少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  僕と彼の生きる道 01  

「ザ・チルドレン――解禁!」

 穏やかな日常を切り裂くように届いた、非日常を届ける電波。けれどその『非日常』と感じていた境遇は、今自分たちが生きる日常でもある。過去の自分に、今の自分の立場を想像する事は出来ただろうか。──その答えは、否。
 局長や柏木の手によって強引に捻じ曲げられたこの未来は、当初の自分にとって受け入れ難いものだった。何よりそれまで研究一筋――とまでは行かなくとも、それを専門として生きてきた自分に十も歳が離れた女の子達――しかも国の宝とされる超能力者――の面倒を見られるわけが無いと、そう思っていた。
 皆本は、何の超能力も持たない普通人だ。超能力者の存在が珍しくないとは言え、普通人と超能力者達との間に相容れることの出来ない確執があるのはどうしようもない事実。
 同じ人間とは言え、普通人は自分達の持ち得ない力を持つ超能力者を厭い忌み嫌い、ただそれだけで差別・排除の対象とする者も居る。そして超能力者も、そんな普通人を蔑み見下し、嫌悪の対象とする。
 だが、全ての普通人と超能力者がそう在るわけではない。比率ではきっと、共存しようという者が多いはずだ。それでも対立が減らないのが現実であり、異端者を排除しようとする動きは無くならない。
 その度にどれだけの犠牲が生れるのか、判らないはずがないというのに求める平和のために多少の犠牲はと、互いにその生命は等しいはずなのに、普通人と超能力者と違うだけで受け取る重みを変えてしまう。
 皆本とザ・チルドレンという子供達との出逢いも、その二つの人種の縮図を描いたようなものだった。まるでその存在が猛獣であるかのように力を以ってザ・チルドレンを扱っていた前任者。確かにそのやり方が正しいと言えない。力で御すのは相手の人権を無視した独裁だ。けれども一方的に彼女が間違っていたのだと糾弾するのも、間違いだ。
 ザ・チルドレンもやり方を間違えていた。
 でもそれは彼女達に誰も教える人物が居なかったからだ。超度7の能力保持者だから、という事は理由にはならない。その気になれば誰だって教えてあげる事が出来たのに、それなのにそれをしなかった、大人の責任でもある。
 強大なものであるからこそザ・チルドレン一人ひとりが自分の能力を知り、自覚し、抑制し扱えなければいけないのに。
 半強制的に研究所から異動させられた時は反発心が強かったのだが、今ではそれを確りと受け入れている。自分にしか出来ない事、など大口を叩くつもりはないが、自分だからこそしてあげられる事をしてあげたいと思う。
 予知能力で見せられた、あんな未来を引き起こさない為にも――。
「皆本ー!」
「う、わあ!?」
 葵の瞬間移動能力によって唐突にその姿を現したザ・チルドレンの三人。初対面時に比べれば、特に薫は皆本に対してかなり心を砕いてくれたと思う。少々、言動に明らかに年不相応なものが混ざるが、それも彼女の素顔と考えれば慣れたくはなくても慣れてきたものだ。過剰なスキンシップも、薫なりの表現方法なのだろう。
 人懐こい子犬のようにきゃんきゃんと纏わりついてくる薫に苦笑しつつも、皆本は今回も大きな被害を出さなかった事に胸を撫で下ろす。
 今回の出動要請は山中の土砂崩れ。前日から降り続く雨によって地盤が緩み、遂には土砂が崩れ落ちてしまったのだ。近くに民家がなかった事は幸いだったのだが、運悪くその土砂崩れに巻き込まれた車があった。その車に乗っていた家族の救出が、今回のザ・チルドレンに課せられた任務だった。
 幸いにして乗っていた全員がすぐに発見され、重軽傷を負っていたものの命に別状はなく直ぐに病院へと搬送された。しかし、もし発見が遅れていたのならば、どうなっていたのかは分からない。
 急な斜面の山道。雨はどうにか数時間前に止んではいたが視界と足場も悪く、レスキューではどちらに転んでいたか分からない。そういう時、超能力というのは人命に関わる有能な能力なのだが、その保持者がまだ幼い少女達というだけで、大人は敬遠する。
 それもまた、普通人と超能力者が和解しきれない原因の一つだ。
「なー。皆本はん」
 くいくいと、遠慮がちにスーツを引かれ、我に返り視線を落とすとどこか言い渋るような葵の表情。その隣では紫穂も似たような表情を浮かべている。
 任務は無事に終わったはずだが、もしかしてまだ他にも巻き込まれた人が居るのかと最悪のケースを考えて、眉が寄る。だがその思考を読んだのか、紫穂が違うわ、と否定して、じっと皆本を見上げる。
「あのな、皆本はん。……寒い」
「それに見て。すっかり泥塗れ」
 二人の訴えに皆本はそういうことかと頷いて、改めて三人の姿を見る。薫は別段気にした様子でもないのだが、確かにこの土砂の所為で三人とも服は汚れてしまっているし、顔や髪にも泥がついている。それをポケットに入れていたハンカチで拭ってあげながら、その肌が普段よりも冷たいことに気付いた。
 超能力は便利ではあるが万能ではない。保持者の精神面が安定していないと暴走を起こしてしまったりするし、能力を使えばその分体力も消耗する。今日は雨上がりで気温も下がっているから、子供達にしてみれば肌寒く感じてしまうのだろう。
 三人の任務は終わっているし、後は帰るだけだ。このまま家に帰して大丈夫だろうと皆本は桐壺の姿を見止め、アイコンタクトを送る。
「三人は局長と一緒に帰ってなさい。帰ったら直ぐにお風呂に入って身体を温めておくこと。いいね?」
「皆本はー? 一緒に入ら」
「ない。僕はまだ仕事も残ってるし。夕食の時間にはちゃんと帰ってくるから」
 あからさまに何かを企んでいるような、期待しているような薫の表情にその言葉を遮って、言い宥める。不貞腐れたように頬を膨らませ文句を言われても、現場指揮をしてそれだけで仕事が終わりなわけではない。事後処理も残っているし、報告書も作らなければならない。バベルに戻れば他の仕事もあるし、時には手が回りきれない事もある。
「夕食は作りに帰ってくるだけ?」
「いや。それまでに切り上げてくるよ」
 皆本の思考を読んだのか、それともこれまでの経験上か。紫穂の問い掛けに苦笑混じりに返して、頭を撫でる。大人びていても時折見せてくれるそういう甘えが嬉しく感じてしまう。こういう時は、まだ三人が幼い少女たちなのだと実感する。
 桐壺と共にヘリで飛び立っていく子供達を見送り、皆本はくるりと辺りに目を配る。その中の一人と目が合った瞬間に顔をそらされ、人ごみに紛れていこうとする姿を追いかける。
 誰もが復旧に動き回るその中で皆本とその人物に眼を留める人間は居ない。普段皆本の傍を離れないチルドレン達も先程ヘリで帰したのだからこの場に居ない。
 逃げる、というわけでもなく、ただ人気を避けた場所に移動するその人物を追って、皆本は声を張り上げる事もなく静かにその人物へと呼びかけた。
 兵部――、と。
 その姿は普段の彼と似つかないが、恐らくそれも保有する能力の成せる技なのだろう。
 足を止め、くるり、と振り向いたその姿は、やはり皆本の知る兵部のものだ。銀色の髪と黒い学生服。人を食ったような表情は今は浮かべられておらず、代わりに苦笑いにも近いそれが浮かべられている。
 二人の距離は、僅かに遠い。それでも互いにその距離を埋めようとも離そうともせずに、ただ見つめ合う。そうすると不思議な事に、まるで二人のその空間だけが、他とは切り離されたような感覚に陥るのだ。それもまた、兵部の能力の所為なのだろうか。
「……どうしたんだ、今日は」
「別に? 君達が任務に出るって聞いたから様子を見に来ただけさ」
 飄々と、本心を隠したような答えに皆本の顔がくしゃりと歪む。
 怒り出すような、泣き出すような皆本の表情に、兵部がくすりと小さく笑いを零した。ぴく、と震えた肩に、兵部はあえて作り出していた距離を一息に埋める。
 突然に眼前に顔を見せた兵部を避けるように皆本は顔を背けた。しかしすぐにその頤を兵部の指が捉え、顔を合わせられる。
 真っ直ぐに射られ、居心地の悪さのようなものに視線を外したいのにそうする事すらできない。
 するとどうしようもならない理不尽な状況に、ふつふつと焦燥ともいえる感情が込み上げてくる。一言も話す事無く、兵部はただ皆本を見つめるだけ。その沈黙と視線に耐え切れずに口を開こうとした瞬間、指が離された。
 まるで肩透かしを食らったかのように皆本は呆然と兵部を見つめ、直ぐにそれは睨みつける眼へと変わる。
「冗談だよ。君に逢いに来たんだ。だけど邪魔者は多いし女王達はべったりだし、気付いてくれなきゃどうしてやろうかと考えていたんだ」
 明け透けと語られる彼の内情に、皆本の頬が熱を上げる。
「し、仕方が無いだろう。僕だって遊びで此処に来てる訳じゃ…」
「知ってるよ。――でも、よく僕だってわかったね」
 ただ感心しているだけか、その言葉の裏には何か他の意味が含まれているのか。
 考えても皆本に兵部の心理まで読むことは出来ない。精々意表を突いてやろう、くらいは思うのだが、それさえも兵部にしてみれば楽しみであるらしく中々に効果は無い。
 呆れればいいのか文句を言えばいいのか。どう反応をすべきなのかと考えて、その結果、選ぶのはやはり我が身の安泰だ。
「あんなに不躾に視線送ってくる奴なんかお前以外に居ないだろ」
「成る程。愛だね」
「なんでそーなるんだよ!?」
「こらこら。折角人気の無い場所を選んだのに誰かが来たらどうするんだい?」
 至極自己本位にマイペースに話を進めていく兵部に脱力しつつも、つい無意識に周囲の気配を探ってしまう。それに気付いたのか、笑みを含みながら大丈夫だよと兵部が声を掛けてくる。
 だが、何時誰が現れるか分からない状況にあるというのは、何も変わらない。
 そういう状況下でしか、人目を避けてでしか、皆本は兵部とは会えない。――否。逢おうと思えば何時だって会う事はできるだろう。しかしそれを、他でもない自分自身が許さない。
 それだけは、皆本が越える事のできない一線だ。
「皆本君? 僕を目の前にして何を考えているのかな?」
「別に何でも――」
 言いかけた皆本の口を塞ぐように、兵部のそれが重なり合った。
 眼を見開いた皆本の視界いっぱいに兵部の顔が広がる。閉ざされた瞼。重なっただけの唇。そこから込み上げてくる何かに、皆本は現実から逃避するようにきつく瞼を閉ざした。
 それをまるで待っていたかのように、重なっていただけの唇がゆっくりと蠢く。舌先で口唇をくすぐられ、ぬるりと入り込んでくる熱い舌。奥に逃げ込み縮こまっていたそれに触れられると、皆本の身体がびくりと震え上がった。
「んっ、…ぁ……ふ、んん…っ」
 皆本の身体を閉じ込めるように背中に回された二本の腕。くすぐりあやすかのような優しい接吻に、誰かに見つかるかもしれないと強張っていた身体の力が抜けていく。
 けれど、皆本の腕は身体の脇にだらりと垂れ下がり、兵部の身体に触れることはない。
 こういう場所でなければ、皆本は迷う事無くその身体を抱き返せるだろう。しかし、此処は屋外で直ぐ近くにはまだ人の気配が残っているのだ。そんな場所でこんな現場を目撃されてしまえば、と考えると理性が働き集中する事ができない。
 それを兵部も分かっているはずなのに、面白がるように、困惑する皆本を楽しむように平気でキスを仕掛けてくる。皆本自身、それを拒みきれないから、どうしようもない。本心では、受け入れてしまっているのだ。
 兵部も、兵部の仕掛けてくるキスも。
 相手がパンドラの首領であるということも忘れて。
 皆本の目の前には兵部京介という一個人しか存在しない。
「さ、て……。あんまり君が姿を消していると疑われるかな」
 どちらのもの、ともつかない唾液に濡れる唇を拭いながら、兵部が囁く。その声に、皆本は我に返るように己を抱き締める腕から逃れた。じんわりと、身体に残る腕の強さ、彼の温もり。離れた直ぐは、ついその温もりをまた求めてしまう。
 真っ赤に染まった顔のまま、白々しく語る兵部にお前の所為だろうと詰りたくても、甘さに痺れた舌が縺れて言葉を上手く発せない。そんな姿でさえも兵部はどこか愛しそうに見つめてくるのだから、堪ったものじゃない。
 恋愛経験がなかったとは言わない。キスの経験がないわけじゃない。でもそれらは甘くて優しくて、こんなにも嬉しいのに胸を締め付けるような痛みを伴うものじゃなかった。自分の気持ちに迷うものじゃなかった。
「皆本君?」
 急に顔を俯けて黙り込んだ皆本を、兵部は不安そうに見つめる。顔を上げれば思ったより近くにある兵部の顔に一瞬びくりとしながらも、なんでもないと皆本は首を振る。だが、兵部はなにやら思案げな顔をして、しょうがないとでも言うように皆本の頭を撫でる。
 傍から見れば、奇妙な光景だろう。スーツ姿の大人が、学生服の青年に頭を撫でられているのだから。けれどその気遣いが、温かさが、兵部が皆本よりも年上なのだと実感させる。
 皆本はまだまだ兵部にとっては坊やに過ぎないのだろう。でもそれも時には悪くないと思うのだ。今まで、皆本を甘やかしてくれる人は何処にも居なかった。皆本にも、誰かの優しさが恋しくなる時がある。だけどそれは、この甘さを知った今では、皆本は兵部でなければならない。誰でもいい、わけじゃない。
「……いい加減止めろよ」
「残念だな。君の髪は触り心地がいいのに」
 やはり、その温もりの離れる瞬間というのは、少し寂しい。だがそれをおくびにも出さずに皆本は仕事の顔に戻る。兵部を見つめるその表情はバベルの職員のもので、だから兵部も皆本から離れるとふわり、と宙に浮く。
 銃越しに兵部を見つめるのは、胸が痛い。だけど皆本にはその腕を下ろす事は出来ない。
「やっぱり君にそんなものは似合わないよ」
「降りて来い! 兵部っ」
「ヤ、だね。君からのデートのお誘いなら喜んで降りてあげるけど」
「んなわけあるか!」
「ほんと皆本君って冷たい。じゃ、そろそろ僕も帰るよ。皆本君も気をつけて帰りたまえ」
 慇懃に言い置いて、兵部は姿を消してしまう。
 誰も居ない虚空を見上げて、ゆっくりと銃を下ろす。
 抱き締められた腕の温もりも、力強さも、唇に残る甘さも切なさも、頭を撫でてくれた優しさも簡単に思い出せるのに。
 ただそれだけで幸せになれるのに。

 どうして睨み合わなければならないのだろう。
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