素直になれない男と素直すぎる少年

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  月は夢を見るか? 10  

 また呆れた顔を向けられて、それが仕方のないこととは言え、兵部は自分の顔が不愉快に歪むのを抑えて笑みを作った。
「こんにちは、皆本クン」
「先生と呼べと何度言ったら分かるんだ」
 挨拶と化したようなやりとりにくすりと声を落として、準備室のドアを閉める。兵部に出ていく気配がないと分かれば皆本も諦め半分というような格好で一応は受け入れてくれる。
 そんな中途半端な優しさを見せるから、期待してしまうし付け入る隙になってしまうのに。
「次の授業まで避難させてもらえませんか、皆本センセイ」
 下手にお願いに出てみると、皆本は怪訝そうな表情を隠さずに理由を促してくる。
 どうせどちらにしろ好き勝手させてくれるというのに、それは理由付けを探しているように見えて、兵部は期待すると同時に、もどかしくなる。そんな、理由付けなど必要なく居られればいいのに。
 だが、今はまだ叶わぬ願いに落胆するよりも目先のことを優先すべきだと頭を切り替える。
「さっきの時間急遽HRが入って、その時に生徒会役員のクラス選考があったんだよ。それに選ばれそうになって……」
「へぇ。もうそんな時期か。で、お前はやりたくないのか? 生徒会役員」
 純粋に意外な顔を向けてくる皆本に兵部は溜息を吐きたくなるのを耐えて、ソファに身を沈める。
 そんなものにでもなったら皆本と逢える時間が減る――なんて言っても、きっと真面目には取り合ってくれないに違いない。
「センセイはやったことある? 役員」
「僕? ……まぁ、成り行きでね」
 騙されたというか嵌められたというか、と口篭らせる皆本に生返事をして、垣間見える彼の過去に嫉妬する。いくら過去の、過ぎ去りし出来事だとは言っても絶対に兵部には手に入れることの出来ないものだ。
 彼の過去を求めるよりも彼との未来を求めるが、それでも、全てを手に入れたいと思うのは誰もが持ち得る欲求だろう。
「へぇ。皆本センセイだったら会長とか?」
「僕は副会長だったよ。選挙したんだけど投票で負けてね。まあ、やりたかったわけじゃないからどっちでもよかったんだけど、やっぱり負けたときは悔しかったな」
「意外だね。センセイ結構票取りそうなのに」
 そう言ってやれば皆本は照れたように笑い、その表情を単純に兵部は好きだな、と思う。
 はっきりと手が届かないと分かるほどに大人でもなくて、けれど肩を並べられるほどでもない。まるで手が届きそうで届かないその距離に、焦れながらも欲し続けてしまう。
 子供の無鉄砲さ、無邪気さで求めれば大人の寛容さでやんわりと拒絶され、背伸びした子供の狡猾さで絡め取ろうとしても、難なくかわされる。
 けれど、そんな思いを決して否定されることはない。否定されれば、子供の無謀さで求めることも出来るのに。
 中途半端に、大人の扱い。でも、大人にも子供にもなれない自分にはそれでいいのかもしれない。
 だってそれは、兵部京介という、今在る自分を見つめてくれているなによりの証だから。
「今度センセイの学生時代の写真見てみたいな」
「えっ? いいよ、恥ずかしい」
「減るものでもないのに……」
 残念に呟けば、ただ苦笑だけが返ってくる。
「で、まさかとは思うがそれがお前の昼食か?」
 あからさまな話題転換に笑って、指差された袋を持ち上げる。この学校で売られている購買の、袋。
 睨むような視線に、なんとなく言いたいことがわかってしまう。
「時間なくて」
「朝はちゃんと食べてきたのか?」
「……朝は食欲ないんだよね」
 尋問するような気迫と口調に、躊躇いがちに兵部は返事をする。
 途端険しくなる皆本の表情に、彼の地雷を踏んでしまったことが容易に知れた。
「この現代っ子が」
 嘆かわしいとばかりに呟く皆本に、とりあえずの弁明として昼は普段ちゃんと食べているが今日だけなのだと告げてみる。
 それにどれだけの効果があったのかはわからないが、皆本は溜息を吐き出すと机の脇に置いていた鞄から何かを取り出し、それを兵部の目の前に置いた。
 目の前に鎮座する四角いそれはどう見ても弁当箱のようで、兵部はきょとんとして皆本を見上げた。……見上げた先の頬が、どこか赤い。
「今日が特別カリキュラムで7限まであること忘れてないか? 絶対後で腹減るぞ」
「……でも皆本センセイは?」
「僕? これもらうし、ここには非常食あるからね」
 兵部が持っていた袋を取り上げ、悪戯に笑う皆本にふと、面食らった後に笑みが込み上げてくる。
「生徒が真面目に授業受けてる最中にのんびり休憩でもするつもり?」
「その生徒が気ままに遊んでるときにも先生は仕事してるんです。バレなきゃいいんだよ」
「不良教師」
「だから内緒にしててくれよ? 兵部」
 茶目っ気を含ませて片目を瞑る皆本に首を縦に振って、折角もらった弁当にもったいないと思いながら箸をつける。
 どこか緊張気味にじっと見つめてくる視線が、くすぐったくて心地いい。
「適当に詰めてきただけだからな。味に期待するなよ」
「そんなことないよ、おいしい。センセイ料理も得意なんだね」
「……料理と科学は似てるからな」
 謙遜する皆本に世辞抜きで感想を告げると、照れたようにそっぽを向いたままぼそりと呟いて席に戻り、兵部から取り上げたパンに齧り付く。
 そんな分かりやすい態度に笑んでいればやはり睨まれて、兵部は慌てて頬を引き締めた。
「――で、お前役員やる気ないのか?」
 思い出したように話を蒸し返してくる皆本に小さく溜息を吐いて、頷く。
「うん。面倒だし」
「……まあ、確かに面倒と言えば面倒だが、やりがいはあると思うけどな」
 身も蓋もない兵部の言葉に皆本は同意を示しながらもフォローのつもりなのか、言葉を続ける。
 それに兵部は箸を置くと、じっと皆本を見つめた。
「センセイも僕にやれ、っていうの?」
「いや? 嫌がってる人間に押しつけるのは違うだろ」
「そっか」
「それより野菜避けるなよ。残さず食べなさい」
 箱の隅に避けていた野菜を目敏く見つけられて、兵部は大仰に肩を竦めてみせる。
 皆本の弁当は確かにおいしいのだが、つい、苦手な食べ物は避ける癖が出てしまっていた。
「だって苦手だもん」
「だってじゃない、だもんて言うな。僕が作った料理を残す気か」
「……頑張れば何かくれる?」
「子供かお前は!」
 怒鳴る皆本に兵部は唇を尖らせてだって、と漏らす。しらばく続いた睨み合いのような見つめ合いに、最初に根負けしたのは皆本だ。
 疲れきったような表情で溜息を吐いて、その姿を兵部はしばし見つめて、あえて弁当の隅に避けていた野菜に箸をつける。苦手だが、食べられないほどではない。ただ、食べようと思わないだけで。
「ちゃんと食べれるじゃないか」
「……まぁね」
 先程までくすぐったく感じていた視線が、今では少し面映くて居た堪れなくなってくる。
 こんなことならちゃんと最初から食べればよかったと思うが、そういえばこうして皆本から自分を見てくることなど珍しいように思えて、現状に対する心境が分からなくなる。
「どうした? 兵部」
「ううん。なんでもないよ」
 怪訝な声を笑みでやり過ごして、再び箸を動かす。

 食べながら、皆本と同じ食卓を囲う未来を夢想して、なんだか少し泣きたくなった。
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