少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 09  

「――……狂ってる」
 小さく皆本が呟き洩らしたその言葉は、男の耳にも届いていた。けれど、男は不快に顔を歪めるどころか愉快そうに皆本を見返し、笑った。
「なるほど、狂ってる、か。だが生憎と私は正常だよ」
 やはりどこか諌めるような口調で、男は言う。皆本に向けられる眼差しも、不思議なほどに穏やかだ。
「っ。正常な人間がこんなことを企めるわけ――!」
 皆本は激昂に言葉を詰まらせ、声を失った。自ら発そうとした言葉を反芻させて、直後、思い当たる。こんな大掛かりなものを作り出せるような男が、企て実行に移せるような男が、果たして本当に狂っているのだろうか――?
 正常な常識を兼ね備えた皆本にとって、これは、ここで行われていること、男が企んでいることは、禁忌の領域に手を染めた狂人による人類への冒涜行為だと言える。探究心に囚われ魅せられ、正常な判断をしているとは思えない。しかしこれだけの施設を作り上げることは、正常でなければ成し得ないこと。僅かにでも狂いが生じていれば、実験は正しく行われない。
 それこそ、これだけの施設を誰にも知られることなく密かに作りあげ、必要な人材を集めるのにかなりの費用と年月を有していただろう。生半可な思いつきで出来ることではないのだ。これは。
 男は、彼の言う通り狂ってなどいない。正常だ。……男は正しく、狂っている。
 ぞっとする現実に、背筋に冷たいものが流れる。青褪めた皆本を男は一瞥して、唐突に踵を返した。それをただ見守っていると、硬直したままの皆本へと、男が振り向く。
 絡んだ視線に怯えてしまったかに身体を震わせた皆本に、男は緩やかに口角を上げた。
「ここでは君もゆっくりと話が出来ないだろう」
 それだけを告げて背を向け歩き出す男に、皆本の足は動かなかった。向けられる監視の目を感じながらも、一刻も早くこの場から立ち去りたいと思っていても、この男についていくことだけは出来なかった。
 だが、今はそんな皆本の私情を優先すべきではない。やるべきことがある。成さねばならないことがある。逃げ出すことは出来ない。男に主導権を握られるのは甚だしいが、今の皆本の身分は人質であり、男の目的。――実験資材。選択権があるわけでも発言権があるとも思えない。人としての尊厳や人権ですら、あるかどうかも危ぶまれる。
 そんな状況で皆本が出来ることはと言えば、少しでも多く男の目的を知り、内部の状況を把握して仲間達が来るまでの時間を稼ぐことくらいか。
 拳を強く握り締めて、皆本は向けられる複数の視線の下、男の後を追った。

 しばらく白い廊下をただ無言で歩き続け、男が足を止めたその場所は皆本が最初に目覚めた、三方の壁をコンクリートの壁に阻まれた、牢獄のようなその部屋だった。男に付き従っていた内の一人が格子についた扉を開け、もう一人が皆本を中へと促す。それに素直に従うのは癪でしかなかったが、ここでごねても何も変わらないのは分かりきったことだ。寧ろ従順でいた方が、隙を見せてくれるかもしれない。――だがその願いも浅はかなものだと識っている。他がどうなのかは分からないが、この男は油断ならない相手だ。
 重く、扉の閉まる音が、皆本の心までも重くさせる。
 格子越しに向き合うように男を見据えれば、男は小さく肩を竦めた。軽く片手を上げて何かを払うように振れば、男の意を汲んでその場に居た者達が全員下がる。遠ざかる複数の足音を耳にしながらも皆本は男から片時も目を離さなかった。この男を見極めよう、としてのことではない。ただ単純にこの男の前で、不用意な行動を取り、此方の心情を悟られたくはないだけだ。同じ悟られるのであれば、わざわざ隠すこともせず見せてやればいい。
 あの光景は瞼に焼き付いて離れてはいないものの、眼前からは見えなくなったお陰かそれとも男に対する憤りが逆に頭を冷静にさせるのか、幾らかの平静は取り戻せているように思える。
 男の言い分は、計画は理解できないものではない。しかしそれはあくまでも構想理論上のものであり、その思想も理解している訳ではない。……いや、理解はしている。ただ、それを皆本は禁忌として認めていないだけだ。
「僕はあなたの研究に参加も協力もしない」
 そうして理解出来るだけの頭脳があってしまったから、男の眼鏡に適ってしまった。しかし裏を返せば、皆本にならこの男の企てを止められるかもしれないということだ。あくまでも可能性の話でありどこまで出来るのかなど検討すらつけられないが、男は僅かなりとも皆本という存在が障害に成り得る可能性があるとして、手元で監視していたはず。すぐに消すことの出来る人間ならば歯牙にもかけないだろう。
「考える時間はいくらでもある。返答に急くことはない」
 出鼻を挫くように告げられ、皆本は唇を引き結んだ。しかしたとえどれだけの時間を与えられようと心変わりなどしない。するわけがない。
 確かに超能力の解明が進めば、今よりもよい状況を超能力者達に作ってやれるかもしれないが、そのために、研究のための材料を作り出すことから始めるなど、あまりにも踏み込みすぎている。人を人とも思わぬ研究は、逸脱し過ぎだ。
「それに、この場に自らザ・チルドレンが飛び込んでくるのは私も歓迎だ」
 笑みすら浮かべ告げた男の言葉に、皆本の顔から血の気が引いていくのが分かった。――男の目的を知った以上、超度7の超能力を保有する彼女達を巻き込ませるのはいけない。
 それはただ、自ら男の研究へと飛び込むようなものだ。
「念動能力、瞬間移動能力、接触感応能力――。それぞれの能力に特化した能力者。これ以上とない実験ができるだろう」
「ふざけるなっ」
 喉を鳴らし笑う男に憤りが収まらない。声を荒げ、激情のまま格子に掴みかかる皆本を男はただ静かに見遣り、反応を窺うだけで何も反論することはなかった。
 油断していた。――否、ここまできても尚どこかで楽観視していたのかもしれない。チルドレンはまだ子供だ。だから大丈夫だろうとどこかで思っていた。流石に中学生の少女達にまでは手を出さないだろうと、男の歪みを理解しきれてはいなかった。
「チルドレンを殺そうとした挙句、実験にまで利用しようとする気か……!」
 暗い部屋に鈍く歯を噛み締める音が響く。唸るような皆本の糾弾に男は困ったように眉を下げる。芝居がかったようなその仕草は、余計に皆本の気を煽る。
 冷静にならなければならないと分かっているのに、冷静でいられる状況ではない。こんなことは想定外だった。だからこそチルドレンが任務に加わることも、彼女達の力を借りることも必要不可欠なこととして頼ることが出来たのに、これならば最初から彼女達のことは離して置くべきだった。完璧に、皆本のミスだ。相手が不法な実験を行っていると気付いていながら、どこかで過信すらしていた。
「あれは私としても非常に不本意なものだった。だが、我々のスポンサーの中には彼女達のことを疎ましく思っている人間も居てね。分かるだろう? スポンサーの機嫌を損ねてしまえば実験は中断せざるを得ない。致し方なかったのだよ」
「――っ」
 男自身、不本意だとありありと表情に見せて告げる。
 彼らの裏にスポンサーがついていることは予想出来ていた。資金を出してもらう代わりに、実験に関わる何かしらの利益を提供すると密約を交わしているのだろう。そしてそれは複数居ると、男は暗に告げた。
 その中に、チルドレンを――あるいは超能力者全てかもしれない、を排除したがっている人間が居る、とも。
「大人しく実験に協力するのならば危害は加えない。それは約束しよう」
 真っ直ぐな声で、男はそう告げた。こんな非道な行いをしていながらも情は持ち合わせているのか、それともただ興味の対象は実験だけでありそれ以外には目もくれないということなのか、皆本の戸惑いは消えない。けれどたとえそんなことを約束されても、皆本にはチルドレンを実験に参加させる気も、ましてや男の実験を成功させる気も毛頭ありはしない。
 だがどこか、男には不思議な違和感があった。それを見極めるように、探るように皆本が男を見据えていれば、二つの足音が此方へと近付いて来ていた。その足音に先に反応を示したのは、男だった。
「お父様っ」
「!?」
 この場には不釣合いに思える少女の声に、皆本は驚き目を見開いた。驚きを隠せないままで居る皆本の前で、男は親しげに少女の肩を抱き、少女も慕うような眼差しを男へと向けていた。
 彼女は今、この男のことを何と呼んだか――。
「紹介しよう」
 男が促すように少女の身体を皆本へと向け、目を見開いた皆本に苦笑滲ませる。――それは初めて見る、男の人間臭い表情のようだった。
 促され、少女は可憐な仕草で皆本に向かいお辞儀をする。この状況に、鉄格子越しに見る皆本に何の違和を感じた様子もなく。それが普通のことであるかのように。
「初めまして。娘のイヴです」
 皆本は思わず、男とイヴと名乗る少女とを見比べていた。見比べて、確かに二人の容貌から血の繋がりが感じられた。イヴは、外見通りに見ればチルドレンよりも少し年上のように見えるが、雰囲気はどこかそれよりも幼い。
 呆然としたような皆本に男は低く喉を鳴らす。その声に皆本が我に返ると、男は少女の頭を軽く撫ぜて皆本へと視線を投げた。
 向けられた視線に、無意識に身体が強張る。
「何もすることがなければ退屈だろう。彼女の話し相手になってやってくれ」
「な、にを……」
「君はコメリカに居た頃から子守が上手だったそうじゃないか。――君には色々と、期待できそうだ」
「っ」
 男の含むものを悟り、皆本は拳を強く握り締める。
 立ち去る男の後ろ姿を睨むように見送り、だが近くから向けられる視線に気付いて戸惑いを残したままイヴを見つめる。真っ直ぐに皆本を見上げてくる瞳はあどけない。無心で見つめてくるその眼差しに頭の隅で何かがちらつく。
 深く沈めていたわけではなく、隠そうとも忘れようともしていたわけではない、過去の記憶。その中にあるものとイヴの瞳が、重なる。
「お父様いっつも忙しそうなの。だから私の相手はいつもしてくれない。酷いでしょ?」
 少女は拗ねるように頬を膨らませ、消えた影を探すように視線を白い廊下の先へと向けた。けれどすぐにそれにも飽きたように格子に近付き、嬉しそうに皆本を見上げた。
「でもね。お父様が私にキョウダイを作ってくれるって。私に妹か弟が出来るの。沢山よ。だからあまり我侭は言っちゃダメなの。だってお姉さんになるんですもの。あなたもお父様のお仕事のお手伝いに来たの? それとも私のお兄さんになってくれるの?」
 嬉々とした様子の少女が興奮気味に話すその言葉に、皆本は痛々しく顔を歪めさせることしか出来なかった。
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