少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者達の狂詩曲 02  

「うっわー。なんかお化けでも出そうな雰囲気だなー」
「やだ薫ちゃん、変なこと言わないでよ」
 聳え立つ建物を眺めながら漏らした薫の呟きに、紫穂がやや過剰な反応を見せる。無意識にだろう、縋り付いて来る紫穂を見下ろしながら皆本は微かに苦笑を零した。
 今が日中であるからお化けが苦手な紫穂もどうにか平然としていられるのだろうが、これが夜となればまた反応は違っていただろう。
「……皆本さん、今失礼なこと考えたでしょう」
「え、や……、全然っ!」
 翳された思念波を纏った右手に、皆本は慌てて首を振る。じっと見上げてくる紫穂に違うと否定して、だけど、とも皆本は続けた。
「薫の言うように、そういうのを期待して面白半分に肝試しに訪れる人達も居るというのは、聞いたことがあるな、って」
 眼前に聳えるのは、十数年前に廃墟と化した病院。
 都内とはいえ郊外に建つその病院は、都心に大病院が建ち始めて年々入院患者数が減っていき、勤めていた医師や看護師達もそれぞれ引き抜きや自主退職により失ってしまった。ついには業務に差支えが出るような危機にまで追い込まれ、病院を畳むことになってしまったのだ。
 それからというもの、建物の取り壊しも行われることなく誰も足を踏み入れなくなり、手入れされない前庭や中庭には雑草が生い茂り、長年の雨風により建物も老朽化。果ては偶々夜道を歩いていた近所の住民が病院内で怪しい人影を見た、との噂まで出始めてしまい、今や肝試しのスポットとして一部で取り上げられるようになった。
「やだ、皆本さんそういうことは先に言ってよ! 私そんな場所に行きたくないー!!」
「ちょっ、紫穂。単なる噂だって。実際に何か起こったわけでもないし、事実この病院で医療ミスが起こったこともなく、ごく平凡な病院だったそうだよ」
 途端に駄々を捏ね始める紫穂に、皆本は慌てて聞きかじっていた情報を告げる。皆本自身も今回の予知を聞かされてから現場に着くまでの時間、この病院についてを調べていた。
 なぜこんな人気のない廃墟で事件が起こるのか。
 近所に民家は存在するが、それでも病院までの距離は遠い。この建物を破壊したとしても、得をする人間も損をする人間もいない。だのに、予知では死傷者が出ると弾き出されている。ならば、この病院のことを調べるのは当然のことだ。
 しかし、当時の院長であった男は既に病死しているし、彼は誰に恨みを買う事もなかった。親族との関係も至って良好。では、この病院に勤めていた人間はどうかとなると、こちらも特に問題はない。
 皆本が先に告げた平凡な病院とは、そう言った意味も含まれていた。
「とにかく」
 どこか浮ついたような、緊迫感の見えない雰囲気を払拭させるように、皆本は咳払いをする。
 表情を引き締めた三人を満足そうに見下ろして、言葉を続ける。
「犯人の目的も分からないし、死者が出るということはもしかしたら巻き込まれた人達がいるかもしれない。心して掛かって欲しい」
 予知課が導き出した、予知確率90%、有効変動超度6の爆破事件。被害は死傷者合わせて6名。
 超度7のザ・チルドレンであれば無事に事件を収束させることが出来るとは思っているが、皆本の胸中に残るわだかまり。その一連の関連性は未だ認められてはいないが、この事件を紐解けば何かはっきりと分かるかもしれない。
 かたく頼もしく頷く三人の少女達に皆本もまた小さく頷き、スーツから携帯電話を取り出す。そして、彼女達のリミッターの解除コードを入力する。
「特務エスパー――ザ・チルドレン、解禁!」

 既に人気が消えて等しい廃墟での爆破事件となれば、しかもそれが死傷者を出すような規模の大きいものであれば事前に下準備を行っている可能性が高い。広い院内でその場所を一部屋ずつ確認して周るには手間が掛かるし時間も掛かる。
 けれど、超度7の接触感応能力者であれば。残留思念、あるいは自分達以外の人の気配を感じとることも出来るだろう。幸いなことに最近の人の出入りも少ないはずであるから、特定もそう難しいことではないはず。
 床に跪き、建物全体を読み取っていた紫穂は伏せていた瞼を持ち上げると皆本を仰ぎ見た。
「二階の一部屋にだけ、人の気配があるわ。それと、最近此処を出入りした人達はいるみたいだけど、弱くて透視え難い……。けど、私達の前に此処からこの中に入った人はいない」
「そうか……」
 そうなれば犯人は、この場所以外の所から中に侵入したのか。
 病院内には幾つかの出入り口があるし、一階部分の窓ガラスは割れた箇所もある。わざわざそこを選んだとは考え難いが、侵入経路は一つではない。
 顎に手を当て考え込んでいた皆本は、ふと集中の途切れた隙間で人の気配を感じた。足元へと目を落とせば座り込んだままの紫穂の姿がある。なにやら物言いたげな表情に、苦笑を浮かべて手を差し出す。
 差し出した手の上に乗せられた少女の手のひら。はにかむような表情を見せる紫穂を立ち上がらせていると、二人のすぐ傍で空間が歪みそこから薫と葵が現れた。
「皆本はん――って、何やってんねん、紫穂!」
 葵の視線の先には、しっかりと握られた皆本と紫穂の手のひら。ただ立ち上がらせていただけなのだが、皆本は改めて現状を理解して慌てて手を離す。残念そうな、不服そうな紫穂の声が上がったが、とりあえずこの場は聞き流す。
 喚く葵とそれを受け流す紫穂とをやや呆れ混じりに見つめ、そのやり取りに加わろうとはしない薫に皆本は気付いた。普段であれば、薫が一番に騒ぎ出しそうなのに――。
「どうした? 薫」
「へっ? っ、あ、いや、なんでもないよ!?」
 慌てて言葉を返す薫には、言い争っていた葵も紫穂も怪訝に薫へと視線を送る。どうにも最近薫の様子がおかしいのだが、原因が掴めない。常に傍にいる葵や紫穂にそれとなく聞いてみても、答えは同じだ。
 調子が悪いのならばあまり任務に参加させたくはないのだが、そう告げても本人に大丈夫だと言い切られ、医療面からも異常がないと言われてしまえば本人の意思を尊重するしかない。
 皆本は軽く息を吐くようにそうか、とだけ告げて、葵へと視線を移す。葵は一瞬どきりと小さく身体を跳ねさせて、報告する。
「他の入り口は鍵も掛かっとって錆び付いたまま開けられた形跡はなかったで。せやけど、窓が割られとる場所もあって、足跡が残っとった」
「足跡……? ああ、この前の大雨の翌日に誰かがぬかるんだ土を踏んだのか」
「ってことは、犯人はそこから侵入したってこと?」
「いや。多分それは興味本位でここにやってきた全く無関係の人間――だと思うよ。わざわざこんな人気のない場所を選んで事件を起こすような犯人だ。そう証拠を残してるとも思えない」
 それに、正面玄関は数年前に悪戯で抉じ開けられてからは開放されたままになっている。一々回り込んで窓から侵入するよりは、堂々と正面を通った方が不審には思われ難い。地域の住民達も、また興味で訪れてきた者達が面白半分に廃墟巡りをしているのだろう、くらいにしか思わない。意識には残り難いものとなる。
 納得するように皆本の見解を聞く三人の眼差しに皆本はどこか照れたような表情を零した後、顔を引き締めた。
 正規の入り口から侵入した形跡はないが、他の場所からの可能性はまだ残されている。相手の姿が朧にも捉えられないのは不利だが、だからといって手詰まりというわけでもない。
「とりあえず、紫穂が捉えた場所に行ってみよう。犯人がどこかに潜んでいる可能性もあるから、周囲には十分警戒してくれ」
「了解」
 声を揃えて返された返事に皆本は大丈夫だという意味もこめて微かな笑みを見せ、中へと入っていく。
 当時そのままに物が残された院内はその廃れた光景がそうさせるのか、体感温度が何度か下がったように感じさせる。踏み荒らされた床には数多の足跡が残され、壁にされた意味不明な落書きが不気味さを漂わせる。
「……本当に何か出そう」
 ぎゅっと紫穂が左腕にしがみ付いてくると、右腕には葵が身を寄せてくる。薫は、と見れば、三人の少し前を黙々と歩いている。
 昼間であっても何処となく仄暗い建物内。通り過ぎる診察室を横目に覗いてみれば、整然と並んでいるはずの机も椅子も誰かに弄られたのか移動した形跡があり、置き去りにされた何か書類のようなものがばら撒かれている。
 確かにこんな光景があるのでは、物好きな人間達が好奇心を抑えられずに絶えずやってくるのだろう。
「きゃっ!」
 短く上がった悲鳴に、皆本は慌てて足を止めて紫穂を見下ろす。先を歩いていた薫も警戒を抱いて紫穂の元に寄る。
「どうした、紫穂!?」
「い、今何か物音が……」
 犯人が潜んでいるのか。
 皆本は胸元に忍ばせてある銃に触れながら、用心深く周囲を探る。だが、続く廊下の先にも後ろにも人影なんてものはない。
 その他に怪しいのは横目で確認していた診察室くらいだが、と窓に目を向けたところで、皆本はああ、と警戒を解くように溜息を漏らした。見上げてくる双眸に、ふっと目元を和らげる。
「大丈夫だよ、紫穂」
 窓に掛けられたブラインド。不自然に曲がりその機能を果たせそうにもないそれからぶら下がる紐が、時折隙間風に吹かれて揺れ動いている。恐らくは、その紐が窓にぶつかる音を紫穂は拾い上げたのだ。
 何か出るかもしれないと、恐怖心を抱いて身構えていると些細な物音でも敏感に感じ取ってしまう。安心させるように軽く頭を叩いて、皆本は三人を促す。
 紫穂が人の気配を感応じ取ったその場所は、二階にある病室。そこからは慎重に行動しなければならないと、足音を忍ばせて階段を上っていく。二階に出るその前に、フロアを紫穂に透視してもらう。建物全体を透視するのではなく、部分的に透視み取るのだからその情報も鮮明としているだろう。
「ここに間違いないわ。気配がある部屋はここから四つ目の部屋。けど……」
 透視を止めて報告する紫穂のその歯切れの悪さに、皆本は無言で促す。それに後押しされるように紫穂は小さく頷いて、続ける。
「けど、部屋にある気配は三つ。おかしいわ、皆本さん」
「確か、予知では死傷者は6名やって……」
 現実と予知でズレが生じている。それとも何か、まだ見落としているものがあるのか。考えてはみるが何も思い当たらない。
 皆本が感じ始めた焦燥が、三人にも伝染る。
「どうすんだよ、皆本?」
「……紫穂。とりあえずもう一度透視してみてくれないか? もう一度、この建物全体を」
「わかった。やってみる」
 床に触れ、意識を集中し始める紫穂を見つめながら、だが皆本は何も得られないだろうと予感する。今回の事件は、まだザ・チルドレンには話していないがただの爆破事件に終始しない。
 隠していたことが知られてしまえばただでは済まされないだろうが、それは彼女達を思ってのことだったのだと、告げてそれは正当な理由になるだろうか。それでもこれは何も皆本一人の意見ではない。確かに発案は皆本ではあるが、協力者は他にもいる。
 立ち上がり静かに首を横に振る紫穂に労いを掛けて、皆本は深く息を吐き出した。
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