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  out of control  

 足元に敷かれた石畳に沿って進んだ先の広場では、早朝から仕入れてきた青果や花や芳しい匂いを漂わせるパンを売る市が終日賑わいを見せている。
 その物珍しさと観光客相手に調子よく愛想を振り撒く店主に乗せられてつい様々と見回ってしまったこともあるが、滞在の期間が続けば当たり前の日常としてすっかり馴染んだように思う。
 広場の一角にあるカフェ。この店で提供される料理には勿論、目と鼻の先にある市から仕入れたものがふんだんに使われている。
 店先に並べられたテーブルのひとつに座り、コーヒーと瑞々しい野菜が挟み込まれたサンドイッチを食べながら新聞を広げるのがここ最近の谷崎の朝の日課となっていた。
 表面上は何も変わることはない。多少、超能力者排斥の動きが過激になりつつあるが、それでも日々は繰り返されている。
 本来であれば一刻も早く母国に帰り、そういった事態に備えておくべきなのだが、今の谷崎に帰る場所はない。
 住処という意味でなら当然ある。幸か不幸か、谷崎には帰りを待つ者もいないために長期間自宅を空けていたとしても何ら不都合はない。しかし帰ったところで、良くて監視つきの生活、悪くて投獄が待っているのだろう。それとも谷崎も、彼らのように洗脳されてしまうのか。
 今、世界は黒い幽霊に牛耳られようとしている。既にバベルは黒い幽霊の手に堕ち、超能力者を庇護すべき彼らはその義務を事実上放棄している。……させられている、とするのが洗脳された桐壺や柏木の名誉のためだろうか。
 これは決して彼らの意思ではない。
 だが洗脳の事実は何の免罪符にもなりはしない。組織の決定権を握る者が判断を下し、実行に移された。世間にはこの事実だけが現実であり、真実だ。その裏に潜む謀略も意図も、関係はない。
 せっかくの美味しいと評判の料理も、胃が重くなる現実を前にしては砂を噛んでいるようなものだ。それでもその片隅で味覚を刺激してくる旨味が、微かな慰めのように感じる。
「これではいかんというのに」
 己の無力さを嘆いたところで、そこに意味はない。前に進むための足を鈍らせ、決死の覚悟で現状を打開しようとしている者たちの足を引っ張ることになる。
 何より、こんな感傷に浸っていては今頑張っている自分のパートナーに合わせる顔がなくなってしまう。
 程よく思考を明瞭にさせる珈琲の苦味に満足して、この豆はどこで手に入るだろうかと考える。店の者に聞けば早いだろう。あとで忘れずに尋ねることを思考の片隅にメモをして、テーブルに置いていたもう一社の新聞へと手を伸ばす。
 どこも似たり寄ったりな記事ではあるが、微妙な差異がとある可能性を照らし出してくれる。新聞に頼らずとも今でも情報を手に入れることはできるが、自分が持つ情報と世間が同じであるとも限らない。
 どこに耳目があるかわからない今、不用意な言動は避けるべきである。
 そしてすべての情報を知らされているとも、谷崎は自分が置かれている立場を楽観視していない。今の谷崎は単なる預かり者――お客様だ。多少の手助けは出来ていると自負したいが、それでも信頼されているとは考えていない。
 それは、谷崎も同じであるが。
 不意に広場から沸き上がった男の怒声に、谷崎はしかめた顔をゆっくりと持ち上げた。集まり始める人垣の隙間から、青果屋の主人とまだ年端もいかない少年が対峙している姿が見えた。
 多少距離があるため、会話の内容はわからない。だが一方的に男が少年に難癖をつけていること、そして集まった周囲の者たち誰一人として、少年を助けるつもりがないことはわかる。
 ――これもまた、慣れてしまった光景のひとつだ。
 大方、超能力者である少年に対して男が取引を拒否し、青果ではなく喧嘩を売りつけたのだろう。
 反超能力者主義が色濃くなる情勢の中で、こうした場面に出会すことは決して稀ではなくなってしまった。緩やかに超能力者に対する排斥意識が植え付けられていき、超能力者は差別対象として世間から排除されていく。
 この国ではまだ暴動のような大きなうねりとして現れてはいないが、小競り合い程度の諍いは市井では珍しくない。
 ここで谷崎が飛び込んでいっても、何の解決にもならない。寧ろ少年に対する悪感情だけが募り、悪手となる。匿われている身分の今、問題を起こすことの危険性も理解している。
 谷崎が唾棄すべき忍耐を強いられる時間は、そう長く続かなかった。男が移り気だったわけでも、谷崎の想像に反して誰かが仲裁に飛び込んだのではない。
 一瞬にして喧騒を掻き消す轟音が、市に集まった人々の気を逸らしたのだ。
 もうっと上がる土煙と狼狽えた悲鳴、周囲のざわめきから市に出ていた屋台のひとつが運悪く倒壊してしまったのだと、谷崎は騒ぎからやや遅れて理解する。
 そして唖然としていた意識から我に返ったときには、絡まれていた不運な少年の姿を見つけることはできなかった。騒ぎに乗じてうまく逃げ出せたのだと理解し安堵すると同時に、微かな懐疑が頭をもたげる。
 偶然にしてはあまりにもタイミングがよすぎる。勿論、天の采配もかくやといった偶然も起こりうるだろう。
 ただ少年の無事を祈り、拳を固めるしかできなかった谷崎がとやかく考えを巡らせたところで何の意味もない。
 仮に偶然だとしても、それの何が悪いのだろうか。事実少年はその偶然に助けられた。巻き込まれた屋台の主は不運だろうが、騒ぎの様子からして怪我人は出ていないはずだ。
「失礼。相席してもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。もちろん構わな――」
 広げていた新聞を慌てて畳み、谷崎はそこでようやく自分が日本語で話しかけられていることに気付いた。
 谷崎は母国語以外にもいくつかの言語を習得している。日常の生活の中でも、谷崎の置かれた状況に同情したのか、間違った情報を伝達しないためか日本語を使う場面が多いが、一人で外に出る際は当然その国に合わせた言語を選ぶ。谷崎から日本語で話しかけるならまだしも、知人もいない国で日本語で話しかけられることなどまずない。
 あるいは東洋系の外見をした谷崎を日本人だと予想して話しかけられた可能性も否定できないが、これは限りなく低いだろう。
 谷崎が驚愕から醒めない間に、幼げな顔立ちの青年が正面の席に腰を下ろしていた。
「なにやら広場の方で騒ぎがあったみたいですね」
 あまりにも親しげに、以前と変わらないように話しかけてくる青年に、谷崎の反応は一瞬遅れていた。
 凝視する眼差しを気にする素振りもなく、青年は手にしていた珈琲を飲んで頬を緩めている。そして言葉を発せずにいる谷崎に目を向けて、穏やかに首を傾げた。
「どうされました? 谷崎主任」
「……なんでもないとも。皆本君。――元気そうでよかった、と言っていいのだろうか」
「そうですね。ええ、それなりになんとかなるものですね」
 賢木も変わりないですよ、と世間話のように語る青年は、谷崎の知る皆本光一そのものだ。事実、目の前にいるのは彼本人に違いない。
 だからこそ、谷崎は苦悩しなければならなかった。
 皆本光一及び賢木修二に対し、両名を敵と判断し警戒しなければならないとはどういうことなのか。
 谷崎の知る二人は、簡単に敵に寝返るような青年ではない。賢木には特有の危うさ――身に迫れば自らの手を汚すことも厭わない果断さに懸念を抱くこともあったが、皆本が賢木のストッパーとなり彼に道を踏み外させることなどしなかったはずだ。
 そして皆本は、真面目で理を尊ぶ心優しい青年だった。それゆえに苦悩を抱え込むことも問題を押し付けられることもあったようだが、皆本にはそれらを捌ききるだけの能力があった。あるいはそれだけの信を置かれていた。
 皆本は決して悪に染まるような、悪を成せる人間ではない。彼は根っからの善に生きようとする人間だ。
「私に何か用かね」
「ナオミちゃんの容態はどうですか?」
「……なぜ、私にそれを?」
 接触を図ってきた時点で、谷崎も自分が今どこにいるのか、何に匿われているのかを皆本が知っていることを把握した。でなければわざわざ、国に帰ることもできないただの中年男に接触してくる意味はないだろう。
 それとも同郷のよしみで顔を見に来たというのか。
 しかし梅枝ナオミに関してそれを谷崎に問うてくるということは、そこに潜む意図を考えざるを得なくなる。
 確かにナオミは谷崎のパートナーだった。けれどナオミはギリアムの手に堕ち、洗脳された操り人形として谷崎の――今はパンドラに身を寄せた薫たちの前に立ちはだかった。
 結論から言えば、ナオミの洗脳は未だ解けていない。深い眠りに就いているナオミは、眠らせ続けることによって無事が保たれている。
 そしてナオミをギリアムの手から奪還したのは薫たちパンドラだが、保護しているのは彼らではない。谷崎もナオミの付き添いという形で匿ってくれているのは、いずれの立場にも与せず中立という位置を保ち続ける財団だ。
「限られた情報の中でも、推理をすればある程度真相は見えてきます。根拠が欠けているのなら埋めればいい」
 数式を解く学生のように、皆本は語る。
「薫たちとナオミちゃんの間で戦闘があったことは知っています。そして奪還された。洗脳が解かれているようであればそのままパンドラで保護し続けることも不可能ではなかったでしょうが、そうはいかなかった。眠り続けている彼女をパンドラで保護し、世話をし続けることも難しい。となれば頼れるどこかに預けるほかない。パンドラにいくつ協力関係のある組織があるのかはわかりませんが、今の情勢下で頼ることができるのは必然的に絞られる。そしてその裏付けは今、谷崎主任と話して取れました」
「……どういうことか、聞いてもいいかね」
「ナオミちゃんの話題を出したにもかかわらず、過度な反応を取らないということは逐一状況を確認することができる立場にいるのだろう、と」
 谷崎は自分でも顔をしかめてしまうのが理解できた。谷崎はナオミへの好意を隠してはいない。既に周知の事実だ。
 それを逆手に取られたことを悔いているのか、自身の想いを利用されたことを憤慨しているのか。判断はつけられなかった。
 谷崎の口から短く息が漏れる。
 それは皆本がギリアムに洗脳されたわけではない、話の通じる相手だと安堵して。
 そして皆本がギリアムに洗脳されたわけではない、自らの意思で彼についていることを最大限に警戒して。
 しかし若手の影に潜んでしまいがちではあるが、谷崎とて特務エスパーの現場指揮官として幾度も修羅場を経験している。皆本よりも場数は踏んでいる。数で優劣を競うものではないが、時に頭脳よりも経験が勝ることもある。
「私に何の用かね」
 二度、声の調子を変えて尋ねる。
 谷崎の意図を汲んだらしい皆本は緩く口の端を持ち上げて、優しく微笑んだ。
「いいえ。特には何も。しいて挙げるなら様子を窺いに。この国にはついでの用事で立ち寄っただけですから。谷崎主任も滞在されていると知ったので、運が良ければ会えるかなと」
「本当にそれだけか?」
「僕に敵対する意思はありません。……それとも、主任にはおありで?」
「……いいや、ない。あるわけがない」
 面白がるように聞いてくる皆本に、谷崎は首を振ることで精一杯だった。満足そうに、しかしどこか安堵を滲ませた皆本には気付く様子もなく、谷崎は次の手を考えていた。
 だがすぐに説得は無駄だと悟る。
 皆本ほどの人間が何の考えもなしにギリアムの側につくとは考えられない。考えたくはないだけかもしれないが――皆本にも事情があるのかもしれない。たとえば誰かを人質にされているとか――、この場ですべてを判断することはできない。
 代わりに、谷崎はもう少し踏み込んだ質問を試みた。
「ついでの用事とは? おつかいかね」
「はは、似たようなもの……ですかね。それまでも快適に過ごしてはいたんですが、しばらく居を移すことになったのでその買い出しです。もうすぐ賢木も戻ってくると――」
 この広場で待ち合わせをしてるんです、とはにかむ姿はどこにでもいる普通の青年のようにしか見えない。
 辺りに軽く目を配らせた皆本が、何かに気付いて軽く手をあげる。すぐにそれを見つけた賢木が駆け寄ってきた。
「悪ぃ、少しトラブった」
「いいや、問題ない」
 申し訳なさそうに眉を下げた賢木の服が少し乱れていた。急いで駆けつけたせいなのか、別の理由があるからかは見た目だけでは判断できない。
 皆本と同じテーブルにつくもう一人の存在――谷崎に気づいて、賢木が慌てたように軽く頭を下げる。谷崎もそれに苦笑いで返しながら、賢木も洗脳されているわけではないと見当をつける。
「お久し振りっすねー、谷崎さん」
「君も相変わらずのようだな」
「まぁ、俺は俺っすから。――っと、皆本。積み込みは完了してるぜ。多少遅れても問題ないだろうが」
 賢木は谷崎へ向けていた視線を皆本へ移して、また谷崎を盗み見る。皆本は小さく頷き、谷崎を見つめた。
「慌ただしくてすみません」
「いいや、ついでだったのだろう。私もそろそろ戻らねばならなくなった」
 谷崎は立ち上がり、人混みへと消えていく二人の青年を見送った。彼らの後ろ姿が見えなくなってから、携帯端末を取り出す。
「私だ。予定通り皆本くんが接触してきた。すぐに戻る」
 手短に用件を伝え、しかし谷崎の足はこの場から動くことを拒むように動かすことができなかった。

 路地をひとつふたつと奥へと進み、広場の賑わいから離れた裏通りを皆本と賢木は歩いていた。
 二人にこの場所への用事があるわけではない。けれど場所を選ばなければならない相手方にとっては、ここは都合がいいはずだ。
「そういえば、トラブルって?」
「ああ。お出迎えの数がちぃとばかし予定より多くてな。歓迎会が長引いた」
「だから僕も一緒に行こうかって聞いたじゃないか」
「引きこもり生活で体が鈍ってただけだ。それにガキの引率だけじゃなくてお前の面倒まではさすがに見れねぇよ。んなことより、谷崎主任にちゃんと伝言できたのか?」
「伝わってるはずだよ。――じゃなきゃ、わざわざこんな場所までお見送りに来ないだろ」
「それもそうだな」
 初めて足を踏み込む土地にもかかわらず迷いなく進んでいた二人の足が止まる。
 家一件分ほどの広くはないが狭くもない空き地。新たに家が建つこともなく子供の遊び場とされているのか、敷地の端には薄汚れた玩具が転がっている。
 朝食の時間を少し過ぎた頃合いだが、周囲は閑散として人気もなく、多少騒いだところで誰かに見咎められることもないだろう。
「本来なら、こういうのを鎮圧する側なんだけどな」
「たまにはいいじゃねぇか。相手の立場になって考えることも必要、ってな」
「人の嫌がることを進んでしましょう、か」
「そういうこった」
 空き地の奥へと進み、壁を背にする二人の前には十数人の人の壁ができていた。どこに潜んでいたのか、気配は感じられなかった。余程の経験者ということだろう。
 皆本が賢木に視線を投げると、平然とした様子で首を横に振って返される。
 上へと視線を向けるが、青空が広がるばかりで雲ひとつなく、鳥の姿すら見つけることができない。
「考えることは一緒、だな」
「ここに追い込む予定が省けたんだ。感謝してもらわないとな」
「ああ、問題はない」
 二人が会話する間にも、両者の距離はじりじりと縮められていく。退路は正面―男たちの背にあり、突破することは困難を極めるだろう。
 あるいはどちらかが囮となれば一人は抜け出せるかもしれないがそれでは意味がないし、皆本にも賢木にも相方を売るつもりがなければここで保護されるつもりもなかった。
「我々に敵対の意思はない。大人しく我々と共に――」
「ハッ。わざわざ高々接触感応能力者相手にECMなんぞ用意する奴らが何言ってるんだ? どう見積もっても敵意ありありだろうが」
「君に不便をかけることは申し訳なく思う。だが余計な邪魔が入らないようにするためだ。理解して欲しい」
「余計な邪魔……ね。それってコイツらのことか?」
 賢木がそういうが早いか、両者の間に複数の小さな影が割り込んでいた。男たちの間から驚きの声が複数上がる。
「狼狽えるな! ECMは稼働している! 超能力が使えなければただのこど――」
 渇を入れる男の声が不自然に途切れ、ドッと重いものが倒れる鈍い音が周囲に響いた。さすがにこの事態に悲鳴を上げるような未熟者は混ざっていなかったらしく、近くにいた者がすぐさま昏倒した男の安否を確認し、首を浅く縦に振る。
 一様に安堵の雰囲気が漂うが、すぐにそれは引き締められる。
「ECMに対抗するため、ECCMを用意しておくのは超能力戦における基本中の基本だ。長時間戦闘に向かない難点はあるが、時間をかけるつもりはない。――アイン、ツヴァイ、周囲の建物にも被害を出すなよ」
「……了解、ドクター」
 答えが遅れたのは、それがこれまで彼らが受けたことのない命令だったからか。皆本が彼らに一番最初に教え込んだのは、人を殺してはいけないというただそれだけのことだった。それでもこの命令がなければ、彼らは躊躇うことなく人を殺すことができる。
 痛ましく顔を歪めた皆本を賢木が気遣わしく眺める。
 しかしクローンチャイルドが男たちの中に飛び込み混戦が始まれば、その余裕を保つこともできなくなっていた。


「そうか……。わかった。深追いはしなくていい。そちらには医療班を向かわせる。ご苦労だった」
 手短に通話を終わらせたあと、ヒノミヤは待機させていたチームを呼び出し、現地へと向かわせる。
 その顔は終始かたく、声の硬質さも相俟って不穏を感じさせるにあまりあるものだった。
「どうやら相手が悪かったようですね」
 通話のために壁際へと避けていたヒノミヤが席に戻ってから、谷崎が口火を切る。しかしその表情は未だ現実を受け止めきれていないらしく、声も困惑を隠せていない。
 ヒノミヤも谷崎の本音ではない軽口に乗ってわざわざ喧嘩をするつもりもなく、肩を竦めるに留めた。この部屋にいる者たちの中で一番の衝撃を受けているのは谷崎だろう。そこに追い討ちをかける趣味はない。しかし彼の立場上聞き流すということもできず、口調は自然と尖ったものになる。
「想定内の出来事です。相手が抵抗することも、クローンチャイルドを伴っていることも。だが対話で解決するのならそれが一番望ましい。それだけの話です」
「う……む、そうだな……。いや、その通りだ」
 すまなかった、と頭を下げて詫びる谷崎に、ヒノミヤは何も答えない。無視をしているわけではない。谷崎の失言ごと、なかったことにしただけだ。何もなかったことに対する謝罪を受けとることはできない。
「皆本光一との会話をもう一度、お教えいただけませんか」
 上司からの軽く嗜める視線を感じ取り、軽く咳払いをしてからヒノミヤが尋ねる。谷崎もいつまでも引きずる真似はせず、顔を上げると皆本との会話を再現して見せた。
「敵対する意思はない、か……。皆本光一は本当にそう言ったんですね」
「ああ」
「どういうことです? ヒノミヤ」
 この問いかけに、ヒノミヤは片目だけの顔をしっかりと自らの主人に向けた。
「言葉の通りに受け取って問題はないかと。皆本光一にどの程度の権限が与えられているのかが定かではないため、依然として楽観視はできないでしょうが、このまま我々が彼らに対し手出しをしなければ進んで敵対するつもりはない。我々に対する牽制と捉えて差し支えないでしょう」
「しかし、彼はこちらの情報を持っています。もちろん、外に漏れ出ても問題のない範囲で、ではありますが」
「理解しています。皆本光一を通してギリアムにこちらの情報が流れている可能性は否定できません。彼に敵対の意思はなくとも、ギリアムの意図はわかりません。そのため、しばらくの間我々は活動を控え、相手の様子を窺うべきではないかと」
「……パンドラに、伝えるのですね」
「恐らくはそのために接触してきたと思われます。パンドラの所在を掴むよりも我々との方が接触は計りやすい。そして我々とパンドラに繋がりがあることも皆本光一は把握しています」
「相手の手の内がわからないうちはあまり気は進みませんが、委細任せます。ヒノミヤ」
「了解しました」
 折り目正しく頭を下げ、ヒノミヤは谷崎を見た。
「立ち会いますか」
「……いや、今回は遠慮させてもらいたい。恨まれ役を押し付けるようだが――」
「それも俺の仕事のうちですよ。まぁ、もしかしたらそれも奴に奪われるかもしれませんがね」
 おどけたように語り、ヒノミヤは早速行動に取りかかるべく、退室する。人払いを済ませた廊下はひっそりと静まり返っている。
「…………何考えてやがんだ、あいつ」
 呟きは誰の耳に聞かれることもなく、静寂に呑み込まれた。
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