戻る | 目次 | 進む

  out of control  

「すみません、兵部少佐」
 そういって松風の体が直角に曲がる。指先まできっちりと伸ばし、だがその手は今にも拳を作ろうと震えている。
 屈辱か、悔恨か、はたまた憤怒か。
 松風が抱いている感情に然したる興味もないとして、兵部は眼前の旋毛を鼻先で笑い飛ばす。恐れるようにびくりと震える肩にはムッとした不快感が込み上げてくるが、兵部に理不尽に怒鳴り散らす趣味はない。
 もとより松風を断じなければならない理由も、兵部にはない。
 デスクに座る足を組み替えて、松風に頭を上げさせる。恐る恐る持ち上げられた顔は平然を繕ってはいるが憔悴は隠せない。
(あのバカ、余計なことを……)
 この場にはいない優男の顔を思い浮かべ、悪態を吐き出す。本当に余計なことをしてくれたと思う。今は部屋で休息を取らせているザ・チルドレンも、もうずっと気落ちしている。いや、その度合いは松風とは比べ物にならない。
 帰還直後は明るく振る舞って見せていたが、その痛々しさは見ていられなかった。今すぐにでもその元凶を――皆本を殺してやりたいくらいには、兵部の中にも沸き立つ感情がある。
(あれじゃあ立ち直るまで時間がかかる。無理に向かわせたとしても、本来の実力は発揮できないだろう。……それが狙いか?)
 皆本光一が黒い幽霊に与した。
 この事実だけでもザ・チルドレンの気概を削ぐには十分だったというのに、明確な敵対行動を目の前で取られたとなれば――その心理的な負担は計り知れない。
「彼女たちの様子はどうだ? 紅葉」
「ご飯はどうにか食べてくれたけど、三人でずっと部屋に籠ってるわ。澪たちが外から呼び掛けても大丈夫の一点張り」
 お手上げだと、紅葉が不安げな顔で肩を竦める。
「船のモニターを切らすなと、九具津たちに伝えてくれ。万が一にも彼女たちの能力が暴走すれば、どうなるかわからん」
「了解。ECMも急いで用意させるわね」
「それから隣の部屋に手の空いてる接触感応能力者を待機させておけ。ただし透視するのは異変が感じられたときだけだ。向こうには女帝がいる。気取られると頑なになられる可能性がある」
「女王たちと仲もいいしカズラたちに任せれば問題ないと思うけど、……悠理ちゃんも一緒にいいかしら?」
「そうだな。最悪は彼女の力に頼ることもあるだろう」
 暴走状態の彼女たちにどこまで通用するかはわからないが、と不安を口の中で転がして、部屋を出ていく紅葉を見送る。
 対策に万全を期しているが、そのすべてが杞憂であればいい。たとえショックは大きくても、心までは折れていないはずだ。
 だが――これは兵部にとっての好機ではないのか。
 弱味に漬け込むことは趣味ではないが、恐らくは今、分岐点に立たされている。それが何かはわからない。しかしここでの選択によって、確実に未来は分かたれる。
「兵部少佐……?」
「ああ、まだいたのか」
 袋小路に誘い込まれそうな思考を打ち切り、居場所もなく立ち尽くしたままの松風を見遣る。どこか咎めるような視線を斜め後方から感じるが、今は無視だ。
 ザ・チルドレンが定める方向性によって、松風の処遇も変わる。このまま決意は変わらないのか、それとも過去を捨てるのか。
「なんだ? 聞きたいことがあるなら今のうちに聞いておけ」
 裏に潜める言葉の意味を曖昧にはぐらかしたまま、水を向ける。松風は一度、二度と言葉を躊躇ってから、体の脇に下ろした手のひらをきつく握り締めた。
「ずっと気になってたんですけど、その明石たちを女王とか女帝とかって呼ぶの、なんなんですか?」
「いい二つ名だろう? 似合ってると思わないかい」
「それは、まあ……、……ぴったりだとは思いますけど」
 特に三宮とか、とぼそりと呟いて身震いを起こす松風に、兵部はにんまりと笑みを浮かべる。
「質問はそれだけか?」
 兵部がそう言葉を投げ返した瞬間、松風はハッと目を見張らせた。ぐっと引き締め――いっそ強張ってすら見える顔つきを、兵部は一笑に付す。
「どうやらお前も疲れてるようだな。しばらく休んでていいぞ」
「待ってください! これからどうするつもりなんですか。皆本さんをあのままにするわけには――」
 食い下がろうとする松風の声を無視して、兵部は身軽に床に足をつける。一人掛けのソファに座り直してから、ようやく松風へと目を向ける。
 いったいどんな焦燥に駆られているのか。必死に何かを募る子供の姿に、別の姿を写し見る。
「黙れ、ガキ」
「っ」
 怯えて言葉を失くす姿に溜飲が下がる。背後から呼び掛けてくる声にわかっていると――、ただの八つ当たりだと自覚していると頷いて、だが目の前の子供にはそれを気取らせないまま視線を向ける。
 萎縮を隠そうと気丈に振る舞おうとする姿勢も、必死に足掻く姿も嫌いではない。けれど己が分を弁えない主義主張は、ただ耳障りな子供の我が儘だ。
「今のお前に何ができる? 普通人の、ただの子供にすぎないお前に。――皆本を正気に戻す。あるいは倒す妙案でもあるなら聞こうじゃないか。それとも、傷心の彼女たちを強引に引きずり出して皆本と戦わせるつもりか?」
「それはっ……! 俺は、そんなつもりじゃ……」
「お前の正義感も義務感も結構だが、ヤツのせいで盤面が狂うかもしれない。今までのやり方がどこまで通用するかわからないんだ」
 息を呑んで動揺を見せる松風に、兵部は小さく嘆息する。
「すみません……。俺も冷静じゃなかったみたいです。……どうすればいいですか」
「だから言っただろう。しばらく休め――と。お前は自分が思っている以上に疲れているんだ。自分を彼女たちの指揮官だと自負するなら自分の体調管理くらい自分でやれ。それでもじっとしていられないなら、ジムでもなんでも自由に使え。許可は出してやる」
 言葉を理解した瞬間、松風が顔を輝かせる。そしてその口を開く前に、兵部が釘を刺す。
「お前が銃を握るときが来るとすれば、それは皆本を撃つときだ。その覚悟が持てないならいくら訓練を積もうと鍛えようと時間の無駄だ。皆本がお前を撃った。その意味を理解しろ」
「……はい」
 一礼し、退室する松風を半ばまで見送り、扉の閉まる音を聞いて深く息を吐き出す。
「京介も、少しは休んだらどうだ?」
「そうできるならそうしている」
 反射的に言葉を返してから、兵部は座り悪く体を動かしてデスクの上のノートパソコンを引き寄せる。ディスプレイには静止された動画が映し出されていた。
 映っているのは皆本と賢木。記録者の動揺からか映像はブレが酷いが、大きな問題ではない。
「しかし彼も考えたものだな。さすが――というべきか」
 ちら、と宇津美から向けられる視線を笑い飛ばして、兵部は体を深くソファに預けて腕を組む。
「フン、極秘だと? そんなことは言われずともわかっている。問題はやりすぎだ――ということだ。慣れないことをするから加減を間違える。ったく、あのヤブ医者は面白がって焚き付けてないだろうな」
 つい愚痴っぽくなる文句を吐き捨て、兵部はふいに聞こえてきた笑いに背後をじろりと睨めつけた。幼い姿となっては威厳も何もない子供の睨みに、長髪の麗人――宇津美は笑いを耐える顔で謝罪する。
「いいや、彼のことをよく理解しているな、と思ってね」
「冗談でもやめてくれ、宇津美さん」
「今、誰のことを思い浮かべたのかな、京介」
「――」
 鳥肌立つ腕を擦って厭悪感を露にしていた兵部がぴたりとその動きを止める。じっと見上げた先の宇津美は何も言わない。ただ穏やかな微笑みを浮かべて兵部を見下ろしている。
 兵部はその眼差しからそっと顔を背け、鼻を鳴らした。
「今は奴の今後の動きを探ることが先決だ」
 何事もなく会話を続けようとする姿に笑って、宇津美も相槌を返す。
「ああ、そうだね。彼――松風君も着眼点はよかった。彼には話していないのかい?」
「……あの未来は消えた。消えた未来の話なんて不毛にすぎない」
 視線を一点に固定して話す兵部に気遣わしく視線を送り、宇津美は薄く自嘲する。
 ここにいるのはどちらも過去の亡霊だ。宇津美はとうに未来を歩む道を断たされ、兵部は今に生きながらもなおも過去に縛られたまま。
 多少の変化は見られるようになったものの、兵部は相変わらず現在に生きることを、未来に歩みを向けることを躊躇っている。
(その足枷が僕たちでなければいいが……)
 胸に去来する感情を振り払って、宇津美は口を開く。
「けれどあの場で彼がそれを口にしたということは、ギリアムがそれを知っているという忠告――いや、警告かな」
「もしギリアムがあの未来を知ったなら、そのままにするはずがない。なら目的は」
 その先の言葉は口にせず、兵部はただ手のひらを握り締める。
「だがそれは彼も回避したい未来のはずだ」
「その通りだ。それにアイツの行動はそれにしては不可解な点が多い。……まだ他に、何か企んでるということか」
 ピースが足りないと頭を掻く兵部を見下ろして、宇津美は胸中に疑問を落とす。
(本当に京介は気付いてない――? それとも僕が考えすぎているだけなのか。……信じたいのか、彼を。そうするはずがないと、認めたくないのか)
 それを指摘し、問い詰めることは簡単だった。けれどもし本当に兵部の中で変化が訪れているのなら、それが決して誰かに否定されるものでないのなら、それは自分で気付き認めなければならない変化だ。
(それとも――とうにわかっているのか)
 だとすれば宇津美に何も言うことはない。たとえその結果にどんなものが待っていようとも、それは生きる者たちが決めなければならないもの――。
(死んでいるとは、そういうことだ。いくら言葉を交わせてもここにいるのは本物から溢れた残滓。新たな知識はただ情報としてのみ蓄積し、成長することはない――)
「宇津美さん?」
「なんだい?」
 兵部の呼び掛けに宇津美は穏やかな笑みで答える。怪訝な顔を見せる兵部はじっとその顔を見つめ、緩く首を横に振った。
「いや……、とにかく、彼女たちが立ち直るまでは様子見せざるを得ない。情報は集められるだけ集めるが」
「徐々に混乱は広まりつつある。思うようには動かせないだろうね」
「そこは――あれ次第だな」
 何度目ともわからない溜息を溢して、兵部は映像を閉じる。これ以上映像を解析しても意味はない。
 相変わらず主導権を握れない、後手後手の対症療法しか策を練れない焦燥はあるが、今はまだ雌伏のときでもある。
 機を焦るほど、敵を喜ばせる。
「つくづく目障りな男だ」
 吐き捨てたその言葉に実感が籠っていないことは、兵部もわかっていた。
戻る | 目次 | 進む

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system