少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  僕と彼の生きる道 02  

 次に何時会えるのか、なんて、そんな約束は出来やしない。

 休日が与えられないわけでもない。
 それでも緊急出動要請がかかる場合もあるし、チルドレンの子守もしなければいけない。家の事だって――別段潔癖症というわけでもないが――放ってはおけない。リラックスして過ごす空間なのだから、綺麗にしておきたいというのは当然の心理だ。
 だからいつだって唐突な登場に一喜一憂して、ただそれに任せるしかない。逢いたいと願っても、自分はそれを叶える力を持たない。
 なのに。
 まるで思考を透視したかのようなタイミングで、願いが叶えられてしまう。
 今現在も、久々に実家に里帰りする三人を見送ったその後でリビングに戻ってみると、さも当たり前のように彼が存在しているのだ。ひらひらと手を振ってくる兵部に対して、驚くにはもうその出現に慣れすぎた。
 ひっそりと溜息を零して、皆本は挨拶のように何の用だ、と問い掛ける。
「何って。君に逢いに来たに決まってるじゃないか」
 その答えは分かりきったものだった。
 チルドレン達は今この場に居ないし、居るのは皆本のみ。目的も無しに兵部が現れるとは考え難いから自然と答えは分かるものなのだが、ただ、期待をしたくはないのだ。
 過剰な期待は、それを裏切られたときの喪失感を大きくする。だから常にブレーキは掛けられるようにしていなければならない。
 しかしそう考えるという事はそれだけ自分が望んでいる事なのだと、皆本は自覚はしていても認めない。
「余程暇なのか。パンドラは」
「優秀な子達が多いから僕が休んでも支障はないのさ。それより皆本君。お客様に対してお茶も出してくれないのかい?」
 図々しいとはまさにこのことか。
 けれど言われた通りにお茶を用意する皆本も皆本か。
 半ば諦めながらも乞われたままにお茶を用意して、意外にも礼は言われたものの兵部は手をつけない。奇妙な沈黙が生まれ、我が家でありながらも他人の家に来たような気まずさを覚える。
 今日は休日であったし、まだ家の中に居たから油断していた。銃は今寝室にあって手元にはない。取りに行くかどうか悩んで、皆本はそう思考を巡らす自分に失笑する。
 少なくとも今は。そうする必要がないのだと分かっていても、考えずには居られない。それが、皆本と兵部の立場だ。本来であるのならこうして顔を合わせていることもおかしい。
「別におかしくはないだろう? 恋人達の逢瀬の何処が変なんだ」
「恋っ……、おま、人の思考を勝手に覗くな!」
「分かってるさ。坊やが言いたい事くらい」
 淡々とした声のトーンに皆本は並べ立てようとした罵倒の言葉を引っ込め、不躾だとは分かりながらもじろじろと兵部を見つめてしまう。だが兵部は皆本とは視線を合わせようとはせずに、ようやくお茶に手を伸ばす。
 ――そう。分かってはいるのだ。お互いに。
 お互いの居る立場、現状、信念。それがたとえ己の思いを寄せる相手だとしても。
 決してそれを譲れない、譲ることが出来ないものなのだ、と。
 だからこそ、思い合っている相手であったとしても、いがみ合わなければならない。歩み寄りたい気持ちは当然持っている。誰だって好きな人を傷付けたくないし苦しめたくはない。けれど、どちらも今手に持つものを放棄する事は出来ないのだ。
 放棄してしまえば、自分ではなくなってしまう。
 でもそれでも。いつかは歩み寄れるものだと願っている。願わなければ、いられない。それが居もしないこの世の神を相手でも。残酷な未来を作り出した神に、幸福な未来を願っている。
「皆本君」
 無意識に唇を噛み締める皆本を、兵部は指先一つで呼びつける。まるで犬か猫か、ペットに対するようなその仕草に些か気分を害する。けれど、それを明らかに上回る、不安。
 いつ、この関係が消えてなくなるのかわからないのだ。これはきっと、仲間に対する裏切り行為に近いのかもしれない。……いや、そのもの、だ。
 近寄りたくはない。
 甘えてはいけない。
 そう思うのに、身体はまるで操られているかのように兵部に近付いてしまう。それが、己の本心である事など、充分分かっている。本能には抗えない。
 近付いてきた身体を、兵部はなんの躊躇いもなく引き寄せ抱き締める。皆本は短い悲鳴をあげ、ソファに座る兵部に倒れ込む。咄嗟にソファの背を掴んで衝撃は免れたものの、離れようとしても腰に巻きつけられた腕が離してはくれない。
「ひょ、兵部!?」
 近過ぎる距離に鼓動が逸る。わたわたと腕の中で暴れても兵部の腕はちっとも緩まない。暴れ続けるうちにわざとらしく耳元で溜息を吐かれ、びく、と身体は硬直する。顔が綺麗に赤く染まり、それを見られないのは幸いか。
「考えても仕方ないことを考えたってどうしようもないだろう」
「……」
「君はヘンに頭が良すぎるんだよ。その上頭も固い。――今僕達が幸せなのはいけないことかい?」
「……いけなくない、と思う、けど」
 何処となく責められている様な気がして、厭きられている様な気がして、皆本の答える声は小さい。そしてけど、の続きの言葉を透視したのだろう。兵部はまた溜息を吐く。
 ガチガチに強張り震える身体を宥めるように撫でて、兵部は諭すように問い掛ける。
「僕は、君に兵部京介一個人として逢いに来てるんだけど、君は違うのかい?」
 普通人と超能力者。
 バベルの職員とパンドラの首領。
 それでも、その根底は、ただ一個人の皆本光一と兵部京介だ。
「まぁ、確かに君が普通人でバベルの職員だったから出逢えた訳だけど。僕はだから君を好きになったわけじゃない。君が君であるから僕は君が気に入ってる。君がどんな立場の人間であっても、僕は君に惚れたよ」
 一個人の付属価値に惚れたわけじゃない。それらもまた皆本光一を形成する要素ではあるけれど、それは核があってこそ生れてきたもの。その核は、誰も同じじゃない。
 そう囁く兵部の言葉を、皆本はゆっくりと噛み締める。いつの間にか、強張りを見せていた身体は力を失くし兵部に縋っていた。
 その付属価値がなければどれだけ楽か。けれどそれがあるからこその出逢いであり想いであり、だがそれがなくとも、きっと想いが変わる事はないのだ。
 自分は相手の付加価値にではなく、その根元にある人間性に惚れているのだから。
「……悪かったな、兵部」
 悩みを抱えているのは何も皆本だけではない。ただ、その悩みに対する姿勢が、皆本と兵部とでは違っているだけだ。
 問題が解決したというわけではないが幾分かは気分が晴れたような気がする。また失態を見せてしまったと考えながら身体を離そうとするが、やはりというべきか、その腕は離れない。
「兵部?」
「君の悩みが解決したところで、今度は僕の悩みを聞いてもらおうか」
「悩み……?」
 顔を上げて見つめ合い、うん、と頷く兵部に僕でよければ、と答えると、君じゃなきゃ駄目なんだ、と返って来る。一体どんな悩みなんだ、と眉を寄せ、感じ取ったなにやら不穏な気配に皆本は慌てて兵部を凝視する。
 その反応に笑みを浮かべると、兵部は至極真面目な声を出して
「ヤらせろ」
 とのたまった。
 思わず逃げを打った皆本の身体を念動力で拘束し、顎を掴んで顔を見合わせる。焦らすようにゆっくりと近付いてくる顔に皆本は大声で喚いてストップを掛けた。
「わぁああぁあ!? 待て待てマテマテッ!」
「うるさい。その口塞ぐよ」
「ってゆーかお前最初からそのつも、――んんっ!!」
 問答無用、とばかりに口を塞がれ、色気を微塵も感じない呻き声が上がる。
 好き勝手に口内を蹂躙する舌に翻弄され、どれだけ弄られていたのか。解放された時には身体はぐったりと兵部に凭れ、すっかりと息も上がっていた。
 残された気力で睨み付けても、当の本人は飄々としてご機嫌である。
「おまっ、最低だ! 折角お前の事」
「惚れ直したのに」
「ちっがーう!」
 先程までの雰囲気を一変し、兵部のペースに巻き込まれている事に脱力する。
 確かに兵部の言葉通りなのだが、素直にそれを認めるのは何故か悔しい。先程との態度のギャップもそれを助長させる。しかしこれも兵部京介なのだ。
 達観している節もあるくせに、その反面妙に子供っぽい。傲慢というべきか自己中心的というべきか。三人達と似たようなものを感じながらも、年季が入っている分手に負えない。
「大体何なんだ。その悩みは。っていうか、悩みか? それ」
「君がそんなこと言う? 君がここ最近ずっと悩んでるみたいだったから折角二人きりになれても触れるの我慢してあげてたのに」
 何だか言い分が妙に押し付けがましく刺々しく感じるのは気のせいか。
 しかし、元より皆本が兵部との行為を素直に受け入れる事は少ない。元々皆本は性に関して淡白な方であるし、受け入れる側というのは幾度行為を重ねても不慣れなものなのだ。したくない、というわけでは勿論ないのだが、兵部のように積極的なわけじゃない。
 だが、確かに兵部の言う通りここ最近はずっと考え事をしていたし、兵部も二人きりになれば何かしら手を出してきていたのだが、それもあの時のキスが久し振りだったのだ。それまで、触れることも余りなかった。
 それは兵部なりに気を遣ってくれていたのだろう、と分かるのだが、だからといって受け入れるのは何かが違うような気がする。
「だから皆本君は頭が固いんだよ」
「う、うるさい。って、だから勝手に人の思考読むなって言ってるだろ」
「催眠暗示かけてあげようか」
 止め、というような一言に、皆本は口を噤む。それだけはどうしても、受け入れきれないのだ。催眠暗示を掛けられると、確かに兵部に抱かれているという感覚はあるものの、それと同時にまるで自分が自分ではないように思えてしまえる。それが、嫌なのだ。痛みや不快感を忘れて快楽だけを追えても、どんなに気持ちよくても覚めれば物悲しさが生れる。自分でなくてもいいと言われているようで、それだけは頑なに拒絶する。
 黙り込んだ皆本の顔中に口付けながら、兵部は抱き締めた腰を撫で回す。くすぐられるような感覚に身を捩り、皆本は不安げに視線を彷徨わせる。
「……本気、か? 兵部」
「当然」
「朝っぱらからこんな……。それに……、ここ、で?」
 まだ昇り始めたばかりの太陽。今日は一日晴れの天気が続くといっていた予報通りの晴れ空だ。そんな景色が望める生活スペースに二人は居るのだ。普段は此処で、三人がテレビを見ていたり、団欒の場所になる。
 兵部は腕と降らせていた口付けを止め、覗き込むようにその瞳を見つめる。その見つめる兵部の眼が企むような光を湛えたかと思うと、耳元で囁かれる、低い声。
「期待したかい? 興奮――してるね」
 ずくん、とした痺れが押し寄せてくる。違うと否定しようにも前に回された手がそれをそっとなぞり言葉が消える。膨らみ始めているものを弄られ、勝手に息が上がっていく。
 兵部が皆本に接触しなかった間は、当然皆本も触れてはいないのだ。久し振りに与えられた快楽に既にキスだけでそれは反応を見せていた。欲しているのは皆本も変わらない。けれど、理性が掛かる。
「僕はどこでもいいよ。どこだって君を抱くのは変わらない」
「ぁ、は…っ、離、せ……」
 息が上がり、耐えるように顔が歪む。その顔を満足そうに眺めながら、兵部は更に皆本を追い詰めていく。
「ほら。此処でイくの? どうする?」
 兵部の楽しげな声に、皆本の表情に悔しさが滲む。それでも今は、それが快楽に勝る事はないのだろう。
 皆本は顔を隠すように兵部の首に抱き付き、その耳元で小さく囁く。
「……寝室に連れて行け、エロジジイ」
「了解。可愛い坊や」
 クスクスと楽しげに笑いながら、兵部は要望通りに皆本を連れ寝室へと移動した。
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