少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 13  

 一瞬の浮遊感。
 覚束無い足元に皆本がバランスを崩した瞬間、重力に従う身体はそのまま剥き出しの地面に落ちた。
「だっ」
 無様に地面に転がる羽目になった皆本の傍らに、兵部が身軽に降り立つ。しかも軽く馬鹿にするように鼻で笑うものだから、いくら助けてもらったとはいえ、やはり気に食わない男だ。
 小石にぶつけでもしてしまったのか痛む頭を擦りながら身を起こせば、兵部の周囲に三人の人間が現れた。真木、紅葉、葉――。パンドラの幹部だ。葉だけが皆本をまるで親の仇であるように睨み付け、それを紅葉が黙って見つめている。真木は、その傍らで兵部に事の報告を済ませていた。
「全て完了致しました」
「さすがだね。君たちは先に引き上げてくれ。僕は――坊やに少し用事があるからね」
「わかりました」
 頷く真木のすぐ後ろで、葉が抗議の声を上げる。しかし兵部はそれにただ困ったような笑みを見せるだけで、紅葉へと目を遣ると彼女は仕方がなさそうに先に葉を瞬間移動させた。声には出さずとも不服そうな心情を滲ませる真木の腕を取って、紅葉は兵部の指示に従った。
 撤退の指示は他のメンバーにも届けられたのか現場には兵部と皆本の二人が残される。
 依然として施設は燃え続け、このことに気付いた誰かが消防や警察を呼ぶだろう。施設に居た研究者達や、彼女はどうなったのだろうか。……現状を見れば、望みも薄いか。
「……何の用事だ?」
 いつまでも口を開こうとはしない兵部に、続く沈黙に耐えきれずに皆本は先に口を開いた。険を孕んだ眼差しで、兵部を射抜く。
 しかしそれにすら一瞥を与えるだけの兵部にじれて、皆本は勢いよく肩を掴み目を合わせた。肩を掴んだ瞬間、走った何かに感じた違和を今は押しやって、ぐっと息を呑む。
「復讐って、どういうことだ? アイツは――、あの実験の本当の目的は――」
「さぁね。知りたいことがあったら不二子さんに聞いたら? もう気付いてるだろうし」
 いきなり不二子の名前が出てきたことに皆本は怪訝に眉を顰め、兵部を見つめる。肩を掴む手を払われても皆本はおとなしく腕を下げ、だが真意を探るように視線は外さない。
 この男はどこまで真実に辿り着いているのか。どうして助けるような真似を――。
「別に君を助けたわけじゃない。女王達をここへは来させたくなかっただけだ」
 思考を読まれたことに腹が立ったが、続けられた言葉にそのまま押し黙る。それは皆本も同じだ。
 醒めた眼差しが不意に柔らげられ、皆本の中に奇妙な既視感が走る。兵部のその表情を、どこかで見たことがあるような気がする。仕方がないとでも言いたげな、穏やかな表情。
 それをどこで見たのかなど、今はどうでもいいことなのにそのことばかりが頭を占める。思い出さなければならないような気がしてしまう。
 焦燥に駆られた皆本が兵部を捕まえようと腕を伸ばした、時。
「――っ」
 まるでそれから逃げるように兵部は一歩身を引き、薄く笑う。
 どうして、それが哀しいと、拒絶されたような気持ちになるのか。
「ひょう――」
「油断するなよ、皆本」
「――え」
 忠告めいたそれに、皆本は兵部を凝視する。
 唐突なそれに訝しく眉を寄せると、兵部は肩を竦めて施設のあった場所を振り向いた。その視線につられるように皆本も視線を動かし、苦いものが込み上げてくるのを抑えることは出来なかった。
「どういう……」
 呟いた皆本を振り返り、兵部は瞬間移動で距離を詰めると皆本の顎を掴み上げた。深海のように静かに凪いだ瞳に呆然とした皆本の顔が映り込む。
 言葉を失くしてただ見つめていると、ゆっくりと瞬いた兵部の目が皆本の後方へと逸れる。それを追い、皆本は振り返ろうとしたが顎を掴んで阻まれたまま、動けない。しかし兵部の視線の意味は、すぐに知れた。
「皆本――!」
 自分を呼ぶ、同僚の声。
 近付いてくる足音に、皆本が我に返って兵部へと伸ばした腕は、やはりあっさりとかわされ、悔しさに歯噛みする。
 余裕の笑みを浮かべた兵部は皆本と視線を合わせるとその笑みを深めて、陽炎のように姿を消した。
「皆本っ、無事か!?」
 全力で走っていたせいか息を荒げる賢木に、何故この場にいるのか戸惑いながらも安心させるように皆本は笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、賢木」
 しかし、賢木は皆本の顔を見つめて、気難しく眉を寄せる。それに皆本が首を傾げれば、賢木は何でもないと皆本の頭を乱雑に撫で回した。
 皆本は気付いていない。大丈夫と微笑みながらも、その表情がどこか悲しげであったことを。泣くのを耐え、笑うことに失敗した顔に似ていたことを。
 その原因が兵部にあると、気付かないわけがない。遠目から見た二人の姿に、賢木は嫌な予感を拭いきることが出来なかった。そのまま皆本が兵部に連れ去られてしまうような、皆本が消えてしまうような、不安。
 それに気付いたら、知らず声を張り上げていた。皆本はもう二度と渡さない。絶対に。だがまた、変わり始めている現実に焦りが募る。
「ありがとう、賢木」
「あ? お姫様の奪還には王子様ってのが相場だろうが」
「姫いうな! それにお前みたいなチャラい王子様がいるか!」
 羞恥か怒りか、見分けのつかない赤くなった顔で皆本は反射で言い返す。
 言い返された言葉に賢木がムッとして口を開いたその前に、
「それに皆本はあたしらの姫だって決まってんだよ!」
「決まってねーよ!?」
 突然聞こえた少女の声にも、悲しいかな、癖になったように返して、皆本ははた、と頭上を見上げた。そこには、空間を歪めて現れる三人の少女の姿があった。
 驚く間もなく文字通り降ってきた三人に口々に詰め寄られ、呆然とそれを受け入れていた皆本も彼女たちの顔にありありと心配の色が浮かんでいることに気付くと、ふっと口元を綻ばせた。
「心配かけてすまなかったね。三人とも」
 彼女達と別れたのは、廃病院でのことだった。男からは無事だということを聞いていたし、彼女らの救出に向かった賢木達を信頼していなかったわけではないが、やはり実際に無事な姿を己の目で確認して、ようやく安心できる。
 途端、黙り込んでしまったチルドレンに気付かず皆本は安堵に微笑み、それらを眺めていた賢木が苦笑していると、全員の緩んだ空気を引き締めるように手を打ち鳴らす音が響いた。
 その音のした方へと顔を向ければ、不二子が怒ったように呆れたように腰に手をあて仁王立ちしていた。
「感動の再会はちゃっちゃと終わらせてとっとと帰るわよ」
 どこか不機嫌にも見えるのは、擦れ違うように兵部を取り逃がしてしまったせいか。
 皆本が不二子へと視線を合わせると、彼女は小さく息を吐いた。
〈詳しい話は後で聞くわ――〉
〈はい〉
 投げかけられたテレパシーに答えて、皆本は遠い夜空を見上げた。
 これで事件は解決した。
 そう、思っていた。
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