少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 18  

「皆本……」
 無理矢理、離そうとするのではなくそっと両目を擦る腕を掴まれて、ぼやけて滲んだ視界に兵部の姿が映る。ほんの僅か、躊躇するような素振りを見せた後に近付いた唇に涙を吸われて、吐き出したい悪態は山ほど生まれてくるというのに何一つ言葉にならない。口を開けば余計泣いてしまいそうで、戦慄く唇を噛み締めるしか出来ない。
 けれど口付けながら嬉しそうに、おかしそうに笑う兵部に、そう言えばこいつは感応系の能力を持っているのだったと気付くのは、優しい唇に慰められた後で。
 無性に恥ずかしくて居た堪れなくて、羞恥に身動きも取れなくなってしまった皆本に仕方がないというように自ら服を脱ぎ出す兵部に、競うようにその服を脱がしてしまったのは、もう意地でしかなかった。
 互いに全裸で向き合って、初めてのことでもないのに、辺りにはどこか、ぎこちない空気が流れていた。それに二人同時に気付いて目を合わせて、吹き出すように笑い合う。
 どちらからともなく唇を重ねてしまえば後は込み上げる衝動に煽られるまま、互いを感じることしか考えられなくなる。
「ぁ……、兵部」
 重ねた唇が首筋に這い、そこに熱い吐息を感じるだけでぞくぞくと身体が痺れる。皮膚を吸い上げようとする口唇に、焦って待ったをかければ不服な眼差しに見上げられ、皆本は途方に暮れたように困惑する。
「そこ、は……、ばれる、だろ……」
 暗に服に隠れて見えない場所ならいい、と、痕を付けられることが嫌なのではないと告げた言葉は兵部に正しく伝わり、男は眦を下げると更に唇を滑らせて、胸元へと顔を埋めた。刻まれる所有に皆本は身体を震わせ、兵部の頭を胸に優しく抱き込む。
 指で、舌で、唇で与えられる胸への刺激に熱を膨らませて、我慢も出来ずに腰を揺らしてしまう。少しずつ愛撫する唇を下へとずらされて、もう少しでそこへと近付く期待に、どうしようもなく喉を鳴らしてしまう。腰を撫でられ、臍を舐る舌に熱っぽい息を空気に溶かして、既に溢れていた透明な雫が兵部の肌を穢す。
 動かない兵部の変わりにそこへの愛撫を受けるために身体を持ち上げて、冷たい壁に縋りながら浅ましく天を衝く屹立に触れられる時を、待ち侘びる。
「あ…ぁぁ……」
 痛いくらいに感じる視線に皆本はぎゅっと目を閉じ、哀願の言葉を紡ぎそうになる唇を何度も開閉させる。切ない喘ぎを零しながら額を壁に擦り付けて、狙いを定めるように引き寄せられる腰が逃げ出しそうになるのを耐える。
「んんーっ、んっ……あ…っ」
 熱い息を感じたと思った瞬間、熱い粘膜に包まれ、腰の戦慄きをどうすることも出来なかった。性器を咥えられる、それだけでどうしようもない愉悦が生まれて、怯えて逃げる腰をしっかりと捕まえられる。
 身動ぎも出来ない官能の中に追い込まれて、頭の中がごちゃごちゃに混乱する。
「あ…、あぅ…っ、ぅ、…やっ…」
 容赦なく性器を舐めしゃぶる兵部に余裕はなく、皆本が気持ちよくなるように快感だけを与えられる。たっぷりとそこを愛されながら震える尻を掴んだ指がその奥に辿り着くのがわかり、頑なに閉ざした後孔を悪戯な指が弄り始める。
 腰を前に逃がしても後ろに逃がしても皆本を絡め取る官能に、ただ翻弄されるしかない。
 性急に窄まりに指を咥え込まされ、だが痛みよりも快楽が先に走る。兵部が触れない間、誰に触れられることも無かったそこは侵入を拒んでも、そこで愛されることを覚えている。愛しい男を受け入れる悦びを知っている。
「はっ、あ……っ、ああっ…」
 自然と揺れ出す腰を止められない。思考が真っ白に溶けるような深い官能に皆本はただ涎を垂らして悶えていた。早く欲しくてたまらなくて、それはただ思っていただけなのか、口走ってしまったのかも分からない。
 低く、唸るような声を上げた兵部がまだ充分に解れてもいないそこに指を増やして、熱くうねる粘膜を抉るように擦られる。何度も指に突き上げられながら気をやってしまうほどの快楽に呑まれる。
「ひ、ああ…っ」
 気付けばシーツの上に引き倒され、皆本は兵部を見上げていた。覆い被さってくる兵部に、まるで追い詰められたような顔に浮かぶ欲を滾らせた双眸に、背中の痛みを気遣う余裕も――否、そんなどうでもいいことを考える理性など、ありはしなかった。
 足を抱えられ擦りつけられる昂りに、息を殺すようにしてその瞬間を待っていた。
 逞しい灼熱に身体を貫かれ、瞬間頭が真っ白になっていた。濃く漂う精の匂いに彼に貫かれただけで達してしまった事実を知り居た堪れないほどの羞恥を抱いても、激しく腰を突き上げられまざまざと体内に宿された熱を感じてしまうと、もうどうでもよくなる。
「ひょ、ぶ……、兵部っ」
 両腕を身体に巻きつけ、極まった声で何度も男の名を呼ぶ。身体の中で息衝く熱をたまらなく締め付けて身悶えていれば、一層激しくなる突き上げに息も出来なくなる。
「光一……僕を許さないで」
 官能に翻弄される中で静かに落とされた懺悔の言葉に、縋るようなその声に皆本は強く兵部を抱き締める。びく、と震えた身体に更に力を込めて、頷く。
「許さない。お前が仕出かしたこと、誰が許してやるもんか」
「……ああ」
「だから、だからお前は一生をかけて、僕に償え」
「……ああ」
「僕を泣かせた罪は、重いんだからな」
「覚悟しておくよ」
 小さく笑った兵部に皆本は抱き締める力を緩めて、額を合わせる。
 口付け、舌を絡めて、言葉もなくただ想いをぶつけ合うように交わり、けれど訪れるその時に、皆本の身体が無意識に怯える。もう大丈夫だと分かっていても、もしかしたらと過る考えを捨てきれない。
「大丈夫だよ」
 そんな皆本を抱き締めて、兵部は何度も大丈夫と繰り返す。
「大丈夫。覚えているから。明日も明後日もその先も、ずっと君は僕のことを覚えていて、愛し続けている。もう忘れることなんてないから」
「……きょう、すけ」
「そう。それが君が愛していて、君を愛している男の名前だ。愚かなことをしてしまうほど、君を愛している男の名前だ」
 繰り返し、譫言のように縋るように男の名を繰り返し、皆本は導かれるままに精を迸らせた。同時に身体の中に広がる熱を感じながら、戦慄く唇を塞ぐその中に舌を差し込み絡ませ合う。
 覚えていることに夢ではないことに安堵し、歓喜し、萎えることのない熱に再び翻弄される。空白の時を取り戻すように、もう二度と、この温もりを手放すことが無いように。

□ ■ □

 別れは惜しい。
 またいつだって逢えると言うのに、傍を離れるのが寂しくて仕方が無かった。
 陽が昇ってもギリギリまで互いの身体を心を求め合って、身を清めて戻ってきてからも、どうしても別れの言葉を告げることが出来なかった。
「近いうちに迎えに来るよ」
「……ああ」
「あれ、不満?」
 どことなくぼんやりとして、事後の気だるさを引き摺る皆本の顔を覗き込みながら兵部が首を傾げる。間近に見つめ合う瞳に皆本が慌てて後ずさるのを楽しげに見遣って、兵部は笑みを零す。
 そんな兵部に皆本はどこか憮然と唇を尖らせ、避ける前にその唇に口付けられた。殴りかかろうとする手は簡単に捕らえられ、押しても引いても兵部の手は離れない。諦めに皆本が小さく息を吐き、すると手はあっさりと離された。
「兵部」
 身を起こそうとした兵部を皆本が静かに呼び寄せ、素直に近付く男が何故かくすぐったく感じる。これが自分達の距離感であったのだと、そう覚えていても二年は短いようで長く、奇妙な感覚が残る。
 そんなことを考えながら皆本は近付いた兵部の腕を引いて更に引き寄せ、透視されて逃げられる前に、無防備に晒された白い首筋に遠慮なく噛み付いた。
「っ」
 驚き、身を起こした兵部が噛まれた首筋を頬を紅潮させて押さえるのを珍しく、楽しく見つめて、皆本は真剣な表情でトン、と自分の首筋を指差す。
「それが消える前に迎えに来い」
 そう強く噛んだわけではないそれは、すぐに消えてしまうだろう。
 兵部が約束を違えるとは思えない。だが、近いうち、などいつかも分からないその日を待てる自信が、ない。
 それを読んだのかどうかは知らないが呆然としていた兵部がしょうがないと笑うのに、皆本も頬を緩めて微笑んだ。
「普通はキスマークとかじゃない? 噛み癖は治ってないようだね」
「わざとだ、クソジジイ。精々変に勘繰られて来い」
「そうだね。気の強い子猫に噛まれたとでも言い訳しておこうかな」
「なっ」
 あからさまな人間の歯形でそんな言い訳が通用するはずがない。うろたえさせてやろうという意趣返しも含ませていたというのに、この程度では兵部を楽しませるだけだったかと、皆本はがっかりと肩を落とす。
 その落ち込み様に兵部はくすくすと笑い声を落として、扉の向こうの気配に気付くと俯いた皆本の顎を掬いあげた。
 上向いた皆本の唇が優しく塞がれ、ほんの少しの間だけ舌を絡めて唇はすぐに離れていく。
「続きは今夜」
 囁き、名残を惜しむように頬を撫でる兵部に皆本は首肯を返して、空間を歪めて消える男を見送った。
 一時の別れの余韻に浸る間もなく、雰囲気をぶち壊すように勢いよく放たれたドアにびっくりと目を見開いて、やってきた親友と少女達の姿に、皆本は顔を綻ばせた。
「おはよう、みんな」
「皆本ーっ。よかったぁ」
「わっ、どうした、薫?」
 文字通りに飛びついてきた薫を皆本が抱き止めれば、それに便乗するように紫穂や葵がベッドに乗り上げてくる。一気に騒然とする室内に、心配したと口々に告げるチルドレンに皆本は困ったように笑み、肩を竦める賢木へと、同じように肩を竦めた。
 これもまた、なんでもない日常ではあるけれど。それまでと受け止め方が違うのは、やはり、あの男の存在のお陰なのだろうか。
 以前よりも幸せに、かけがえなく、感じている。
 賑やかな光景に、戻ってきた、と、そう思う。
 ただ一人の在り方が変わっただけで、こんなにも世界は変わる。

 それらを離れた外から、眺める影があった。
 日常へ帰るその光景をしばらくの間愛おしそうに眺めた後、兵部が視線を巡らせれば、己へと向けられる視線に気付いた。いつから見られていたのか、そう口許には苦笑を滲ませて、今は放っておいてくれるらしい姉に目を細める。
 目を見開き、身を乗り出した不二子にやってこられる前に兵部は身を翻し、そっと子猫に噛まれた首筋を撫でるように手を当てた。
 その表情は晴れやかに、幸せに、綻んでいた。
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