少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 03  

 漸く一日の労働が終わると、両肩にずしりと疲れが伸し掛かってくる。体力的にはまだいけるだろう。けれど精神面がついてこない。気疲れ、しているのだろう。
 与えられた個室には簡易ベッドと机、それにクロゼットがついていた。娯楽は一切ない。けれど研究一筋の人達にとっては娯楽など必要ないのだろう。
 各部屋にシャワールームも備え付けられていたが、皆本は真っ直ぐにベッドに横になる。
 倒れ込むように横になって、暗い天井を見上げる。そう言えば電気を点けるのを忘れていた。しかしすぐに目は闇に慣れるだろうし、今は必要ない。
「随分と楽しそうだったじゃないか」
 闇の中から聞こえて来た声。皆本はその声を聞いても、驚く事はなかった。仰向けていた身体を、横に向ける。部屋の中に、我が物顔として居座っている人物が居る。少しずつ闇に慣れてきた目が、その姿を捉える。
 いつから居たのだろうか。見知った顔に、ふっと安堵する。安らぐ、とでもいうのだろうか。
 しかしそれとは対照的に兵部の顔が僅かに歪んだ。
 起き上がる気力はあっても面倒で、皆本はそのまま腕を伸ばす。
「兵部……」
「疲れたかい? 皆本君」
「此処にいると頭がおかしくなりそうだ」
 誰も彼もが超能力者を敵視する。
 彼らを絶対に認めようとしない。
 どうして、そんな人達が生まれてしまうのだろうか。自分の考えは万人に認められることは無いのだろうか。そんな事を考えて、内側から少しずつ疲弊していく。
 伸ばした腕は、兵部が握り締めてくれた。緩く力を込められて、自然と口元が綻ぶ。ゆっくりと気配が近付いてくる。小さくベッドが軋んで、兵部が端に座る。労わるような視線に癒される。
「此処は、壊すべきだ。普通人の為にも、超能力者の為にも」
 あってはならない場所。こんなものがあっても、ここの思想は、誰も救いやしない。力での征服で誰が幸せになるというのだろうか。何が得られるというのだろうか。余計に亀裂を生み溝を深めるだけだ。
 なのにどうしてそれが分からないのだろうか。目先の恐怖、憎悪に駆られて何も見えなくなっている。未だ幼い子供達を私利私欲の為の道具として使用するのは間違っている。
「皆本君」
 優しく、諭すような声に呼ばれて、皆本は自分が兵部の手を強く握り締めていた事に気付いた。慌てて力を緩めて、横になっていた身体を起こす。闇の中で目は慣れた。その姿もはっきりと判る。
 今更ながらに兵部に対して甘えていた事に気付いて、頬が上気する。だがそれはこの暗がりの所為で兵部の目には分からないだろう。頭を切り替えるように深呼吸してそういえばと声を掛ける。
「よく侵入出来たな」
 建物の周辺及び内部にはECMが取り付けられている。どこからも超能力者は侵入出来ないはずだ。すると兵部はいつものように少し小馬鹿にするように皆本を振り返る。
「僕にそんなものは通用しない。君だって知ってるだろう?」
「ああ……、そうだったな」
 忘れていたと、皆本は力なく笑う。
 額に残る痛々しい傷痕。その時に受けた銃弾の所為で超能力中枢に何らかの影響が出、ECMが利かなくなったのだろう。更に複数の能力の目覚め。やはり能力の覚醒や活性化には、脳内の何かしらのメカニズムが関わっているのか。
 口元に手を当てて、皆本は考え込む。その姿を、兵部はただ何も言わずにじっと見つめていた。しかしその視線に直に皆本は我に返り、考えを払拭する。いけない。考え方まで侵食され始めたか。確かに興味あることではあるが、もし糸口を見つけ出してしまったらどうなるだろうか。
 兵部の場合は偶発的な事故であり、意図されたものではない。そんな存在を、意図的に作り出してはいけない。
「引き返すなら今のうちじゃないか?」
「僕はここでやらなきゃいけない。見過せないよ」
「……君は本当に馬鹿だね」
 今はまだいいだろう。けれど、実験を受ける子供達を見てしまえば。その時まで、感情を抑えきることが出来るだろうか。開発部に居る事が、きっとせめてもの救いだったと思う。研究部にはいられない。
 まるで子供達をモルモットとしか考えていないような人間達。
 人体にどんな影響があろうとモルモット相手に同情するだけ無駄だとばかりの目。
 超能力者であるから、それもただ素質を持っているというだけで迫害を受ける子供達。逆らえば力を以って押さえつけられる。そんな事が罷り通っていいはずが無いのに。
 だがそんな組織を相手に皆本が一人で何が出来るというのか。今回の任務の内容は、建物の破壊及び研究内容の消去、そして子供達の解放。それら万事上手くいったとしても、上層部を叩き壊さなければまた同じ事が起こる。蜥蜴の尻尾きりのように下層部だけを崩してもそれは何の意味も無い。
 普通人と超能力者との間の格差が埋まらない限りは、延々と続くだろう。それは、何もこの国に留まった事ではない。
「成功すると思うかい?」
「わからない。けど、やってみるしかないだろう」
 何も動かない前から物事は決められない。それでも、今回の件は皆本一人に背負わせるにはあまりにも荷が重過ぎる。下手すれば皆本自身の身だって危なくなるのだ。それらが分かっているはずなのに、どうしてそれを皆本は引き受けるのか。バベルはなぜ、皆本を送り込んだのか。
 いや、皆本が引き受けた理由は、わかる。きっと、皆本ならば超能力者の為と答えるだろう。此処に収容された子供達を解放する為に、悪質なこの組織を破壊する為に、皆本は此処に居る。その為ならば自らその身を投げ出す。──本当に、馬鹿だ。
「それに、大丈夫だって思えるんだ」
「……どうして」
 確信を持ったようなその声に、兵部は目を瞠る。皆本を振り向けば、やはり不安はあるだろうが何処か落ち着いている。
「だって、兵部が大丈夫だって言ったじゃないか。これが、プレゼントか?」
 出発前夜の言葉を、皆本は忘れてはいない。ずっと頭の隅に残っていた言葉。どういうことなのだろうかと考えて、部屋に戻ってきて兵部の声を聞いた瞬間に、この事かと合点がいった。
 確かに兵部が一緒に居るのなら、大丈夫だと思える。どんなに敵対していても──或いはだからこそか、兵部の実力は知っている。目指すものも思想も違うけれど、頼りになる事は分かっている。
「…………癪だな。折角君を驚かせてやろうと思ってたのに」
「充分驚いたよ。でも、嬉しかったのが大きいから」
 静かに微笑む皆本に、兵部は視線を逸らして溜息を吐く。どうにも調子が狂う。そうなる程に、皆本は疲弊してしまっているのか。ならば、あまり長引かせると皆本の自我も危ういだろう。
 反発する意識を押さえ込むには体力も気力もいる。軟弱だと思っているわけではないが、誰にも限界は存在する。特に皆本にとってこの場所は、長時間耐え得る場所じゃない。
「単刀直入に言うよ、皆本君」
「ああ」
「僕はこの建物を壊す。子供達は助けるが、普通人がどうなろうと関係ない」
「……あぁ」
「その為に君を利用させてもらう」
 兵部の言い出すことは分かっていた。皆本は正直な気持ちで言えば、兵部に賛同したいのかもしれない。確かに憎い。何故こんな事をするんだと詰りたい。けれど、だからと言って此処の人達がどうなってもいいなどとは思えない。感情論には走れない。極端だと思ってしまう。憎いからどうなろうと関係ないと、無関係だと思うのは、卑怯だ。責任を背負おうとはしない、無責任にはなれない。
 では何が、どうする事が正しいのか。解決が難しい事は解っている。簡単に誰かの信条を捻じ曲げられるはずが無い。一度欲を持った人間を止めることは難しい。だがそれが間違っている事ならば。どこかで止めなければならない。野放しにしていてはならない。
「……一つだけ、条件がある」
 闇の中でも静かに光る眼光。決して力ある者に屈伏しようとはしない、憐れで、愚かで、それでも他人を惹き付ける光り。
「なんだい」
「超能力者も、普通人も、誰も傷付けるな。普通人の仕出かした事は、僕達普通人が片を着ける」
 そこに超能力者は介さない。だが決して生温い処置を施すつもりは無い。そこに火種があるのなら、徹底的に消し止める。
 二人はただ、見つめ合う。兵部は何かを探るように。皆本は心の奥まで見せるように。偽りなどどこにもないのだと、信じ込ませる為に。血判を押すわけでもない口約束は、ただ信じてもらうしかない。
 どれくらい、そうしていただろうか。緊迫したような空気が漂う。けれど、先に目を逸らしたのは兵部だった。純粋過ぎるほどに真っ直ぐな瞳の中に嘘偽りが混ざっていない事など知っている。それでも兵部は疑う。超能力者の為に。兵部にとって普通人は、憎むべき存在。
「……わかった。善処はしよう。だが、向こうが勝手に怪我するのは知らないからな。それに正当防衛は構わないな?」
「ああ、それでいいよ。……で、僕はどうすればいい?」
 一瞬にして張り詰めていた空気が緩む。強張っていた身体を解すように動かすとベッドが軋んだ音を立てた。
 犠牲者は出来るなら出したくない。だがそれが不可能な場合もある事を知っている。だから感情に捕らわれず、ただ冷静に行動してくれれば、皆本はそれでいい。故意に兵部が誰かを傷付ける事を、兵部がまた憎しみに心を囚われる事を、皆本は望んではいない。兵部にとってもそれは精神を傷付けることだろう。どちらにとっても、早めに解決したい問題だ。
「とりあえず建物内と周囲の見取り。ECMが何処にあるのか調べてくれ。出来れば周囲の仕掛けも分かるといい。入り口は?」
「この建物は隣の施設と繋がってて入り口はそこだけらしい。でも、抜け道もあると考えていいだろう。窓は嵌め込み式で強化ガラスで出来てるから割ることはちょっと難しいと思う。建物全体も、対超能力の対策がされてるはずだ。建物内の部屋には全てIDカードと指紋が要るけど、機械を弄ればなくても開けられる。制御室を押さえればその必要も無いし、ECMの効果も切れる」
「結構調べてるね」
「当然だ。僕だってこんな所からさっさと出たいしね。……ただ、制御室は警備が厳重で中々近寄れそうにも無い」
「だが居るのは普通人だろう? それは僕がなんとかしよう。それで、子供達は?」
「うん……」
 皆本は言葉を途切れさせて、窓の向こうへと目を向ける。そこはただ夜の闇があるだけで何も見えないが、その先に子供達の収容された建物があるはずだ。そこで、子供達はどんな生活を送っているのだろうか。
「この建物から繋がってる。入り口は一箇所。そこもIDカードと指紋が必要だけど、同じ仕組みなら開けられる。でも、簡単にはいかないかもしれないな」
 何せこの研究所はその為に作られたものだ。研究材料が無ければ意味が無い。何よりもそこを頑丈に作るだろう。超能力対策も取られていると考えた方が自然だ。
 実験に失敗して超能力が暴走した時、それに耐えられるだけの建物の強度が無ければならない。そして、子供がその超能力を使って脱走しない為にも安易な造りではだめだ。
 更にもう一つ。懸念がある。
 子供達に付けられているリミッターの存在だ。
 殺傷能力は低いとはいえ怪我を負わせるわけにもいかない。恐らく此処の研究所の事だ。遠隔操作でもリミッターが爆破する仕組みになっていると考えた方がいい。そうなると、一人を解除している間に他の子供達のリミッターが爆破されてしまう。それは避けなければならない事態。
 一斉に外す事は恐らく不可能。ということは、その遠隔操作できるリモコンを破壊しておかなければならない。
 現段階で考えられる事だけでも、やる事が多すぎる。そしてそれらは全て円滑に行い、どれか一つでも欠けてしまえば失敗に繋がる。なんとも危険な綱渡りだ。
 それを、バベルは皆本一人にやらせようとしていたのか。
 情報が少なかったのか、そこまで重要視していなかったのか。
 しかしそれでは辻褄も合わなくなる。
 その真意は何処にある。
 考え込んでしまった皆本に、ただ兵部の中には一つの可能性は見えていた。ムカつくほどに、汚い遣り方だ。自らの手は汚さず、しかし確実に思惑通りに進める方法。
 これは皆本には、告げないほうがいいだろう。
「それじゃ皆本君。僕はそろそろ帰るよ」
「え、あ……、ああ」
「なに? 帰って欲しくないの?」
 歯切れの悪い返事。覗き込むように顔を見つめれば、戸惑った瞳がついと逸らされる。その正直な反応にくすくすと笑っていると、きつく睨まれる。
「とっとと帰れ!」
「あはは。照れちゃって可愛いなぁ」
「照れてない!」
「あんまり大声出すと誰か来るぜ?」
 ハッと口噤み、周囲の音に耳を済ませる。けれど話し声や足音一つ聞こえない。左右の部屋からも何のアクションも無い。注意深く探っていると、笑いを堪えるような兵部が目に入ってくる。
 からかわれたか、そう思って殴ろうとした手もあっさりと受け止められる。そのまま身体を引き寄せられて、耳元で小さく、囁かれる。
「気をつけろよ、皆本君」
「ああ」
 触れ合うだけ、口付けて兵部は消える。
 部屋の中に落ちた静寂に皆本は細く息を吐き出すと、立ち上がりシャワールームへと向かった。
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