少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 05  

 遠くから聞こえてくる響く足音に、皆本はまるで沼のような眠りの淵から意識を覚醒させた。いつもにも増してすっきりとしない、気怠い目覚めだった。
 頭だけではなく身体も重く、不快感すら込み上げてくる。倦怠感を纏ったまま皆本は身体を起こし、一瞬襲った目眩に米神を押さえた。頭を振ってどうにか気分をすっきりさせようとしても、それは簡単に払えるものではなかった。
「ここは……」
 手探りで傍に落ちていた眼鏡を拾い上げ、辺りを見渡す。
 三方をコンクリートの壁に阻まれ、残る一方には鉄格子が嵌められている。眠っていたのは固いベッドの上で、お蔭で身体の節々が強張っている。部屋――とも呼べないそこはまるで罪人を閉じ込める牢のようだと笑おうとして、皆本は思い出した現状に唇を引き結んだ。
 響く足音は確実にこちらに向かってきている。恐らくはあの時に見かけた男達のうちの誰かだろう。
 これから現れるだろう人物の姿を想像して待ち構えていると、格子越しに姿を見せた男は、やはりあの時の人物だった。
 あの時はダークスーツに身を包んでいた男も、今では白衣を身につけ、同じように白衣を着た男達を従えている。その姿に、読みは正しかったのだと安堵できる状況であったか。
 皆本が目覚めていることを確認すると、男は鷹揚に頷きその唇に笑みを浮かべた。
「気分はどうだい? 皆本光一君」
「……最高ですよ」
「それはよかった」
 皮肉を籠めた嫌味をそうと受け取らず、わざと言葉そのままを受け止め同じように皮肉を返してくる男を、皆本は睨み付ける。所詮自分が囚われの身なのだとしても、それで諦めが付くほど往生際は良くない。しかし、現状を理解し得ぬほどに愚かなつもりもない。
 男は笑みを湛えたまま皆本を見返し、ゆったりと構えた。格子の中にいる皆本がどう足掻こうと男には何のダメージを与えることも出来ない――余裕が生み出す、仕草だ。
 この時に、どちらが強者でありどちらが弱者であるのかは、決定付けられた。
 それにかっと頭に血が上りかけ、すぐにそれを皆本は押し留める。見下す眼差し、雰囲気は見過ごせるものではないが、同時に、それは真実なのだと理解することは出来る。ただそれに、理性がついていけるかはまた、別問題であるが。
「……約束は、守ってくれたんだろうな」
「約束? ……さて、私と君との間にどんな約束があったかな?」
「ふざけるなっ!」
 激昂する皆本を、それでも男は静かに見つめている。飄々とした様子の男に、皆本はぐっと奥歯を噛み締めた。
 皆本の耳には、未だに自分の身を案じる少女達の声が残っている。
「私は君の言葉に是と返した覚えはないし、彼女達に手を出さない、と公言したわけでもない」
「……っ」
 知らぬ顔をしながらもそれを述べてみせるということは、男は分かっているということだ。だが、たとえそれが屁理屈だろうと何だろうと、男から明確な言葉をもらっていなかったのも事実。
 皆本が「手を出さないだろうな」と男に念を押したその言葉に返ってきたのは「私の目的は君だ」と皆本を指した言葉。だからチルドレンは大丈夫だろうと、皆本は判断した。――そこに齟齬が発生した。
「……彼女達に、なにをした?」
 悔しげに顔を歪めさせていた皆本はどうにか気を取り戻すと、男にそう低く問いかける。
 ザ・チルドレンは超度7の超能力を有する皆本の最高のエスパーチームだ。簡単にやられるはずがない。だが、あの時確かにECMが発動されており、強制的に眠らされた皆本が顛末を知る由もない。
「予知は予知でなくなった。それだけのことだ」
「!」
 つまりそれは、予知の実現を意味するのか。死傷者6名を出す爆破事件。あの場には3人の人質とチルドレンが、居た。
 それと男の言葉を合わせればどういうことかは考えるまでもなく見えてくる。けれど、男はまだ何か言葉を紡ぎたそうな表情で肩を竦めた。
「と言いたいところだが、残念ながらあの廃病院からは誰の遺体も見つかることはなかった。――君にとっては、幸いにも、かな?」
 男のその言葉を聞いて、皆本の表情が僅かに晴れる。自分を見失ってはいない、強気のその表情に男がどこか感心するようにほう、と小さく呟いたのを皆本は知らない。
 代わりに皆本が呟いた予定通りだ、との言葉には、男が片眉をあげて反応する。どういう意味だと問いかけてくる眼差しに、皆本は不敵と取れる笑みを見せた。
「わざわざ説明しなくとももうお分かりなのでしょう? その上で僕の計画に乗った。……違いますか?」
「なるほど。そこまで私達が読んでいると知っていて、あえてこんな茶番を演じたのかい?」
「ええ。まさか、付き合って下さるとは思いもしませんでしたけど。狙いが何であるのかはわかっていましたから」
 真っ直ぐに男を見つめる皆本を、男も面白そうに眺め腕を組んだ。そしてその笑みを消すと、クツリ、と喉を鳴らす。
 その低い響きは、冷たい壁に反響して皆本の耳に届いた。
「ならば、私達を追跡していた者達がどうなったかは知っている、ということだね」
「――!」
 皆本の表情に走った一瞬の動揺。それを男が見逃すはずもない。すぐに表情を取り繕うが、その動揺は隠しきれるものではない。
 誤魔化すよう睨みつけるが、それは所詮誤魔化しにすぎず男の目は欺けない。
「なるほど。そこまでは読めていなかったかな? それとも楽観視でもしていたかい?」
 随分と舐められたものだ、と嘯く男に、皆本は唇を噛み締めた。

□ ■ □

「な――! どういうことだよ、それ!?」
 検査を受けていた薫は聞かされたその話に勢いよくベッドから起きあがり、賢木と不二子の二人を睨み付けた。それだけ二人から聞かされた話は信じられなかったし、なによりも悔しい思いが込み上げてくる。
 それを、賢木も不二子も分からないはずがなく、ただ困ったように顔を見合わせて宥める言葉を探した。けれど、どんな言葉も通用しないことなど分かりきっている。
 薫に、彼女達にとって皆本の存在はあまりにも大きい。
「今からそれを説明するわ。だから落ち着いてちょうだい」
「んなこと言われても皆本は――!」
「彼なら大丈夫よ。わたくしが保証します」
 薫が気持ちを逸らせるのも十分に分かる。しかし、物事には順序というものがあり、このまま薫の暴走によって全てを台無しにするわけには行かない。なによりそれが皆本の危険に関わるかもしれなければ尚更に。
 確かに皆本の身の安全は確信できる。元々、狙いは皆本であったのだから下手なことはしないだろう。相手は中々に頭の切れる連中だ。掌中に収めた人質の扱い方を知らぬわけでもない。だから悔しいけれども、皆本は無事なのだと思えるのだ。
 どうにか焦燥に駆られる薫を落ち着けて、不二子は深い溜息を吐く。これからのことを考えれば気が滅入りそうになる。だが今回のことについて、この作戦を許可してしまった以上、上官としてチームとして責任を負いすべき事はしなければならない。
(人気者は辛いわね、皆本クン――……)
 胸中に揶揄の言葉を吐き置いて、不二子は緩慢に瞬くと落ち着かない――落ち着けない、と言った方が正しいか――表情をするザ・チルドレンを見渡し、静かに口を開いた。
 作戦は未だ始まったばかり。これから先のミスは当然許されない。
「まず最初に、今回予知された事件について説明するわ」
 ザ・チルドレンに最初に告げられていた予知の概要は廃病院で起こる死傷者6名の爆破事件。その為に皆本達4人は事件現場となる廃病院へと向かった。そしてその場には何故か先日より行方不明となっていたバベルの特務エスパー3人の存在があった。そこでザ・チルドレンが皆本により聞かされたのは、以前より起こっていた特務エスパーのみを狙った傷害事件。
 幸いにして軽傷で済んでいたその事件はしかし敷かれた緘口令によりザ・チルドレンの耳にも入ってくることはなく皆本の口から聞かされたことによって初めてその存在を知った。その連続傷害事件と、今回の爆破事件に関わりがあるということも、一連の事件はこの日の為にあったものだということも。
 ザ・チルドレンの出動すらも、犯人を誘き寄せる為の囮に過ぎなかったことも。
「……ここまでは皆本クンからも聞いた話よね」
「ええ。皆本さんはあの作戦も囮と言ったわ。そして事実犯人が現れ、……皆本さんは連れて行かれた」
 不二子の言葉に頷いたのは紫穂だった。ほかの二人は辛そうに顔を顰めている。けれど、紫穂とて辛いわけではない。あんな、目の前で皆本を連れ去られ、何も出来ない無力さを見せ付けられて、悔しくないはずがない。
 だが今は、その悔しさも遣る瀬無さも抑えていなければ、皆本を取り戻すことも何も出来ない。
 沈痛な呟くような紫穂の言葉に室内には重々しい空気が流れ、しかしハッと顔色を変えた葵によって空気が揺れた。
「ちょ、ちょお待ってや!? そしたら犯人の目的は最初から……!」
 囮とするのなら犯人が食いつくだけの何かが必要になる。犯人が欲するような、何かが。
 人質として連れ去るのなら、此方の情報にも精通しているのなら、移動の手間となるような皆本をわざわざ連れ去らなくともザ・チルドレンでも構わなかったはずだ。超能力を無効化するECMを持っているのなら、彼女達は脅威にすらなり得ない。だが犯人は、迷わずに皆本を指名した。
 皆本の言葉が蘇る。この一連の特務エスパーを狙った傷害事件を起こすことによって姿を現すもの――。
「さすがは皆本クン、ってところかしらね。彼はすぐに気がついたわ。この犯人の狙いが自分だということに」
「! そんな――!」
「っ、なんでっ、なんでばーちゃんは皆本を止めなかったんだよ!?」
 今にも不二子に飛び掛っていきそうな薫を、賢木が慌てて引き止めた。触れた肩から、薫の激情が痛いほどに伝わり、感情のままに放出されている思念波がチリチリと肌を刺してくる。
「管理官は引き止めた。俺もそうだ。でもアイツは言うことを聞かなかった。アイツが行かなければ、あそこで犯人を捕まえてしまえば、更に大きな被害が出てしまうからだ」
「な、んだよ……それ……」
 呆然と呟く薫に賢木は不二子へと視線を移し、続きを受け渡す。
 それを汲んで、不二子は小さく頷き資料を引き寄せた。
「廃病院の爆破事件とほぼ同時刻に、ある研究所でも同じように爆破事件が起きることが分かっていたの。確率は40%、だけど被害は大きすぎた。だからそっちにも特務エスパーを派遣しようとしていたんだけど……、あなた達の出動と同時に予知は消えたわ」
「消えた!?」
「どういうこと……」
「これは皆本クンが立てた仮説だけど。もしその犯人と研究所に繋がりがあり、犯人達が捕まって研究所のことが口外されてしまえば。証拠隠滅の為に焼き払ってしまうかもしれない。そこにある資料も研究員も全員纏めてね」
 資料だけ焼き払っても、研究のデータは頭の中に残る。それが外部には決して漏れてはならないものだとすれば、焼き払ってしまいたいデータは記録上にあるものだけではなく、人体の脳に記憶されたものにも及ぶ。だが、都合よく忘れたいものだけを忘れられるように脳は出来ていない。
 ならば、どうすればいいのか。短絡的ではあるがその人間ごと消してしまうのが手っ取り早く確実だ。
「だから犯人を捕まえてはいけなかった。でもかといってあなた達以外のチームを廃病院に向かわせることも出来なかった。犯人の狙いが皆本クンである以上、被害が続く可能性があるからよ」
「犯人を捕まえて尚且つ研究データも消させないようにする為には、皆本が内部に乗り込む必要があったんだ。アイツ以外の適役はいない」
「皆本クンは最初から犯人を捕まえる気はなく、寧ろ捕まる気でいたの」
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