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  out of control  

 悠理が館へ戻った時、予期していた最悪の事態だけは免れていた。松風はへたり込んでいるものの、斃れてはいない。だが漂う硝煙の香りとわずかな血の匂いが、悠理を強く警戒させる。
 彼我の距離は超能力を持たない彼らには簡単に詰められるものではないが、悠理には関係がない。そして悠理は確かに皆本や賢木に対し感謝を抱いているが、それは手加減をする理由にはならない。
 だが傷付けるつもりもない。
 催眠暗示で捕らえ、無力化できればそれに越したことはない。そう考えて悠理は二人の男を強く見据え──、能力が不発に終わるのを感じた。
「なっ」
 悠理の催眠能力は簡単に破られるものでも、防がれるものでもないはずだった。ましてや相手の一人は普通人である。皆本に多少の催眠能力に対する耐性があることは知っているが、それでも抵抗できるはずがないのだ。
 驚愕の表情を見せる悠理に、立ち上がった松風も事態を悟り強張った表情で皆本たちを見上げた。その頬には一筋の赤い線が走っていた。
「悪ぃな。悠理ちゃん。俺らは最初から君の警戒しかしてないんだわ。対策を取るのは当然だろ?」
「ECM――!? でも」
 超能力自体を阻害されている気配はどこにもない。他の能力であれば発動することができる。
 動揺を隠せない悠理を横目に、松風も必死に思考を巡らせからくりの正体を考えた。
 皆本たちはこちらの戦力を充分すぎるほどに知っている。ザ・チルドレンの戦闘データも、個人の念波も情報は容易く手に入れられる。
 最初から悠理の催眠能力だけを警戒していたのなら、特定の念波にのみ対象を絞ったECMを用意しておくことも難しくはないはずだ。
 わざわざ催眠能力だけに絞ったのは、ECCMで相殺されることを避けるためか。だが、この状況がECMによって引き起こされているのなら、ECCMを稼働させる価値はある。稼働時間の問題も、催眠能力を仕掛けるだけなら秒で済む。
 試してみるべきか――、松風はポケットに入れていた端末に手を伸ばした。迷いを乗せて松風の視線が手元に動く。瞬間、取り出した端末が松風の手から弾き飛ばされた。
 同時に何かが上から躍り出てくる。
「だから遅ぇって。迷ってんじゃねぇよ」
 二階から飛び降りた賢木が、伸縮警棒を手に悠理に襲いかかっていた。悠理はとっさにこれをかわすが、松風の防御まではまわらなかったらしい。
 申し訳のない――悔しげな顔をする悠理に松風は問題ないと笑いかけ、皆本を強く睨み据えた。
 皆本は感情の読めない顔で構えていた銃を下ろした。
「もっとも、ECCMは使っても意味ないんだけどな。これはゲームじゃない。単なるお遊びだ」
「……意味がないのならわざわざ撃つ必要はなかったんじゃないですか」
「着眼点は悪くねぇな」
 カカと笑い、賢木は警棒で軽く肩を叩く。その姿に気負いはなく自然体としているが、松風には隙らしいものを見つけることはできなかった。
「でも力の差ってやつをわからせるには充分だろ? これまではなんとかなっただろうが、お前にゃ俺たちの相手は務まらねぇってこった」
「そ――」
「そんなことはありません! 松風さんは私たちの指揮官として立派に果たしてくれています!」
「雲居……」
 思わぬ援護射撃に、松風は大きく目を見開いた。胸が詰まるような思いに、とっさに言葉が出てこない。だがこれまでの努力を認められたようで、不思議と力が湧いてくる。
 そうするとそれまでどこか靄がかかっていた心が晴れ、憑き物が落ちたように自分がすべきことが見えてくる。悩んでしまったことがひどく馬鹿らしいと感じるほど、清々しい気分だった。
 松風はきつく手のひらを握り締め、静かに息を吐き出した。
「――皆本さん。さっきの質問の答え、訂正させてください」
 はっきりとした口調で声を上げた松風に、やりとりを知らない悠理が心配そうな視線を向けてくる。安心させるように小さく頷き返し、皆本を見つめる。
 皆本は無言で答えを待っていた。
「確かに俺の身分は学生ですし、学業を優先すべき道理は理解できます。でも今のこの世界でそれを選ぶことにどれだけの価値があるのか、色々なものを見てきた俺には疑問しかありません。もちろんそれ自体を否定しないし、無駄とは言わない。だけど、俺には今、バベルだけではない世界を悪意から救うための任務が課せられているんです。誰に言われたわけでもない。俺が俺自身に課したものです。仮の立場でも俺はザ・チルドレンの現場指揮官で、彼女たちが戦うというのに俺だけが現場から離れ、逃げ出すなんてことできるはずがない。この義務を無責任に放棄することは俺にはできません」
 松風の言葉からは、自らの意思でギリアムについた皆本への皮肉が感じられた。皆本はおかしそうに笑い、目を細めた。
「君の考えは理解した」
 ここでじゃあ、と空気が緩まなかったのは、ひとえに松風も自分が出したその答えが皆本に対する訣別も含んでいると理解していたからだ。
 皆本に何があったのかも、何を考えているのかも未だにその心を松風が知ることはできない。聞かされても理解はできるかもしれないが、納得はできないだろう。
「君がそれを義務と呼ぶのなら、最初にその義務を押し付けてしまった僕に責任はあるだろう。やはり君を認めるべきではなかった。すまないね、松風君」
「……どういう意味ですか」
 松風の質問に皆本は答えない。賢木は仕方がないという表情で肩を竦めている。こちらに対する敵意は始めからなく、悠理に襲いかかったのも今ならば悪質なパフォーマンスだったとわかる。
「君たちの勝利条件は僕らの説得、あるいは事実を見極めることと思うが、違うかい」
「……違いません」
 はぐらかされている、と疑いようもなくそう思う。
 しかし松風は真意を探ることを諦め、向けられた質問に答える。
「ならこれ以上の戦闘は無意味だと思わないか。こういう言い方は好きではないが、あの子たちを倒してもこちらにはまだ手がある。今のチルドレンに連戦は難しい」
 かつて指揮官だった皆本の判断は正しい。これ以上戦闘が長引けば、チルドレンにとってそれは負担にしかならない。残りのナンバーズたちの能力がわからない現状で、悠理だけで対処することもまた難しい。
「まだ決着がついたわけではありません。お二人を無力化し、増援が来るまでに脱出すれば――」
「おいおい、俺のことを忘れてねーだろうな。来るとなれば本気で抵抗するぜ? 女の子相手っつーのは気が引けるが、こればっかは譲るつもりねぇんだわ」
 茶化す口振りだが、その目からは賢木の本気が窺えた。賢木の超能力は戦闘向きではないが、だからといって戦えないというわけではない。格闘術が使えることも、中でも棒術が得意であることも松風は知っている。
 悠理との相性は悪いが、狭い屋内での戦闘は悠理もアドバンテージを取りにくい。それに賢木が構える特殊警棒も、何か仕掛けがあると考えていいだろう。
 そこまで思考を巡らせたところで、第三者の声が聞こえてきた。
“――そこまでだ”
「兵部少佐……!」
 松風は眼鏡の蔓に視線を向け、声を上げる。皆本と賢木を気にしてそれ以上言葉を紡げない松風に、しかし兵部がそれを配慮する必要はなかった。
“撤退しろ、松風。これ以上は時間の無駄にしかならない”
 兵部の指示は松風にとっても否やはないものだ。兵部の介入を知った賢木も臨戦態勢を解き、既に傍観の構えを見せている。
 応戦はするが積極的に仕掛けるつもりはない――そう態度で見せつけられることに差を感じて焦りが生まれるが、ここで無茶をすることに何の意味もないことも知っている。
「……わかりました。撤退します」
 だが実質的な敗けを認めることに、松風は激しい抵抗を感じずにはいられなかった。賢木に言われた言葉が、遅効性の毒のように今頃になって心を蝕んでくる。
 兵部からの通信が途切れてからも、松風はすぐに指示を出すことができなかった。気遣わしげな悠理の視線にどうにか気を持ち直し、撤退の指示を出す。
 皆本や賢木に引きとどめる気配はない。それが余計に自分たちは見逃されているのだと――相手にもされていなかったことがわかり、屈辱に血が滲む。
「皆本さん。あなたが何を考えて何をしようとしているのか俺にはわかりませんが、これだけははっきりと言える」
「……何かな?」
「――あなたは間違っている。あなたがしようとしていることは、俺たちが必ず阻止する――!」
 それがたとえ負け犬の遠吠えにすぎなくとも、そう言わずにはいられなかった。
「ザ・チルドレン! 直ちに離脱しろ! 撤退だ!」
 館を出てすぐに指示を飛ばした松風は、残された皆本と賢木がどんな顔で自分たちを見送っているのか知ることはなく、また興味も持てなかった。
 それゆえに、皆本の呟いた声も彼には届かない。
「――……知っているよ、そんなことはとっくにね」


 戻ってきた二人の少女の無事を確認し、皆本は安堵するように緩やかに笑みを浮かべた。
「お疲れ様。アイン、ゼクス。――フィア、ノイン。楽しめたかい?」
 そう聞いてから、皆本はそれが愚問だったと気付く。少女たちはひどく消耗し息も荒いが、その顔は楽しそうに笑っている。感化されたように、皆本の笑みが深まる。
 だが喜んでばかりもいられず、すぐに表情を引き締める。
「何か問題は?」
「問題ない、ドクター。本気を出せて、すごく楽しかった。また遊びたい」
「ノインは不満。アカシカオルの相手をアインとフィアにとられた」
「向こうのご指名だから仕方なかった。不可抗力。それに繋がっていたから問題ない」
「問題ある。問題しかない。次は譲って」
「ノインも攻撃していた。だから譲る必要はない」
 互いの顔を見ることもなく言い合い二人――四人――に、苦笑を浮かべた賢木が近付く。ぽん、と頭に手を乗せられると同時に少女たちは黙りこみ、じっと賢木を見上げた。
 何かを訴えかけてくる視線に賢木は訳知り顔で茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばし、皆本を振り返った。
「自己申告通り問題ないみてぇだ。多少の疲労は休めば回復する」
「そうか。――シャワーを浴びておいで。それからおやつにしよう」
「はい、ドクター」
 姿を掻き消した少女たちを見送り、賢木がのんびりと皆本のもとまで戻ってくる。賢木が隣に立つのを待ってから、皆本はじろりと飄然とした親友を睨んだ。
「いったい何の隠し事をしてるんだ?」
「えっ!? べ、別に何も隠してねぇけどっ?」
 声を裏返らせ、わざとらしく焦って見せる賢木に溜息を吐いて、皆本は手すりに凭れる。どうせ碌でもないことなのは――ナンバーズたちが皆本のことを本当は何と呼んでいるのか、それを賢木も一緒になって隠そうとしていることなど皆本もとうに知っている。
 そしてそれを指摘することは薮蛇だともわかっている。皆本も自分が「ママ」と呼ばれている現実など知りたくもない。隠そうとしてくれているのなら、その方が皆本にとっても都合はよかった。
「ひとまずはこれで第一段階は終了か?」
「そうだな……。まさか彼にあんなことを言われるとは思わなかったけど。悪いことをしたかな」
「調子に乗りかけてるガキには丁度いい薬になっただろ。それに悪いと思ってねぇんだろ?」
 ニッと唇の端を持ち上げて見つめてくる賢木に、皆本は答えを迷ったあと、隠すほどのことでもないと頷く。すると屈託のない笑い声が響いた。
「……まぁ、ね。本来なら彼が負うべき役目ではないし、引き返すのも手だと考えたのも嘘じゃない」
「荷が勝ちすぎてる、か。否定はできねぇな。今はまだいい。が、いつまでも敵う相手がやってくると期待するわけにもいかねぇしな」
 皆本が躊躇った言葉を引き継ぎ、面倒だと賢木は嘆息したあと虚空を睨む。
「迷いがあるなら降りることができるうちに降りるべきだ。覚悟があるなら何が起きても躊躇すべきじゃない」
「んで、合格か?」
「及第点、かな。素質はある。でもやっぱりまだ圧倒的に時間や経験、いろいろなものが不足している。兵部もアドバイスくらいはしてくれていると思いたいが」
「ああ。ヤツも変わってきているとはいえ、根本的に違うからな」
 退屈そうに伸びをする賢木を横目に、皆本は小さく自嘲を浮かべる。
 松風に告げた言葉は、翻って自分自身へ向かう言葉でもある。迷いはなかった。けれど覚悟が足りなかった。だから躊躇を捨てきれなかった。
 手を汚すことに忌避感はなかった。それでもそれが本当に正しいことであるのか、自分の心は決めることができなかった。
 降りることは最初から頭になかった。自分なら出来ると自惚れていたわけではない。過信していたわけでもない。だがあの子たちを――ザ・チルドレンを正しい道に導くことこそが、大人として指導者としての皆本の義務であるとすら思っていた。
 当時はそれでよかった。恐らくは正しかったはずだ――その当時は。
 けれど彼女たちも成長し、立ち向かうべきものが何なのか理解し始めた。そして皆本の手の中から巣立とうとする今、果たして皆本に残された役目とは、何か。
 思考の袋小路に陥りかけたとき、コツン、と頭に軽い衝撃が訪れた。皆本は頭を押さえて賢木を振り返った。
「これまでお前は散々周りに振り回されてきたんだ。今度はお前の番が来ても誰も文句言えねぇだろ」
「……その理屈はなかなかに傲慢だと思うけど」
「あ? だいたい悪役っつーのは傲慢で利己的なんだよ。そして案外、ラスボスを倒しゃいいだけの勇者より魔王の方が世界のことを考えてたりするもんだ」
「魔王、か……。どちらかといえば僕らはその配下じゃないか?」
 確かにな、とおかしそうに笑う賢木につられて、皆本も笑う。
「魔王サマの新しい配下のお披露目兼挨拶周りはこれで終了だな──っと」
 何かに気付いたように賢木が扉の破壊された玄関へ視線を向ける。皆本も釣られて顔を動かした。
 玄関に音もなく黒が舞い降りる。
「魔王サマの使者の登場だ」
 ぼそりと隣で囁かれた言葉に苦笑を浮かべて、皆本は軽く引き締めた唇に笑みを載せる。射抜くように鋭い視線も気に留めず、一歩、手すりから離れた。
「時間通りだな、真木。話は奥でしよう。甘いものは嫌いじゃなかったよな?」
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