少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 15  

「それでは、僕達はこれで」
 退室を告げる皆本に不二子が頷きを返した時。
 それぞれの足下を、大きな揺れが襲った。建物全体を震わすほどの揺れ。
 まるで地震が起きたようなそれはすぐに鎮まり、三人が何があったのかと顔を見合わせていると、今度はけたたましく内線が鳴り響き、それを取った不二子の顔が険しく歪む。
 叩きつけるように受話器を置いた不二子に、自然と皆本と賢木の表情も厳しくなる。
「侵入者よ――。皆本クン、チルドレンを呼んで」
「はい!」
 皆本は携帯を取り出すと、チルドレンのつけたリミッターの解除コードを入力する。
「特務エスパー、ザ・チルドレン。解禁!」
「私達も行くわよ」
 不二子の言葉に皆本も賢木も首肯を返し、瞬間移動で現場へと向かう。不二子の思念波に包まれ空間を歪めて移動した先は、バベル1階の受付ホールだった。
 先程の揺れの原因がここにあると、考えるまでもなかった。床や天井、壁には大きな罅が入り、瓦礫となって辺りに散乱している。足の踏み場もないような惨状に、それでも倒れている人の姿がないことに安堵する。
 何故こんなことが起きたのか、注意深く周囲を見渡して皆本は入り口付近に見える人影に、大きく目を瞠った。
「何があったのっ!?」
 皆本達と同じように瞬間移動で現れたザ・チルドレンが、ホールの変わり果てた姿に息を呑む。不安げな視線を寄せる少女達と合流し、既に状況の把握の為透視を始めていたザ・ダブルフェイスを見遣る。
 すると透視能力を発動させていた奈津子が、その双眸を見開いたかと思うと素早く周囲を見渡し、視線を皆本で止める。
「ダメ! 犯人の狙いは、皆本さん――!」
「ミ、ナモト……?」
 鋭い奈津子の声がホールに響き、次いで感情を伴わない虚ろな声が皆本の名を紡ぐ。
 ゆらり、と陽炎のように揺らいだ影に、奈津子の叫びを聞いたザ・チルドレンが警戒するが、それよりも早く、影が動いた。
「――ぅ、ぐっ……!」
「皆本っ!!」
 何かの強大な力に圧されるように皆本の身体が後方へと吹き飛ぶ。避ける間も、薫がガードする間もなかった。
 崩れた瓦礫に皆本は後頭部をぶつけ、ほんの一瞬、記憶が途切れる。皆本が気が付いたときには身体の上に何かが圧し掛かり、尋常ではない力で首を締め付けられていた。冷たい十本の指は皆本の首に深く絡みつき、呼吸がままならない。
 それでも薄く開いた唇から浅い呼吸を繰り返し、皆本はどうにか目を抉じ開ける。朦朧としたような視界の中に見えるのは、見知った少女の姿。
「――イ、ヴ……」
 搾り出した皆本の声に、イヴの指がピクリと反応を示す。しかし首を絞める力が弱まることはなく、皆本を呼ぶ、薫達の悲痛な声も遠い。
 イヴは、ボロボロだった。体中に擦り傷やアザを作り、満身創痍といった体で皆本の前に現れた。あの騒ぎの中、彼女だけが助かったのか。それとも他に逃げ延びれた者はいるのか。
「どう、して……」
 伝わってくる彼女の悲しみと怒り、行き場のない慟哭。
 皆本はどうにか腕を持ち上げてイヴの細い手首を掴むが、引き剥がすだけの力を出すことも出来ない。薄れかける意識の中でイヴを捉え、ただ真っ直ぐに見つめていれば、不意に頬に熱く冷たい雫が降りかかった。
 頬を伝う雫に、皆本は目を見開きイヴを凝視する。
「コーイチなんて嫌い! 大っ嫌い!!」
 そう、溢れる雫を零しながら叫ぶイヴの悲痛な声が辺りに木霊する。
 実直にぶつけられたイヴの言葉に皆本は一瞬顔を歪め、だがそれを受け止めるように静かに瞼を伏せた。イヴを掴んでいた手から、力が抜けていく。不思議と抗う気持ちは消えていた。
 薄く開けた視界の端で今にも飛び出しそうな表情をした薫が泣きそうに顔を崩すのに胸が苦しくなっても、皆本の手は再びイヴを掴むことを躊躇う。
 向けられる感情は、然るべきものだ。イヴにとっては、皆本は己の父を奪った者の仲間と認識されているのだろう。目の前で親を失う悲しみに、誰かにそれをぶつけなければやりきれなくなってしまう。
 兵部が言っていたのはこのことだったのかと、ぼんやりとする意識で考える。それではあの男は、イヴが生きていることを知っていたのか。こうなることすら、知っていたというのか。
 それでも兵部に対する怒りも、湧いてこない。
「返して! お父様を返してよ! 私は、私はあの子の身代わりでも良かったのに――!」
 小さく息を呑んで、皆本は納得する。
 イヴは最初から知っていたのだ。自分が何のために生まれ、作られた存在であったのかを。それを知った上であの男を父と慕い、新たに作られる存在を待っていた。男が娘のために作ろうとしていたものを、彼女がそう願うだろうと、イヴも願った。
 これまでに二人の間でどんな遣り取りがあったのかなど皆本は知らない。だがイヴは男が自分に娘の影を見ていることを知りながら、娘になろうとしていた。いくら彼女自身から作られたクローンとは言え全く同じ存在になれることはないのだから。それは、男も知っていたはず。
「身代わりでも何でも、あの人の傍に居られればそれだけで私は――っ!!」
 イヴは、分かっていた。
 このままではいけないことを。クローンであり続けることは、ただ男を過去に囚われさせるだけだと分かっていた。それでも、傍にいたいと願ってしまった。
 どうしてだろうか。
 そんな思いは皆本は知らないはずなのに、似た何かを、知っているような気がする。
 傍に居れば居るほどにただ自分を、相手を苦しめるしかない想い。叶えさせてはならない願い。だがその苦しい想いを抱えても、傍に居られる喜びが勝ってしまう。多くのことは望まなくとも、ただ傍に居るだけで幸福と思える。この幸福な一瞬が永遠に続けばいいと願ってしまう。
 好きだった。愛していた。
 だからその傍に居られなくなるのは、辛くて哀しくて、幸福を壊すもの全てが、許せない――。
「――……ごめん」
 声を出せたのかも分からないほど、その声は小さく、微かに口唇が戦慄いただけだった。
 それが誰に向けたのか、イヴに対してだったのか何だったのか、皆本自身、分からなかった。ただ、どうしようもないほどに切ない思いが込み上げてくる。
 皆本の洩らした言葉に、ほんの僅かにイヴの指先が震えた。
 躊躇うように力が弱まったのも一瞬。首をへし折るかに圧迫してくる手指に、意識が急速に遠退いていく。
 脳裏に浮かぶ人影は、誰のもの――?
「――な、にやってんだよ、皆本ォオ!!」
 遠退く意識の中に薫の声が飛び込み、何かが吹き抜けていく。刹那、首の圧迫も身体の重みも消え、呼吸が戻ってくる。急激に取り込んでしまった酸素に激しく咳き込む。
 未だ何かに絞められているような違和感を残す首元に手を当て、涙の浮かんだ目で見上げると、そこにはチルドレンが仁王立ちとなって立っていた。
 その目はイヴではなく皆本を睨んでいて、知らず肩を跳ねさせてしまう。え、と目を丸くして、チルドレンのただならぬ雰囲気に何故だか無性に逃げ出したくなる。居た堪れない。
 皆本が三人の気迫にびくびくと怯えていると、泣きそうな顔をしていた薫がふん、と鼻を鳴らして背を向ける。
「……後でちゃんと説明してよね」
「薫……」
 呟くように薫の名を呼べば、薫は凛然としてイヴと向かい合う。その姿にイヴが怯むような姿を見せたが、すぐに今度は薫達を睨み据える。
「コーイチを庇うなら、あなた達も許さない――っ」
「上等ッ! きっちり落とし前をつけて――」
「待ってっ! 薫ちゃん!」
 拳を手のひらに叩き付けて勇む薫に、紫穂が慌てて制止をかける。気を殺がれた薫が焦れたように振り向くのに、紫穂は信じられない面持ちのままそれを告げた。
「彼女、生身の人間じゃないわ――。強い思念の塊……」
 紫穂の言葉に薫と葵がイヴを凝視し、皆本は沈痛な思いで俯いた。だがすぐに顔を上げると、皆本は毅然とした表情でザ・チルドレンを見つめる。
 イヴの肉体がもうここにはないのなら、最期の思いを皆本にぶつけに来たのなら、もう彼女にしてやれることはひとつしかない。
「薫。彼女を……イヴを、眠らせてやってくれ」
「皆本――。けど」
 躊躇う薫に、皆本はゆっくりと首を横に振る。
 皆本の真剣な眼差しに薫はそれでも躊躇いを捨てきれず――、しかし、再び見るイヴに何かを感じ取ったのか、薫はイヴに向けて片手を突き出した。その手のひらに、薫の思念波が集まっていく。
 放たれた白く淡い煌きに怯え抵抗しようとするイヴの身体を、薫がそっと抱き締める。
 イヴを包むように羽ばたかれた、純白の天使の翼。
「大丈夫だから。一人じゃないから」
 イヴの身体から抵抗する力が抜け、怒りや哀しみが昇華していく。くしゃり、とイヴの顔が泣き歪む。
「――ありがとう」
 囁き、イヴは静かに薫から離れ宙へと浮かび上がった。少女の身体が少しずつ薄く霞み、背景を透き通らせていた。
 そうして光の粒子を撒くように、イヴの姿が跡形もなく掻き消える。
 しばらくの間、誰もがそれを呆然と見つめていた。イヴが消え去った後も誰も動くことは出来ず、だが、立ち直りの早かったチルドレンが、揃った動きで皆本を振り返る。
「皆本」
「皆本さん」
「皆本はん」
 にーっこりと作られた笑顔に、それに付随した笑顔には不釣合いの青筋に、安堵に力を抜いていた皆本の身体がギクリと強張る。フォローを求めて皆本が不二子を探すが、彼女は半壊となってしまったホールを復旧する為の指示に当たり、彼女も周囲の者達も皆本達のことは眼中にない。
 壊れたブリキの玩具のようにぎこちなくチルドレンに首を戻し、日本人特有の曖昧な笑みで誤魔化してみるがチルドレンにそんなものが通用していれば皆本はこれまで苦労などすることなかっただろう。
「えーっと、あの、その……」
 しどろもどろに皆本は言い訳を募ろうとするが上手い言葉が見つからず、じりじりと詰め寄ってくるチルドレンにぶつけた頭だけでなく胃まで痛んでくる。
 そう言えば頭をぶつけたんだった、と思い出したように現実逃避のように後頭部を擦り、その手がぬるりとした感触を伝えてきて――、皆本の意識はブラックアウトした。
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