少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 14  

 夢と分かる夢。
 けれど目覚めれば何も覚えていない、不思議な夢。この夢のことを覚えている、眠った状態で皆本は色々と考えてみるが、どれ一つとしてしっくりと当てはまるものはない。
 次第に考えることが億劫になって、結局、起きているときと眠っているときの両方の意識を持っている今、害はないのだから構わないのだろうと考察を諦める。
 どろりとした淀みに四肢を取られ、虚脱感に近い倦怠に意識をまどろませてぼんやりと、過ごす。
 だがそこに異変が現れていることは知っていた。
 世界が薄れている。
 ぐにゃりと歪んで混沌と色が混ざり合い、ああこれはこの世界が崩壊を始めているのだと、ただぼんやりとそれを眺めていた。
 恐怖はなかった。
 どこかでこの世界は永久に存在し続けるものではないとわかっていたから。それが寂しいのか悲しいのか、嬉しいのか、わからない。
 ただ、その先にあるものが――であればいいと。

□ ■ □

 皆本はバベルに登庁すると予め指示されていた通りに不二子の執務室へと足を運んでいた。一日の大半を寝て過ごしている彼女がそんな時間に起きているのかと皆本は若干半信半疑だったが、不二子はしっかりと真面目に起きていた。
 それを意外に思っていると顔に出ていたのかそれとも透視されたのか、きつく睨んでくる不二子に謝罪を済ませて、皆本は早速とばかりに話を切り出した。
 不服そうに、不二子がせっかち、と唇を尖らせたが、いくら外見は妙齢の女性であっても中身がその倍以上で彼女の本性を知っていれば可愛くも何とも思えない。むしろ呆れるくらいだろう。また透視されないように考えないようにはするが。お仕置きと称してエネルギーを吸い取られたら言葉の通り身体が持たない。
「それで、あのラボは……」
 皆本がそう話を切り出せば、不二子はちらりと視線を流して手元の書類を詰まらなさそうに見遣った。
「全壊全焼……あの焼け跡から何かを探ろうにも高超度超能力者でも難しいでしょうね。不慮の事故が原因として公には発表されるそうよ」
 夜間で目撃者もなく、たとえ目撃者がいたとしても、事実は歪曲して流されるのだろう。都合の良い悪いだけでなく、あのラボの存在は、あそこで行われていたことは公にならない方がいい。
 しかし、そうはわかっていても納得しきれないのはどうしてだろうか。
 あんな結末の迎え方で、本当に良かったのか。他に何か方法があったのではないのか。兵部のしたことを評価することは出来ない。
 全てを終わらせれば、全てを消してしまえば後顧の憂いもなく物事を終着させることが出来るだろうが、それは本当に正しいことなのか。どちらであるべきだ、という答えはないのだろう。人が人を裁くことは難しい。
 だがこれで終わったのだ。
 あの男の実験も成功することはなく、全ては葬り去られた。
 奇妙なしこりが残っているように感じてしまうのは、単なる気のせいにすぎないのか。それに兵部の告げた言葉の意味は――。
「彼らに支援していた主要な組織も兵部達に潰されていたわ。あいつは最初から、全部気付いていたみたいね」
 兵部はここ数年、海外で地盤作りをしていたからその際に情報を得ていたのかも知れない。これまで行動を起こさなかったのは様子を見ていたからか、準備が整っていなかっただけなのか。
 ひとつずつ潰していけば時間がかかる上、途中で相手に気取られる可能性が高い。誰一人として逃がさないためにも、一斉に仕掛ける必要があった。
「管理官。ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
「なあに?」
「……彼らの目的は、本当に超能力研究のための超能力者を生み出すことだったんでしょうか」
 兵部の告げた〈復讐〉の意味。
 男の目的は他にあったのではないのか。
 問い掛ける皆本に不二子は難しい顔をして、皆本へと一枚の写真が貼られた書類を手渡した。その写真には親子ほど年の離れた男女が写っており(実際、彼らは親子なのだろう。非常に顔が似ている)、その二人に皆本は見覚えがあった。
 男の方は、あのラボで出会った男。写真の男を老けさせれば瓜二つになるだろう。そして少女は――。
「一緒に写っている女の子は彼の娘よ」
「娘――!?」
 驚愕に目を見開いて、皆本はもう一度写真の少女を見つめた。歳の頃はチルドレンと同じ十歳程度に見える。男がまだ若い姿をしていることからこの写真が撮られて現在まで数十年は経っているはず。
 ならばこの少女も相応の歳を取っているはずなのに。
「でも僕が見た彼女は――」
 思わずそう口走り、皆本は言葉を失くした。嫌でも理解してしまう。どうして数十年前に撮られたはずの写真とそっくりの少女が、同じ姿で今を生きているのか。彼らが、男が何を仕出かしたのか。
 絶句する皆本を見つめて、不二子はゆっくりと口を開く。
「彼女は大分前に紛争で亡くなっているわ。皆本クンが会ったのは……彼女のクローンね」
 その言葉に、皆本は自分でも眉間に皺を刻んだのがわかった。予想は当たっていた。
 紛争で亡くしたという娘。しかし彼の側には彼女そっくりのクローンがおり、もしその彼女も彼が生み出したものであるのなら、兵部の言っていた復讐の意味は、男が成し遂げようとした復讐は、殺された娘のためのものか。
 遺伝子操作により最強の超能力者を生み出そうとしていたのも、その復讐に利用するため――?
「娘のクローンを作ったことで箍が外れてしまったんでしょうね。実験のためなら手段を選ばず、その後は復讐の道具として利用しようとした。……そんな独り善がりな考えを煽り協力する人間もいるんだから、遣る瀬無いわ」
 独り言のように嘆く不二子に、皆本は言葉を返せなかった。
 娘を亡くした悲しみから、娘を蘇らせようとクローンを作った父。だが本当に、彼女はそれを望んでいたのだろうか。誰かの身代わりに生まれることを。死して尚、自分に囚われる父の姿を見ることを。
 今となっては、それは誰にも分からない。彼女の身代わりであったイヴも、もういない。
「それより今の問題はあなたよ、皆本クン」
 沈んでしまった皆本の感情を引き上げさせるように、不二子は殊更明るい声を上げた。その声に皆本は俯いていた顔を上げ、首を傾げる。
 自分に一体どんな問題があるのかと、きょとんとした表情で見返してくる皆本に不二子は小さく嘆息する。不二子もそれを本人に伝えるべきかどうか、わからなくなっていた。今の皆本にそれを告げてもただ混乱するだけだろう。
 今の状況に何の違和も抱いていないのならこのままでもよかった。部外者である不二子が口を挟むことでもないかもしれない。しかし、皆本は無意識にSOSを放っている。その状態で未来を迎えさせるわけにはいかない。この先何が起ころうとも、今後のために、白黒はっきりつけなければならないのだ。
「管理官――?」
 黙り込んだ不二子に皆本が怪訝に声をかけ、その直後に部屋の中にノックの音が響いた。その音に、不二子が時間を確認するような素振りを見せて、早かったわね、と呟く。
 誰かと約束していたのかと、皆本が下がろうとするのを不二子は引き留め、扉の向こうにいる人物へと入室を促す。入ってきたのは、賢木だった。
「早かったじゃない」
「診察が早く終わったんですよ」
 にこやかに会話し、賢木が気軽に片手をあげて挨拶してくるのに皆本がやや戸惑いながら応える。
 状況を飲み込めていない皆本を見遣った賢木が苦笑して不二子を見つめ、不二子は今から説明するところだったのよ、と肩を竦めながら言い訳した。
 どうやら賢木が呼ばれたのは皆本に関連したことのようだが、その当人がまったく知らされていないとは、つくづくマイペースな人達だ。
「ねぇ、皆本クン。あなた、何か忘れていることがあるんじゃないからしら?」
「忘れていること……?」
 どこか真剣な眼差しで告げる不二子に皆本は居心地の悪さのようなものを覚える。まるで自分が何かいけないことを仕出かしてしまったような気分だ。
 しかしなにも思い当たるようなものはなく(忘れているのだとすればそれも仕方ないかもしれないが)皆本が首を横に振ると、不二子と賢木は揃って顔を見合わせた。
 一体何だと言うのか。
 己は何を忘れ、そしてどうして不二子や賢木がそれを知っているのか。妙にもやもやとした気分が渦巻き、自分はそれを知らなければならないような、そんな焦燥に駆られる。――嗚呼一体、何を忘れているのだろうか。
「俺達がしようとしているのはただのお節介だ。お前はそれを忘れたがっているのかもしれねぇ。それでも……知りたいと思うか?」
 そう告げる賢木の表情は苦く険しく、もしかしたら賢木は皆本にそれを思い出してほしくないと思っているのかもしれない。
 だが、皆本の心は。
「それでもいい。僕が、僕自身で選ぶことだから、それを忘れたくて忘れているのだとしても、僕は思いだして後悔はしない」
 それにきっと、本心では忘れたくなかったのだと、思う。でなければ指摘された途端にこんなに胸が苦しくなることはない。
 はっきりとそう言い切る皆本を賢木はじっと見つめ、ガシガシと頭を掻いてゆっくりと詰めていた息を吐き出した。賢木が肩を竦めて見遣ると、皆本は笑みを湛えてでも、と続ける。
「それは僕が僕自身の手で思い出さなきゃいけないことだと思うんだ。……まだ、心配かけるかもしれないけど」
「どーせお前ならそう言うだろうと分かってたさ」
 申し訳なく眉を下げる皆本に賢木が思い切りその背中を叩き、不二子が苦笑する。
「ほんと、頼られがいのない子ね」
「すみません」
「謝る必要はないわよ」
 大らかに笑う不二子につられるように、皆本も頬を綻ばせた。
 恵まれている、のだろう。自分は。真剣に心配してくれる仲間がいて、意思を尊重してくれる。見守ると、言ってくれている。
 だから、早く思い出せばいい。優しい人達にこれ以上の心配をかけたくはない。
 けれど。
「そう言えば僕、誰とのことを忘れてるんですか?」
 首を傾げ、それくらいは思い出す手がかりとして知っていた方がいいだろうと洩らした言葉に。賢木と不二子は顔を見合わせると
「絶対に言わねぇ」「言いたくないわ」
「――え」
 二人に揃って言われたことに、皆本は呆れて目を丸くした。
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