少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 11  

 闇夜に浮かびながら、不二子は掴まれたままだった兵部の手を振り払うと、きつく彼を睨みつけた。
「どういうことか、説明してくれるんでしょうね」
 急に現れたことも、何かしらの情報に精通していることも。パンドラが、兵部が動いているという気配は全く見せていなかったというのに、何故いきなり不二子の前に姿を見せたのか。
 兵部のあの態度では、悔しい限りだが不二子よりも情報に長けていることは確かだろう。……何のしがらみも制限も受けない分、兵部達が自由に動くことが出来ることは分かっているが。
「どうもこうも、珍しく不二子さんが普通人相手に梃子摺っているようだったしね。それに坊やも敵の手の内に渡らせて……、女王が心配になったのさ」
「あら? 皆本クンの心配はしてあげないの?」
 不二子の意地悪な問いに、しかし兵部は肩を竦めただけだった。
「僕が皆本の心配を? どうして」
「……あんた、それ本気で言ってるの?」
 自然、不二子の声は低くなっていた。
 数年前、兵部は不二子に何と言った? そして皆本は――。
 だからその可能性に賭けて不二子は口を噤み何も言ってはいないというのに。兵部が見せる態度はまるでそんなことすらなかったかのようで、皆本のことを口にする目も淡々とし過ぎていた。普通、思いを通わせている人間が危機に陥っているのなら相応の態度を見せてくれてもいいはずなのに。
 だが今目の前に居る兵部は――、いや、それだけでなく、最近の皆本の様子は――?
「っ」
 不二子はここに至ってようやく違和感に気付き、兵部へと手を伸ばした。腕を掴み、その心を透視する。しかし、高超度超能力者の心を覗くことは容易なことではない。
 やんわりと兵部に腕を払われて、不二子は歯噛みする。
 何も見えなかった。皆本に対する感情が、何も。
「あんた……」
「そんなことより今は『ノア』だろう? 彼らが何をしているか、知りたくはないかい?」
「っ」
 兵部の言葉は魅力的だ。明らかに話を逸らされていると分かっていても、今聞かなければ兵部は二度とその口を開かないだろう。それは、どちらに対しても。
 だが、今不二子が選ぶものは決まっている。
「何を条件に出すつもり?」
 今選ばなければならないのは『ノア』だ。彼らの問題は、もう一人から聞き出せばいい。
 問題を解決する前からどうしてこうも問題が重なるのか。痛む頭に兵部を見つめる眼差しがきつくなれば、兵部は怖いねと薄く笑みを浮かべて視線を闇夜へと動かした。
「僕が言いたいのは今回の件にチルドレンを関わらせるな、ということだけだよ。――彼女達には刺激が強すぎるだろうからね」
 兵部の勝手なそれに思わず口を挟もうとした不二子も、眉を顰めて説明を促した。『ノア』という団体が非合法な人体実験を行っていることは既に知っている。分からないのはその実験の内容。言ってしまえば、一口に人体実験と言ってもそれは多岐に渡る。研究する分野や方向性により、内容が違うのも当然といえば当然のことだ。
 しかし兵部は不二子の視線に気付いていながら、どうする、とでも問い掛けたそうな視線を送り返してくる。それはつまり、兵部の条件を呑むか断るか。――不二子は迷わず頷いた。兵部がどれだけチルドレンを思っているのか、理解している。過保護であり時に一人前として扱おうとする兵部が、だが今回は関わらせることを良しとしないということは、これは汚い仕事になるのだろう。
「彼ら――『ノア』が行っているのは、人工授精・遺伝子操作により最強のエスパーを作り出すことだ」
「――!」
 あまりの衝撃に、言葉もなかった。エスパーを、人間を作り出す。それは常識では考えられない行い。そもそも人とはそうして生み出すものではない。だが、戦中より動物実験が平然と行われていたことを思い出せば、それは何ら不思議なことではなかった。ただその対象を、動物から人間に替えただけ。――否。人間ですら、知性を持った動物に過ぎない。
 人間を人間が作り出すなど、過りもしなかった。しかしそれも、人為的に超能力を持つ者を生み出せないかの研究――だ。聞いた時は低超度能力者、あるいは因子を持つ者を対象にしているのだとばかり考えていた。それが、ヒトとなる受精卵の段階から行われようとしていたとは。
 ならば皆本が連れ去られた目的、は――。
「彼らは世界中から優れた遺伝子を集め、既に実験は開始されている。もう少し気付くのが早ければ研究所ごと潰せたのに、中に皆本が居るね」
「……ええ」
「狙いは皆本の遺伝子と頭脳、かな。――そういうわけだ。チルドレンは今どうしてる?」
 もう、不二子にも兵部が何を言いたいのか分かっていた。
「賢木クンとバベルにいるはずよ」
「監視からの連絡にも問題はない。恐らくはまだ皆本の説得に時間を割いているのか、お姫様を奪還に来る騎士の登場を待ち構えているのか……。今回の件、僕達に一任してくれるよね?」
 己を据える濃紺の眼差しから逃れる術を、不二子は見つけきることは出来なかった。

□ ■ □

「それで、管理官は頷いちまった、か」
「そんな責めないでよ、賢木クン。不二子だって仕方がなかったのよ?」
 情けない声を出す不二子に賢木も困惑するように眉を下げ、だが、全てを聞かされた今、不二子の取った選択が最前ではなかった、とは言えない。これが国内の問題であれば多少の無茶も出来ていたかもしれないが、下手に動けば国際問題と成り得、潰されてしまう可能性もある。
 現に不二子は断りを入れたら命を狙われたと言っていた。手段を選ばないと言うのなら、皆本とて、安全とは最早言い難い。
 この件にパンドラが動くというのなら、悔しいが頼れるのならば頼りたいのが本音だろう。彼らはどこの国からも圧力を受けることなく、他国の問題であろうと介入することが出来る。それに兵部は――
「ねぇ、賢木クン」
「はい?」
「最近、皆本クンの様子変じゃなかった?」
 唐突なその質問に賢木は目を剣呑に変え、しかしこの状況で不二子が単に他愛もない話をしたくて振ったわけではないだろうと考え直す。もしかすれば、彼女も何か気付いていたのかもしれない。皆本の異変に。
「そうっすね。夢見が悪いとは言ってましたけど」
「夢?」
 首を傾げた不二子に、賢木はええと頷く。
「兵部が日本に戻ってきて再会したときから夢を続けて見るようになったそうです。内容は起きたら忘れてる、その程度のものらしいですけど。ただその時から、皆本が何かを探すように時々変な所をじっと見つめてるのはチルドレンも度々目撃しているようです」
 そのことで俺の所に相談がありましたし、と賢木は続けて、溜息を吐き出した。いったい周囲に迷惑をかけて心配をさせて、皆本は何をしているのか。本人に至っては無意識の行動であるのだからとやかく責めることは出来ないが。
 それが何かと関係しているのか、と不二子を見つめれば、何か考えるような難しい顔で不二子は賢木を見返した。
「賢木クンは知ってるのよね。皆本クンとあの子のこと」
「……ええまあ。――て、やっぱりアイツと夢と何か関係あるってことですか?」
「詳しいことは私にもわからないわ。でも、様子が変だったのよ、兵部の奴」
「一度、アイツの話題を出したことがあるんですが、皆本の奴、訳が分からないって顔してました」
 まるで最初から何もなかったかのように。
 皆本は兵部のことを、ただチルドレンを狙う、パンドラという組織を率いるエスパー犯罪者としか、捉えてはいない。
「兵部が皆本クンの記憶を操作した――?」
「いえ。調べてみましたが、皆本が催眠能力にかかっている可能性はゼロです。何らかのESPによる干渉を受けていることもありません。……ただ、記憶障害――部分健忘を引き起こしている可能性は、否めないかと」
 部分健忘の症例として、ストレスの過負荷により数日間の記憶を失くしたり、ある特定の事柄に関することだけを忘れてしまうということ等が挙げられる。記憶障害の一つであり、催眠療法で治すことが可能であるが、皆本のそれがそうと当てはまるかは、まだ判断は付けられない。試してみなければ分からないが、皆本の中には記憶を呼び起こす為の糸口が、ない。
 二人の間で何があったかはわからないが、少なからず互いに一時の気の迷いでも、気紛れでも何でもなかったはずだ。茨道と知りながら歩んでいたというのに、何故。
「とりあえず本人が気付いていませんし、混乱を抱かせない為にも本人には告げていませんでしたが――」
「今はまだそれがいいでしょうね。イレギュラーから元の状態に戻っただけ――とも取れるし、今度こそ兵部をとっちめて何を企んでいるのか聞き出さなくっちゃ」
「『ノア』に関してはムカつきますけどパンドラに任せるしかなさそうですし。俺はチルドレンが下手に暴走しないように子守でもしておきますよ」
 そう告げて賢木は立ち上がると、見送る不二子の視線を背中に一度も振り返ることなく、部屋を出た。刹那。誰もいない、人気のない廊下に壁を殴りつける鈍い音が響く。
「……っ」
 ずっと、ずっと見守り続けてきた。最初は友として。仲間として。真っ直ぐでブレることのない直向さが放っては置けなくて何度も手を差し出したくて、迷いなくその手を握りしめてくれる優しさに、焦がれ始めていたのはいつだったのか。
 だが想いを自覚したときには既にそれは他人のものであり、皆に平等に向けられるものが欲しかったわけじゃない。自分だけに向けられる特別が欲しかった。それが叶わないのならせめて、近くで見守り続けていようと誓ったのに。
 その想いすら踏み躙られたようで、これまで遠慮していた自分が馬鹿馬鹿しい。
「てめぇがその気ならこっちだって遠慮はしねぇぞ、兵部京介――!」
 道化を演じるのは、終りだ――。

□ ■ □

 また、だ。
 夢とわかる夢。最近は見ていなかったというのに、何故だろうか。
 どろりとした淀みの中に留まり続けて、やはりその場所から移動しようとする気力は湧かなかった。――だって、この外は、辛い。外に出たくはない。真実を見たくない。逃げと知りながらも、それは余りにも受け止めるには大きすぎて、抱えきれなくて、……けれどなにに、怯えているのだろう。
 自分はそれと向き合わなければならないはずなのに、足が竦んで動かない。
 ――拒絶が、怖い。
「――! コーイチ!」
 身体を揺り動かし、名を叫び続ける少女の声に、皆本の意識は急激に浮上する。喉に詰まっていた息を吐き出すように荒く息を吐いて、身体中に滲んだ汗に不快感を訴えてくる。
 手探りで見つけた眼鏡をかけて辺りを見渡せば、ベッドの脇に、心配そうに皆本を見つめる少女がいた。彼女は誰だったか。働かない頭を動かして考えて、思い出す。
「……イヴ」
「よかった。散歩してたら苦しそうな声が聞こえて、探したら皆本がいる所から聞こえたの。いっぱい苦しそうだった。もう大丈夫?」
「ああ。大丈夫だよ」
 純粋に心配して見上げてくる黒い双眸に皆本は微笑み、重い腕を伸ばして頭を撫でる。両腕を拘束されたままではそれはぎこちない動きでしかなかったが、頭を撫でられたことが嬉しかったのか、イヴは頬を綻ばせて満面の笑みを浮かべた。
 立ち上がった少女を、皆本はベッドの上から見上げる。
「お父様にお願いして着替えを持ってくるわ」
「……ありがとう」
 スカートを翻し立ち去る少女は、それを不思議とも思わずに鉄格子に鍵をかけて廊下を駆けていく。徐々に遠ざかっていく足音を耳にしながら、皆本は深く息を吐き出した。
 夢見が悪かったのは覚えている。けれど、内容までは覚えていない。ただ、無性に悲しかった。寂しかった。辛かった。
 静かに戦慄いた唇が紡いだ言葉は、わからない。
「相変わらず君は小さな女の子を誑し込むのが上手だね」
「っ。誰がだ!」
 静寂に落ちたからかいの声に反射で返して、それまでの寂寥などどこかに吹き飛び、皆本は驚愕に目を見開いた。
「兵部――!」
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