少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 06  

「……そこまで慎重にならなきゃいけない相手なの?」
 沈痛な静寂の中に、紫穂の声がやけに明瞭に響いた。
 これまでの特務エスパーを狙った連続事件を始め、バベルに内通あるいは密偵を送る事が出来る事、ECMを所持していた事に、皆本を必要とする事。
 それだけでも今回の相手が只者ではないと言う事は分かるが、何故そこまで慎重に進めなければならないのか。
 今回の予知で犯人の拠点地、もしくは関わりのある場所は特定できたはずだ。ならば一斉捜査に踏み込む事も可能であるし、こちらには超度7の超能力者が揃い踏みしている。それだけでなくとも高超度の超能力者が集まっていると言うのに、それでも慎重に進めなければならないのだろうか。
「そうね……。今回は相手も大きいし、していることも、かなりヤバイわ。ここまで穏便なやり方をしてくれた方が不思議なくらいよ」
「一体なんなん……? ウチらは誰を相手にしてるん……」
 怯えるような震えた声を出す葵に不二子はほんの一瞬逡巡を見せ、しかし緩慢に瞬いて気を入れ替える。見えない敵に怯えるよりも、見える敵が居た方がまだ心は落ち着ける。たとえそれが、自分達の手に負えないものかもしれないとしても。
 皆本はザ・チルドレンを関わらせる事を良しとはしなかった。その気持ちも不二子には分からないでもないが、彼女達の協力無くして今回の件を解決させられるとは到底思えない。――彼女達の存在があってもどちらに転ぶのかは分からないが。
「――『ノア』と呼ばれる、超能力研究組織よ」

□ ■ □

「良かったんですか、チルドレンに話さなくても」
 沈痛な面持ちのザ・チルドレンを待機室まで見送ってから、賢木は不二子へと慎重に声をかけた。その顔には疲労の色が見え隠れしている。彼女達を刺激しないように宥めるのに気力を使ってしまったこともあるだろうが(彼女達は子供であって子供ではない。下手な言い訳は通用しない)、一番は皆本を敵の手に渡してしまった事だろう。
 賢木にとっても皆本はかけがえのない親友だ。どんな事をしても引き止めたかったし、極端な話組織員がどうなろうと関係ない。彼らの命の重さと皆本の命の重さを量るなら、後者が重いに決まっている。幾人の犠牲が出ても、誰も、何も皆本とは変えられない。
 今こうしている間にも皆本に何かあればと、気が気でないのは賢木も同じだった。
「話せる事は全て話したわ。……なぁに、賢木クン。今すぐにでも飛んで行きたいって顔してるわね」
「そんなことは……」
 振り向いた不二子の、どこかからかうような台詞に反射に顔を背けながら言葉を返すも、賢木はその途中で言葉を見失い溜息を吐き出す。
 どれだけ誤魔化そうとしても自分自身は誤魔化せないし、不二子も分かりきってはいるのだろう。彼女とて、皆本のことが心配でないはずがない。それでも、統率者が崩れてしまえば下まで崩れてしまう。ザ・チルドレンを率いる為にも、今ここで不二子が崩れるわけにはいかないのだ。
 賢木はガサツに髪を掻き混ぜると、苛立ちを紛らわすように息を吐き出した。
「分かっていらっしゃるのなら俺を行かせてくれませんか、管理官」
「駄目よ。あなたにはするべきことがあるし、あなたを向こうに渡らせる事は出来ないわ」
「俺を、ではなく超度6の接触感応能力を持つ医師を、でしょう。利用されるのがオチですからね」
 自ら皮肉るように告げる賢木を、不二子は咎めるように軽く睨みつけた。
 足手纏いに、そして敵陣営に益を齎すかもしれないという立場に自虐的になるのは構わないが、それを不二子にぶつけられてもどうする事も出来ない。
 焦りたいのは、賢木だけではないのに。
「文句があるのなら後で皆本クンに言って貰えるかしら?」
 自然ときつい口調になってしまったそれに気付きながらも、不二子はあえて言い直すこともせずに見据えれば、賢木は降参と示すように肩を竦めた。
 今ここで言い争っても何の解決にもならない。
 そんなことは、二人ともよく理解している。
「分かってますよ、管理官。それに、俺をこんな所に閉じ込める借りも返してもらわなきゃいけないんでね」
「いいじゃないのよ。それだけ信頼されてるし大事にされてるってことでしょー? 愛されちゃってるわねぇ、賢木クン」
 ころころと笑う不二子に釣られるように、賢木も凝り固まっていた気を和らげる。しかし、何かに気が付いたように顔色を変えたのも一瞬。不二子が気付く前に表情は元通りに戻っていた。
「しかし、何故奴らはこんなまどろっこしい真似をしたんでしょうかね。人一人浚うのくらいわけないでしょうに」
 わざわざ仲間の身を一時でも危険に晒すような真似はしなくとも、皆本を浚う機会は幾らでもあったはずなのだ。特務エスパーを狙うよりも遥かに危険度は少ないし、確実に連れ去る事が出来る。皆本の周囲には確かに高超度超能力者が多く集まっているが、だからと言って四六時中傍にいるわけでもない。
 まるで、こちらの狙いが何であるのかわざと悟らせた上で自ら赴くように仕向けるなど、掌の上で踊らされているようで気に食わない。
「……試したかったんでしょう。皆本クンの実力がどれくらいのものか。どれだけ頭が良くても実践で応用できなければ意味がないわ」
「つくづく腹の立つ奴らですね、ノアってのは」
「とにかく、事を進められる前に急がなくちゃ。あの子達の手を汚させることになるわ」
「そうですね」
 踊らされるだけの人形になどなれやしない。舐められたままでは終われない。
 早急に手立てを打つ為に、不二子と賢木は足早にその場から姿を消した。

□ ■ □

 不二子達がその組織のことについて皆本から聞かされたのは、予知能力班が廃病院での爆破事件を予知したその時だった。
「ノア? なぁに、それ」
 然程馴染みのないその名称に不二子は首を傾げ、隣にいる賢木も同様に怪訝な眼差しを皆本へと向けた。急に理由を告げられることもなく皆本に呼び出された二人は、神妙な面持ちで切り出されたその話題に眉を顰めるしかなかった。
「Noah’s Ark――ノアの方舟。旧約聖書『創世記』にも出てくる、人類を滅ぼす大洪水の前にヤハウェがノアに命じて建設させた巨大な箱舟のことです。これに乗り込んだノアの家族とその妻子、全ての動物の番は40日40夜続いた洪水から免れ生き延びました」
「皆本クン? 私だってそれくらいのことは知ってるわよ?」
 呆れたように不二子が口を挟めば、皆本ははっとしたような表情で眉を下げて謝罪する。どうにも頭で考えるよりも先に口から言葉が出ていたらしい。皆本の感覚からすれば尋ねられたから答えた、というだけのようだが、それにしては答えがややずれている。
 それには同じように呆れた眼差しを送ってくる賢木のお陰で気付けたらしく、わざとらしく咳払いをして皆本は改めて語り出した。
「え、えーと。まだ未確認でしかない情報なんですけど。とある団体が各国の超能力研究所から優秀な研究者を引き抜いて、ある実験を行おうとしているらしいんです」
「ある実験……?」
「そんな話、聞いた事ないわね」
 前者は軽く首を傾げるに留まり、後者は深く眉間に皺を刻み込んだ。
 超能力に関することであればどんな些細な情報であろうと、世界規模にまで広がれば彼女の耳に入らない事はないのだろう。だが今回は皆本の言うような情報は、不二子の耳には一切入ってきていない。――それだけでも、十分に裏のありそうな話だ。
 がらりと雰囲気を変えた不二子に皆本は小さく頷いて、話を続けた。
「その団体が『ノア』と名乗っているそうです。名称の由来は旧約聖書に出てくるノアになぞられたものかと」
「なんだよ? 今の時代に方舟でも作る気か?」
 賢木は、それを冗談のつもりで口にしたはずだった。だが、硬い表情を見せる皆本に「本気かよ……」と顔色を変えて口篭った。
 そんな賢木の様子に皆本は微かに苦笑する。
「まあ、さすがに大洪水を起こすつもりじゃないだろうけど、不穏な動きは認められてる」
「それがそのノアという団体が行おうとしている実験に繋がる訳?」
「ええ」
 頷いてから、皆本は最近続いている特務エスパーを狙った傷害事件のことを話し出した。
 頻繁に起こっているこの事件は、どういうわけかバベルに所属する特務エスパーだけを無差別に狙っており、その誰もが不意を突かれるような形で襲われていた。中には反撃に転じようとした念動能力を持つ超能力者も居たが、何故か超能力を使う事が出来ず、かろうじて意識を保っていた精神感応能力者が犯人の情報を読み取ろうとしてもそれは同様の事だった。
 後になって犯人がESP対策としてECMを所持している可能性が示唆され、そうなれば現場に残された遺留品から犯人探しを行わなければならなかったが、いつまで経っても捜査は難航したままだった。
 周到に準備されているかの今回の事件は明らかに超能力に関して知識のある、それなりの組織の犯行であるとの見方が強まり、すぐさまバベルに対し敵対心のある「普通の人々」や超能力者排斥団体への調査が進められたが、有力な情報は得られていない。
「今回の傷害事件はノアが関与しているのではないかと思うんです」
「……理由は?」
 そう言い切るからにはそれなりの証拠が必要となる。
 疑わしいからと言って犯人に仕立て上げる事は出来ない。
「それは、この予知が証明してくれます」
 皆本が差し出した資料は今回予知能力班の未来予知結果で出てきた、とある廃病院での死傷者6名を出す爆破事件だった。
 並べただけでは傷害事件と爆破事件はどこにも関わりがない。
 どういうこと、と目線で問い掛けてくる不二子に、皆本は更にもう一つ別の資料を二人へと差し出した。そこには、ある研究所での爆破事故が予知されていた。
「このタイミングでここで爆破事故が起こるのはおかしいんです」
「おい皆本。順に説明してくれるんだろうな? 話が突飛してやがる」
 わけが分からないと頭を掻く賢木に皆本は小さく苦笑を返して、直ぐにその笑みを消した。
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