少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 10  

 一筋縄では行けぬ相手だと、最初から分かりきっていた。
 皆本に『ノア』という団体の存在を聞かされてから、不二子も己の情報網を駆使して調べては見たが、やはりどこかで情報の規制が成されているのか、手に入れたものは皆本の情報と大差はなかった。
 直ぐに手は尽き、動かない状況に焦りが募る。冷静にならなければならないとは分かっていても、敵陣にいる皆本の安否も気になる。手荒な真似はしないだろうが、いつまでこの状況が持つかも分からない。
 だからそんな中で不二子に舞い込んできた、ある男との面会の招待は罠と知っていても食いつかないわけにはいかないほど、魅力的なものだった。相手の男は、『ノア』へと資金援助を行っている一人であり、その国の軍内部でも上層に居る人間だ。他国でもESPに関する研究は行われているが、今のところはまだ日本がその最先端を担っている。『ノア』へと資金援助し、その技術力を利用していることは明らかだった。
 そんな人物からどうして不二子へと連絡がついたのか――。
 此方の行動を監視、あるいは既に読んでいたに違いない。相手の手の内で踊らされているのは気に入らないが、雲を掴むような現状である以上、踊らなければ何も始まらない。……ただし、何を踊るのかは踊り手の自由だ。
 専用機と自身の瞬間移動能力を使い降り立ったのは、夜の郊外の高級住宅街だった。これが決して表に出してはならない密会である以上、人目は避けて然るべし。だが下手に人目を避けるよりも、逆に堂々と訪問した方が目撃者の印象には残りにくい。非日常である方が、人は怪訝に思い意識してしまうのだ。流すことの出来る日常ならば、直ぐにまた記憶は上書きされる。
 富裕な財産を誇示し、陽光に輝く門構えも、霧の夜となれば輝きを失い謙虚さを取り戻す。所有者達の飾る虚栄を包み隠す闇の中、不二子は躊躇いを隠してひとつの邸宅へと足を踏み入れた。よく手入れされた芝生の庭をどこか懐かしいものを見る目で眺め、玄関を抜けた先に長い廊下がある。
 人の姿は確認できないが、人の気配はある。ESP対策も施されているらしく、身体中に不快な気配が纏わりつく。それらを振り払うように歩みを進め続け、突き当りの扉をノックする。間髪を入れずにあった応答に、重厚な扉を開く。
「失礼致します」
 普段の緩い雰囲気は消し、不二子は制服に包んだ身で折り目正しく敬礼した。彼女と相対することになった男は、書類机の向こうから真っ直ぐにこちらを見つめていた。椅子に背筋を伸ばした佇まいは、不二子に長い間忘れかけさせていた、軍務が長い人間特有の冒し難い威圧を齎してくる。
 この独特の緊張感と検分される不快感が苦手だったのだと、過去の記憶が蘇る。あの頃は仲間や隊長が居たからこそ耐えられたそれも、今は不二子しかいない。手に滲む汗を握り締めることで誤魔化し、不二子は毅然と目の前の男を見据えた。
「お会い出来て光栄ですわ、中将閣下」
「こんな真夜中に無理を告げて申し訳なかったね、蕾見管理官」
 威圧が和らぎ、老人のネイビーブルーの双眸が親しげに細められるのを、不二子は胡乱な思いで受け止めていた。そうして紳士である姿を見せながらも裏では非人道的な行いに手を貸しているのだから、油断ならないのは当然のことだ。
 しかし態度を硬化させたままでは対話が進められないのも事実。不二子は控えめに笑みを作り、勧められるソファに腰を下ろした。
「こんな時間だから使用人を起こすのは忍びなくてね。折角の客人にお茶も出さないとは無作法だが――」
「お気になさらずに、閣下。お気持ちだけで充分ですわ」
「そういっていただけるとありがたい」
 表面上は穏やかに。しかし、視線での探り合いは続く。
 不二子は淡々と口を開いた。
「今回私が訪問しました件ですけれど――」
「ああ。君は『ノア』について調べているそうだね。彼らは既に幾つかの特許も取得した、素晴らしい科学者チームだ」
「ええ、存じております。その有能な頭脳と将来性を見込み、閣下が援助をしている、ということも」
「そうだ。我が国はまだまだESPに関する技術は低い。彼らの下で科学者を育成し、その技術を持ち帰る代わりに援助しているのだ。勿論、君の言うとおり彼らへの先行投資も兼ねているがね。普通人と超能力者が共存していく為には互いに理解していく必要がある。その為の金など、惜しむつもりはない」
 にこやかに、説得力を秘めて男は語る。多くの部下の上に立ち、時には大学の教壇に立ち学生達にこの国の将来について熱く語ることもあるこの男にとって、弁を揮うことなど造作もない。
 尤もなその言葉を鵜呑みにすれば、男はただこの国の、普通人と超能力者の在り方について先見して動いているように思えるが、それだけではないという確信が不二子にはある。それは男も承知のはずであり、こんな対話は不毛でしかない。
「惜しまないのはお金だけではなく、その実験に関わる人の、人としての尊厳も、でしょう?」
 不二子が切り込んだその言葉に、男は片眉を上げた。眼前の訪問者から面白い報告を耳にしたように、意外さを込めて。
「派遣した学者には、相応の待遇を現地で用意しているはずだが? 無論、大切な家族を長期他国へと留まらせるのだから、家族への配慮も忘れてはいない」
「閣下。私が告げているのは学者やその家族ではなく、その彼らが実験の対象とする被験者のことですわ」
 探り合いを語尾に混ぜ、暫時睨み合いが続く。最初にそれを放棄したのは、男だった。
「どこまで――も君は知らないのだろう。だから私の誘いに乗った。私から少しでも『ノア』に関する有益な情報を聞き出したくて」
「……ええ。ようやく本題に入ってくださり助かりますわ」
「君が『ノア』に協力するなら、聞かせてあげよう」
 男の言葉は想定の範囲内だった。
 途端警戒を強めた不二子に、だが男は意にも介せず葉巻に火をつけゆったりと煙を吐き出した。
「他人のエネルギーを吸収し、己の能力に変換する――。君の能力もまた特化したものであり、稀有なものだ。その能力を分析し応用できれば、超度7の超能力者を生み出すことも不可能ではない」
「っ」
 いくらこちらの手の内が相手に筒抜けになっていると予想はしていても、男からその事実を語られるのは衝撃が強かった。ただ情報を有しているだけならばまだいい。だがそれにより何らかの策を打たれるならば、丸裸にされるこちらが不利。
 罠と覚悟はしていたが、肝が冷える。大体こんなものは苦手なのだ。まどろっこしくて仕方がない。
「貴方の目的は、何――?」
 不二子の問い掛けに、男は視線を投げるだけで何も答えはしなかった。
 あらゆる勲章を受け陸軍きっての英雄と呼ばれる男。その命を陛下に捧げ誰よりも尽くしてきた。金も名誉も男の手の内にある。今更そんなものを望みはしないだろう。それでは、何を欲しているのか――。
「君が選べる選択肢は二つに一つだ。『ノア』の実験を協力するか、死を選ぶか。私は、前者をお勧めするが」
「冗談じゃないわ」
「残念だ」
 嫌悪を露に唾棄する不二子を、男はまるで物を見るかの眼差しで見つめていた。それは戦場で幾度も見かけてきた、相手を殺すことに何の躊躇も抱かない軍人の目。男が片手を上げると、音もなく現れた武装した人間達に、不二子は囲まれていた。
 その隙間から、男が窺える。
「私の言葉に従い単身現れたことだけは評価しよう」
「結構よ」
 不二子は鼻で笑い飛ばすと床を蹴って立ち上がり、一斉に向けられる銃に怯む様子も見せずに身近に居た男を蹴り飛ばして道を開いた。途端耳を劈くような音を上げ、火花を散らしながら浴びせられる銃弾の中、体当たりで窓を破り庭へと降り立つ。
 手のひらを確かめるように握り締めて開いてみるが、やはり外にもECMが仕掛けられているのか能力が発動する気配はない。ECCMはあるが長時間使うことはできない。
 この様子では、外にもあの男直属の部隊が居るのだろう。
「やっぱり無駄足だったじゃないの! 不二子悔しい〜!!」
 地団太を踏みたい気持ちを耐え、だが抑えきれない感情を闇の中へと叫んで、近付いてくる荒々しい足音に突破口を探して走り出す。正門へは向かわず、その裏へと庭の茂みを利用しながら移動する。それでも、屋敷を囲う部隊を突破しなければいつまでも袋の鼠だ。持久戦に持ち込まれてしまえば圧倒的に不二子が不利になる。
 事前に調べていた屋敷周辺の見取りを思い出しながら、闇を駆ける。途中出くわす男達と銃で応戦しながら、しかしそれも弾には限りがある。まったく相手は一人だというのに、物々しすぎる応対だ。あの男は部隊に不二子のことをなんと説明したのか。
「随分と舐められたものよね。特殊部隊如きでわたくしが捕まえられると思って?」
 不敵に笑い、不二子はECCMを起動させる。これで短時間ではあるが超能力が使える。それまで逃げ回っていた姿を曝して、不二子は迫る男達に向けて衝撃波を放った。ここで、離脱して安全を確保するのは容易い。しかし、『ノア』に関する情報を持つ男を目の前に逃げることは出来ない。口を割らないのならば、透視するまでだ。
 身を屈めて地面を透視しながら、ECMと男の位置を探る。本当はECCMの効力が切れる前にECMを破壊してしまいたいが、屋敷に仕掛けられたそれらを全て破壊するには時間が足りない。僅かな時間しか保たない小型のそれは、敷地を透視しきるまでが精々だった。
「それでも、場所が分かれば充分よ」
 用意していた武器は少ないが、それは現地調達すればいいこと。気絶する男達からライフルを拝借すると、不二子は長い髪を靡かせて颯爽と駆け出そうとし、背後に迫る気配に銃を構えて勢いよく振り返った。
 そして、その目を零れんばかりに見開き、叫んだ。
「京介っ!? アンタなんでこんなところに――!!」
 そこにいたのは、学生服に身を包んだ白銀の髪を持つ少年。――不二子の、義理の弟とも言うべき存在。
 笑みを浮かべる彼に不二子は詰め寄り、しかし兵部は飄々とした気配を隠さずに不二子を宥めにかかる。
「大声出すとバレるぜ? 不二子さん」
「うっ……」
 兵部の正論に慌てて口を閉ざすものの、集まってくる複数の足音にそれは無意味だと知る。兵部を問い詰めてやりたいが、迫る者達から逃げることも考えなければならない。こんなイレギュラーは想像もしていなかった。
 自然、湧き起こる怒りは兵部に向く。
「どうしてくれるのよ!」
「どうもこうも、逃げればいいんだろ?」
 それが出来ないからこうして悩んで――、と反論しかけて、不二子はようやく冷静さを取り戻す。兵部がこの場に居ることも充分気になることではあるが、何故、この場に現れることが出来たのか。考えるまでもないその事実に不二子は兵部を見つめ、兵部は小さく肩を竦めた。
 さらりと揺れた前髪の隙間から、癒えることのない銃創が見え隠れする。
「アイツはもうすぐ自滅する。これ以上不二子さんが関わることはない」
「……どういうこと?」
「言葉通りさ」
「なっ、アンタ生意気――!」
 己には分からないことを話す兵部が理解できなくて、許せなくて、不二子の上げた文句だけをその場に残して、二人の姿は霧の夜の中へと掻き消えていった。
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