少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

戻る | 目次

  僕と彼の生きる道 08  

「…………嫉妬、なんだ。たぶん」
 ぐっすりと熟睡したとはいえない表情で、皆本は戸惑うようにそう告げた。あれから一緒に寝てはいたものの、兵部とて熟睡は出来ていない。決して良いとはいえない寝起きの状態で聞かされた皆本の言葉に、兵部はしばらくの間を置いてああ、と頷いた。
 嫉妬。皆本の口からそう聞くには何だか似つかわしくない言葉のように思える。曖昧に言葉を濁してしまうその様子からも、皆本自身も言っていてしっくりとはこないのだろう。それでも今の心境を表す言葉は、それ以外に思いつかなかった、という所だろうか。
「こうやってお前と一緒に過ごしていても、ずっと傍に居られるわけじゃない。だから……」
「真木に嫉妬したのか」
「どうだろうな。それを嫉妬と呼んでいいのなら、そうかもしれない」
 兵部を迎えに来る、彼の隣に立つことが許された者。その存在を憎いと思ったのか羨ましいと思ってしまったのか。
 割り切っているのだとどんなに言い聞かせても、そもそもそう言い聞かせる事自体、割り切れていない証拠なのだ。それはただ自分を追い詰めるだけになる。
 それは最初から分かっていた事なのに、だから余計な欲を持ってしまわないように兵部との関わりを避けていたのに、必死に築き上げてきた堤防も崩されてしまった。深く交わりあった兵部は、ひどく優しく温かかった。
 だからその内に秘めた冷やかな憎悪が悲しくて、寂しくて。心を偽りきる事はできなかった。それでも情に流されたという訳ではない。
 ただいつの間にか、兵部が気になって仕方がなかったから。
「でも僕は、まだ覚悟なんて全然出来ていなかったんだ」
 兵部を愛する事がどういうことなのか、まだ分かってはいなかった。単純に敵同士という事実だけではなく、それによって齎される周囲の状況も抱く感情も。分かったようでいて、しかし現実にそれに直面した時、対応できるだけの能力がなかった。
 そして結果的に周囲に流され自分を見失ってしまう。何が正しくて間違っているのかという事だけではなく、自分が信じるものでさえも分からなくなる。それでは、いけないのに。
「それで不安定なまま僕とこういうことになって、後悔しているのかい」
 皆本の身体が、怯えるように揺れる。詰るのでもない、常と変わらない平坦な声は、だからこそ責められているのではないのかと。両脇で拳を固めて、皆本は力弱く首を横に振る。
「後悔は、してないんだ。僕は僕の意思で兵部を受け入れた。兵部の事が好きなんだと理解してる」
 拒む事が出来なかったわけじゃない。自分にその隙があったから、兵部はそこに付け入った。言い方は悪いのかもしれないが、そうして強硬手段に出られなければ、自分達の関係はきっと曖昧なまま互いに苦しんでいただろう。
 だから、感謝している。でもその一方で、どうして放っておいてくれなかったのだと、詰りたい気持ちがないわけでもない。矛盾する相反した気持ちは、ただ自分が今の苦しみから逃れたいだけの我が侭だと知っている。
 もし踏み込まれなくて、曖昧なまま悶々とした関係が続いていたとしたら、きっと逆の事を思っただろう。どうして踏み込んできてくれないのか、と。
 どちらであっても行き着く結果は変わりはせず、悩み落ち込むのは自分が弱いからだ。自分の思いも、相手の思いも受け入れることなど出来やせず、それでいて貪欲になっていた。
「僕自身が、何をしたいのかわからないんだ」
 どこにでもあるようなありきたりな日常に身を置いて安寧な生活を送りたいのか。それともいがみ合いながらも歩み寄る道を模索するのか。対極にあるような生活を送る中で、心の置き場所が分からなくなってくる。
 もしかしたらどちらかは夢の世界の話で、どちらかが現実なのではないのかと。現実から逃れるように都合の良い夢を、或いは幸せな現実の中で悪夢を。その場合、今此処は一体どちらの世界なのか。夢か現実か。そして自分は、そのどちらを望んでいるのか。
 不安定な足場に立ってどちらに進む事も出来ずにただ佇んでいる。
「君は本当に不器用だね」
「…………」
「君の好きなように生きればいいのに余計な事を考えて。……けどそれが、君の良い所でもあるんだろう」
 誰もが傷付かないでいいような道を探している。でもその道は、皆本だけを傷付けていく茨道。それに気付いているのかいないのか。安全な道は直ぐ隣にあるというのに、いつまでも茨道を歩き続けている。
 傍から見ればあまりに滑稽。いっそ愚かとでも高笑いしたくなる。けれどその必死さに、真摯な思いに、手を差し伸べてやりたくなる。そして一緒に、茨道を歩いてしまうのだ。どんなに傷付いても一緒ならば大丈夫と思ってしまう自分も、なんと滑稽だろう。
「だけどね、皆本君。たとえ君がどんなに悩んでいても、後悔していたとしても。僕はもう君を手放す事なんて微塵も考えちゃいないんだよ。この先に何があっても、幾度君にブラスターを向けられようと、僕は君を掴まえる」
 だってそうだろう。死と直面しているようなその状況でも、ブラスター越しに見る皆本の苦悶に歪んだ表情は兵部を高揚させる。思考一杯に兵部のことを考えて一分の隙もなく。兵部だけを、見つめている。
 果たしてこれは歪んだ感情か。これも人は愛と呼べるのか。
 そんな事は関係ない。どんな形であれそこに求め合う二人の人間がいる。それだけで形成される関係。きっかけなんてものはなんでもいい。ずるくても、勝ちの可能性もない賭け事をするつもりは毛頭ないのだから。
 沸き起こる暗く淀んだその感情を兵部は押し留め、皆本へと手を伸ばす。導かれるように皆本はベッドに乗り上げ、頬に触れる。
「何をしたいのか。単純な事だ。僕と一緒に居たいのか否か。それだけでいい」
 そんな事でいいのかと、皆本は兵部を見つめ返す。戸惑う瞳が兵部を捕らえた瞬間に、揺れが大きくなる。
 一緒に居たい、という気持ちが強い。けれど皆本はバベルの職員で兵部はパンドラの首領で。ああこれは一体何回考えた事だろうか。何回考えても、だけど結局は、と続く。個人として一緒に居たくても環境がそうさせてくれない。
「余計な事を考えるな」
 ぴしゃりと、皆本の戸惑いなど見透かしたように兵部は言い放つ。心を読まれていたのか。だが読まなくても兵部は気付いていただろう。
「……一緒に、居たいさ」
 兵部の周囲に思わず嫉妬してしまうほどに。自分の立場がもどかしく感じてしまうほどに。
「ならそうすればいい。大体普通人の君に何が出来ると思っている。力も何も持っちゃいない、普通人の君が」
「でも!」
 吐き出した声は予想以上に大きかった。息苦しいのはどうしてだろう。何故、こんなにも兵部の顔が歪んで見えるのだろう。
 皆本は、自分が泣いている事に気付いてはいなかった。皆本の流す涙が、兵部の手のひらへと伝う。温かな哀しみの雫は、一層に悲愴感を強める。
「でも、それでも僕は、超能力者を、貴方を愛しているんだ――……」
 その愛では、何も変わらないというのか。
 そこに一体どんな隔たりがある。同じ人間で、超能力の有無だけで、何故差別視されなければならないのか。誰がそんな事を決めたのか。
 自らの種の存続の為に淘汰しようと働くのは、もう幾億も昔から続いてきた自然の摂理といってもいい。本能として植えつけられたそれを排除しようとするのは難しい。けれど、意識を改める事は出来るはずなのにそうしないのは、できないのは、やはり、恐れてしまうのだ。己が淘汰されることを。
 それは、どうしようもないことなのだろう。延々と続いてきたその血の歴史を変えることは容易ではない。どれほどの時間が掛かるのかなど想像もし得ない。
 少し見方を変えれば変わってくるはずなのに、先入観が、本能が邪魔をする。
「君みたいな存在は稀なんだよ。誰も彼も君みたいにはいかない。そうやって悩む事が悪いとは言わない。でも、自分のすべきことを見誤らない事だ」
「僕……の、すべきこと?」
「そう。君は許容量以上のことまでやろうとするから失敗する。君のやれる範囲で、やれることをすればいい。君には頼れる仲間がいるのだろう?」
 皆本の分け隔てない実直さが、素直さが時として好ましい時がある。確かにそれを厭う者もいるだろうが、それはただ、皆本のそういう純粋さが、羨ましいのだ。大人への成長の過程で、純粋さは失ってしまう。
 それは仕方がない。社会に揉まれ生きていく中で削られていくのだ。自分の意思とは関係なく。それが、社会で生きる術になってしまうから。
「…………お前にも、頼っていいのか」
「時と場合によっては」
 兵部は皆本の問いに明確には答えない。答える事が、出来ない。
 淡く笑みを浮かべて、兵部は目尻に溜まる涙を拭う。今更のように自分が泣いていた事に気付き驚いたように目を見開く皆本に、笑みを深める。
「そうすれば、もしかしたら……」
 囁くようなその言葉の続きを、兵部は、兵部京介は言ってはならない。それは己自身に反する事であり、仲間を裏切る事であり。仲間を思う兵部には、彼らを裏切る事はできない。したくは、ない。
 この子と同じように、大切な子供たちだ。だがそれでも、同じ位置には立っていない。別の場所に居る二つの存在を、同時に守る事はできない。必ずどちらかは傷付けてしまう。そしてそれがどちらであるのか。わからない、はずはない。
「兵部……」
 皆本は頬に触れたままの兵部の手を離させ、指を絡める。躊躇うようにして胸に抱きついてきた皆本に兵部は微かに苦く笑うと、その身体を抱き締める。
「僕は弱い。誰も失くしたくはないのに、僕は何も出来ない」
「でも君が選んだ道だ。後悔はしないんだろう?」
「……うん」
「なら好きなことをするんだな。考えるのは後だ」
 背中を撫でて、兵部は皆本の顔を上げさせる。ほんのりと赤みがかった目元。そこに口付けると、その代わり、と話を続ける。
「僕のことに関して悩んでる時は、僕本人に言うことだな」
「…………嫉妬、したのか」
「そうだよ。君は少し僕のものだという自覚が足りないらしいからね。簡単にヤブ医者なんかに心許して……」
 気に食わないと、顔に表す兵部に皆本は笑う。親友なんだとフォローする気があるのかどうなのか分からないような言葉を呟いて、静かに憤慨する身体を抱き締める。
 おや、と、兵部が目を瞠ったのには気付けない。
「心中察してくれ」
「透視しなくてもわかるよ」
 くすくすと笑いながら、兵部は身体を入れ替えるようにして皆本をベッドに押し倒す。
 柔らかなスプリングに受け止められて、皆本はゆっくりと瞬く。
「……賢木にバレたよ。どうしよう?」
「どうもしないね。前々からアイツには君は僕のだと言いたかったんだ。丁度いい」
 それに、とも思う。認めたくはないが長年恋心を皆本に対して抱いていた賢木はきっと皆本に不利には動かない。だからその点は安心できるだろう。まあ、もし万が一そうなったとしても皆本をパンドラに連れて行けばいいだけだ。
「紫穂にもバレてるのかな」
「もしかしたらね。けど君が女王達を大切に思っていることに変わりはないんだろ」
「ああ」
「心配ないさ」
 どこからその根拠は沸き起こるのか。
 だがそれを一番知っているのは皆本かもしれない。

 近付いてくる兵部の唇を静かに受け入れて、ただ今はこの一時に酔い痴れる。
戻る | 目次

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system