少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 08  

「こ、こは……」
 後ろ手に拘束されたまま、連れて行かれたその場所で皆本は言葉を失うほかなかった。
 彼らが、ノアが非合法的にエスパー実験を行っていることは知っていた。それを突き止める為に、阻止する為に皆本は彼らにあえて捕まったようなものだ。だが、眼前に広がる光景はそんなことも忘れさせるくらいに、想像を遥かに上回っていた。
 ここに来るまでに肌で感じ取っていた、どこか懐かしい空気。僅かばかりの間ではあったが研究所に所属していた皆本にとっては、身に覚えのある空気だ。しかしそんな懐かしさも、今は寒々しい恐ろしさに塗り替えられてしまった。
 ぽっかりと穴が開いたような巨大な空間に整然と並べられた、溶液を満たした1ダースほどのポット。その装置の上にはモニターが備えられており、それらを繋ぐケーブルによって随時モニタリング出来るような仕組みがされていた。常に流れ続ける文字や数値はぱっと見ただけでは解読は出来ないが、その画面の前に居る白衣を纏った男達は、それらを眺めて頻りに記録を続けている。
「――!」
 それに煽られるようにモニターを凝視せんと見つめていた皆本は、それに気付いた。画面の隅に、まるで胎児のような形をした何かが映っていることに。
 そのモニターと眼前のラボトリーの様子とを見比べ、皆本は嫌悪に身を慄かせた。背筋を冷たいものが走っていく。
「気付いたかね、皆本君」
「あ、なた達は……、ここで一体なにを――!」
 悲痛な響きを伴ったそれは、巨大な空間に虚しく響き渡った。まるでその瞬間だけ刻が止まってしまったかのように全ての音が消え――、しかし、男が研究員たちに向かって軽く手を振ればまた刻は動き出した。
 常に一定の室温を保つように設計付けられた施設内で、暑さを感じることはない。けれど今の皆本には、ここは息苦しさを覚えるほど、暑く、そして寒かった。急激な心拍の上昇と、非現実的なこの光景に身体中の血が冷えるような感覚のせいだ。
 吐き気すら込み上げてくる現実についていけない。
「なんて、ことを……」
 戦慄に呻いた皆本の声は、ただか細く空気を震わせただけだった。回り続けるファンにも掻き消されそうな呟きにも似たそれを、事実聞こえなかったのか、故意に装ったのか。
 男は皆本の隣に並び立ち、それらを満足気に見渡すと視線だけを遣した。
「理解が早くて嬉しいよ」
 贈られた高慢な世辞に、皆本は自分でも不快に顔を顰めてしまうのが分かった。――否、こんな人間を前に自身を繕うことですら、したくはない。
「……理解? 一体、何を理解すればいいんですか」
 震えを押さえながらも言葉を吐き捨て気丈に睨む皆本を、男はただ笑みを浮かべてそれをいなした。まるで皆本の返答など始めから分かっていたような、気にも留めない態度だ。
 再び正面へと視線を戻した男の目には、もう皆本は映っていない。
 それでも男の言葉は続く。
「キミは優生学というものを知っているかね」
 訊ねる声は、学生に質問を投げ掛ける教師のようなものだった。
 皆本にはその質問をそのまま無視することも出来た。この男との会話を続けてはならないと、先程から警告音が鳴り響いている。鳴り響くそれに従い黙秘も選べたのに、結局皆本は声を絞り出した。
 皆本がどちらを選んだとしても、男は卓説を語るかに教鞭を執っただろう。
「子供は親からの遺伝を受け継ぎ生まれてくる。髪の色や肌の色、遺伝的なものとされる病気――。そして同じように、ならば優れた才能、賢さも子に受け継がれるのではないか、と考えた人間もいる。現代にも根付いた根拠もない空論だ」
「手厳しい意見だ」
 男は苦笑するように告げ、大仰に肩を竦めて見せた。その仕草はまるで、出来の悪い生徒に手を焼く教師のようだ。
 そのように見られるとは不本意極まりない。皆本は彼らの思想に賛同してこの場に居るわけではないのだから。そんなことは男も分かっているはずだ。
 ではなぜ、皆本をこの場に連れ、その上にこんな研究施設まで見せたのか。
「一体僕に何をさせようと言うんです」
 警戒を含めて訝る皆本の言葉に、男はここに来て初めて、まるで人間らしい表情を見せた。
 目を丸くして驚きを見せる男はしばし皆本を凝視した後に、弾けるように笑い出した。それには皆本がぎょっと目を見開いただけでなく、研究員達も何事かと男に目を遣った。どうやらこの男が笑い出すのは相当に意外なことらしい。――皆本には、どうでもいいことだが。
 一頻り笑い続けて満足したらしい男は気を取り直すように咳払いし、唇に弧を描いた。
「なるほど。どれだけ優れていようと人間に欠点は付き物か」
 まるで馬鹿にするような、実験結果に対する評価を述べているような男の言葉に不快感を露にしていると、男は焦らすようにゆっくりと口を開いた。
 だがそれは皆本の質問に対する答えではない。
「君は今この地球上に一体どれだけの割合の超能力者が存在しているか知っているかい」
 胡乱に眉を跳ね上げた皆本を一瞥して、男は言葉を続ける。
「彼らの存在は戦前から確認されており数も年々増加している。彼らは人類が進化した姿であるか、突然変異か。超能力者になる為に必要な因子は一体どこからやってきたのか。超能力は未だに人間の科学では解明されていない」
 生まれながらに超能力者であった人間もいれば、普通人であったのに何らかの外的要因が加わり超能力を覚醒させる人間もいる。または低超度であった超能力者が外的要因を受け高超度エスパーとなる実例もあり、しかし、超能力が消えたという実例はあまり耳にしない。
 誰でもが超能力者に成り得るというわけでもなく、適性のない人間もおり、だからこそ超能力者の中には我こそは選ばれた人類なのだと、勘違いを起こす者もいる。
「超能力を解明する為に、あるいは机上の空論を実現させるためにエスパー実験を行う者は少なくない。だが、これにはどうしても倫理的な問題が発生する」
 生きた人間を使っての実験など、障害があって然り。それが白日のものとなれば非難されるも止む無しだ。
 特に現代では普通人と超能力者の間にある溝も深く、それが顕著なものとなって現れている。そんなことが知れれば、両者間に要らぬ波風を立てるのも自明の理と言えよう。そんな単純な仕組みを理解していながらも、研究者達はその実験を止めようとはしない。超能力者を恐れる普通人は如何に超能力を無効化させて普通人社会に平穏を齎すことが出来るかを考え、研究に取り憑かれた人間は倫理を失くす。
 かつて生み出されたエスパー動物達も、その普通人の飽くなき欲望が生み出した成れの果てと言えるだろう。ヒトでなければただの実験資材に過ぎないのか。己と違えば、倫理も不要と高らかに叫べるのか。
「しかしそれでも人は成果を上げてきた。ESPリミッターや超能力対抗措置はその良い例だろう」
 実際にその研究に携わっていた皆本には今更と言えるほどに、改めて男に語られるほどのものではない。
 それらを研究するに当たり、超能力者達の協力なくしては得られなかった成果だ。特に常時超能力者の肌に触れるESPリミッターは下手すれば人体に影響を与えることにもなる。ECMに関しても同様のことが言える。発する強力なデジタル電波は超能力者にとって決して良いものではない。
 如何に超能力者の人体に影響なく、彼らの負担とはならぬように超能力だけを適切に抑えることが出来るか。ただ超能力を無効化すればいいという話ではない。超能力という力は、決して不要なものではないのだから。
「陰ではまた、低超度超能力者の超度を人為的に引き上げる実験も行われていた。成功するか否かは、それぞれの研究結果と技術力に因るだろう」
 如何に優れ完璧と言える論述を出したとしても、現実の実験には人体という不確定要素が常に傍らにある。だがそれは決して避けては通れぬもの。資材なくしての実験など行えるはずがない。
「どうしても実験は成功させたい。だが、どれだけ万全を整えようとも人間が人間を推し量ることは出来ない。ならば諦めるしか道はないのか。資材はいつか尽きる。選り好みできるものでもない」
 続けられる男の語り口上は淡々としている。だからいっそうに、寒々しさが込み上げてくる。
 目の前で見せつけられる研究と、男の言葉とを結びつけるものは何であるのか。考えたくなくとも、考えさせられる。
 不意に男は、自らに酔い痴れているかのような眼差しを皆本へと向けた。
「そしてある時に気が付いたのだよ」
 男の声は静かだった。
 静かに、歓喜に包まれていた。
「資材がないのならば作り出せばいい。不確定要素など取り除いた完璧と言える状態で!」
 叫んだ男の声は静寂に響き渡り、消えていく。
 言葉を失い呆然とする皆本だけを取り残して、男は謳う。
「力の増幅など小さいことは言わない。自らのこの手で超能力を、エスパーを生み出してしまえばいい。世界にも数えるほどしかいない超度7の超能力者。それを私が、私達が生み出す」
 ――遺伝子操作。
 その言葉が皆本の脳裏に過った。ここはだからこその、研究施設なのか。
 自失の状態から抜け出せないでいる皆本に、男は嫣然と誘いの手を差し向けた。
「君には我々の実験に参加してもらう。君のその優れた遺伝子を、後世に遺したいとは思わないかね?」
 優れた才を保持した、これから生まれてくる超能力者達の父として――。
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