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  out of control  

 圧縮された空気の塊をぶつけられるような衝撃──念動能力によって、ザ・チルドレンの体は玄関の扉ごと外に弾き飛ばされていた。
 とっさに薫がシールドを展開し衝撃を和らげることに成功するが、四人が地面に着地し態勢を整える前に超至近距離まで小さな影は迫っていた。振りかぶられたクローンチャイルドの拳が薫を撃つ前に、葵が上空へと瞬間移動能力を発動させる。
「助かった、葵!」
「お安い御用や」
 それぞれがまだダメージを負っていないことを目で確認し合い、足元の少女たちを見下ろす。クローンチャイルドは薫たちが上空に退避したことに焦りも戸惑いも見せることはなく、ただ真っ直ぐに見据えてくる。
「4対2……、数では私たちのほうが有利だけど」
「あまり楽観できる状況ではないと思います。皆本さんたちのもとにはクローンチャイルドが10人存在する。でもそのうちの二人しか嗾けていないということは……」
「うちらには二人で十分、言うわけか」
「随分と舐めてくれたものね」
 冷静な口振りではあるが、その声には隠し切れない動揺が滲んでいる。楽に説得できるとは思っていなかった。戦闘も避けられないことはわかりきったことでもあった。
 それでもいざその場面に直面してしまうと、現実を受け入れるまでに時間を要してしまう。
「……とりあえず二手に分かれよう。敵の力がわからないんだ。混戦は避けるべきだと思う。紫穂、悠理ちゃん」
「了解」
 指示された二人が地面に向かって急下降する。同時に葵が、クローンチャイルドの一人を上空へと釣り上げる。いきなり空に投げ出されたにもかかわらず、クローンチャイルドの人形のような表情に変化はない。
 まるでこうなることを予測していたように、クローンチャイルドはすぐさま念動能力で足場を固めると薫たちに向かい突進を仕掛けてきた。

 地上と上空で開始された戦闘を、松風は呆然とした面持ちで眺めていた。だがすぐに我に返り、未だ館の中にいる皆本を振り返った。
「皆本さんたちはそこにいていいんですか」
「彼女たちの邪魔はできないからね。松風君は遠慮なく薫たちの支援にまわってくれて構わないよ」
 軽く首を傾げながら、皆本は世間話とも変わらない論調で提案する。松風は一瞬だけ、その誘惑に迷いを見せた。だが緩く首を振ってそれに抗う。
 自らの指揮官としての役目を放棄するのではない。
 今、松風がするべきことは皆本たちと対話することだと思ったからだ。
 この機会を逃せば二度と皆本と話すことができない──そんな漠然とした予感が松風にはあった。
 松風が外へと向けていた意識を体ごと、館の中へと向けると皆本の口から小さな嘆息が零れた。呆れか諦めか、心を読むことのできない松風には表情から判断することも難しかった。
 最早皆本を説得することは、松風も諦めていた。だから少しでも多く情報を引き出したかったが、どう切り出せばいいのかわからない。
 しかしそのきっかけは、皆本から齎された。
「松風君。君はなぜこの場にいるんだい?」
「……どういう意味ですか」
 真意を測りかねて、松風は素直に聞き返す。皆本も自身の言葉の足らなさに気付いたのか、失笑して言葉を言い換えた。
「君の身分は学生だ。違うかい?」
「……違いません」
「じゃあ学生の本分は、何だろうか」
 口調はあくまでも穏やかに、けれどピンと張り詰める空気に自然と松風の背が伸びていた。非日常の中に当たり前のように身を置きすぎたせいか、それが日常となっており、感覚が麻痺していたのかもしれない。
 唐突に突きつけられる現実が、何故か懐かしい。
 松風は何の力も持たないただの普通人だ。特異な才能があったとしても、それは本来全うすべき本分を擲って構わない理由とはならない。
「学業、です」
 何故か肩身の狭い思いを感じながら、松風は呟く。その様子がおかしかったのか、小さな笑い声が二つ、頭上から降ってきた。
「いや責めているわけではないんだ。君の関与を許してしまったのは僕たちであるし、それを良しともしていた。だがそれは国内の活動において──、非公式の臨時雇用にすぎず、今やその契約は破綻しているといっていい」
 そこまで言われれば、松風も皆本が何を言いたいのか理解ができた。松風はザ・チルドレン専従の現場指揮官候補生として訓練を受けていた。だがバベルが黒い幽霊に汚染されたことにより、ザ・チルドレンは実質的にバベルから離反し、パンドラについた。
 松風の雇用主はザ・チルドレンではなくバベルであり、松風がパンドラの庇護下を選択している以上、松風に備わっていた義務は消失している。
 つまり今の松風には心情的な理由を抜きとして、実質的な現場指揮官としての義務はない。この義務を主張するのならば、言い方は大袈裟になるが松風は政府に背く叛逆者であると言わなければならない。だがれっきとした事実でもある。
 松風は今この場にはいないはずの人間だ。この場にいることは、ここにいる人間と関わりある少数の者しか知らない。だからこの場で何が起きようともそれは実際には起こらなかった出来事であり、松風の安全は何物にも保証されていない。
 得心がいった顔をすぐに強ばらせた松風に皆本が浅く頷く。
「君は顔や素性が割れているわけではない。関係者として監視の潜んだ生活とはなっただろうが、普通人の君ならご両親と一緒に比較的安全に暮らせたはずだ」
 松風にはいつでも一抜けする機会があった。窮地に陥った仲間──好意を寄せる女の子を心情的に見捨てることができなくても、たとえ松風が抜けたとしてもそれを責める人間はどこにもいないだろう。
 そしてバベルの特務エスパーに関わる者たちのプライバシーは機密として厳重に守られており、松風が関わり合ったことを知る一般人はいない。何事もなく、薫たちと関わる以前の日常へと戻ることができたはずだ。
 確かに今、世界は黒い幽霊の悪意に染まりつつあるが、彼らが標的としているのはあくまでも超能力者だ。超能力者と関わりの薄い一般人は多い。一生を超能力者と関わりなく過ごす者も少なくはないほどに。ゆえに超能力者排斥の動きが世界中で見えようとも普通人にとっては他人事──別世界の話で済ませられることであり、そこに関心を寄せなければならない義務はない。
 もし彼らが超能力者に対する関心を抱くとすれば、それは無関係な一般人たる自分が巻き込まれることはないのか、得体の知れない力を持つ超能力者に対する忌避感によるものだろう。
 超能力者こそが迫害を受けているのだという、騒動の根源たる事実は考慮されない。
 それらの問題に、松風が首を突っ込まなければならない責任はどこにもない。
「もう一度聞こう。松風君。君はなぜこの場にいるんだい」
「それ、は……」
 ザ・チルドレンと共にいることは松風に課せられた義務ではない。今のバベルと敵対することがどういうことであるのかも実感させられた。両親を不安にさせてまでやらなければならないことなのか、考えたことがないわけではない。
 それでも見捨てることができるほど、松風は薄情にはなれなかった。自分にならできるかもしれないという万能感を持っているわけでもない。むしろ未熟であることは重々理解している。
 今もこうして、皆本の質問に即答できずにいる。
 だが一貫して、松風の中で変わらない思いもある。
「俺が明石たちの力になりたいと思っているから。それではいけませんか」
「それは義務感かい。それとも使命感かな」
「ただの願望です。少しでも明石たちの役立てることがあるなら俺はその力になりたい。それだけです」
 松風が抱く淡く強い想いを思い出して、それまで二人の会話の聞き役に徹していた賢木が茶化すように口笛を吹いた。皆本が軽く窘めるが、賢木に悪びれた様子はない。
 気を取り直すように皆本が溜息を溢し、松風を見下ろす。その視線は松風を羨んでいるようにも、憐れんでいるようにも見えた。
「君の想いは否定しないし、そもそも僕にその権利はない」
 でも、と松風を見下ろす皆本の視線は厳しい。
「たったそれだけの覚悟しかないのなら、やはり君はここにいるべきではない。僕は君のことを過大評価しすぎていたようだ」
「なっ──」
「これはもう、君がどうにかできる問題ではなくなっているんだよ」
 そう告げられ、松風に向けられたのは純粋な害意──殺意だった。
 迷いのない銃口を突きつけられ、松風は自分の体から血の気が引いていくのが分かった。

「くっ……!」
 右から襲い掛かってくるクローンチャイルドを左に避けてかわし、すれ違いの瞬間に衝撃波を放つ。クローンチャイルドは腕で防御しつつシールドを展開させ、これを回避する。その回避行動を予測し葵が放ったワイヤー銃は、背後からの完全な不意打ちであったにもかかわらずクローンチャイルドを捉えることができなかった。
 どちらも決定的な一撃を相手に与えるには至っていないが、優勢なのは薫たちのほうであるはずだった。仕掛ける回数は薫たちが多い。それは地上で戦う紫穂たちにも同じことがいえた。
 だが、優勢に思えても先程のように死角からの不意打ちもかわされ、手応えを感じることができない。それにこれまでのクローンチャイルドとの戦いとは違い、本気度を感じられない。
 まるでこちらが遊ばれているような錯覚すら抱いてしまう。
 二対一という数での優位性を持っているからこそ、余計にそう思えて仕方がない。
「あかん。もしかして予知能力も持っとるんちゃうやろか」
「あたしたちの行動が読まれてるってこと?」
「ただの勘で済ませるにも偶然で済ませるにもおかしいことだらけや」
 行動を読まれているのだとすれば、クローンチャイルドの余裕にも納得がいく。そして自分たちが決定打を打てないでいることにも。
 先の行動が分かっていれば、数の問題は問題ではなくなる。次に何が起こるのか見えているのだ。あとはそれをかわすだけでいい。
 消耗の度合いで見れば、薫たちのほうが分が悪くなり始めている。攻撃を仕掛ける側と避ける側、使う労力は前者のほうが多い。
 薫はぐっと手のひらを握りしめると、クローンチャイルドに向かって正面から迫った。避けられることは織り込み済みの攻撃。詰めた間合いから手のひらに圧縮した衝撃波を繰り出す。さらに上空へと飛んで避けた少女の足元から今度は左手を突き出すが、これは飛んでいる最中にクローンチャイルドから放たれた衝撃波とぶつかり合い、相殺される。
 余波に飛ばされないよう薫は葵と自身を庇いつつ、敵から視線を外さない。やはり人形の顔に焦りの色も浮かんでいない。
 一度紫穂たちと合流し作戦を立て直すべきではないかと薫が思考を過らせたとき━━だからあえて突進して距離をとらせた━━、葵も同じようなことを考えていた。
 地上に降りようと薫が身を翻したその瞬間、館の中から一発の銃声が聞こえてきた。
「皆本っ!?」
 薫がその名前を叫んでしまったのは、まったくの無意識だった。そしてすぐに館の中にはまだ松風がいたことを思い出す。その瞬間、薫はどちらの心配をするべきなのか、一瞬という長い時間迷った。
 本心では皆本のことを心配したい。裏切ったことにも何か理由があるのだと思っている。しかし今こうしてクローンチャイルドを嗾けてきたのは、紛れのない皆本の意思である。認めたくはなくても、皆本が敵に回ったという事実をいい加減認めなければならない。
 紫穂と悠理と合流した薫が次の行動を決める前に、声が上がった。
「私が様子を見てきます!」
「悠理ちゃん……?」
「お願い、悠理ちゃん。こっちのことは任せておいて」
「し、紫穂っ?」
 当惑する薫を置いて悠理と紫穂が方針を決め、悠理一人が館の中へと飛び込んでいく。その背中を守るように、紫穂と葵が並び立つ。
「悪いけど後は追わせないわよ」
「追いかけたかったらまずうちらを倒してみぃ」
 戦闘態勢を作り凄む二人に対して、しかしクローンチャイルドが返したのは意外な言葉だった。
「問題はない。最初から私たちの狙いはザ・チルドレン、お前たち三人だけ」
「それにドクターからも言われていた。お前たちの中で最も厄介なのはユーリの持つ催眠能力。離脱するのなら好都合」
 それはクローンチャイルドたちから聞く言葉の中で初めて、感情を感じさせる声だった。その台詞に狼狽を抱いていた薫も我に返り、皆本が彼女たちに語ったという評価に苦痛を耐えるように顔を顰めた。紫穂と葵の顔色も悪い。
 自分たちではクローンチャイルドの敵ではない──そう言われたようなものだ。
「だったらなおのこと、厄介な悠理ちゃんを止めなくてよかったの?」
 暗に皆本と対峙させていいのか、と気丈に問いかけた紫穂に、クローンチャイルドの唇が動いた。唇の両端を持ち上げ、笑う顔は明らかにザ・チルドレンを蔑むものだった。
 この場において紫穂のその挑発は失策だったと言わざるを得ない。
「何年もドクターと一緒にいたのに、わからないの?」
「はじめからドクターはユーリだけをあの中に誘い込むつもりだった。館の中ではユーリの催眠能力は使えない」
「自分たちが飛び込んだ先が罠ではないと、何故言い切れる?」
「何故そんなことも理解できずにノコノコとやってきたの? ドクターはお前たちに会いたがっていた。でもそれと同じくらい、会いたくなかったのに」
 クローンチャイルドの口から語られる皆本の思いに、薫たちは絶句するしかなかった。それが真実である根拠はどこにもない。薫たちを惑わすはったりであるかもしれないのに、彼女たちの自信に満ちた愉悦の声に呑まれていた。
「ふざけないで。あなたたちに何がわかるというの。皆本さんをそこまで追い詰めたのはあなたたちじゃない」
「違う。追い詰めたのはお前たちだ。そうでしょう? 破壊の女王、光速の女神、禁断の女帝」
「っ」
「ドクターに道を選ばせなかったのはお前たちだ。共に歩む道をお前たちが拒否した。お前たちが捨てられたのではない。お前たちがドクターを捨てたんだ」
「捨ててなんかない! 勝手なことをいうな! 皆本はあたしの、あたしたちの──!」
「違う。ドクターは私たち姉妹のママだ」
 クローンチャイルドの一人が強く言い放った言葉に、薫たちは揃って意表をつかれた顔で「あれっ?」と首を傾げた。とてもシリアスで真に迫ったやり取りをしていたはずだったのだが、聞き間違いだろうかと三人は顔を見合わせて困惑を露わにする。
 皆本光一という人物は外見も中身も、生物学的にも男性である。皆本は男らしさのある一方で非常に家庭的であったりいわゆる女子力も高かったりするが、それを母として認識したことは一度もない。
 どう会話を続けていいのか三人は悩み、結果として紫穂が先程から抱いていた疑問を口にする。
「あなたたちはギリアムに従っているわけではないの……?」
 これまで対峙してきたクローンチャイルドたちから感じていたものと、目の前にいるクローンチャイルドたちとでは何かが決定的に違う。敵愾心を向けられていることに変わりはないが、彼女たちからはギリアムへの服従や忠誠よりも、皆本への執着を強く感じる。
 それは先程のやり取りで明らかだ。
「私たち5姉妹──ナンバーズはクローンの製造過程に生まれた出来損ないだ」
「5姉妹……? あなたたちは10人いるのではないの?」
「そうだ」
 肯定され、困惑がますます強くなる。
「私たちはクローンとして誕生することはできたが、実戦に投入できるレベルの能力を持つことができなかった。生まれてすぐにそれが判明し、私たちは再び調整を受けた。その過程で新たな能力を持つことはできたが、同時にもう一つの人格をそれぞれ持ってしまった」
「我の必要ないクローンには多重人格であることは些事にすぎない。けれどそれでは折角の能力を使いこなすこともできなかった。だから私たちの調整は速やかに打ち切られ、無菌カプセルの中で眠りながら処分される時を待っていた」
「そして次に目覚めたとき、私たち姉妹はドクターに預けられた。処分されると思っていた私たちにドクターはもう一つの人格にさえ名をつけ、知識を与え、およそ必要とされる一般常識を教えてくれた。その中で温かいご飯やお風呂を用意して、見返りを求めることもなく無条件で世話をしてくれる人間のことをママと呼ぶと知った。尋ねた私たちに先生は否定しなかった。だからドクターは、私たちのママになった」
 先生というのは賢木のことで、賢木は面白がって否定しなかったのだろうということが簡単に想像ついた。
 彼女たちの生い立ちも、皆本に強い執着を見せる理由も理解できたが、何かが頭に引っかかった。
 低レベルの超能力者、人為的な新しい能力の発現とそれに伴う別人格の誕生──。
 あと少しで何かを思い出せそうだったが、その猶予を彼女たちは与えてくれなかった。
 抑揚なく語り続けていたクローンチャイルドの言葉には、少しずつ熱が込められていた。これまで決して表に出すことのなかった想いがチルドレンと対峙したことにより溢れ出し、感情は現実へと干渉する。
 クローンチャイルドを中心として風が巻き起こる。薫がシールドを張り防御するが、力は拮抗――僅かに薫が押し負けていた。
「ママは出来損ないだった私たちに新しい戦い方を教えてくれた。ママがいれば出来損ないの私たちだってどこにでもいけるし何にでもなれると知った──! だから、ママは渡さない!」
「ママが悲しむからお前たちは殺さない。だが、容赦はしないっ……!」
 クローンチャイルドの気迫に圧され、薫たちは地を這うように駆けてくる彼女たちの対応に遅れてしまった。それは決定的な一撃を許すほどの失態とはならなかった。
 しかし、用意されていた二撃目を避けることはできなかった。
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