少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 06  

「……何だか空気が物々しくないか?」
 研究室へと足を踏み入れた皆本は、入った途端にドアの傍に居た碓氷へと声を掛けた。
 それは建物全体からも感じていた空気。どことなくぴりぴりとした緊張感を保っているような、一瞬たりとも気の抜けないような緊迫感がある。
 研究室へと入ってしまえばその空気はいつもと変わりないのだが、どこか空気が余所余所しい。
 皆本の疑問に碓氷はああ、と呟いて、軽く肩を回す。ずっとパソコンに向かい作業をしていたのだろう。
 皆本がすまないと一言謝罪を入れると、気にするなと笑いかけてくる。
「お前昨晩停電騒ぎがあったの知らないか?」
「停電……? いや。昨日は疲れてて部屋に戻ったらシャワーを浴びて直ぐに寝てたんだ」
「そういやお前また遅くまでやってたみたいだな。熱心なのはいいが身体壊すなよ」
「はは……。それは大丈夫だよ」
 仕事で睡眠時間が削られる事などはままあることであるし、何よりも此方にも先延ばしには出来ない事情もある。多少削られたとしても、どうにかはなる。
 話が逸れてしまったことに皆本は「それで?」と声を掛ける。碓氷はそれに曖昧に言葉を濁すようにして、やや言い難そうに口を開く。
「ん、まぁ、夜中だったし停電になっても予備があるから大丈夫だったんだけどよ。一部データが破損しやがったんだ」
「データの破損?」
「ああ。破損したのは過去の実験結果の一部でさ。バックアップもしてなくて修復が大変らしいんだよ。それでこの空気。停電の原因も今調べてるらしいんだけど、……お前、ちょっと立場やばいぞ」
 声を潜めて、碓氷は耳元で囁く。
「最近此処に来たのはお前しか居ないからな」
「何処かのスパイか、或いは情報を持ち出そうとしている、と疑いが掛けられているというわけか」
 皆本の言葉に小さく頷きを返す碓氷に、皆本は心内で苦笑する。疑いが持たれているどころか、確かに皆本はスパイ――のようなものであると間違いはないのだが。
 とするともしかしたらやはり最初からそういう眼で見られていたとしてもおかしくはない。そして、初日から何かと皆本に接触し、尚且つ行動を共にしようとしてきていた碓氷は監視の意味も含まれていた、という事か。想像していなかったわけではないのだが、もしこういう場でなければ友人にはなれそうだと思っていた皆本にとってはショックなことだ。
 何から何まで疑いを持たれ、信用をされていなかったのだと思うと少々悔しいような思いもある。だが、こういう閉鎖的な場所に例え研修といえど短期間しか存在しない人間を最初から信用する、という話が難しいのか。
 その必要がないから、と片付けてしまえばお仕舞いではあるが、確かに皆本はこの建物内部の必要最低限の場所しか知らない。ここで研究するものと言ってもリミッターだけであって、その効力も結果も全て皆本は知らない。もしかしたらこの部署自体がダミーの存在の可能性もある。疑って掛かればきりがない。
 けれど、皆本が独自に仕入れた情報は全て正確なはずだ。今は兵部の手に渡っているが、皆本とてその内容を頭に叩き込んでいないわけではない。手元にあれば万が一という時に厄介な代物になってしまうから、コピーなど取らずに兵部に全て渡したのだ。
 そしてその中身も恐らくは、兵部自身確認しその真偽を確かめているだろう。信じている者に信じられていないというのは悲しい。だがそれくらい慎重にやらなければ、起きて欲しくはない事態になってしまう可能性もあるのだから、それでいいのだ。
 寧ろ信じて貰わない方が、兵部は身の安全を確保できる。
「多分だけどよ。お前のトコに誰か来るだろうぜ。大人しくしとけよ」
「わかってるよ。僕も、あんまり波風は立てたくないし、変な疑いを掛けられたくないからね」
 碓氷の忠告も素直に受け取って、皆本は用意されていた机に向かう。碓氷に言った事は事実だ。今回の任務が成功するにせよ失敗するにせよ、自分の存在を公にすることは出来ない。ならば目立たずただじっとしてやり過ごすしかないのだ。
 皆本にだって失うものは多数ある。それを護る為に今回の事を引き受けたのに、後々になって今回の事を引き合いに出されてしまえばどうする事も出来ない。そうなった場合、フォローしてくれるとは信じているが、果たして不二子や桐壺がどこまで今回の事を考えているのか、皆本には想像するしか出来ない。
 幾らなんでも最低限度のことは護ってくれるだろう、と信じたいのだが、こうなってしまえばそれさえも疑いたくなってしまう。
 政府内でも超能力者に対する擁護派と排斥派と分かれていることは知っていたが此処まで顕著になって表れていると最早それは個人で片付けられる問題ではない。
(! ――もしかしたら……っ)
 考えたくは無いことだ。だがしかし。相手が気付かないという保障も可能性もどこにもないのだ。いつだって危険と隣り合わせているような、いつばれたとしてもおかしくはない状況だった。
 兵部はチルドレン――取り分け薫に執着している。そして皆本は薫達チルドレンの現場運用主任に当たり、兵部と幾度も面識がある。
 不二子は、兵部が皆本に対しても異様な執着を見せていることを知っている。
 それでは兵部が皆本の傍に現れると考え、何処かに監視をつけていてもおかしくはない。あるいは、それとは関係なくバベルの職員全てに監視をつけられている可能性もある。その目的が監視であるのか、それとも護衛も兼ねているのか、その辺りの事情などはわからないが。
 そしてもしそれで兵部との関係がバレているのだとすれば。
 だとすれば、今回の事もこうなることを見越していたのではないだろうか。危地に一人乗り込む皆本の事を知り、超能力者も絡んでいるこの事に兵部が黙って見ているはずがないと予想して――。だがそれでは不可解な点も残り皆本の憶測の域を出ない。
 確かにバベルはこの施設に関してその存在を知りながらも手出しする事が出来なかった。それはこの施設が政府暗黙のものであるからだ。しかし内情を分かりさえすればバベルだって動く事はできたはずだ。バベルとは、そういう機関であるはず。
 しかしそうする事はなく職員一人を乗り込ませ、敵方であるパンドラの戦力を利用しようとする理由はなんだ。思惑はどこにある。
(それにもしそこまで考えていたらギリギリになって指令を出すはずが……。いや、それは僕に考える余地を与えない為か? でもどちらにせよ僕はこれを受けるしかなかった。断る事なんてしなかったはずだ。兵部に此方の手を読ませない為――。でも結局兵部はその日の内に知っていた)
 兵部自身も、この施設の存在は知っていた――。
(あ、れ……? じゃあなんで兵部は今まで此処に手を出さなかったんだ? やろうと思えばいつでもやれたはずだ。それに僕を利用しなくてもパンドラであればどうにか――、っ!)
 まるでそれまで点でしか存在していなかったもの達が一気に線で繋がれていく。思惑を知れば、それは単純明快。そうであるのならば皆本がこの場所に送り込まれた理由も分かる。
 そうだこれはやはり、皆本でなければならなかった。
 その他の存在など、有り得なかった。
 これはこうなってしまった立場を憎むべきなのか喜ぶべきなのか。いや、喜んでなどはいられない。失敗したとすれば皆本とてタダでは済まされないのだ。とてつもないリスクが伴う。それを知っているはずなのに、この道しか選ばなかった理由はなんだろうか。
 一つの疑問を解決すればまたその先に新たな疑問が浮かび上がる。当然だ。皆本はただ踊らされるだけで、その本質など何も分かりやしない。全て皆本が最善と思いしてきた行動も、もしかせずとも読まれていたはずだ。
 それをいつ知ったのかは分からないが、よく観察している。兵部の事も、皆本の事も。結局何もしてはいない、することが出来ない自分が悔しい。自分がどう行動しなくても、またそこに別の道が生まれていただけだろう。いや、全て見越されていたか。
 自棄になりたい気分だ。そうか、信じていたものに利用されるとはこういうことなのか。裏切りではない。けれどそれに程近い。
(貴方は一体、何が目的なんですか――)
 これよりも深い絶望と悲しみをあの人は背負ったのか。今ならばよく分かるような気がする。だがそれでも自分は、
(僕は――)
「皆本光一は居るか」
 唐突に開け放たれたドア。そこには一人の男と、警備員らしき男が二人、両脇を固めるように立っている。一見すれば無防備にも見えるだろうが、その立ち姿からは隙は窺えず、そしてその下には銃を所持しているのか。服の膨らみで分かる。
 一身に集まってくる視線に、皆本は立ち上がる。その瞬間に、射るような眼差しが向けられてくる。
「僕ですが、なにか……?」
「話がある」
 それだけを言って男は踵を返す。反論は許さない、疑問を投じる事も許さない背中だ。急かすように一歩、足を踏み入れてくる男達に皆本は何も隠すような事はないと毅然とした態度で向き合い、視線を投げてくる碓氷を振り向く。
「少し席を外すよ」
「……ああ」
 素直に部屋を出る皆本の、その半歩後ろを男達は歩く。どうやら途中変な行動に出ないか見張る為らしい。
 現れた男の顔を皆本も知っている。確かこの施設の上層部の人間のはずだ。それでは違うことなく、皆本に停電騒ぎの嫌疑が掛けられているというのか。
 振り返ることのない背中に小さく溜息を吐き、真犯人を思い描き心内で罵言を撒き散らす。
(これで僕がどうにかなるようだったら恨んでやるからな)
 心内で呟いたその声に、頭の中にくすりと笑う声が返って来たような気がした。
 男に連れられ通されたのは、施設の奥に位置する窓も何もついてはいない、透明なガラスで仕切られた向こう側に椅子だけを置かれた部屋だった。一部屋を二部屋に区切ったのか、二部屋あったものをただガラスで仕切ってあるだけか。
 だが恐らくは前者であろうその物々しい部屋の様相に素早く周囲に視線を配っていると、後ろの男達に押され仕切りの向こう側へと連れて行かれる。そのまま椅子に座らされて、男達はドアを閉めてガラスの向こう側に控えるように直立する。
 鍵の掛けられるような小さな音まで立てられ、どうやら此処で尋問を行うらしい。窮屈な部屋で何もないが、拘束しないのはどちらでも同じであると考えているからだろうか。
「さて、私が言いたいのが何か、わかるかね?」
 男の話し声は穏やかだ。まるで子供にでも言い聞かせるようなその言い方に少々腹が立つもののそんなことで機嫌を損ねてしまえば何をされるか分からない。
 皆本は一つ深呼吸をすると、その口元にふっと笑みを浮かべた。
「ええ。もしかしたら、と、私の想像の域を出ませんが――」
「それで構わない。話したまえ」
 表情一つ動かしはしない男の真意を探るのは難しい。けれど頭脳戦でいくのならば、皆本とて負けてはいられない。じたばたと足掻いても仕方ないのなら、少しでも多く相手から情報を引き出すまでだ。
 此方には恐らく相手も思いつかないであろう、ジョーカーを持っているのだから。
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