少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  僕と彼の生きる道 07  

 何気なく吐いた溜息は思ったよりも大きく耳に聞こえて来た。それでも、周囲の賑わいに掻き消される程には小さい。
 周囲の賑わいを少し羨ましく思いながら、賢木は再び溜息を吐いた。
 隣には共に飲んでいた皆本がいるのだが、すっかり酔い潰れて机に突っ伏している。普段であればきちんと己の酒量を守り無茶な飲み方もせず潰れる事はないのだが、一体どうしたのか。
 元々、今日は少し元気がなかったのだ。チルドレンの前では元気に振舞っていたが、それで誤魔化されるほど浅い付き合いではない。彼女達も心配していたし、賢木も心配になる。
 皆本は真面目一直線で少々融通の利かない所もあり、だからこそ変に悩み込んだら中々抜け出せなくなってしまうところがある。気分転換にでもなれば、と半ば強引に飲みに連れ出したのだが逆効果であったか。しかし、飲んで忘れられるのならばそれでいいのかもしれない。酔い潰れては意味もないかもしれないが。
「ったく、しゃーねぇか。今度はお前に奢らせるからな」
「……ん、んんっ……」
 持っていたグラスで眠る皆本の額を軽く小突くと、一瞬顔を顰めて、幸せそうに蕩ける。残された賢木の事などすっかり忘れたように幸せな夢の中にいるらしい。
 一体何の夢を見ているのか。知らない事が幸せな事もあるという事を知っている。それは、他人の心を透視出来てしまうが故によく識っている。それに透視しなくても、どんな夢を見ているかなど想像出来てしまう。
 それは事故が生み出した偶然。出来る事なら知らないままで居たかった。それでも皮肉な事にそれは許されなかった。ささやかな幸せさえ奪われた。でもそれは誰の所為でもない。責めるのならば、何もしなかった自分であろうか。
 早くに自分が何か行動を取っていれば、今ある未来は変わっていただろうか。だが現実に生きる世界にもしもはない。後悔しても意味はない。悔いた所で何も変わらない。ならばせめて、未来を変えるだけだ。
 過去は変わらない。過ぎたものはどうしようもない。けれど未だ来ぬ未来は変えることが出来る。それに少しもチャンスがないわけでもないだろう。今後どう転ぶか分からない。先は見えていない。
 諦めが、良いわけでもない。稼げる点数は稼げるときに稼いでおく。これももしかしたら、そうなのかもしれない。それにこれは、親友の特権だ。
「ほんっと、鈍感なのは変わらねぇなぁ……」
 気付かせないようにしていたのもある。自分自身、そこに戸惑いがなかったわけでもないから。それでも戸惑いを吹っ切った後はそれでよかったのかどうなのか。
 じっと寝顔を眺めても、答えが返ってくる事はない。ただ穏やかな寝息が聞こえてくるだけ。
「あーったくこういう時は接触感応能力者は不便だぜ」
 元々二人ともアルコールを入れるつもりだったから当然車に乗ってきてはいない。タクシーでも、と思ったが少なくとも今は例えタクシーの運転手であろうと第三者を置ける心境ではない。これも独占欲とでもいうのだろうか。
 愚痴は零しはしても結局それは、別に嫌というわけでもないのだ。厄介な感情だ。言動が合致せず、己でさえも心の在り処がわからない。
 夜風にアルコールに火照った身体は冷えていくが、その分余計に背中にある温もりを意識してしまう。だが辿り着くまでにどうにか気を治めておかなければ。
 ただでさえ――元々そうするつもりであっても――皆本を酔い潰してしまったのだ。この状態で連れ帰ればチルドレンがどう反応を見せてくれるか。皆本に対する執心を知っているだけにあまり想像はしたくない。
 矛先は賢木に向けられる事は決まっているし、彼女達は手加減というものを知らない。
 このまま皆本のマンションには向かわずに自宅に向かうか。ああ少し、悪戯心が湧いてくる。そうすれば少しは意識してくれるだろうか。
「あんまり調子に乗らないでくれよ、それは僕のなんだから」
 夜風に乗って聞こえて来た冷やかな声。驚く事がなかったのはなんとなく、想像し得てしまうからか。
 声の聞こえた方へと顔を向けると、そこには予想に違わず夜空に浮かぶ一人の姿。不快にその顔が歪んで見えるのは、見間違いや錯覚ではないはずだ。面白くない理由はわかるが、それは賢木も同じ。
「何の用だ? 兵部京介」
「君に用はない。僕が用があるのは後ろの坊やだ」
 兵部の浮かべる不敵な笑みに、思わず歯噛みする。不利な状況と分かっていながらも、みすみす渡すわけにはいかない。無意識に皆本を抱える腕に力を籠めてしまう。
「本当不粋だね。これは僕達の問題であって君は全くの無関係だ。余計な首を突っ込まないでもらおうか」
「……どうであってもお前に皆本は渡せない。お前の所為で皆本はこうなったんだろうが」
「そうだよ。だから彼を迎えに来たんじゃないか」
 分かりきった事を。そんな表情で兵部は賢木を見下ろす。
 今朝方は皆本は普段と変わることはなかったのだ。いつも通りに出勤してくると真面目に仕事に取り掛かり、上の空になり始めたのはお昼過ぎ。超能力者による事件が発生しチルドレンに出動命令が出され現場に急行したその後。
 事件はすぐに解決されたがそれから戻ってきたときには既に皆本の様子はおかしくなっていた。その場にいなかった賢木には何があったのかわからなかったのだが、チルドレンにその時の状況を聴く限りでは推測できる事が一つあった。
 その場に現れたという兵部の存在。それ以外に皆本が思い悩む事は今現在では考えられなかった。
「それに、僕のものを返してもらうのに君の許可はいらないね」
「っ」
 不意に背中から消える重み。
 次の瞬間には、それは兵部の腕の中に現れる。
 その身体を、兵部はまるで大切に扱うかのように腕に抱える。皆本を見つめる表情は、過去に見たことがない。
 見せ付けられているのだと、分からないはずがない。
 既に兵部の意識に賢木のことなどない。皆本を返してもらえれば用は済んだとばかりに消えていった兵部を、賢木はただ忌々しく睨む事しか出来なかった。

□ ■ □

 眠る身体をベッドに横たえさせ、兵部はそれを見下ろしながら浅く息を吐いた。今は幸せに眠るその顔が半日前には悲しそうに歪んでいた。それが気掛かりで夜会いに行ってみればあの様だ。
 心を許しているにも程がある。皆本には皆本の付き合いがあってもそれは構わない。そこまで束縛するつもりはない。だが、許容出来るものと出来ないものがある。心は広くない。
「起きなよ皆本君。僕に狸寝入りが通用するとでも思ってるのかい?」
 正面から顔を覗き込むと、睫が揺れ、ゆっくりと瞼が持ち上がる。ぼんやりとした双眸が正面にある兵部の顔を捉え、居心地悪そうに視線が逸れる。直視出来ないその理由は何なのか。
「言いたい事があるなら聞くよ。それとも透視んだ方が早い?」
「…………」
 皆本が言い難いのを知っての先手。困惑に瞳が揺れ、言葉を紡げない口が開閉を繰り返す。その様子を、兵部はただじっと見下ろしていた。逃げ場も既に塞いでいる。
 それでも兵部は――気は長くはないが――皆本がそう言わない限りその心を読むつもりはない。だからただ皆本が言葉を発するのを待ち続ける。その沈黙も見つめる視線も皆本を追い詰めるものと知りながら。楽な道は選ばせない。
「――……どうして、兵部はパンドラを作ったんだ」
 落とされた呟きに目を瞠る。まさか、そんな事を言われるなんて思いもしなかった。
 今更の質問だ。どうして。その理由を皆本が分からないはずはない。普通人が憎い。普通人に疎外される超能力者の為の居場所を創りたかった。この世界は、超能力者に優しくない。
「……どうして僕は、普通人なんだ」
 誰もが好きで超能力を得るわけじゃない。突然変異的に、或いは遺伝的にその能力を持ってしまう。確かに超能力に対する研究が進み、潜在的に眠っている能力を意図的に引き出させる実験が行われていないわけではないが、それは被験者に大きな負担となる。万一失敗すれば、生死に関わることもある。
 また超能力を得られたからといって得というものはない。それは持たない者の幸せだ。
 それが分からない皆本ではないはずなのに。君がそれを言うのか。その心は透視でもしない限り分かりはしない。けれど、複雑に絡み合った思考など、他人が理解し得るものではない。
「いや、違う。そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」
 否定して、皆本はその先の言葉を失くす。きっと皆本自身、その混乱した思考を纏める事が難しいのだろう。兵部はただ皆本が言葉を探し出すまでじっとその姿を見つめる。
 悩んで、満足する言葉を模索すればいい。後悔しないように今ある言葉を紡げばいい。皆本自身の言葉を出せるように、兵部は何も口出しをしない。
「僕は……、お前にとっていったい何なんだ……?」
「それを知って、皆本君はどうしたいの? どう言われれば君は満足するの?」
「……わからない」
 たとえ想いが同じ場所に在るのだとしても、想い方は人それぞれ違う。同じように想っていても求め方が違えば落胆する。自分勝手だと分かっていても心は納得しない。
 言葉を求める。それは確かな証拠が欲しいから。自分に自信を持ちたいから。だから言葉で確かめようとする。だがそれが、自分の求めるものと違えば、その自信が脆くなる。言葉全てが想いを伝えるものではない。想いを伝える術は難しく、言葉は万能ではない。
「……僕は、兵部のもの?」
「そうだよ」
 脈絡のない言葉。それでも恐らくは、兵部が賢木に言った言葉を聞いていたのだろう。
「いつから?」
「え?」
「いつから僕は、兵部のものになったんだ?」
 真っ直ぐに見つめてくる眼差しに、兵部は言葉を喪失する。そうして皆本の言葉を考える。
 兵部のものだと、具体的に取り決めるような事はしていない。当たり前だ。それはあくまで擬似的にであって、実際皆本は兵部の所有物じゃない。では何故あんな言葉が出てきたのか。どうしてそうやって所有欲を露にするのか。
 それは願望であり、欲望。独り善がりに近いものもあるかもしれない。証を立てたわけでもなく、子供染みた独占欲。自分のものとすることで、繋ぎ止めたい懇願。
 流れる沈黙に、何も言ってはくれない兵部に皆本はぐっと拳を握り締める。
「……お前に、強姦されたときから?」
「光一!」
 兵部は咄嗟に大声を張り上げていた。きっと今情けない顔をしている。
「だってそうじゃないか。僕は嫌だったんだ、嫌と言ったんだ。でもお前は止めてくれなかった。駄目だったんだ。僕達は交われない。交わっちゃ駄目なんだ……」
 今でもそれを忘れたわけではない。嫌がる皆本を強引に組み敷いた。どんなに拒絶されてもやめることは出来なかった。
 結局は、それだ。兵部は超能力者で皆本は普通人で。兵部は普通人を憎む。そして皆本に、その兵部の心を癒す事は、出来ない。
 それはどちらかが変わらない限り変わることの無いもので、そしてどちらも変わることはない。
 平行線を辿るはずだったものが、不用意に交わってしまった。その負荷は必ずどこかに掛かってしまう。だから時に深く交われば、負荷はそれだけ大きく返ってくる。
「後悔してるのかい」
「違う! そんなことはない! ……僕だって、本当に嫌なわけじゃないんだ」
 認めてしまえばいい。認めれば精神は負荷を感じない。負荷を感じるのは、こうあってはならないと交わる線を無理に平行に保とうとするからだ。だからおかしくなってしまう。もう完璧に元に戻ることなどできるはずもないのに。
 交わる事を皆本が頑なに拒絶していたのは、その所為だ。もう後戻りはできず、だが進む事を後悔するわけでもなく、ただ心の在り処を見失っている。どこが最善であるのかを考えあぐねている。
「……僕は、お前のもので、じゃあ、お前は? お前は僕のもの?」
「……」
「でもそう望んでも、僕はお前の隣には立てない」
 水掛け論に近い。根底が交わらないのだから、その先の延長上も交わらない。一個人同士が交わっても、その周囲まで交わるとは限らない。
 ああ結局は、そういうことなのか。
「だって君は仲間を見捨てられないだろう? 連れ去ってもいいの?」
「……」
 言葉はなく、しかし力なく皆本の首は横に振られる。
「僕達の間に考えて出る答えなんてないんだよ。それならとうに答えは出ていたはずだ。……君は考えすぎるんだ。別にそれは悪い事じゃない。それだけ僕とのことを考えてくれているんだろう? けどそろそろ、僕の想いだけを信じて欲しいものだね」
 倫理に囚われ別れを切り出されても、もう別れられる自信はない。
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