい。それより、どうしてくれるんだ?
なんだ。皆本君はやっぱり気付いてたんだ
当たり前だ。昨晩の停電騒ぎはお前達の仕業だろう。お陰で僕が疑われたんだぞ
 尋問の事を思い出せば不愉快になる。そういう立場である事は理解していても、権力を笠に横暴な扱いを受けるのは気に食わない。それが一部の人間の事だとしても、誤った力の使い方は許されるものじゃない。
 静かに憤慨する皆本に対して、兵部の笑い声が聞こえてくる。
当たり前だよ。君が疑われるように行動してるんだから
――どういうことだ
 自然と、皆本が問い掛ける声は低くなる。
 なにもありやしない虚空を睨み付けて、しかしすぐに馬鹿馬鹿しいと我に返る。
 此処にいない人物に対して怒りをぶつけてみた所でなにも解決しない。当の本人は、離れた何処かから高みの見物をしているのだから。
そんなことはどうでもいい。これは君には関係ない
関係ない? 僕は関係者だろ
ああ。今はそうだったね、バベルの裏切り者君
兵部――ッ
 裏切り者。
 これもバベルを裏切っているという事になるのだろうか。
 幾ら任務遂行の為とはいえパンドラと手を結ぶ事は。
 けれど、先に裏切ったのは向こうだろう?
 パンドラの動きを利用する為に皆本は此処に送り込まれた。バベルの人間だという事、兵部との関係を利用して。
 こんな事に皆本が気付かないわけが無い。最初から不可解だった今回の任務。それが分かれば謎は解ける。それではもう、自分に帰る場所は無いのか。
 それとも、今後もこうして利用され続けてしまうのか。
 悔しい。
 無力な自分が。
 散々兵部に言われ続けてきていた事が、今はっきりと身に染みる。
……皆本君
なんだよ、兵部
 悔しさ、悲しさを押し殺して皆本は平然を装う。しかし何処か気遣うような気配を伝えてくる男には、この心情など既に伝わってしまっているのだろう。
 ならば愚かだとまた嘲笑うか。これまでもそうしてきたように。
不二子さんの考える事は僕にも分からないさ
 では兵部も全て、気付いていたのか。
 どこから、いつから気付いていたのかは分からないが、皆本が今此処に居る理由を知っていたのか。そして何に葛藤しているのかという事も。
降りるなら今のうちだよ
誰が――、だ。乗りかかった船だ。僕は最後までやる。大体、お前達にリミッターが外せるのか?
 捕らわれた超能力者達の手首に付けられたリミッター。そこに致死量には至らないとは言え爆薬が仕込まれているのだ。無理に外そうとしてもアウト。そのまま施設から連れ出してもアウト。遠隔でスイッチを押されてもアウト。その場でリミッターを全て解除するしか方法は無い。
 頷かれてしまえば皆本の存在意義が消えてしまうその質問に、兵部はいや、と否定を示す。ただそのことに、皆本は自分で問い掛けておきながら安堵する。それが真実でも嘘であっても、必要とされているのならばそれでいい。
あの人は直情型なんだ。だからきっと皆本君みたいな論理型には理解し難いだろうね
……僕は、ただなにも知らされずに利用されるのが嫌なんだ。それにお前との事も――
 言い掛けて口噤めば、くすくすと笑われる。笑い事ではないと怒鳴りつけてやりたいのに今はその気力さえ湧きやしない。アウェーに立たされ敵も味方も分からない。信じられるのはひとつだけ。だがそのたった一つのことでさえも揺らぎ始める。こんなにも脆かったのかと、嘲笑いたくなる。
 けれど自棄になってはいけない。護りたいと思うものがある。だからこれも乗り越えなければならない。何かを成そうとする時、頼れるのはそれを成し遂げようとする思いだけだ。その思いが揺らいでしまえば何事も出来なくなってしまう。
 今はまだ弱気になってはいけない。全てが終わって、そしてその時には、伝えてもいいのだろうか。
 気を引き締めて、皆本は兵部に呼び掛ける。
兵部、これからどうするつもりだ?
ああそうだね。君は、これまで通り過ごしてくれていて構わない。後は計画を実行する前に迎えを寄越すよ。計画の内容もその時に話す
……わかった
 細く息を吐き出して、皆本は軽く眼を瞑る。この生活も少しの辛抱だ。そうすればまたあの日常に戻る事ができる。
 慌しくて喧しくて、けれど安心するあの日常に。
なんだい。ホームシックにでも掛かったかい?
違う。ただ、早く終わらせたいと思っただけだ
チルドレンのことなら心配ないよ。あのヤブ医者が上手くやってるようだ
そう、か……
 心配していないと言えば嘘になる。ずっと気に掛けていた、彼女達の存在。その存在にどれだけ助けられていたのか、離れて気付く。
 助けているようで助けられている。いつも、いつだって。だから彼女達の為にどんな事でもしてあげたいと思う。あんな未来を引き起こさない為に。彼女達が笑顔で暮らせる未来を作る為に。
 その為にこれは、しなければならないこと。大小の大きさは関係なく火種は摘み取って消し去って、そうすればあの未来が起こる前にきっと――。
 だが、思うこともある。今していることは、本当に意味あることなのか、と。
でもやっぱり君がいないと寂しそうだ
逢ったのか?
いいや。周りがうるさいからね
 答えを聞いて、皆本は小さく笑う。おかしなものだ。あれだけ皆本の事を邪険にしてどうにかチルドレンを――、薫を引き込もうとしているくせにこういう時に手を出さないなんて。
 邪魔者がいない、絶好の機会であるのに。
まあ、そういうことだ。これからは部屋に居るときも気をつけな
ああ、ありがとう
じゃあ僕は帰るよ。君の為にわざわざ抜け出してきたんだからね
 押し付けがましく言い置いて去っていったらしい兵部に、皆本は深く溜息を吐く。
 兵部の考えなんて皆本には分からない。チルドレンに固執するくせに、その邪魔者に恋するなんて。けれどそれは皆本も同じだ。チルドレンを護りたいと思うのに、引き裂こうとする男を愛してしまった。
 自分達の関係はひどく曖昧だ。確かに愛し合っているのだろう。それは否定したくは無い。しかしあの未来で自分達はどうなっているのか。兵部が抱いたものとは少し違う。だが皆本も信じていた者に裏切られる痛みを知ってしまった。いや、そんなものもうずっと昔に味わった。ただ、忘れようとしていただけだ。
 時間の流れは痛みを和らげてくれるのか。癒してくれるのか。答えはきっと人それぞれだろう。時間だけの問題じゃない。心の強さと、思いの深さと、周囲の環境と。幾つもの要因によって、傷の痛みは変化する。
 そして兵部の居るその場所では、傷を癒す事は許されない。傷が癒されるという事は、つまりは存在意義の消滅。果たしてそれを、兵部自身だけではなく周囲が許すだろうか。――否、許す許さないの問題ではなく、兵部はそうして導かなければならないのだ。それが兵部に与えられた役割。自ら選択した道。なのにそれに加えて、皆本の近くに居ることも選んだ。
 それでは皆本にはどうする事も出来ない。掴んだ手は手放せない。手放したくは無い。この存在は失くせ無い。ではどうすれば、どうすることが最善と言えるのか。何を選べば最悪は回避されるのか。
 誰も彼もが、あのたった一つの未来予知に踊らされている――。
戻る | 目次 | 進む

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system