少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 12  

 誰もいなかったはずの場所に現れた、学生服姿の少年。
「兵部――! おまえどうして……」
「説明は後だ」
 兵部は冷たく皆本を見下ろし、その両腕を拘束するものに気づくと、忌々しいと言わんばかりの態度でそれを粉々に砕いた。――念動力、だ。呆然と見つめていれば腕を引かれて立たされ、皆本は慌てる。
 腕を振り払った皆本を、兵部は厭うように見返した。
 その冷めた視線に、無意識に身体が竦む。
「何をするつもりだ?」
「何、だって? 決まってるだろ。壊すのさ、こんなモノ。君だってここで何が行われているのか、知っているだろう? そんなものを野放しには出来ない」
 淡々とした兵部のその語調には、どこか苛立ちが紛れていた。仲間を、エスパーを大切にする兵部にとって、その遺伝子すら陵辱されることを、彼は嫌悪しているのだろう。
「だがっ、研究は既に――」
「ああ。既にこのラボには胎児がいる。遺伝子操作を行われた、人工授精で出来た子供がね」
 ヒトとして生まれようと胎動を繰り返す生命。彼らはまだヒトではないかもしれない。だが、確かに生命ある者達だ。
 その命はこの研究所でしかまだ生きられない。機械が壊れてしまえば、維持することが出来なければ、彼らはそのまま死んでしまう。折角、息吹を与えられたのに――。
「君は、どこまで甘いんだ」
 吐き捨てる兵部の声は、明らかに苛立っていた。
「研究は失敗する可能性もある。そして無事に生まれることが出来たとしても、結局彼らは普通人の実験に利用される。それでなくとも生き長らえることはない。ならば何も知らぬまま眠らせてやるほうがいい」
「実験には利用させない! 彼らにだって生きる権利はある!」
「それが甘いと言うんだ。遺伝子操作によって生まれた子供。それに世間が食いつかないはずがない。エスパーを、いや、エスパーでなくとも人体を研究する人間達にとっては恰好のモルモットだ。そんな人間達から君が護れるのか? 彼らを。たかが一介の普通人に過ぎず、何の力も持たない君が」
 バベルに協力を仰いだとしても、上から彼らを差し出すように命じられてしまえば自分達は従う他ない。たとえ彼らの安全を保障するように交わしても、守られるかどうかは、定かではない。それが、罷り通ってしまう世界だ。ここは。
 ではだからといって、兵部に従うことが最善なのか。このまま、何も知らぬまま眠りについてしまう方が、殺してしまう方が――。
「君と問答するつもりはない。ここに残るというのなら、彼らと共に眠るがいい」
「な――!」
 皆本は愕然として目を見開き、身を翻そうとした兵部の腕を咄嗟に掴んでいた。兵部は冷たく皆本を見下ろしてくる。その視線に怯みかけながらも、皆本は真っ直ぐに兵部を見返す。
 皆本が口を開いた、その瞬間。
「珍しい客人だ。まさか自ら足を運んでくれるとは」
 聞こえてきた第三者の声に、皆本はその声へと振り向いた。そこにはイヴと共に男の姿があった。
 兵部は己の腕を掴む皆本の手を離させると、男へと詰まらなく鼻を鳴らした。
「すぐに帰るさ。こんな場所に長居はしたくないんでね」
「……ああ。確か君は旧陸軍時代、数々の実験に協力してきたようだね。思い出すかい?」
 刹那、怒気を纏った兵部は、しかしすぐにそれを収めた。
 代わりに舌を打ち鳴らして、男を据える。
「君もまた、貴重なサンプルとして是非とも協力してもらいたいものだが。ECMの効かない君の身体はとても興味深い」
「断るね」
 全身を舐めるように送られてくる男の視線。それに兵部は不快に顔を顰め、即答する。
 兵部が現れることも想定の範囲内であったのか、それとも理由など関係なく資材としての興味が先行しているのか、淡々とした男の普通さは、不愉快そのものでしかなかった。
「君の復讐は成し得ない」
「――復、讐……?」
 思いがけない言葉に、皆本は知らず口を挟んでいた。
 呆然と呟く皆本を一瞥して、兵部は男へと手のひらを翳すとそこへと収束させた念動力を放った。皆本が制止する間もなくそれは鉄格子を大きく歪めさせ、男の身体を壁へと叩きつける。その余波が、傍にいた少女にも襲い掛かり、壁に身体を強く打ち付けた衝撃か、彼女の身体はぐったりと廊下に横たわった。
 ぴくりとも動かなくなった少女の身体をただ見つめるしか出来なかった皆本は、しかし我に返って兵部へと詰め寄る。
「何をするんだ! 彼女は――」
「黙れ。行くぞ、皆本」
「っ」
 短く言葉を吐き捨てる兵部の声に感情はない。次の瞬間には身体は彼の思念波に包まれ、瞬きの間もなく身体は闇夜に浮かんでいた。
 そして、轟く爆発音やオレンジ色の光に足許を見下ろして、目を瞠る。それまで皆本達が居た研究所が、炎に包まれていた。そしてその周囲には、いくつもの黒い人影が見えた。その影は、何者かと交戦中だった。
「状況はどうだ、真木」
「はっ。やはりECMを作動させてきました。こちらもECCMを使用しECMを中和させることに成功はしていますが、それも長くは持ちません。現在別働部隊がECMの破壊に向かっていますが、苦戦している模様です。……相応の戦闘訓練を受けた者が居るようです」
 背後から音もなく現れた男に皆本が驚いているのも他所に置き、真木は兵部へと報告を続ける。顔を顰めるようにして一瞬だが歪んだ表情も、すぐに掻き消えていた。
「長引かせると厄介だな。真木、すぐに――」
 兵部が新たな指示を真木へと与えようとした、その時。闇夜の中を旋回し、爆音を轟かせながら近付いてくる物体があることに気付いた。高度を下げ、地面を舐め回す探照灯が皆本達の姿を一瞬闇夜に浮かび上がらせ、通り過ぎた光は再び獲物を捕らえる。
 目映いほどの光の中で立ち竦むように浮かぶ三人の影は、あまりにも無防備だった。
 それが三人を狙う武装ヘリだと気付くのに時間はかからなかった。そんなものまで用意していたのかと皆本が息を呑む傍ら、不意に真木の影が落ちる。
「真木っ」
「っ。申し訳ありません、少佐」
 兵部は慌てた声を上げ、真木の身体を念動力で支える。睨み付けるヘリにもECMが搭載されているのは明らかだった。それを使われてしまったのだと気付いて、ぞっとする。兵部は、ECMの干渉を受けない。だからこそ今でも超能力を使うことが出来るが、もし、彼も影響を受けていたなら。三人の身体は重力に従い、そのまま地面に叩きつけられていただろう。
「指向性長距離ECM、か。随分なものを出してくるじゃないか」
 それだけでなく、ヘリの機銃は確実に三人へと向けられていた。今にも機銃弾を噴き出しそうなそれに、皆本の額にも汗が滲む。いくら兵部でも、三人分の身体を支えながら銃弾を避けることは難しい。
 何も手を出すことの出来ない状況に焦りが募る。
「兵――」
「真木。ここは僕がやる。君達は仕上げに入ってくれ」
「……わかりました」
 皆本の言葉を遮って兵部は真木へと顔を向け、彼の腹心の部下は皆本を一瞥すると頷きを残して姿を消した。兵部が、真木を瞬間移動で別の場所へと移動させたのだろう。
 闇に浮かぶ姿が二人となっても、機銃の照準は外れない。あるいは最初から、兵部を狙っていたのかもしれない。ヘリの現れるタイミングは、丁度良すぎた。
「何をする気だ」
「いいから黙ってな」
 能力の効果範囲を少しでも狭める為だろう。身体を引き寄せられ、皆本は無意識に抵抗しようとした身体に、暫し躊躇して力を抜いた。今の自分は、お荷物も同然。兵部に能力の無駄遣いをさせないためにも、彼に従っていた方がいいのだろう。
 それにどうしようもないわだかまりが生まれ、悔しさが溢れ出してくるというのに、抱き寄せる腕に戸惑ってしまう。それは、兵部が捕まえなければならない犯罪者であり、その相手に身を任せなければならない状況にあるからではない。そこに何故か、懐かしさと安らぎのようなものを感じている自分がいるからだ。
 いがみ合う関係であるはずなのに、どうして兵部からそんなものを感じてしまうのか。そんな感情を抱く自分がいるのか。不謹慎と分かっていながらも、切なくなるような胸の痛みは抑えきれない。
 胸の痛みの正体を探ろうと、皆本が兵部の横顔を見上げた、――その時。
「!」
 ついに始まった一斉射撃に、周囲に着弾する衝撃に皆本は身を堅くした。全て兵部が張った念動力のシールドに弾かれているとはいえ、降り注ぐそれに恐怖しないはずがない。
 しかしその中で、兵部は口元を歪めて闇に目を向けている。それを皆本は、ただ見守ることしかできない。脇に固めた、拳を解くこともできないまま。
「威勢がいいねぇ。そう思うだろ? 皆本」
「っ、ふざけてる場合かっ」
 からかいの混ざる語調に皆本は声を荒げ、兵部は愉快そうに喉を鳴らして笑う。この状況を打破するつもりはあるのか、緩い空気に知らず焦燥が募る。兵部を信頼していないわけではない。だが何を考えているのか分からない分、疑りを持ってしまう。
 兵部は反撃に出ようとはしなかった。相手の弾切れを待っているのかとも考えたが、どこか違う。すぐ傍で響き続ける闇を劈く音に、そろそろ鼓膜がおかしくなりそうだ。兵部は一体何を待っているのか、焦れた皆本が口を開こうとした時、足元から大きな爆発音が響き、風が舞う。そして何が起こったのか皆本が状況を確認するより先に、兵部は皆本を支える手とは逆の手をヘリへと掲げた。
「時間切れか」
 銃撃音に紛れて、小さく呟いた兵部の言葉は皆本の耳には届かなかった。だが、寄せた身体には兵部が何かを呟いた気配だけが伝わってきた。
 掲げた手に念波が収束していく。そのエネルギーの波動は、隣に居るだけでも肌を震わせる。その強大な力に皆本は自失にも近い状態で呆然としていたが、すぐに我に返ると慌てて兵部のその腕を掴んだ。集中を邪魔された兵部が、鬱陶しそうに皆本を見据える。
 その視線にたじろぎながらも、皆本はぐっと手に力を込めた。
「彼らを殺す気か!?」
「あんな奴ら、生かしておく方が危険だぜ?」
 だからと殺すのは、間違っている。そう思うのに何故かそれを言葉に出せない。彼らも、研究所の人間達も、自らが起こしたことに裁かれるべき場所で裁かれなければならない。それを下すのは兵部ではない。しかし、彼らが正当な処罰を受けるとは、考えられなかった。彼らの背景が見えない。このまま兵部が生かしたとしても、彼らは罰を受けない可能性も、闇に葬られる可能性も、あった。
 このまま生かし、同じことを繰り返されればまた同じことが起こる。その時は、彼らは今回よりも慎重に動くだろう。手段も選ばないかもしれない。けれど――。
 結局は考えが堂々巡りする。考えてもキリはない。最善が見つからない。
「この世界は綺麗事だけで動いているわけじゃない」
 そんなことは知っているはずだった。それを痛感していたはずなのに、信じたい気持ちを棄てることは出来ない。
 俯いた皆本に兵部は小さく鼻を鳴らすと、億劫そうに腕を払った。と同時に、二人の周囲の空気が僅かに揺れた。二人の姿を闇に浮かばせていた探照灯がブレ、ヘリの機体は大きく傾いている。皆本が何が起こっているのか把握するその前に、ヘリはまるで街路灯に集る蛾のように、燃え盛る炎へと引き寄せられていった。
 皆本はただそれを、目で追うことしか出来なかった。
「その甘さが自らを追い詰める結果になると自覚しろ」
 大きな爆発音に紛れて聞こえた兵部の声。
 それを聞き返す前に、皆本の身体は兵部の思念波に包まれていた。
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