少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 その後  

 唐突に、意識が黒い波に襲われる。濁流に呑まれるように一息に塗り潰されて、目覚めた意識は身体中から噴き出た汗に不快感を覚える。
 一体、何の夢を見ていたのか。覚えていない。覚えてはいないが、知っている。こんなにも不快になる記憶はひとつしかない。
「……んぅ」
 目覚めと同時に起こしてしまった身体のせいで毛布がめくれ、隣で眠っていた人物が不機嫌な唸りを洩らした。
 その声に現実を、現状を思い出して思わず滲み出た苦い笑いをそのままに、眠る青年の前髪をそっとかき上げる。どれだけ熟睡しているのか、目覚めない彼に安堵すると同時に愛しい気持ちが湧き起こる。
 自身の汗にしっとりと濡れた髪をかき上げて、兵部はただ穏やかな寝顔を見つめ続けた。
 一度は試し、手放そうとした存在。変わらず隣に戻ってきてくれたことに臆病者は自分かと自嘲し、後戻り出来ないところまで疾うに来ていたのだと、そこに抱く感情が後悔なのか諦めなのかもわからない。
 今後、悔いることはないのだから後悔とは呼べないだろうが、それに似ているような気もする。同じだけの想いや強さで相手を見つめていても、いつまでもこうして傍に居続けるということは出来ないのだ。時間は無限ではない。
 だからあれは、手放すにはちょうど良かったのに。
 己の矛盾に蓋をして、けれど裏切られる痛みを知っているから中途半端にしか裏切れない。本当には傷付けられない。それはただ、徒に傷を悪化させるだけなのに。愛しているからなんて、そんな言葉は言い訳にもなりやしない。
 結局は、相手の傷付く顔を見たくはないという自分のため。利己的なのは誰なのか。
「……バカな坊やだ」
 諦めに近い呆れを吐き出し、しかしその声にはどうしようもない喜びが滲んでいた。
 バカみたいに清く正しく誠実な人間であろうとするから、陥れることも貶すことも一人相撲のようにしか思えなくなってくる。その直向なエネルギーは、一体どこから生まれてくるというのか。
「君の全部を暴いたら僕も少しは理解できるかな」
 呟いて、兵部は小さく笑う。
 本当はそんなこと微塵も思っていないくせに。でも、暴いてみたいと思う。
「寝てる人間に何物騒なこと言ってるんだ、お前は」
 眠っている、と思っていた口から呆れたような口調で言葉を返され、兵部はゆったりと撫でていた手を止める。寝起きには変わりないのか掠れた声と、眠そうな瞳に兵部は軽く首を傾げた。
「別に好きな子の全部を知りたいと思うのは普通のことだろ?」
「お前が言うとなんか物騒に聞こえるんだよ……」
 撫でることは止めたものの頭に置いたままの手を、皆本が掴む。指先から伝わってくる温かさが面映ゆい。
 そのまま、起き上がった皆本に兵部は身を寄り添わせて軽く口付けた。一瞬驚きに身体を揺らした皆本も、握り合った手に力を入れて瞼を伏せる。
 ただ啄むだけの、情欲の絡まない触れ合いを繰り返して、兵部は皆本の身体を抱き寄せると後ろを向かせて背中から抱き締めた。手は繋いだまま、腕ごと抱き締めてしまえば皆本に抵抗は出来ない。
 肩に頭を預け、悔しいかな、抱きすくめるというよりも抱きつくという表現が正しいような体勢にひっそりと笑う。その背中越しに、皆本の戸惑いが伝わってくる。
「……お前」
 皆本が躊躇う言葉を、兵部は静かに促す。らしくはないことをしている自覚は十分にある。皆本の戸惑いも尤もだ。
 けれど皆本は一呼吸をおいて、何でもないと首を振る。その代わりに、緊張していた背中がゆっくりと預けられる。身体にかかるのは愛しい重み。温もりが混ざり合う。
「怖い夢でも見たか?」
「さてね。記憶にも残らない他愛もないものだったとしか覚えてないよ」
 軽く受け流せば皆本もそれ以上は追求しない。その沈黙が逆に追求されているように感じてしまうのは、吐いた言葉が事実と異なるからか。それでも皆本にその気はない。
 皆本が問い掛けたのも社交辞令のような、とりあえず聞いておくかと軽い気持ちのもので、最初から答えなんて期待していない。それは兵部のことなどどうでもいいということではなく、言う気になれば言うだろうし言わないのならその必要がないからと判断したからだと、推測を立ててくれる。
 無闇に踏み込んで来ないそれは寂しいとも思えど、皆本にとってもそれは無意識の自己防衛が現れた結果だ。排斥された過去が誰かの心に足を踏み入れることを躊躇わせている。
 依存になってはいけない。依存してはいけないと律しようとしても、この温もりは癖になる。
「薫は――」
 不意に、皆本が呟いたその名前に兵部はぴくりと指先を震えさせ、ゆっくりと預けていた頭を持ち上げた。
「薫達はまだ未成年の女の子だから、彼女達の前では僕は正しい大人でいなくちゃいけないと思っているけど――」
「けど?」
 ともすれば消えていってしまいそうな語尾を、兵部は拾い上げる。
 強まった指の力に、兵部も同じだけの力を返すと抱き締めた身体が僅かに強張った。
「お前の前ではそうでもない……と、思う」
「つまり?」
 まっすぐに前を見据える眼を横から覗き込んで、意地悪とわかっている質問をする。案の定、睨んでくる瞳に兵部は他意はないのだと邪気のない顔で笑う。
 その顔をしばらく見つめ返して、皆本はふっと顔を戻して息を吐く。
「何かに悩んでて、それが僕にも打ち明けられることなら打ち明けて欲しい。お前のことだったらどんなことでも知りたいと思うし、僕のことも知って欲しい。……付き合うって、そういうことでもあるだろ? もうお前のことを忘れるなんて嫌だ。もし忘れても何度だって好きになってやる。お前のことを好きじゃなくなるなんてもう無理なんだよ。またあんなことで悩んでるんなら無理矢理にでも吐かせるからな」
 正面から射抜いてくる眼差しに、その奥に潜められた傷付いた光になんて愚かしいことをしたのかと自分で自分に腹が立つ。取り返しのつかない過去に、たとえこれから先それを償っていくのだとしても、それは目に見えぬ傷となって双方に一生残り続ける。
 だがそうした加害者と被害者として関わりを続けていくつもりは、どちらにもありはしない。対等な人間として関わり続けていくことが、二人の願いだ。
 兵部がその口元に穏やかな笑みを浮かべると、皆本が途端に顔を赤らめて慌てて顔を前に戻してしまう。それにくすりと笑いを零して、兵部は前のめりに逃げた背中に胸をくっつける。
「何で逃げるの? 皆本君」
「に、逃げてなんかないっ。それより離れてくれ! 僕はもう寝るっ」
 焦る皆本に兵部はもったいぶるように悩む声を出し、口元にある耳に息を吹き込む。びくっ、と身体を跳ねさせた皆本が意固地になってしまわない内に、兵部は腰に回した手でやんわりと皆本のそれを握り締めた。
 息を呑み身を硬くする皆本に、そっと指を滑らせる。引き剥がそうと伸ばされた皆本の手すら巻き込んで、上下に扱く。
「確かにここをこんな反応させてるなんて、正しい大人じゃないかもね。まあある意味正しいけど」
 からかう口調で皆本を甘く詰って、兵部は唇を耳に押し付け、頬からうなじへと滑らせていく。熱を上げ汗ばむ肌を唇でゆっくりと味わって、時折強く吸引する。腕の中で弱々しく跳ねる身体に扱く手を早めると、先端から先走りが滲み出した。
「っあ、も……、さっき散々したじゃ……ぁっ」
「さっきはさっき。今は今。君だって欲しいだろ? 腰が揺れてる」
「っ」
 身体の浅ましさを指摘され皆本の身体が怯えるが、小さく喉を鳴らすと皆本は弱く兵部の手を抑えていた手を離して、後ろへと回す。手探りに腰に当たっていたそれを掴むと、兵部が短く息を呑む。
「す……きな奴のこんなの押し付けられて平然としていられるわけないだろ!?」
 自棄になったように叫ぶ皆本に、兵部は嬉しそうに困ったように笑みを洩らす。それが聞こえたのか、振り向き様に睨んで来る皆本の唇を奪ってやれば吃驚した顔で戻っていく。
 同時に離れてしまった手を名残惜しく感じても、いつまでも繋いだままの手の強さにどうでもよくなってくる。
「もう一回言って。僕のこと何て言った?」
 赤く染まった耳を食み、ねだる言葉を吹き掛ける。
 伝わってくる困惑に嗜虐欲を煽られ、熱く猛ったそれを焦らしながら言葉を催促する。
「さっきは男前なこと言ってくれたくせに」
「さっきはさっきだ! ――京介さんのことが好きだよっ。それで文句あるか!」
 やけくそで叫ばれた言葉でも、兵部は頬を緩めて皆本を腕の中に強く閉じ込める。皆本が暴れたのは、一瞬だけだった。
「文句なんてないよ。君のそういう素直じゃないところも好きだし」
「素直じゃないのはお前もだろ」
「でも好きだろ?」
「……好きだよ」
 首を捻って振り向いた皆本に、不貞腐れた唇に兵部は自分のそれを重ね合わせる。薄く開けられた唇に舌を差し込んで、たっぷりと口内を蹂躙する。気持ちのいい場所を擦ってやると皆本の身体がびくびくと震えて、無意識に擦り付けられる腰が兵部を煽る。
 おずおずと触れてきた舌を絡め取り、止まっていた手を動かすと唇を重ねたまま皆本が小さく喘ぐ。
 キスを続けたまま皆本を高めて、しかし不意にその手を止められる。唇を離して怪訝に皆本の顔を覗き込めば、熱に潤んだ瞳が兵部を見つめ返した。
「僕だけじゃなくて、お前も……」
 恥ずかしげに小さく告げられた言葉の意味を汲んで、兵部は濡れた指で後孔をなぞる。そこは少し前まで熱を咥えていたせいか、指一本はすんなりと受け入れた。締め付けてくる肉の感触をじっくりと愉しみながら指を増やして蕩けさせ、官能に戦慄く皆本の身体にいくつもの痕を散らしていく。
 眼前でしなやかに踊る肢体をもっと淫らな色に染め上げたくて、わざと焦らすように指を動かし奥底からの欲を湧き上がらせる。
「ね……、もういい?」
 滾った熱を押し付けて、囁く。
 皆本はその囁きにすらやるせない声を零して、引き抜かれた指に身悶える。が、腰を上げさせ蕾に熱を当てた兵部に、唐突に皆本が待ったを掛けた。さすがにこの時になって待ったを掛けられるとも思わず兵部がつい怪訝な顔を作ってしまうと、皆本が慌てて言葉を重ねる。
「違くて! そんなんじゃなくて、その、……今はお前の顔が見たい、って言うか……その」
 耳といわず首といわず顔全体を羞恥に色を染めて呟く皆本に、兵部は深く溜息を吐き出すとその希望通りに身体を反転させた。
「散々人のこと煽って、覚悟は出来てるんだろうね?」
「覚悟って……、僕は別に……。……ただ」
「ただ?」
 俯く皆本の顔を上げさせ、逃げ道を塞ぐ。最初は落ち着きなく動いていた視線も、最終的に観念して兵部を見つめる。
 まっすぐで、翳りない。真摯で直向で、危ういくらいに一途な眼差しにどうしようもなく泣きたくなる。
 それを悟られたくはなくて自分から目を逸らそうとする前に、強く優しく、抱き締められる。
「なんか今日のお前は目が離せない感じがするっていうか、もやもやする」
「……気のせいだよ」
「そう、か……」
 納得したわけではなく、納得しようとする皆本に兵部はバレないように泣き笑いの顔を浮かべて、強く皆本を抱き締め返す。
「大丈夫だよ。君に隠していることは何もないから」
「……ん」
 小さく首を縦に動かした皆本の頭を撫でて、唇を重ねる。すぐに舌を絡め合わせて互いに熱を高めて、皆本の中に兵部が入り込む。
 全身を駆け抜ける官能に震える皆本の身体を何度も突き上げその奥まで侵略して、兵部は自身を包み込む温かさに静かに安堵する。
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