少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

戻る | 目次 | 進む

  愚か者の見た夢 04  

「あーったく、皆本がいないとつまんねー」
 クッションを抱えて、薫は剥れた顔を見せる。
 皆本がこの家を出て行ったのはまだ今朝の事だ。まだ一日と経っていないけれど、これまでも皆本が不在という事は度々あったけれど、やはりその存在がなければ何かが物足りない。
 それは葵や紫穂も、愚痴を零す薫に苦笑しながらも気持ちは同じだ。こうやって傍に居ない時に、その存在の大きさを知る。
 そんな事はもうとっくに分かっているはずなのに、改めて知らされる。
「我が侭言うんじゃないぞ。皆本だって仕事なんだから」
「わかってるよ、んなこたぁ」
 窘める賢木に、薫は食って掛かるように言葉を返す。仕事なんて名分があるから、どうしようもなくて困っているのではないか。
 これが仕事に関係のない、例えばプライベートであればいつまでもしつこく付き纏っていたかもしれない。けど、皆本が実際にそんな事をすることはないだろうし、聞き分けのない子供でいるつもりもない。
 ただ、割り切れないというか、愚痴でも零していないと寂しさを紛わす事ができないのだ。口に出さなければ余計に焦れるだけで、内に溜め込むよりも口に出した方が幾分かは楽になる、ということだ。
「で、賢木先生はまた柏木さんにくっついてきたんか?」
 話を逸らすように、葵は口を開く。侮蔑するような白い目を向けられて、賢木は慌てたように口に人差し指を当てて黙らせる。キッチンに居る柏木の様子をそろりと窺い、どうやら葵の言葉が聞こえていないらしい様子にほっと安堵する。
 胸を撫で下ろして、あらぬ疑いを抱く三人を見下ろす。
「俺は皆本からお前達を頼むって任されてんの」
 お前らだってそう聞いただろうが、と呆れたようにというよりもしょうがないとでも言いたげな口振りで賢木は三人を諭す。それでも薫と葵はまだ疑うように見上げていたが、紫穂だけは、何か考えるようにじっと虚空を見つめている。
 その様子に最初に気付いたのは、薫だった。どうも賢木を嫌っているような風のある紫穂が、会話に入ってこようとしないのは珍しいと思ったのだ。
「紫穂?」
 呼び掛けると、紫穂は慌てたように我に返る。なに、と聞き返してくるその表情は、どこか意識が他所に向いたままのように上の空だ。
「どないかしたんか? 紫穂」
「……なんでもないわよ。ただちょっと、気になる事があるだけで」
 誤魔化そうとしているのか、それでもそう言われてしまえば薫や葵もその内容について気になってしまうのは当然のことで。紫穂も一人で抱え込むのは諦めたのか、聞き出したそうな顔をする二人にふっと溜息を漏らす。
 紫穂とて、それはただ単に妙なしこりのように頭の中に引っ掛かっている、というだけで、なにか確証があるわけでもない。それに、言って変に不安を煽るような真似も、したくはない。けれどすっきりしないままに抱え込んでいるよりは、此処には事情を知ってそうな人物も居る事だし、聞いたほうが早いのかもしれない。それに二人だって、無意識に気にしているかもしれない。
 紫穂はきゅっと口を引き結ぶと、賢木を見上げた。
「皆本さん、何処に行ったの? 私達に行き先も教えてくれないなんておかしいじゃない」
 その言葉に、薫と葵はハッとしたように紫穂を見つめ、そして賢木へと視線を移した。
 そう言えば、紫穂の言う通りだ。これまで皆本はきちんと何処何処に行ってくると、ちゃんとその行き先を教えてくれていたのに、今回に限ってはただ一週間出張に出ると言っただけで何処に行く、とは言わなかった。仕事の内容も、知らない。皆本が大丈夫だと言ったから、すぐに帰ってくると言ったからその言葉を信じていないわけではないが、出掛ける前の皆本は、どこか普段と様子が違っていた。
 ずっと一緒に居るからこそ、些細な変化でも分かる。
 真剣な表情で見上げてくる三人に、賢木は顔を顰めて頭を掻く。感じる別方向からの視線に振り向くと、柏木も困ったような、申し訳ないような表情で見つめてきていた。
 一体どうしろというのか――。
 賢木は深々と息を吐き出して、腰に手を当てる。
「んなもん俺も知らねぇよ。局長に呼ばれて一週間、皆本の替わりにチルドレンの世話をするように言われただけなんだから」
「何も聞かなかったのかよ?」
「あのな、これは遊びじゃなくて仕事なんだ」
 咎めるように、その口調は強い。雇われている立場の人間は、ただ上から下される命令に従うだけだ。そこには反論も追及も認められないこともある。
 そう言外に告げる賢木の言葉は確かに正論で、だから反論が出来ない。しかしそれは。そうしたら。
「皆本さんは口外出来ないような危険な任務に行ってる、ってこと?」
 鋭い指摘に、賢木は内心舌を巻く。どうしてこうたかが子供と侮る事が出来ないのだろうか。知りたいという気持ちも、分からないわけではない。それでも、追求してはいけない事の区別もつけなければならない。そういうところは、まだ子供であるのか。
 だが、彼女たちにとってそれだけ皆本の存在が大きい、ということでもあるのだろう。大きすぎるから、些細な事でも不安が募り知らなければ安心できない。でも知らなければよかったと思うことなど、この世の中には溢れているのだ。その汚いものを知るには、まだ薫達は幼い。
「そんなことないわよ」
 賢木が三人をどう説得するか考えあぐねていると、柏木が近付いてくる。三人の視線は、縋るように賢木から柏木へと移る。
「都内にある研究所に技術開発の為に出向いてもらっているだけよ。一週間は外に出られないし、連絡も出来ないから言わなかっただけだと思うわ」
 優しく諭すような言い方に、三人の表情が不安を残しながらも少しは和らぐ。柏木の言葉をどう受け止めるべきか三人は顔を見合わせ、小さく頷くと強張っていた身体の力を抜いていく。
 柏木は桐壺の秘書だ。だから皆本の就いた任務についても知っているのだろう。その彼女が、嘘を吐くはずもない。
「ご飯も出来たから、三人とも手を洗ってらっしゃい」
 微笑みながら促されたその言葉に三人は元気に返事をしてリビングを後にする。その後姿を見つめながら、賢木は柏木に軽く頭を下げた。
「すみません、柏木さん」
「いいえ。あの子達の気持ちも、よく分かりますから」
 柏木の告げた言葉は、嘘ではない。けれど、真実でもない。だが既に事は動き出している。今更どうしようもない。ただ無事に、皆本が戻ってきてくれる事を祈るだけだ。
 それでもやはり、不安というものは残る。賢木はふと、今朝の不二子とのやりとりを思い出していた。何故不二子を選んだのか。そんなものは決まっている。
 今回の件に彼女が関わっていないはずがないからだ。
 そして今朝、不二子が自室として使っているその部屋で、賢木は彼女と対峙していた。賢木の読みも、当たっていた。今回の件には、不二子も絡んでいる。
「どうして皆本一人で行かせたんですか?」
「皆本君が一番の適役だったからよ」
「しかしいくらなんでも危険すぎます。あそこがどういう場所か、知らないわけではないでしょう?」
 賢木も、その機関については知っていた。噂程度ではあったが、碌でもない噂ばかりだ。決していい噂は流れていない。超能力者に対して最悪な機関。超能力者を研究対象としてしか見ようとはしない者達。言葉巧みに罪もない超能力保有の子供達が、犠牲になっていく。
 見過せるものではないと分かっていても、そこのトップが政府が与する者達であるから簡単に手を出す事が出来なかった。超能力者と普通人の共存の為、超能力者を守る為に何れは摘発し壊滅する必要もあるだろうが、果たしてそれをたった一人で成せると言うのか。
「敵地に一人無防備に乗り込むものじゃないですか。万が一という事があった場合、どうするんです」
「なあに? 君は皆本君の事を信じてないの?」
 それが、安い挑発の言葉であることは賢木も分かっている。
 信じていないわけではない。それでも今回の事は、皆本には荷が重過ぎると言っているのだ。だがそれも不二子は分かっていて、言っているのだろう。このことに対しての抗議は一切認めないと言わんばかりに。
「それに皆本君はちゃんと自分の意思で頷いたのよ」
 果たしてそれは本当に皆本の意思だったのか。元より、皆本に選択肢など与えられていなかったのではないか。是か否か。選択肢があるように見えて、実は頷く以外の選択肢はなかったのではないか。
 それに皆本の性格を考えれば、この任務を断ろうとすることなどできないと、わかっていたのではないか。
 だが幾らそう考えたとしても、不二子の言う通り皆本は自分の意思として、頷いてしまったのだ。だからそれ以上、外野がどうこう言う事は出来ない。
 悔しげに顔を歪める賢木に、不二子は小さく溜息を吐く。賢木の抱える不安や心配も、皆本の置かされた現状も知らないでやっているわけではない。ただそれでも、これは皆本が適任なのだ。……彼しか、いなかった。
「用件はそれだけ?」
 こう見えても忙しいのよ、と素っ気無い不二子の態度に賢木はぐっと拳を握り締めて、その力をゆるゆると解いていく。
「もし成功したとして。それが皆本が起こした事態という事はそこの職員や上層部も当然知るでしょう。後のことはどう考えているんですか」
 秘密裏に動いている組織とは言え、政府の人間の動かす組織だ。それを壊滅させたのが同じく政府の人間が引き起こした事態だと知れると、皆本の立場はどうなるのか。中には報復に出る者もいるかもしれない。いや、その可能性が高いと見たほうがいいだろう。そうなった時、皆本の身の安全はどうするのか。皆本だけではなく、その周囲の人間、下手すればバベル自体も立場は危うくなる。
 政府の上層は全員が全員、超能力者を容認し擁護しているわけではない。中には彼らを排除しようとする者達も居る。今回のこの組織が良い例だ。そしてそれ以外にも、そういう組織は数多存在しているだろう。
 ただバベルは国の認めた機関であるから、下手に手出し出来ないだけだ。組織一つ壊滅すれば、どうとでも言い繕い、大義名分を掲げて何らかの打撃を与えてくる事もある。先々を考えれば、下手に動けることではないのだ。
 だがそういう不安を、不二子は笑い飛ばす。
「大丈夫よ、心配ないわ」
「どうして……」
 その強気な態度はどこから生まれてくるのか。大丈夫だと告げる、根拠はなんなのか。
「この件に関して、バベルは一切関わっていないもの」
「――っ!?」
「だから、大丈夫なのよ」
 不敵に笑う不二子に、賢木は身体が震えるのが分かった。一体不二子は、何を企んでいるのか。
 それ以上の発言は認められることはなく、賢木はやり場のない感情を持て余したまま退室する事しか出来なかった。
 その後に桐壺にも不二子の意向を確認してみたが、彼はただ不二子に言われるままに行動しているに過ぎなかった。手掛かりを掴めたとは言えない。
 それでは今回の件については、不二子の独断によって行われている事なのか。どういう結末を描いているのか。その真意を知ることも出来ない。
 だから何も知らないのは、賢木も同じなのだ。ただ、中途半端に事を知ってしまったから、動けないもどかしさに力ない自分に嫌気が差してくる。
 出来るのはただ、皆本の無事を信じることだけだった。だがそれが、一体なんの気休めになるというのだろうか。
戻る | 目次 | 進む

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system